8話「強き者よ、汝の名は龍」
厚い雲が空を覆う午後3時、平時であれば午後のティータイムが始まる時刻。
私とアムレードは二人揃って公演を終えたサーカスを出て、街の中心フェリクス家の邸宅へと向かっていた。
そして邸宅の入り口では案の定、顔を真っ赤にした聖女イリス様が仁王立ちで私達を出迎える。
「今まで何をしていたんですか」「どこを探してもいなかった」「待機していろと伝えたはずなのに」とひたすら怒り散らし、騒ぎを聞きつけたフェリクス家の女中さんに宥められるまでその怒りは続いた。
しかしそんな騒がしい喧騒の中、幼女の姿をした旧き龍アムレードは黙って手の中の神器を見つめていた。
何かを決心したような顔で、まるでこれから戦地へ向かう戦士のような顔で。
「ちょっと、ニーナ聞いているんですか!?」
「……悪ぃ、聞いてなかった、ちょっと気になる事があってさ」
「はーそうですか! あぁそうですか、私の言葉になんて価値はありませんかそうですか!」
「悪かったってば……」
「……もういいです、まずは神器をダニエル君へ返しに行きますよ、ほら、アムちゃんも一緒に!」
「ん、あぁ、そうだな……」
「何なんですか二人揃って覇気のない顔で、しっかりしてくださいよ」
どれだけ言われてもアムレードは変わらず上の空、イリスの話など聞かず自分の世界に入っている。
表面上は今までと同じ、龍としての泰然自若な態度に見えるのだが。
彼女の悩みを聞いてしまった今となっては、それが全く別の顔なのだとわかる。
「……二人とも、何か変ですね? もしかして、私が探している間に何かあったんですか?」
「何かあったってほどでもねぇけど、強いて言えばサーカスに行ってたかな」
「へぇ、サーカスに……それで?」
「アムレード、話していいか?」
「構わんよ別に」
彼女にとって、とても大事な話であったはずだが、幼女はそっけなく言い放つ。
……果たして、この幼女龍は今、どのようような心境なのだろう。
「サーカスでアムレード言ってたんだ、悩んでるんだって、人として生きるか龍として生きるか」
「ふーん、人か龍かですか……って、えぇ!? 一大事じゃないですか、何で放っておくんですか!?」
「じゃあ逆に聞くけどよ、それで人間の味方になってくださいって言ったとして、アイツ素直に聞くような奴か?」
「それは、絶対にNOって言うでしょうけど、でも龍として生きるって事は私達と敵対するって事じゃないですか、それを……」
「そんなのアムレードだってわかってるだろ」
それでもなお私に打ち明けたのだ。
ならばきっと、彼女は人としての道を選んだのだと、そう思いたい。
「それにここは七大貴族の本拠地で魔術師とか衛兵とか戦える奴が揃ってる、そんな中で行動を起こすようなら、もういっそここで戦った方が被害が少ねぇだろ」
「あ、意外と考えてたんですね」
「流石にそれくらいはな」
「……」
「……」
私達の話は聞こえているはずだが、アムレードはなお沈黙を保っている。
「それにアムレードはその時、人間の事気に入ってるって言ってたんだ」
「龍が、人を……?」
「うん、嘘を言ってるようには見えなかった、だからさ、一つイリスに頼みたいんだけど」
「なんです?」
「アムレードの選択を最後まで、私自身の目できちんと見届けたい」
「……それは」
「それにそれに! もしアイツが人と歩むことを選んでいたのなら、一緒の旅に誘ってみたいんだ、だから……」
アムレードの悩みを聞いて以来、私の中には新たに一つに望みが浮かんでいた。
アムレードを仲間に誘いたい。
イリスの故郷で暴れた龍を、仲間に、である。
自分でもどうかしている提案だとは思っている。
