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7話「To be or not to be」後編


 目が覚めるとそこは寝室であった。

 大陸の北の果てにある海の見える国、ラナトゥスの首都リンテイルの城の自室。


 つまり、すでに滅んだはずの私の故国、その自室だ。


 そして目の前に広がるはベッドに備え付けられた天蓋、その裏側。

 横を向くと壁に掛かる家族の肖像画、ベット横の豪華な調度の床頭台には白い綺麗な花が活けられている。

 おかしい、ありえない、でも間違いない、どこからどう見ても私の自室兼寝室であった。


 どうして私はここに居るんだろう?

 何か、酷く恐ろしいものに襲われて、抗わなければいけないはずだった気がしたのだが……


「あら、どうしたのニーナ? 怖い夢でも見たのかしら?」


 考えていると背中方向から女性の声がした。

 誰の声だ?

 寝返りを打ち振り返って見てみるとそこには……


「お母様?」


 つい半月前に戦死したはずのお母様がいた。

 私が15歳で成人するまでに、武芸でも用兵でも一度も勝てなかった、ラナトゥス最強の戦士であった母が、私と同じ布団に入りそこにいた。


「何でお母様がここに?」

「あらあらこの子ったら、一体どんな夢を見ていたのかしら、可笑しい子」


 歌も教養も社交も完璧、貴族としての全てを備えていた私の目標だった女性(ひと)

 ……ん? 目標"だった"? 

 何を考えているんだ私は、お母様なら目の前にいるだろうに。


「それじゃ、またピアノを弾きましょうか、明日はまた稽古があるのだから、ちゃんと寝ないとまた熱を出すわよ」

「……うん、ごめんなさいお母様」


 病気がちで戦の稽古の後にはいつも熱を出して寝込んでいた幼い頃の私は、毎夜こうして母のピアノを聞かせてもらってようやく眠りについていた。

 今日もいつもと同じように、お母様は布団から出てピアノへと歩いていく。


「ニーナ、大丈夫、貴女は謝らなくていいの、悪いのは貴女を強く産めなかった私の方なのだから」


 お母様はいつものように私に謝りながら鍵盤に指を這わせ始めた。

 今日の曲はゆったりとした夜想曲、月の光を感じさせる穏やかな曲。

 私は行進曲や舞曲のような楽しい気分になれる曲が好きなのに、お母様は私を寝かせる時いつもこういう苦手なゆっくりとした曲を弾く。

 おかげで眠くて眠くて仕方がない。


「大丈夫、今はどんなに体が弱くても、鍛えればきっとラナトゥスの名を背負える強い淑女(レディ)になれる、だからそのためにはまず良き睡眠をとりましょうニーナ」


 そうだ、私は強くならなければならないのだ。

 そのためには食事と睡眠と運動だ。

 今はまず最初の一歩、睡眠から。


 母が二度と私に謝らなくても良いよう強くなるのだ。


 私は、幼き頃からずっとそうしてきたように、志と共に目を瞑った。

 やがて柔らかなピアノの旋律に包まれうつらうつらとし始める……


 が!

