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赤色の花_後

* 後編です

 薄闇の中、まさに火が灯るような赤色はとても映える。場違いなくらいにきれいだった。

「さて、花も無事咲いた。願いごとも思い出せた。

 ひとまず、おめでとう」

 ぽんぽんと優しく私の背中を撫でて、ヒギシさんは立ち上がる。目の前に回り込んで佇む彼女を、私は膝をついたまま見上げた。

 ヒギシさんは、やっぱり柔らかい表情のままだ。微笑んでいるように見えなくもないけれど、無表情に近い。怖くは、なかった。

「では……改めて問おうか。

 君の願いはなんだい。

 その花を咲かせるに至った想いは。糧とした感情は。

 花の先、結実に何を望む」

 柔らかい声でささやかれる言葉は、きゅうっと私を縛った気がする。身が引き締まって、自然と背筋が伸びた。

「………私の、願いは……。

 …私は…私は、悲しかった。とっても、とっても…。…あの子が、死んで…悲しかった…」

 一度、ポストカード――そこから瑞々しく生える彼岸花へ視線を向ける。

 別名の曼殊沙華は、確か天上に咲く花って言う意味だっけ。花言葉で一番に思い浮かんだのは『悲しい思い出』だった。

 思い出して、また涙が溢れて零れた。鼻をすすってしまうけど、ヒギシさんは笑わない。

「どう頑張ったって、先に逝っちゃうのは、はじめから、分かってたのに…むしろ、そうじゃないと、いけないのに…。…それでも、やっぱり…悲しくって、苦しくって、辛くって…。

 ちゃんと、お経も上げてもらって。火葬も、して。ほ、骨に、真っ白い、骨に、なったのも、見て…骨壺におさめた、のに…。…のに…、…朝、とか…寝坊しても、あの子の声、聞こえなくて、…とうぜんなのに、…もういないから……。

 ……かなし、い…とっても…さみしい、」

 溜まっていく涙で視界がぼやける。瞬きの度に、頬がしとしと濡れる。

 溢れてくる思いに口が追い付かなくて、わらえてきた。

「……もっと、こうしてあげたかった。こう出来たら、よかった。あれも、これも…って。キリがないのに、さ……」

「人間はそういうものだろう」

「あ、はは、…そう、ですね…」

 ヒギシさんの相槌というかツッコみが、ぐっさりと刺さった。

 私は数回、深呼吸する。やっぱり涙は、まだ止まらない。喉も痛い。胸の辺りも苦しい。

「……彼岸花の花言葉は、たくさんある。

 その中で、私が一番初めにとったのは『悲しい思い出』、次はきっと…『あきらめ』」

 この『あきらめ』が、果たしてあの子との別れを「こういうものだ」と諦めたかったのか、それとも「私自身」を諦めたかったのかは、もう思い出せない。きっと、口にしないほうが良いんだろう。

 私は立ち上がり、顔を上げてヒギシさんを見つめる。

「それで…今、思うのは。願うのは……たぶん、『また会う日を楽しみに』」

「ふむ、もう一度おんなじ子を望むということかな」

 ゆっくりと瞬いて少し首を傾げたヒギシさんに、私はやや間を置いて首を振った。

「それも…思わないでもないけどね。でも、まぁ…十年以上私と一緒にいてくれて、頑張ってくれた…。…向こうでゆっくりしてほしい気持ちもあるんです。

 あ、でも…お盆とかはじいちゃんたちとかと一緒に来てほしいですけど。きゅうりの馬とどっちが速いかなって。ちょっと気になる」

 笑ったつもりだったけど、涙でべしょべしょだから格好はつかない。

 もう一度、大きく息を吸って、吐く。

「……『思うはあなた一人』、『独立』……。

 しばらくなのか、ずっとなのか。分からないけど。少なくとも、今は……いつかを楽しみにして、独り立ちを頑張るから。あなたを想って頑張るから、見守っててね、って」

 たかが犬に、なんて言う人もいるだろう。そりゃあそうだ。好き嫌いは誰にだってあるから。

 それでも。私は好きだから。こんにゃろう!って腹を立てることも勿論あった。でも、やっぱり可愛くって、好きだという気持ちに着地して。そのままうづくまりたくなるんだから。それくらいには、思ってやまないのだから。