そんなこと言ったら、怒られるかもしれないと分かっている。
分かっていても、それでも打ち明けずにはいられなかった。
アムレードは、似ていたから。
偉大なる龍としての在り方に、かつての母の面影を重ねてしまったから。
そんな存在が悩む姿に、今の自分を重ねてしまったから。
そしてそういった事情を押し殺して、ただ結果だけを乗せた私の言葉を、それを聞いたイリスは……
「そうですか、ふふっ、そうですか」
意外にも、満面の笑みを浮かべていた。
「……なんだよ、おかしいかよ」
「いえ別に、貴女の頭の中には、アムちゃんと一緒に魔族として暴れる選択肢は最初から無いんだなって思いまして」
「え? あっ…………あぁ! そうか、そう言うのもあるのか!!」
「あっはっはっは!! 貴女って人は本当に、あはっ、あははは!!」
「な、なんだよぉ! 私は人間の味方になったわけじゃないからな! 誇り高きラナトゥス家の長女だから」
「あははははは!」
「笑うなよぉ!!」
後ろからついてくるアムレードは、この会話も聞こえているはずだったが、それでも何も答えずただ俯いていた。
もしや決心が揺らいでいるのか、それとも、何も言わぬ理由があるのか。
「きっと、そうなりますよ、アムちゃんいい子ですから」
「……私はともかく、何でお前も乗り気なんだよ」
「だってアムちゃんは一緒に魔王の呪いと戦った仲間ですから」
「そうか、そうだよな」
話している間に、領主の部屋は、もう目の前に迫っていた。
このまま順調にいけばアムレードが神器を手放す場所が、あと数秒まで迫っていた。
◆
開かれた扉の先、フェリクス家当主の間は魔法の灯りに照らされ晴天の日向のような明るさを放っていた。
そして上座の椅子、当主の座席には以前出会った幼い少年、ダニエル・フェリクスが座り私達を待っていた。
10歳にも満たない、二次性徴もまだ迎えていないその少年は、少年とも少女ともつかない姿を豪勢な服に包み領主の椅子へと座っている。
馬子にも衣裳という表現がしっくりきていた。
そこに居たのは急ごしらえの、とりあえずの新当主様、といった少年の姿であった。
ただ。
そんな様相でもさすがは七大貴族の一当主。
当主少年からは作法通りの挨拶が私達へ向けられ、神器鎮圧に対する丁寧な感恩戴徳の言葉が述べられた。
そして、その言葉はアムレードにもかけられる。
「旧き龍よ、貴方に感謝を、貴方の協力が無ければ此度の勝利はありませんでした」
「堅苦しい挨拶など不要だ、それより貴様の目的はこれであろう?」
しかし神器を握る龍は少年の言葉を遮り、その前へと歩み寄る。
相も変わらず泰然自若、何をするにも他人なんて眼中にない。
いつも通りの龍たるマイペースで少年の座る椅子へと近づいていく。
周囲を囲む衛兵が、魔術師が、執事が、女中が、その場にいる皆が息を吞んだ。
そして。
「……呪いを祓って浮かれるのはよいが、勝利と断ずるのはまだ早いぞ」
「え?」
次の瞬間、幼女はその腕を龍へと変じた。
黒い鱗に覆われた龍の腕は、明確な殺意をもって幼当主へ向かって閃いた。
「な、何を!?」
誰もが驚愕に二の足を踏む中、そのまま龍の腕は新領主ダニエル・フェリクスに向かって伸びていき、そして……
……ダニエルの後ろに立つ、年配の衛兵の胸を貫いた。
「ば、馬鹿な……何故……!?」
胸を貫かれた衛兵は見る間に姿を変え、二足歩行の頭足類へと変わっていく。
「あ、アイツもしかしてマインドフレイヤーか!?」
「そういえば街を襲う呪いに必死で死体の確認できてませんでいたね」
その声は、船で私達を煽ったあの魔族と同じ者であった。
気付かぬうちに、再びフェリクス家に潜入していたのだ!