 意識が薄れかけたちょうどその時、何だかやけに胸のあたりが重くて眠りを阻害されてしまった。

 何だろう、何のせいだ。

 閉じかけた目を開きそれに見やると、私はいつの間にか胸に見た事のない綺麗な剣を抱えていた。

 そして、その隣にはラナトゥスでは見た事のない赤い花。


 何故だか私はそれを知っている気がした。

 今ここに来る前に、酷く身近にそれを身に着けていた気がした。

 ただ、同時に私はそれを「どうでもいい物」であると考えていた。


 どういう事だろう、よくわかんないや。

 あぁそうだ、私は昔から頭を使うのが苦手だったのだ、いつもどれだけ考えても良い答えは出ない。

 考えるのは止めよう……


 最初からこうなる予定だったのだ、ラナトゥスの掟に従うのだ。


「ニーナ、私のかわいい子、もう疲れたでしょう? たくさん頑張ったのでしょう? なら今はただ、ゆっくり眠りなさい……」


 「生とは剣を抱え死への旅路を歩むもの、決して執着するなかれ」。

 「ラナトゥスの騎士よ戦いに生き、戦いの果てに死すべし」。

 これこそラナトゥスに生まれた私が先祖より受け継いだ教え。


 かくあるべしと、家訓を父母から受け継いだのだ。


「ニーナ、ニーナ」


 母も父も掟に従い死んだ。

 だから、私もその後を追って……


「ニーナ起きなさい、いつまで寝ぼけているつもりですかニーナ!」


 ん? あれ? どうしたお母様? 

 寝ろと言ったり起きろと言ったり情緒不安定にも程が無いかお母様?


「とっとと起きなさい馬鹿ニーナ! こんな呪いの残りカス風情に、何負けそうになってるんですか!!」


 あ、違う。

 嫌だ、気付いてしまった。

 せっかくまた母のピアノで眠れそうだったのに。

 今私の耳に届いている音が全く別の雑音であると気付いてしまった。


 この声は母の声ではない。

 ここ数日間、嫌になる程に聞いた仇敵の声、イリス・ブルトゥスの声だ!


 気付きたくなかった! 嫌だ、こんな声で目覚めたくない!!


「貴女それでいいんですか! このままくっせぇゲロ吐きながら死ぬつもりですか!」


 あぁもう、うるせぇよ! このまま寝かせててくれよ!

 私の眠りの邪魔するってんなら殴ってやるぞ!


