1. エレナ
花には「花言葉」というものがあると、アルスに教えてくれたのは姉だった。昔から、人は花に色々な想いを託していたのだと。良き想いも、悪しき想いも。
姉のエレナは十八の歳に他家へ嫁ぎ、翌年病を得て死んだ。剛健なリュタン家に生まれたものの、元々病弱なひとだった。
リュタン家は武門の家系だ。このバダキアという国において──いや、他国においても知らぬ者のない家だ。
バダキアの建国においても絶大な貢献をしたこの家系は、戦士としての能力に秀でた者が多かった。一族のほとんどは幼少期から剣や槍、素手での格闘の鍛錬を受けており、大陸最強の一族とまで言われている。
ただ、その強さと引き換えのように、一族の中には時に非常に身体の弱い者が生まれることがあった。その一人が姉のエレナだった。
エレナは本や歌、花や星などが好きだった。アルスの記憶の中にいる姉は、いつも窓際やベッドで本を読んでいた。
姉が嫁ぐことになった経緯は、アルスにはよくわからない。エレナに惚れ込んだ相手が特にと望んだと言われているが、それは多少眉唾ものだ。わずかな期間でも、この国の武力の象徴のようなリュタン家と婚縁関係を結ぶメリットというものはある。そのくらいはアルスにもわかる。
何らかの政治的な駆け引きの末にエレナは嫁いだが、奥方としてのお披露目をする間もなく病に罹った。病で寝付いてからは、エレナは実家であるリュタン家に戻り、自分の好きな本に囲まれて過ごしていた。
死ぬ少し前。エレナは、アルスを自室に呼んだ。
「アルス。あなたに、言っておきたいことがあるの」
多分その時、エレナは自分の死期を悟っていたに違いなかった。だからこそ、弟に言葉を残しておきたいと思ったに違いない。
「何だい、姉さん?」
「これ」
エレナは護符になっているネックレスを外し、そこに描かれたリュタン家の紋章を指差した。リュタン家の者のみがつけることを許された紋章は、家名と同じリュタンの花がデザインされている。
「アルスは、十八歳になったら正式にリュタン家の一員として認められるでしょ。お父様の前で戦士の誓いを立てなければならない」
それはリュタン家のしきたりだ。リュタン家に生まれた者は、十八歳になれば一人前として扱われる。その時、自分がどんな戦士になるか、家長の前で誓いを立てなければならないのだ。
「私はね、アルスにこの花のようになって欲しいの」
リュタンの花のように。
「姉さん、それはどういう……」
質問は最後まで出来なかった。エレナは続きを言う前に激しく咳き込み始め、医療魔術師を呼ばねばならなくなった。そのままエレナの容態は悪化し、続きの言葉を伝えられないまま亡くなった。
エレナの意図がどこにあったのか、アルスにはわからない。だが、姉の言葉はアルスの心の片隅に引っかかったまま、年月は過ぎて行った。
近々戦が始まるだろう、と父は言った。
この大陸の三分の二近くを席巻する帝国の若き皇帝は、大陸全土を手中に収めるべく侵攻を進めている。帝国では庶民に対して圧政が敷かれていると言われ、実際国を捨てて難民となる者も多かった。
それに対し、他の国々は連合軍を結成して帝国に対抗しようとしていた。連合軍の中心にいるのは一人の若い女性であるとも言われるが、それがどんな人物なのかはアルスは知らない。恐らく、どこかの国の王女が象徴的なトップとして担ぎ出されているのだろう。
戦の気配の中で、アルスは十八歳になろうとしていた。一人前になると早速、戦に駆り出されるだろう。その為か、戦士の誓いを立てる儀式が前倒しになっている。
だが、この期に及んで、アルスはどんな誓いを立てるかまだ決めていなかった。リュタン家において、自分がどんな戦士になるか誓いを立てるということは、どんな人間として生きるかということでもある。
恐らく、あのエレナの言葉が引っかかっているせいだ。それが自分を迷わせている。……いや、姉のせいにするのは良くない。そう思いつつも、アルスは考えずにはいられなかった。