1話「魔族の令嬢のジグ・ダンス」
「……以上の罪状により、被告ニーナ・ラナトゥスを死刑に処する」
私の目の前で、偉そうな老人が書類を読み上げていた。
煌びやかな服を着た老人が護衛を二人脇に連れ、淡々と私への死刑判決を言い渡していた。
とても淑女に対するものとは思えない、虫でも見るかのような目で彼らは私を見下ろしていた。
「被告人、判決に何か異論はありますか?」
「……別に」
「よろしい」
被告人、判決、などとそれらしい言葉が並んでいるが、今私と老人がいる場所は裁判所などでは無い。
私と偉そうな老人の間には鋼鉄の鉄格子が存在しており。
周囲は苔むした石造りの壁が四方を囲み。
頭上に迫る低い天井は実に陰険な圧迫感を醸し出している。
加えて、私の両手は手枷と鎖によって壁に繋がれ自由はなく。
この空間に出入り可能な扉は鉄格子の向こうにある老人側にしかない。
つまりここは牢屋だ。
それも老人の護衛が手に持つ蝋燭以外に灯りが無い、真っ暗な地下牢である。
「死刑執行の予定時刻は明朝7時、日の出と同時に絞首刑が執行されます、それまでの猶予5時間は己の罪を反省し、せめて来世は良く生きる事を女神様に誓うのです」
こんな場所で行われる裁判なんてまともな訳がない。
裁判をした、という結果を書類に記すための建前だ。
いかに弁明しようと私が死刑に処されるのはとっくの昔に決まっている、魔女裁判なんかと同じ形だけの裁判であった。
……まぁそうされるだけの事を私はしたので、判決は不当でもなんでもないのだけれど。
「では裁判はこれにて終了です、5時間後にまたお会いしましょう」
裁判という名の一方的な宣告を終え、偉そうな老人はそう言い残し退室する。
護衛二人も持っていた蝋燭と共に退室し、後には灯り一つない真っ暗な地下牢と、老人の言葉の余韻だけが残された。
5時間後、私の死刑が執行される。
「はぁ……これが私の末路か……」
真っ暗な地下牢の中、差し迫った私の人生の終わりについて考える。
15年と少し前、人類は魔王の侵攻に敗北を重ね窮地に立たされていた。
大貴族だった私の両親はその際人類を裏切り魔王陣営に寝返ってしまう。
当時3歳の私は親の言うまま魔族になる事を受け入れ人類の敵として成長していった。
以後親の教えに従い、魔族の武人として思うままに奪った、思うままに殺した、結果マティアスという名の勇者に討伐され今に至る。
……死刑と言われても仕方ないか。
私も父母も武人として戦場で多くを殺した、別な誰かに殺された所で文句はない。
考えてみると思ったより末路に不服は無かった。
強いて言うなら未練が一つあるくらい。
「勝ちたかったな、勇者に」
勇者、すなわち祖国を滅ぼし私をこの牢獄にぶち込んだ男、マティアスと言いう名の男。
そいつは貧民街の生まれなのだとか。
貴族とは異なり特異な能力もなく魔法も使えない一般的な平民。
しかし代わりに剣の技巧は歴史上類を見ないほど卓越していた。
彼はその剣技で魔族を次々と討ち滅ぼし、その活躍をもって勇者と呼ばれるようになったのだ。
そんな勇者が快進撃を続け、やがて魔族領となっていた故郷ラナトゥスに軍を率いて攻めてきた。
それが私の終わりの始まりだった。
勇者と共に攻めてくる人類の軍勢、迎え撃つラナトゥスの魔族勢力、戦争の結果はラナトゥスの完敗。
両親は討ち死に、軍勢は皆殺し、城にも火が回り城下の街もみな焼けた。
ラナトゥス家の武人として最後まで最前線で戦い続けた私は、日が落ちてそしてまた昇るまで目の前の敵を斬り続け。
気が付けば勇者とは一騎打ちのような形で立ち会っていた。
そして、そこで死に損なった。