 そんな声を出そうとして。

 拳を振り上げようとして。

 目を見開いてベッドから飛び起きた、すると。


「ごぼっ、ごぼぼっ!!」


 私の喉から多量の黒いヘドロが吐き出された。

 ベットが黒いドロドロで汚された。


 そして次の瞬間、幻影が霧のように晴れ、気が付けば私はルメニアの街の近くの森の中、草の上に寝転がっていた。





「あ、起きた」

「ようやく戻ってきましたか寝ぼすけ魔族め! おら立て! まずは体の中のヘドロ全部吐き出しやがれですよ!」


 気が付くと優しい母も暖かい布団もなく、私は自分の口からあふれ出た酷い匂いのヘドロにまみれ。

 そして幼女の姿をした龍の不思議そうな顔と、小鳥から放たれる叱咤激励をひたすら浴びせられていた。


「がはっ、ごほっ、糞っ、最悪の目覚めだ……!!」


 全身が気怠く力が入らず、頭は釘でも打たれてるかのようにガンガンと痛みが走る。

 意識は朦朧とし、口からは腐臭溢れるヘドロが沸き出でて、呼吸も満足にできやしない。


 酷い落差だ、なんて酷い現実だ。

 あのまま幻影に囚われていたらどれほど穏やかに眠れただろうか。


 母の待つ地獄に、また行けなかった。


「ふふん、私の機転のおかげ助かりましたねニーナ、これぞ相棒の面目躍如ですよ、さあ感謝の言葉を聞かせてもらいましょうかニーナ!」


 それもこれも全部、私の頭上できゃんきゃん囀る小鳥、その操者イリス・ブルトゥスのせいだ。


「……お前っ」


 文句の一つでも言ってやろうとその小鳥をふん掴み、目の前へと持ってくる。

 口汚い罵倒の一つ二つが喉から出かかった。

 が。


「ん、あれ、なんかお前黒くなってね?」


 鳥を前にしてまず最初に、疑問が一つ口をついた。

 その小鳥はさっきまでと違い、全身が赤黒い靄に覆われていた。

 まるで、魔王の呪いに侵されたような……


「えぇそりゃあもう当然です、なぜなら貴女が受けた呪いを私が、私が! 肩代わりしたんですからね!」

「肩代わり……? 何でそんな事を?」

「そりゃあ当然……仲間ですか……あぁでも、こちらの方は心配しな……フェリクス家の協力……ある程度呪いは抑……」

「おいどうした? 声が遠くなってるけど?」

「あぁどうやら……鳥ちゃんがもう限界……迎えの者がそちらに向……しばらく待…………」


 話している間に小鳥の赤黒い靄は全身を包み浸食し、やがて体を炭のように黒い粉へと変えボロボロと崩れさせてしまった。


「消えたな」

「いや、消えたな、じゃないだろ!? これ、大丈夫なのか!?」

「消滅したのは使い魔として使役した鳥だけじゃろ、少なくとも死の匂いは感じられぬ」

「そ、そうか……」


 ならばひとまずは安心だ。

 ならばそれはいい、それは良いとして、もうひとつ問題が生まれてしまった。

 敵であるはずのイリスに、身を挺して助けられてしまった。


 この事態をどう消化すればいいのか、私には全く分からなかった。


 ラナトゥスの淑女として、恩には礼を返さなければならない。

 だが一方で、その恩人イリスは仇敵であり人間だ、恩を返すためこのまま人間の味方へとなってしまうのは、私を育てた父母への裏切りのような気がしてならない。

 その一線だけは越えたくない。


 私は、どうすればいんだろう。


「ま、あの小娘が気になるのなら街に戻ればいいだけじゃ」

「いや戻るったって神器をここに置いてく訳にもいかねえだろ」

「それなら問題ない、見ておれ」


 悩んでいる私を差し置いて、アムレードはオフィーリアの盃を拾った。


「あ、何やってんだよ!? それ持った奴がどうなるか、私が身をもって証明しただろ!?」

「資格無き者には罰が下る、じゃろ? そしてその罰の内容は、体の内側から泥が沸く、そんでもって魔王の呪いはお前とイリス・ブルトゥスが処理した」

「そうだよ、だから……あれ?」


 神器を手にしたアムレードは、特にこれといった異常もなく平然としていた。


「なんでお前平気なんだ?」


 私は持ったらすぐに罰が当たったのに、アムレードはどれほど時間が経っても平気そうだ。


「も、もしかしてお前、フェリクスの血筋とか……!?」

「んなわけあるか、普通に泥は湧いとるわい」


 そう言って幼女龍は小さな口を開いてその奥を見せた。

 喉の奥に、私と同じ黒い泥が沸いている!