 きれいごとだけれど、私はあの子の時間をもらったのだから。

「…だから。私は、願います。

 『また会う日を楽しみに』って」

 見つめる先で、ヒギシさんが笑った。暗い赤色の目を細めて、確かに笑った。優しい声だと、私は感じた。

「そうか。…あぁそうか、分かった。

 そうだね、確かにその言葉もある。ふふ」

 ヒギシさんは笑いながら、くるりと踵を返す。

 振り向いた先。夕闇の先――夜へと続くレンガの小道の両脇に、ざぁっと真っ赤な彼岸花が咲いた。ずぅっと奥まで。

「心からの願い、確かに聞いた。

 花を咲かせるほどの思いを、しかと見た。

 だから、わたしたちも応えよう。その想い、その願いに」

 振り向いたヒギシさんが、私の手をそっと取る。

 促されるまま、彼岸花の小道を、夜の方へ向かって歩き出す。

「この道を真っすぐ行きなさい。そうすれば帰れる。

 途中、何に呼ばれても振り向いてはいけない。こたえるのもだめだ」

「…あぁ、よくあるやつ」

「そう、よくあるやつだ。まぁ大きなルールだからね」

 私は頬が引きつるのを感じた。乾き始めた涙で引っ張られて、より一層引きつったかもしれない。

「……ヒギシさんは付いてきてくれないんですか?」

「この姿は目立つからね。それを依り代にしていくよ」

 それとは、やはりこの彼岸花が生えたポストカードのことだろう。

 これもこれで目立つ気がする。という私の内心は、筒抜けのようだった。

「帰ったら、ただの紙だよ。傍目にはね。

 白髪のぼさぼさ頭が横についているよりは目立たないだろう?」

「…ヒギシさん、髪気にしてます?」

「自分では気に入っているんだけれどね…。ごくたまに不興を買うよ」

 肩を竦めたヒギシさんに、ちょっと笑ってしまった。

 不意に、進む先にアイアンの扉がぼんやり見えてきた。

 扉の前で立ち止まり、向こう側を覗いてみるけれど、真っ暗だ。ただ、彼岸花の道しるべは続いていた。

「……此処出た途端、追いかけられたりしません? なんだっけ、あれ…黄泉がえり、みたいに…」

「ここらは確かにこの世じゃないが、そんな変なものは入ってこないよ。

 恐ろしいものなら逃げればいい。なんなら倒してしまえばいい。殺してしまえばいい。

 あるのは、君たち招待客に連なるものだけ。

 君たちが此処に居ればいるほど、私たちは生い茂ることが出来るからね」

 特別な力なんてないし、度胸もない。そう言おうとした私の口は、楽しそうな口調のヒギシさんを見てきゅっと閉じる。

「言っただろう? わたしたちは『花』だって。

 君たちの想い、願いを養分にして生い茂る『花』さ。勿論、取るだけじゃない。ちゃんと見返りもある。共存共栄がいいからね」

「そ…ですね」

 ヒギシさんの整った笑みから、私は夜闇の小道へ顔を戻す。

 一呼吸おいて。扉へと伸ばした手は、彼女と重なった。

「じゃあ。これからどうぞよろしく。宿主さま」

 耳元で囁かれて、ビクッとなって。拍子に押してしまった扉は、軋むこともなく呆気なく開いて――それっきりだった。




 閉じていた目を開ける。

 ふわっとのぼってきたお線香の匂いが、目にしみた。思わず鼻をすすって、合掌していた手をはなす。

 きれいな布袋に入った小さい骨壺の後ろ、遺影というには可愛い写真に向かって苦笑いが零れた。

「あぁもう、いつ見ても可愛いね」

 口走ってから、当たり前だろうとしんみりする。写真が追加されることはあっても、古ぼけることはあっても、写ったあの子が老いることはない。よぼよぼになっていた最期だって、痛々しかったけれど、やっぱり可愛さだってあったんだ。

「………」

 この世では、もう会えない。分かってる。

 生まれかわりなんていったって、分かる保障なんてない。超能力なんてないからね。

 例えば次の子を迎える縁が出来たとして、この子の代わりでは、ない。

 夢の中でさえ、きっと出てくるのはそっくりさんだろう。なんて、そんな変な確信だけはある。

 分かってるんだよ。分かったんだよ。でも。

「また縁が結ばれるよう、頑張るから。

 ……またね。

 いってきます」

 生きていた頃していたように、私は骨壺を撫でて家を出る。

 ああやっぱりまだまだ寒い。あの子が好きな雪はだいぶとけちゃったけど、まだ人間には寒い。

「……秋のお彼岸はまだまだ遠い、ってねぇ…」

 朝の道を歩きながら、そんなことを呟く。

 私の部屋。ちょっと良いフォトフレームの中。絵のおもてどころか、プラスチックのカバーまで通り抜けて生えているおまじないの彼岸花は、今日も変わらず燃えるようにきれいだ。

* お付き合いいただきありがとうございました。

  一話、『花』たちのおしゃべりがございます。よろしければ、そちらもどうぞ。

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