勝つ事も負ける事も出来なかった。
「余計な邪魔さえなければなぁ……」
一騎打ちの果て、あと少しで互いの首に互いの剣が触れる、となった矢先。
女が一人、民衆に聖女とか呼ばれている糞女が勇者に加勢し、魔法で私の動きを封じてその一騎打ちを止めたのだ。
もし、あれさえなければ。
もし、やり直せるなら今度こそ……
「……今度こそ、か」
その時ふと、あの偉そうな老人の言葉を思い出した。
「来世は良く生きると女神に誓え……」
つい自分でも繰り返してみる。
もし来世というものがあるなら。
もし人生をやり直せるなら、あの一騎打ちを今度は完全に決着がつくまで続けたい。
もしそれができるなら。
たとえどんな事をしてでも……
「……はぁ、バカバカしい、来世なんてあるわけないだろう、私よ」
思考がありもしない「もしも」を考え始め、夢想の世界へと逃げ始めたのを如実に感じた。
いよいよ私と言う人間がどうしようもない終わりを迎えた証であった。
両手を縛る手枷の鎖はとても力ずくで外せそうもない。
目の前に立ち塞がる牢の鉄格子は固く閉ざされ沈黙している。
魔族として扱っていた超常の力は、戦争に負け捕縛された後全て奪われた。
私の前にある現実はそれだけだ。
もうそれしか残っていない。
努力するだけ無駄。
……なんだか腹の底から笑いがこみあげてきた。
もう駄目だ、おしまいだ。
私は私を諦めて目を瞑った。
きっと次に目を開ける時は処刑台の上だ。
あぁ、未練残る死もまた私らしいな、と笑いながら。
私は思考を止め目を瞑った。
……
……その時であった。
「イリス様、面会時間は5分だけです、それ以上は私の力でも流石に……」
「わかっています、そう長くはかかりません」
牢の外から声がした。
面会? 誰だ?
閉じた目を再び開き顔を上げると、そこには蠟燭の明かりに照らされた身なりのいい女性の顔が闇の中に浮かんでいた。
「久しぶりですねニーナ・ヴィルヘルム・ラナトゥス、魔に魂を売り渡したラナトゥス家の長女」
その女は、先ほどの偉そうな老人が省略した私のミドルネームまで呼びながら、仰々しくこちらへ近づいてきていた。
蝋燭の明かりが近づくにつれてその女の全貌が露になる。
それは身長150㎝ほど、全身を白い僧衣で覆いふわふわの栗色の髪を揺らしながら歩く10代後半の女性。
そして何よりの特徴として、僧衣の肩先に七大貴族の一角であるブルトゥス家の家紋を掲げていた。
「なんだ腹黒聖女か」
その女は、私と勇者の一騎打ちの邪魔をした勇者の連れ。
人間の民衆から聖女と呼ばれる僧侶イリス・ジルヴェス・ブルトゥスその人であった。
顔も見たくない、憎き敵だ。
「何をしに来た無粋者、直接止めを刺しに来たか、それとも私を嗤いにか?」
「どちらでもありません」
「……じゃあ何を」
「貴女を助けに来ました」
瞬間。
思考が止まった。
腹黒女の言葉を耳にした途端、思考が一瞬停止した。
助ける?
腹黒聖女が、私を?
「…………聞き間違いかぁ」
「間違いじゃありません、寝直さないで……あ、こら! 起きろ、このアホンダラ!」
「痛ぇよ、叩かなくても聞こえてるっつーの、糞ッ……」
「いいですか? 私は、あなたが死刑に処される前にここから連れ出すためここに来ました」
腹黒聖女は私を棒でつつきながら同じ意味の言葉を繰り返すが、相変わらずその内容は訳の分からない物だった。
何を考えてるんだコイツは。
父母を殺し祖国を滅ぼしこんな牢獄に閉じ込め死刑宣告までした挙句、今度はそれを助ける?
矛盾の塊にもほどがある。
聖書の読みすぎで尻に葡萄酒でもキメてしまったのか?