「だったらなんで平気なんだ?」

「なんじゃお前知らんのか、龍とは元より海に棲まう物、海水という毒を体に入れるのが当たり前なのじゃ、故に体に泥がいくら入ろうと何ら問題はない」


 ……大分破綻した理論な気がするが、泥と海水じゃ何もかも違う気がするのだが。

 まあ龍に人間の常識を当てはめるのがそもそも間違いなのだろう。

 気にするだけ無駄か。


「ほれ、これで問題ないじゃろ、とっとと街へ戻るぞラナトゥスの小娘よ」

「……イリスはここで待っててくれって言ってた気がするけど」

「ワシが人の命令を聞くと思うか?」

「聞くわけないよなぁ……」

「うむ、故にワシに従えニーナ・ラナトゥス、街に戻って祝杯を挙げるぞ」

「祝杯……?」


 なんだろう嫌な予感がする。

 断った方がいい気がするが、そうすると今度は断った後が怖い。


「い、一応確認なんだけど、金はどっちが出すんだ……?」

「安心しろ奢ってやる、貴様は相応に働いたからな、信賞必罰は上に立つ者の務めじゃ」

「……まぁ、それなら良いか」

「ふふふそうかそうか、なら折角だ、この街で一番うまい甘味を紹介してやろうぞ!」


 私の同意の意思を聞くと、幼女は張り切りずんずんと先導し街へと戻っていく。


「いやでもその情報が役に立つの今日限りなんですけど、私ここ終わったら別な神器の所行くんですけど」

「ならば甘味の思い出を胸に旅立つがよい! そしてこの街の凍結果糖の美味さを世界に知らしめるのだ!」

「アンタはこの街の観光大使か何かかよ……」


 そうして幼女の後を追う事数分。

 気付けば私達は街の西側区域へと辿り着いていた。


 魔王の呪いに侵攻された西区域の被害は、アムレードの強引な行動もあってか、どうにか半壊程度にとどまっている。

 街の端のほうの店は流石に営業どころではなかったが、中央に近い店なら今からでも食事は出来そうだ。


「さぁ着いたぞ! ここがワシの一押しの店、冷凍食なる珍味を研究しておるのだが……」


 そうしてたどり着いた先。

 アムレードの推す店は街の西側、中央広場へと繋がる大通りの片隅にあった。

 が。


「……閉まってんじゃね、これ?」


 店には明かりがともっておらず、人の気配も無い。


「あ、あれ……? 今日は定休日では無いはずだが……」


 そしてよく見ると店の前に張り紙がしてあった。


「原材料の卸先が被害に遭ったため今日は臨時休業いたします、だってさ」

「……んな!?」

「これじゃ祝勝会は無理だなぁ」


 正直、少しほっとした。

 龍の味覚が私のそれと同一であるとは限らないからだ。

 どんなゲテモノを食わされるか分かったものではない。


「ぐ、ぐぬぬ……で、ではアレだ! アレに行くぞ!」

「アレって?」

「サーカスだ!」


 幼女龍はまだ祝勝会を諦めきれぬのか、今度は街の中央広場の方を指さした。


 小さなお手々の指さす先。

 そこには、私が行きたくても行けなかった店があった。


 街に最初に入ってきた時、イリスに怒られ結局見ることが叶わなかったサーカスの大きなテントがそこにあった。


 街の中心に近い位置にあったからか、呪いの被害はなく営業を再開していた。

 あと数分で公演開始するようで、最後の追い込みとばかりに客引きを積極的に行っている。


 ……行きたい。

 おそらく今日この日を逃せば、ずっと神器の討滅に振り回され、一生訪れる機会はないだろう。


「ふふふ、ワシの目はごまかせんぞ、お主、行きたいんじゃろ?」

「う……」

「ま、ワシとしては腰を落ち着けられる場所なら別でもいいんじゃがな、なんならその辺のベンチでも構わんし」

「じゃあ行く、どうせ奢りならアレ行く!」

「ははっ、決まりじゃな」


 こうしてあれよという間に幼女龍はチケットを2枚買い、そのうち片方を私に手渡した。

 受付を済ませ、暗いテント内の座席に座ると、サーカスはすぐに幕を上げる。


「しかしなんでお前サーカスなんかに? あ、いや、座れりゃ何でもいんだっけか?」

「なに、少しお前と話がしたくてな」

「話?」


 真っ暗なテントの中、ステージ上に照明が点きサーカスは始まったが、幼女龍はまだ小声で話を続ける。 

 サーカス、見たいのに……


「一つ聞きたい、お前、なぜ人間に味方している?」

「……」

「ラナトゥスの騎士ニーナといえば魔王軍幹部の中でも相当な上位の強者ではないか、そんなお前がなぜ、聖剣という強力な武器を持ちながら、人に味方しているのだ」

「べ、別に人間に味方してるわけじゃねえよ、仲間になったわけでもない」

「してるではないか人間の味方、思いっきり」

「いや、まあ結果的にそうなってるんだけどさ……」


