thirty one (side 小梅)
(あれ、今日もビール……なのかな)
お客さんの買い物の内容については、あまり話題に出さないようにしている。それはもちろん、プライベートのことだし、何を買ったのかをベラベラと吹聴するのはルール違反だとわかっているからで。
けれど気になって、私はついに口に出してしまった。鹿島さんのビールの量が最近、増えつつあるような気がして。
「鹿島さん、あまり飲みすぎてはだめですよ」
あまり飲み過ぎないようにと言うと、それがなかなか止められなくてね、とか、要らないお世話だ、と言われるのが常だろう。
けれど、鹿島さんは素直に「あ、うん。そうだな。少し控えないといけないとは、思っているんだが」と返してきた。
余計なお世話なこと、言っちゃったなと思うと、途端にどんっと心が重くなった。下らないことをつい調子に乗って言ってしまうこの口に、チャックをつけたい……。けれど、言ってしまったバカなことをフォローしようとするかのように、言葉は次々と出てしまう。
そして、ついには。
「あんまり飲みすぎると、ゴージャスな彼女さんにガツンと怒られちゃいますよ。ふふふ」
軽い気持ちで、言ってしまった。だから、この言葉が思いも寄らぬ結果を招くとは、思いもしなかった。
ビールと惣菜のパックをビニール袋に入れて渡そうとした時、鹿島さんの顔が奇妙に歪んでいることに気がついた。
え? と思った。
どうしたんですか、そう訊こうとした矢先に、鹿島さんが言った。
「実は、別れちゃったんだ」
悲壮な顔を浮かべながら、レジ袋を受け取った。
その顔が。その言葉が。重りのようにのし掛かってきて、私は何が何だかわからなくなってしまった。
ねえ今、なんて、言った?
鹿島さんの声が、いつもより震えているような気もしてきて、きちんとは思い出せない。
「……別れたんだ」
ダメ押しだった。
私はその言葉で、直感した。花束だ、あの花束が原因だと。
そんなのだめ、私のせいだ。私が余計なことをしたせいで。鹿島さんが不幸せになってしまう。そんなのだめ、そんなのだめ。
ぐるぐると頭の中が洗濯機のように回る。
自分が、何を言っているかわからなかった。けれど、あのカラーとラナンキュラスの花束が原因ですと、そういうことを思ったし、そう言っていたんだと思う。
自分の声は聞こえるのだけど、言葉になっているかどうかがわからない。
鹿島さんが必死な顔をして、何かを言っているようだった。
「こうめっ」
秋田さんの声で我に返り、すると、頬をすうっと指か何かでなぞられた気がした。
ああ、これ、涙だ。私、泣いているんだ。
そう思った次に、身体を奪い取られるようにして、抱き締められた。押しつけられた広い胸に、自分の涙がじわっと吸い取られていく。
一瞬、私を抱き締めたのは、鹿島さんなのかも、と思った。けれど、耳元には聞き慣れた声で、秋田さんだとわかる。
(そうだ、鹿島さんのわけがない。ダサすぎる花束で彼女を怒らせて、関係を壊してしまった私を、鹿島さんが抱き締めるわけがない)
目を閉じると、溜まっていた涙がどっと流れ落ちた。
今度は。
頬を伝うそれが、涙だということは、よくわかっていた。
(鹿島さんが……私なんかに触れるわけがない)
ぼうっと、視界が歪んで、白衣に刺繍された「秋田」の文字がぼやけて見える。
(……好きになんて、なるわけがない)
働かない頭は壊れた機械のように、何度もそれを繰り返していた。
自分に言い聞かせていた。




