thirty six (side 小梅)
私がレジで泣いてしまった日以降、とにかく鹿島さんは姿を見せなくなっていた。
(……彼女さんと別れて、きっと落ち込んでいるんだろうな)
手に持っていたポテトチップスを棚へと置く。足元の段ボールを足で右へとずらしながら、倒れていたコンソメ味を真っ直ぐに立てた。
(もう、新しい恋人ができてたりして……)
以前、多摩さんが言っていた言葉が蘇ってきて重苦しくなり、私ははあっと溜め息をついた。
「ハイスペック……かあ」
『よく出来た男』の意。
(鹿島さんは社長さんだし、運転手さんの須賀さんもいて、たぶん、っていうか絶対お金持ちだし、だっていつも支払いは一万円札で1円とか小銭を出したことないし、顔もイケメンカッコいいし、鼻も背も高いし、声もいいし、笑うと可愛いし、優しいし、優しいし、優しいし、)
段ボール箱から、のり塩味を取る。ガサガサと音をさせてコンソメの隣に並べる。
「小梅ちゃん、上がっていいよー」
どこからともなく聞こえてくる店長の声に、はーいと返事をしてから空になった段ボールを抱える。
(……今日も、来なかったな)
胸がぎゅっと苦しくなって、私は深呼吸をするように、深く深く息を吸った。倉庫へと段ボールを投げ、レジへと戻りエプロンを脱ぐ。
その横に置いてあるメープルの取り置きの商品を、カバンの中へ放り込むと、お疲れ様でしたーとなるべく明るく大きな声で叫び、そしてモリタを出た。
モリタとメープルは隣同士だ。
モリタの店長と、メープルの双子は、どうやら飲み仲間でもあるらしい。結婚している隼人さんの家族とも、家族ぐるみの付き合いがあると聞いたことがある。
この商店街でまだ営業している店の中で、独身なのは私とバツイチ元ヤンの真斗さんくらいなもんだ。
「結婚って、どんな感じですか?」
隼人さんに聞くと、こちらを見るやいなや面倒くさそうに眉をひそめてしまう。顔を戻し、持っていた中華鍋をガタゴトと音をさせながら、もう一度振り始めた。
無言が続くので、答えは返ってこないなと思い、カウンターに戻ろうとした時、ぼそっと呟くように言ったのが耳に入った。
「あったけえし、くすぐったい」
振り返って見ると、隼人さんはもう向こうを向いていて、出来上がったチャーハンを皿に盛りつけていた。
(あったかいっていうのはわかるけど……くすぐったいって、何だろう?)