 ちょうど悩んでいた事をアムレードに言い当てられ、流石にサーカスどころではなくなってしまった。

 確かに、人間に味方するなどラナトゥスの長女としてはありえない行動なのだ。

 ……でも。


「イリスには借りがあるんだよ、だからそれを返すまではアイツの悪巧みに付き合ってやろうかなーって、そう思ってるだけだ」

「借り? さっきのアレか?」

「それもそうだけど、他にも何回か」


 死刑から助けてもらった時と、マティアスを殺して自棄になってた時、そしてついさっき魔王の呪いを肩代わりしてもらった時の3回。

 私とイリスの間には友情と呼べるほどの繋がりは無いが、私が彼女を恩人と呼ばねばならない程の貸し借りは間違いなく存在していた。


 このサーカスに来るまでの間ずっと考えていたが。

 やはり、この借りを返し終わる前に地獄に落ちてしまっては、立派な淑女であったと母に胸を張って報告できない。


「まぁだから、何で? って聞かれたら、成り行きで、だな、それが私の答えだ」

「……そうか、成り行きか」


 話している間にステージ上ではピエロが二人、玉に乗りながらお手玉をしていた。

 なんとも期待外れな芸であった。

 私でもできるような、低俗な芸だ。


「なんとも期待外れな答えだな」

「文句あっか?」

「いや文句はない、ワシもついさっきまでそうだったからな、ワシも成り行きで貴様らに手を貸したようなものだしな」

「そうなのか?」


 龍からは意外な答えが返ってきた。

 落ちぶれたとはいえ、偉大なる存在には変わりないだろうに、成り行きで行動する、とは。


「今朝お前達がワシを追いかけて来た時だ、ワシは恐怖した、忌まわしい聖剣の気配がする、そうか、マティアスがついにワシを見つけ殺しに来たのだ、と恐れたのだ」

「追っかけてたの、気付かれてたのか」

「逃げるべきか戦うべきか、或いは矜持など捨てて命乞いをするか、その時ワシはどれかを選ぶべきだった」

「……ん? 確かその時アムレードは、何もしなかったような?」

「そうだ選ばなかった、選べなかった、ワシは逃げたのだ」

「……」

「どうかこの予想が間違いでありますように、杞憂で終わりますようにと毛布をかぶり目を瞑り耳を塞ぎ、何もかもから逃げたのだ」


 逃げた。

 その一言に、なんだか自分の事を言われている気がした。

 マティアスとの再戦が果たせなかったあの時、自死を選んだ私に対してそう言われた気がした。


「運よく予想は外れたが後悔だけは死ぬほど残った、だからお前達の提案に乗ったのだ、せめてもの意地でな」

「そうだったのか」


 壇上の演目は変わり、象の火の輪くぐりへと変わった。

 ゴーレム使った方が派手だろうに何故しないんだろう。

 私には分からない理由でもあるのだろうか。


「なぁラナトゥスの娘よ、折角だ、このまま少し相談に乗ってくれないか?」

「相談?」

「今ワシはちょうど境目にいるのだ、今朝の選択と同じように」

「……選択? 境目? よく分かんねえよ、私にもわかるように言ってくれないか?」

「過去を捨て人と生きるか、過去と共に再起し龍として生きるか、その決断の機会が来ているのだ」

「……?」


 言葉を聞いただけではまだよく分からなかった。

 が、幼女龍の小さな手の中で光る神器、オフィーリアの盃が視界に入ってはっとした。


「機会って、まさか」

「そう、今ワシの手には神器がある、神の力のその一端が、新たな選択の機会が、まるで運命が今度は逃げるなと急かすようにな」

「……そうか」


 神器の力を使い龍として再起を果たす、その機会を得たという事か。

 暴龍という二つ名まである旧き龍が神器の力まで得て暴れるのだとしたら、さぞかし甚大な被害を与えるのだろう。


 そうなるのだとしたら、恩人であるイリスを守るため、私はアムレードと戦う事になる。


「じゃあ、今、闘るか? できればサーカスの邪魔はしたくないんだけど……」

「話を聞いておらんかったのか? 境目にいると言っただろう、悩んでいるのだよワシは、為すべきか為さざるべきかを」

「え」


 思いもよらぬ言葉であった。

 太古の時代より生きる龍でも、人生の選択に悩む事はあるのか。


「意外だな、龍なら強さこそが存在の根幹だろ、悩むまでもないと思うんだけど」

「そうだな、マティアスに敗れる前までならワシも悩む事などなかっただろうな」


 そういえば、アムレードはイリスの国の神器を狙ってその後、勇者マティアスに討伐されたのだったか。


「だがマティアスに敗れて二年の間ワシは人間の暮らしに紛れていた、人としての二年をだ、そう過ごしているとな、龍として生きるだけでは見えんかったものも見えてくるのだ」