「大方、神器と継承者の両方が揃う場面を待っていたのだろうな」
胸を貫いたマインドフレイヤーを窓の外に放り投げながら、アムレードは続ける。
「魔物が不適合の罰を無視して神器を行使したとしても、十全の力は発揮できぬからな」
「……?」
「だから、呪いが敗北した際の次善の策として、この童を操るか、或いは体の内に取り込むかして、自分自身で神器を行使し人類を脅かそうとしたのであろうよ」
解説と共に、窓の外の放り投げた魔族へ向かってアムレードは魔法を放った。
青く光る魔術の光線はマインドフレイヤーへと直撃すると、強い氷の力を発揮し凍結させた。
魔法を受け物言わぬ氷柱となった魔族はそのまま地面へと落下すると、粉々に砕けて今度こそ完全に死んでしまった。
「ほれ、これで憂いはなくなった、有難く神器を受け取るがよい」
「あ、ありがとうございます」
アムレードは龍に変じた手を再び幼女の小さな手へと戻すと、今度こそ神器をダニエル少年へと手渡した。
一連の動作により、側近の護衛や魔術師達は旧き龍がついに人類の味方になったのだと、安堵の表情を浮かべていた。
誰もがアムレードを味方と信じ切っていた。
「お、オホン……龍よ、重ね重ね感謝を、我らフェリクス家はこの恩を忘れる事はなく、いつか報いると約束しましょう」
「なに、構わんよ、そこまで言われる筋合いもないしな」
だが、私は、私の中の戦士としての勘だけは、それは違うぞと否定していた。
魔族が神器を行使しても十全の力は発揮できない。
そして継承者を体内に取り込めばそれは解消される。
一体その事をアムレードはいつ知ったのだ?
神器を一度使っていなければ、そんなこと分からないはずなのでは?
つまり、あの龍の選択は。
……気が付けば私は、聖剣の柄に手をかけていた。
「アムレード、今すぐその子から離れろ」
「ニーナ、何を?」
そして、であるならば。
アムレードは今、何をしようとしている。
神器と継承者が揃った今、周囲からの邪魔が無くなった今、奴は今何をしようとしている!
「ダニエル、今すぐ逃げろ! ソイツから離れろ!」
私は聖剣の鯉口を切った。
一方アムレードは背を向けたまま、笑った。
「今頃気付いても遅いわ、小娘が」
瞬間、幼女は龍へと変じ。
私は聖剣を振り下ろした。
本性を現した龍が、その巨体で壁を破壊しながら幼き次期当主ダニエル・フェリクスへと向かって行く。
その首を、私は聖剣は一刀のもとに切り落とした。
その首は、確実に両断され胴との別れを告げた。
だが。
「ダニエル君!」
切り離された首が勢いを保ち幼当主へと飛んでいき、恐怖に慄く小さな体を手に持つ神器ごと飲み込んでしまった。
そしてそのまま壁を破壊して建物の向こう側へと消えていく。
「ど、どうして……」
「おいイリス、何ボーっとしてんだ、あいつを追」
「え、あ……」
「……っ、先に行ってる、ここは任せろ」
涙を流すイリスを置いて、私は龍の後を追い館の外へと飛び降りた。
龍は領主邸宅前の広場に鎮座し神器の力を使い体の再生を図っていた。
周囲には神器によって生み出された水が漂い、首だけになった龍の体を補おうと蠢いている。
よく見れば、周囲には今生み出されたものとは思えないほどの多量の水が埋め尽くしていた。
私の足首ほどまで浸水したその水は、どう見ても広場だけにはとどまらない、街全体を覆っているほどのバカげた規模の浸水であった。
継承者を得て神器が本領を発揮したか、それとも、あの黙りこくっていた間に準備を進めていたか。
……どちらでも変わらないか。
「アムレードよぅ、アムレードよぅ、てめぇ、それがどういう事か分かってやってんだろうなぁ……!」
「貴様こそ、ワシに剣を向けるという事はどういう事か分かっているのだろうな」
アムレードに剣を向けるという事は、魔王と双璧を為す魔族の頂点、暴龍へと剣を向けるという事。
もう魔族としての道は選べないという事。
父母が選んだ魔族としてのラナトゥス家と明確に袂を分かつという事。
「貴様の前に在るはこの大陸を縄張りとせし旧き龍だ、これよりこの地を支配する魔族の長だ、暴龍アムレードだ!」
「……あぁよく知ってるよ、よく知ってるよ!!」
「ワシはこれより、この地に龍の楽土を築き上げる!」
アムレードは選択を下した。
龍としての復活を、世界への雪辱と復讐を選んだのだ。
ならばもう私も逃げはしない。
母の願った立派な淑女の為すべき選択として、為すべき者のためにこの剣を掲げよう。
かつて、三度も私を救おうと差し伸べられた手。
その主を今度は、私が救う。
「だからこそ、きっちりてめぇを殺してやるよ、アムレードぉ!!」
「そうか、そうであろうな、そうでなくてはなぁ!!」
そして、魔王の呪いを凌ぐ遥かに強大な龍が、神器の力を得て私の前に立ちはだかった。