twenty seven (side 鹿島)
「それにしても、用は何なの? こんな急に、珍しいったらないわ」
皐月がコーヒーメーカーで淹れたコーヒーをカップに注ぎながら、怪訝な声で何度も問う。フラワーショップの店内、レジ横に置いてあるベンチに座っている鹿島は、何度めかわかってはいないが、もう一度足を組み直した。
(こんなこと、相談しても……)
頭の中はぐるぐると色々な考えが渦巻いていて、何ともひとつにはまとまらない。けれど、聞いてほしい話題はひとつだけ。意を決して、鹿島は皐月へと身体と顔を向けた。
「はい、どうぞ」
目の前の小さなテーブルにコーヒカップが置かれる。湯気がゆらりと上っていって、鹿島の鼻にもその香りが届くだろう。けれど、それに先んじて早々と鹿島は核心をさらけ出した。
「花奈と別れた」
一瞬。
時間が止まったように思えた。止めたのは自分だと鹿島は思ったが、実際は皐月が止めていたようだ。微動だにしない皐月を前にして、鹿島は根負けしたというように頭を垂らしてみる。
「はは、久しぶりの失恋だよ」
皐月がようやく動き出し、コーヒーカップを持ち上げて口をつけた。
「……もったいなーい。立ち位置キープしてたのに」
「どっちがだよ」
「もちろん、……」
口を開けて続けようとする皐月を、手を上げて止める。
「ああ、もういい。言わなくていい。わかってるから」
制していた手を下げてカップを取り上げると、口に近づけていく。ふうふうと少し冷ましてから、コーヒーを啜った。
「……どうして別れたのか言ってごらん」
「んーー。もう疲れたんだよ」
「貢ぐのが?」
鹿島と花奈の様子は、運転手の須賀によって皐月に筒抜けだ。須賀はそのシュッとしたクールな見かけによらず、人の懐にずかずかと入り込んでくるタイプなのだ。
「貢ぐのが、だよ」
金を持っていると、それ相応の人種しか寄ってこないということは、小さい頃から理解はしていた。花の蜜に誘われる虫たちのように、男女問わず有名無名に関わらず。そして自分の周りにもそんな人々しか存在しなかった。
権力、富、名声。
「仕方がない。俺にはそういう輩しか寄ってこない」
鹿島は、自分を嘲笑うようなそぶりを見せた。
「自分でも気づかないうちに疲れていたんだよ。近寄ってくる奴らを愛想笑いで迎えなきゃいけないって思うだけで、胃が痛くなってくる」
「そんなの昔からでしょ」
「お疲れ様です、と他人に言われて気づいたんだよ」
小梅の顔が浮かぶ。
「花奈さん相手でも疲れるってこと?」
「うん、そうだね」
「すんなり別れてくれたの?」
「いや、親も加わって、一悶着あったよ。当たり前だ。向こうは結婚するんだと思い込んでいたからな」
「……本当の理由は何?」
皐月の鋭さに、ビクッと体が揺れた。
「…………」
「なあに、好きな人でもできた?」
鹿島の沈黙の意味を飲み込むと、皐月は腕をついていたカウンターから離れた。
「それってもしかして、モリタさんとこの小梅ちゃ、」
「あーーーーー」
須賀めと思いながら、鹿島が低い声を出し続けた。
「やめてくれ、わかってるんだ」
何かにつけて、いや全てにおいて、不似合いだということは十分にわかっている。けれど、根本は。
(人を本気で好きになったことがないんだ)
自分でもこれが恋なのか何なのか。
わかっていると言いつつも、実のところは何もわかってはいない。そして、それを確かめる気概も勇気も持ち合わせていない。
(このままでいい)
鹿島は強く思った。
(時々、ビールと惣菜を買って、)
皐月の呆れ顔を見つけて苦笑しながら、鹿島は立ち上がってベンチの背もたれに掛けておいた上着を取る。帰るよ、皐月へと手を上げてから店の外へと出た。
外で待っていた黒塗りの高級車に乗り込む。
「社長、今日はモリタへは?」
須賀がいつものようにルームミラーを覗き込みながら、問うてくる。失笑しながら「今日は帰る」と言う。
須賀はかしこまりましたと言ってエンジンをかけると、ゆっくりと本道へと滑り入った。視界にモリタを入れないよう真っ直ぐ前を見据えると、鹿島は唇を引き結んだ。
(それで時々、彼女と少しだけ話をして、)
生活感のない冷え冷えとした部屋へと帰る。使われないエプロン、空っぽの冷蔵庫、広々とした部屋。
(……彼女の笑った顔を見られれば、それで満足だ)
鹿島は目を瞑って、車の揺れに身を沈めていった。




