3. アルス
アルスと琴音が王都のリュタン邸にたどり着いたのは、すっかり日も落ちた頃だった。アルスを迎えに出た父のドネルは、一緒にいた琴音の姿を見て驚いた表情となった。
「レティナ様! まさかお一人でここまで来られるとは……」
「その名前は捨てました。今の私はただの琴音です。……バダキア王と話がしたいのですが、仲介をお願い出来ますか、ドネル様」
「勿論です。すぐに王宮に使者を送りましょう。今日はもう遅いので、こちらでお休み下さい」
「恐縮ですわ」
琴音は侍女に案内され、客間に入った。それを見届け、父はアルスを振り返った。
「アルス、おまえ、一体どこであの方と知り合ったんだ」
「ここに戻る途中の道で出会ったんです。誰かに命を狙われているようでした。父上、あの方はどういう方なんですか」
「そうか。……あの方の名はレティナ・コトネ・クレシェッド様という。元ハルディナ神殿の神官長であり、帝国に対抗する我々連合軍の要だ。──皇帝アシュ・ヴェグランド二世の異母妹でもある」
「皇帝の⁉」
では、彼女の命を狙っていた兄とは。
父はうなずいた。
「ハルディナ神殿が皇帝に滅ばされてから、あの方は白拍子に身をやつし、大陸中を回って国々を結びつけた。あの方と皇帝の間に何があったのかはわからんが……恐らく、この世で最も皇帝を憎んでいるのはあの方だ」
「アルス様」
そこへ、先程琴音を案内していた侍女が戻って来た。
「琴音様が、アルス様にお話したいことがあるとのことです」
「わかった」
アルスは父に軽く礼をして、琴音の元へ向かった。
琴音は姉が使っていた部屋にいた。アルスが軽くノックをしてドアを開くと、彼女は姉の本を開きページに目を落としていた。
「琴音様、お呼びですか」
「お父様に私の素性を聞いたのですね。そんなにかしこまらなくてもいいですよ」
見ると、彼女が手にしている本は、あの花言葉の本だ。
「お姉様の花言葉の話が少し気になって、読んでみました。竜胆の花言葉『悲しむ君を愛す』……私は、お姉様はあなたにこうなって欲しいという想いを伝えたのだと思います」
琴音は本を閉じた。
「『悲しむ君を愛す』という言葉は、自分以外の他の人の悲しみに寄り添うという意味です。お姉様はあなたに、人の悲しみに寄り添える人になって欲しかったのではないかしら? それが出来る者が、真に強い者だと思います」
そして彼女は、少しだけ目を伏せた。
「残念ながら……私の兄はそれが出来なかった。兄をこのまま放っておくと、この大陸の民達全てが地獄に落ちる。だからこそ、私は兄を討たねばならない」
悲しいな、とアルスは思った。この人は、本音では戦など起こしたくないのだ。だが、兄が皇帝という権力を握ってしまったからには、戦という手段を選ぶしかなかった。敵味方の血が多々流れるとわかっていても。
「あなたにも謝らないといけませんね。私が兄に仕掛ける戦は、あなたも否応なく巻き込む。戦場で命を落としてしまうかも知れない」
「──覚悟の上です」
アルスは答えた。リュタン家に生まれた者である以上、戦場で散る覚悟など子供の頃から叩き込まれている。
だが、どうせなら、悲しみを堪えて立つ人の為に戦いたいと、アルスは思った。例えば、目の前のこの人のような。それは姉の期待した形ではないのかも知れないが、それが自分なりの悲しみに寄り添うやり方だと思えた。
琴音は憂いを秘めた笑みを浮かべた。
「アルス。竜胆の花には、もう一つ花言葉があるんですよ」
「何ですか?」
託宣を告げるように、彼女は答えた。
「──『正義』」
◇
アルス・リュタンは、三年余続いた帝国との戦において多大な功績を残し、リュタン家の名を更に高めた。
戦が終わった後においても、彼は常に弱い者達を護り、世にまたとない人格者として知られることとなった。
彼の戦士の誓いの言葉は「リュタンの花の示す如く、悲しむ者達に寄り添い、常に正しき道を歩むことを誓う」であったと伝わっている。