手紙
第二次大戦における日本軍の死者は230万人。
当時、当たり前にどこかで起こっていたかも知れない、短い物語。
ー夫からの手紙ー
妻へ
拝啓
この手紙が届く頃は
もう私は生きてはいないでしょう
皆に送り出されてより
これといった成果もあげられず
お前や親兄弟、お国のために
役に立たない自分を責めました
でも、漸く努めを果たせそうです
明後日の特攻に志願しました
夫婦として過ごせた時間は僅かでしたが
幼き頃より共にした時間が
積み重ねた時間が
あなたを守りたいという思いを
一層強くしました
それがやっと叶うのです
どうか私を褒めてやって下さい
ところで、
私から一つ最後のお願いがあります
あなたはまだ若い
どうか良い人と新たに所帯を持って
これからの人生を
健やかに過ごして欲しい
勝手なお願いになりますが
私が人生を賭して守った人が
良き伴侶とともに笑顔で過ごせる
そんな希望を抱いたまま
逝かせてほしいのです
それではこれからも
どうかお身体に気をつけて
敬具
ー夫への手紙ー
あなたへ
前略
お努めご苦労さまです
あなたが戦地に赴いてから三月
こちらは変わらず過ごしています
どうかご心配なさいませんよう
新聞にて、我が国は連戦連勝で
常に戦果をあげていると聞いております
早くこの戦争に勝って
あなたがお帰りになる日を
お待ち申し上げております
草々
追伸
あなたの子を授かりました
この子とともに
あなたのお帰りをお待ちしております
妻は先月生まれた乳飲み子と共に、夫の帰りを待っていた。ぐずる赤子をようやく寝かしつけ、いっときの休息を取っていると玄関のドアを叩く音がした。
ご近所からの配給の知らせかと、疲れた体を起こし玄関へ向かった。
「はい、どちら様でしょうか?」
「こんにちわ。兵事係の松岡です」
彼女の家を訪ねたのは役場の兵事係。戸を開けると、彼はこわばった表情のまま、浅くひとつ礼をした。
「これはこれはお努めご苦労さまです。本日はどのようなご要件でしょうか?」
兵事係はゆっくりと紙切れを取り出し、表情を変えずに読んだ。
何時間にも感じるほんの数秒。不安で早鐘を打つ心臓。当然、そこで聞かされたのは夫の戦死の知らせだった。
「・・はい」
ただ一言の返事と、頷くことしかできない妻に、男は矢継ぎ早に夫の戦死は名誉あることだと説明した。
「・・・はい」
取り乱してはいけない。お国のために戦った夫の名誉の戦死。覚悟はしていたつもりだが、日々軍の連戦連勝を伝えるラジオにどこか期待をしていた。
男は最後に、後日役場に年金の手続きに来るよう伝えると死亡告知書を渡した。
妻は体の震えを悟られないよう、なるべく動かないように、震える喉に力を込めてゆっくりと言葉を選んだ。
「ありがとうございます。夫が、、立派に、、、お国のために戦ったこと、妻として誇りに思います。お知らせいただきありがとうございました」
妻は去ってゆく男を見送ると、虚ろな表情を隠すように静かにドアを閉めた。
体の重さを感じないどこかふわふわとした足取りで部屋に戻ると、眼の前で眠る乳飲み子を見た。
その瞬間、堰を切ったように溢れる涙。
「あな、、た、、、。」
甘い期待などはしていなかった。それでもいつかこの子を抱いて「良くやった」と笑顔を見せてくれると、どこかで信じていた。
だが右手にあるたった一枚の紙切れは、夫が死んだという事実。もう夫はこの子を見ることが叶わないという現実。
妻は膝から崩れ落ちた。終わりなく溢れ出る涙とおえつを、寝た子を起こさぬよう、小さく丸くなりながら袖で押さえるのであった。
第二次大戦において、民間人の死者も80万人を数える。爆撃機による空襲、沖縄の惨状、広島・長崎の原爆。
きっと、もっともっと多くの、記録には残らない悲しい物語があったはず。
どうか人が人の命を奪う世界でなくなりますよう。