「貴女にも色々言いたいことはあるでしょうが、まずは聞いてください、少々世界の事情が変わりました」
「事情?」
「貴女には死刑の代わりに、一つこちらの用意する悪巧みに付き合ってもらいたいのです」
ふむ、なるほど。
命を助ける代わりに私に「何か」しろという事か。
……怪しい。
その「何か」とはきっと禄でもない悪事に違いない。
「そんな話を私が受けると思うか? 誰のせいで私が今こんなになってるか分かってて言ってるのかお前?」
「じゃあこのまま5時間後に首を吊って死んでください」
「わーった、わかった! 私が悪かった! 申し訳ありません! どうか助けてくださいお願いしますイリス様、まだ死にたくありません!」
嫌な予感しかしないが、コイツの提案を受ける以外の選択肢はもう私になかった。
この提案を受ければとりあえず死刑は回避できる。
死刑を回避できるなら。
私には勇者への再戦の機会が生まれる。
それならそれでいい。
たとえコイツの尻を舐める事になろうとそれでいい。
親も故郷も失った今の私に、勇者との再戦以外の全てに価値などないのだから。
「分かったよ、お前の提案受けるよ」
「それはよかった、手間が省けます」
「で、何すりゃいいんだ? 私はどんな悪事に加担すればいい?」
気持ちを切り替えそして第一声、私は疑問を口にした。
人類を裏切り死刑に処されようとしていたラナトゥス家の人間を、わざわざ再利用しようとこの女は言っている。
ならば相当な事情があるはずだ。
この聖女様は何故そんな事をするのか、まずは聞かねばなるまい。
「そうですね、短く纏めるのなら」
さぞ碌でもない陰謀が水面下で動いて……
「貴女には今日から勇者マティアスになって貰います」
……?
「勇者に、なる?」
「はい、顔も名前も変えて、貴女は今日から勇者マティアスになってください」
……は?
「え、マティアスってあのマティアス? 人類最強の剣士? 私の祖国を滅ぼした剣士に? 別な作り物の勇者になるとかじゃなく実在する人間に成り替わる?」
「はい、全くもってその通りです」
なぜ、とか、どうして、とか、そんな疑問の前に一つ。
もっと大きな大前提が私の頭で渦巻いた。
「あいつ男だよね? 私女だよね?」
「はい」
「馬鹿じゃねえのお前!? できるわけねえじゃん!?」
今までの人生で出したこともないような大声が、私の口から飛び出した。
「だって、違うじゃん! 何もかも!」
「ですが私達はやらねばなりません、さもないと」
「死刑っつーんだろ! わかってるよ、言われなくても努」
「いいえ、それ以上に大きな問題があります、人類が滅びます」
「……は? 今なんて?」
「人類が、滅びます」
腹黒聖女様はいたって真面目な顔で語った。
人類が滅びると。
「……マジで言ってる?」
「大マジです」
聖女様はそう言いながら。
私の目の前の鉄格子の鍵を魔法で破壊し。
牢の中に侵入し。
そして私を縛る手枷の鍵をあっさり開錠しながら、至って真面目にそう語った。
「はい、これで牢と手枷の鍵は外れましたよ、あとは首輪に誓約の印を刻めば契約完了ですね」
「契約て……いや、でも……」
「これより先、貴女には人類救済のため勇者マティアスとして生きてもらいますので、今後ともよろしくお願いします」
「……繰り返しになるけどさ、それマジで言ってんの?」
「マジです」
そう言って聖女様は私の手を取ると、そのまま牢から連れ出し外へと繋がる扉を開ける。
真っ暗な牢の外を出ると、そこはもう夜空を仰ぐ野外の木立だった。
私を閉じ込めていた地下牢はどうも大きな街の外、木立の中隠れるようにひっそりと存在する秘密牢だったらしい。
聖女様の計らいか、脱走を咎める見張りの兵もなく、ただただ真っ白な月明りだけが私達を見つめていた。
「さ、ではこれより人類救済を始めましょう勇者様」
「……なぁ、やっぱりこれ、実は私が死ぬ間際に見る夢だったり、痛ぁ!?」
「目が覚めましたか勇者マティアス様、同じ言葉を繰り返しますが、貴女が勇者を騙らないと人類が滅びます、それが現実です」
大真面目に私を私の仇敵の名で呼ぶ聖女様に、ほっぺを思いっきりつねられて。
その痛みが現実のものであると確かに確認して。
ついに私は観念した。
これは現実だ、夢じゃない。
「マジか、マジかぁ……」
死刑を免れる代わりに、親と祖国と戦友の仇の名を騙らねばならない死よりも屈辱的な生が私を待ち受けていた。
女神様に祈りが届いたのかは定かではないが。
こうして私の第二の人生は、訳のわからない嘘みたいな現実から始まった。