 それは、つまり……


「存外気に入ってしまったのだよ、人間という弱小種族をな」

「……そうか」


 壇上では空中ブランコの演目が始まっていた。

 片方の演者がもう片方の演者を空中でキャッチする、何の面白みもない芸が行われている。


「ふふっ、お前にはあの程度苦もなくできるのだろうな」

「え? あ、あの空中ブランコか? まぁうん、練習なんかしなくても余裕だな……」

「ワシにはあんな風に他者の手を取りすくい上げることなどできん」

「そうなのか? 龍なら何でもできそうなイメージなんだけど」

「何、龍とて出来ないことはたくさんある、苗を植えれば深すぎて芽が出ぬし、畑を耕せば苗ごと破壊し作物が取れん」

「やった事あるんだ、農業……」

「力が強いというのも存外不便な物よな」


 幼女龍がからからと笑う。

 そうしていると壇上では再び演目が変わり。

 力自慢の巨漢が鉄の箱を素手でひしゃげて喝采を浴びていた。


「ワシは人の弱さの良さに気が付いた、だからこうしてお前に色々聞いていたのだ、ワシと同じように人と魔の半端を歩むお前なら、ワシの悩みを解決する答えを持っているのではないかとな」

「それでさっき期待外れなんて言ったのか……悪かったな、力になれなくて」

「何、お前が謝る事はない、悪いのはワシだ、やはり自分の道は、自分の意思で選ばなくてはな」


 アムレードは母と同じように、私に向かって謝った。

 私の力が足りないだけなのに、アムレードは自分のせいだと謝った。


 私は何も言葉を返せなかった。

 そしてアムレードもその沈黙に沈黙で返した後、しばらくして、重い口を開いた。


「ニーナ・ラナトゥス」

「なんだよ、急にかしこまって」

「お前、ワシと共に来ないか」

「共にって、どこに行くんだ?」

「……」

「それにどっか行くならイリスにも聞いてみない事にはさぁ」

「そうか、すまん、何でもない、忘れてくれ」

「えぇ? 何なんだよ?」


 何を言っているのかは全く分からなかったが、会話の後アムレードは決心がついたような顔に変化していた。

 アムレードは、迷う者の顔から戦士の顔へと変わっていた。

 それだけは良く分かった。


 きっと、彼女は今の会話の中で選択したのだろう、この後の決断を。


「何なんだよお前、一人で全部わかったような顔してさぁ、私にもわかるよう説明しろよぉ……」

「ははっ、言わぬが花知らぬが仏という奴だ、自覚が無い事ほど恐ろしい物はない」

「難しい言葉ではぐらかすなよぉ」


 龍は私を置いて先に行ってしまったようだ。

 選択の先へ。


 私は、私はどうすればいいんだ。


 このまま成り行きに任せ適当に生きるつもりだった。

 人と魔の中間で宙ぶらりんのまま、何となくイリスの味方を続けるつもりだった。

 だってしょうがないじゃないか、人生なんてどんなに考えたって上手くはいかないんだもの。

 父母を裏切るなんて出来るわけないじゃないか、そう思って決断する事から逃げていた。


 でも、たった今私はアムレードの力になれなかった。

 私の力が至らないだけなのに、「悪いのは私の方」だと謝られた。


 このままでは地獄の母に胸を張って会いに行けないと、なぜだか私の心は悲鳴を上げていた。

 人か魔か、選択から逃げては後悔するぞと警鐘を鳴らしていた。


 そんな中、私達の目の前では最終演目がアナウンスとともに始まりつつあった。


 龍を席に迎えたサーカスは、悩む私を差し置いて、いよいよ終幕へと近づいていた。


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