87. 交渉人
シルヴァはマラカイト公爵と共に、コレールの王宮に向かっていた。
早朝に国王からの招集があったからだ。理由は勿論、ダリナスの外交大使であるマラカイト公爵の嫡男、セドリックの怪我についてだ。
幾らセドリックが知らなかった事とは言え、結界に弾かれた財務大臣の娘を庇って事故に遭ったのだ。その場にいた者が、皆目を疑った人物だった。まさか、15歳の少女が危害を加える恐れがあったとは。どんなつもりでシュゼットに近づいたのか、その本心は判らない。
ただ、あの時に言っていた言葉が本心からなら……勘違いも甚だしいと思うが。とかくあの年頃の少女は鬱屈した感情に支配され易いとも聞く。まして、彼女達はフェリックスの婚約者候補の一人だ。
難しい事だ。しかし、そのとばっちりでセドリックが大怪我を負うことになろうとは、思いも寄らなかった。
「シルヴァ王弟殿下、セドリックの事故に何かあるのですか? アレはお見舞いに行って階段から落ちただけでは無いのですか?」
公爵夫妻には、シュゼットの事もローナの事も詳しくは知らせていない。コレール王国の高位貴族が絡んでいる為、相手方の出方を待っていた。そして、その結果王宮への呼び出しとなったのだ。
事情を知るシルヴァにも声が掛かったのは、誤魔化すつもりは無いというコレール側の意思表示だろう。
「公爵。これだけは確かな事だが、セドリックには非は無い。寧ろ、コレールにとっては救世主に近い力を発揮したのだ。貴方は、息子を誇りに思って良い」
肝心な事を言わずに説明をする。父親の立場だったらもどかしいかと思う。しかし、マラカイト公爵は大国ダリナスの外交大使を務める男だ。
「……つまり、それはコレールに恩を売ったという事で良いのでしょうか? 我が息子は、身を以て我が国に忠誠を捧げたと。そう思って良いのですか?」
シルヴァの眼が、モノクルの奥で光った。その目は魔法術の教授の眼では無く、普段は隠されている王弟の眼だった。
王宮に到着すると、シルヴァとマラカイト公爵は王の謁見室まで直ぐに通された。そこは、王座のある煌びやかな謁見室では無く、限られた者しか入室を許されない厳重な造りの部屋だった。
すでにそこにはコレールの王が待っていた。極めて異例の事だ。
それだけでは無い。王の隣にはフェリックス第一王子も座していた。
「早くに呼びたてをして済まなかった。シルヴァ王弟殿下。並びにマラカイト公爵。よく来て下さった」
王は座っていた椅子から立ち上がると二人を出迎えた。
暫く話を聞いているだけだったマラカイト公爵が、漸く口を開いた。
「つまり、息子はその少女を庇って階段から落ちたという事ですか……」
王は、セドリックの事故について正しく伝えてくれた。時折その場にいたフェリックスに、確認するような素振りもあった。ただ、それも聞いているこちらからしたら、湧いた疑問に追加説明をさせる様な間合いだった。
あくまでも、その少女個人が事故の原因だという事。そう印象付けたいのだろう。
「彼女とご子息が、医術院に来られのは予想外の事だった。それも彼女が結界に弾かれるのを、ご子息は目の前で見てしまったのだろう。目の前で落ちて来る少女を、クラスメイトを、助けるために思わず引っ張り上げたのではないかと……自身の危険を顧みず、少女を転落から救ってくれたのだ」
「その少女とは、何者なのですか? なぜ、結界に弾かれるなどという事になったのですか?」
マラカイト公爵が王の眼を見ながら問う。
「その少女は、ローナ・ピア・カリノ。カリノ侯爵家の娘だ。学院では、ご子息であるセドリック殿と同じ白のクラスの生徒だ」
「財務大臣のカリノ侯爵のご令嬢ですか。フェリックス殿下の婚約者候補のお一人ですね?」
王は黙って頷くと、侍従を呼んでお茶の用意を申し付け、彼に席を外させた。
「マラカイト公爵、ご子息は、我が国の財務大臣の娘を庇って大怪我をされた。目の前の女性を助け、自身の身の危険を顧みないその姿は誠に立派であった。称賛に値する行動である。我が国の者をお助け頂いた事、感謝申し上げる」
自国の高位貴族。それも国政の中心を担う財務大臣の娘だ。
「階段から落ちる女性を見過ごす事が無かった息子は、褒めてやりたいところですが、自分が怪我を負っては戴けませんな。もう少し鍛錬を積ませるようにしなければ。しかし、ご令嬢はなぜ結界に弾かれたのですか? そもそもなぜ医術院に来たのですか? 息子と同じ見舞いに来たのではないのですか?」
王は目配せをすると、フェリックスに説明をするよう促した。フェリックスは小さく頷くと、改めてマラカイト公爵の方に向き直し口を開いた。
「ここには、グリーンフィールド公爵令嬢のシュゼット嬢が入院しています。貴殿もご存じでしょう? ついこの前までダリナスに外交大使として赴任していましたから。彼女は私やセドリック殿と同じクラスの生徒です。そして、エーリック殿下やシルヴァ殿とも面識があります。その彼女がここに入院したので、心配したセドリック殿が見舞いに来られました」
公爵が、それは判っているという様子で頷く。その先を。と、催促するような気配に、フェリックスが少し言い淀むように口を噤んだ。
そして、意を決したように続けた。
「ローナ。ローナ嬢は、私を探して医術院に来たと言っていました」
「殿下を? 探して?」
シルヴァもじっと耳を傾けた。公爵からすれば、それでどうして結界に弾かれるのか見当もつかない様だ。
「ええ。ローナは、私がシュゼットに無理難題を言われて、医術院に呼び出されたと思っていたのです。そんな事は全く無かったのですが……シュゼットが編入してきてから、ローナが彼女に対して何らかのわだかまりを持っていたのには、気が付いていました。ただ、必要以上にお互いに近づく気配がしなかったので油断していました」
「それなのに、なぜローナ嬢が結界に弾かれる事になるのですか?」
マラカイト公爵はシュゼットの事を知っていた。ダリナスに居る頃から優秀で、天使のような美少女と評判だった。息子から聞いていたのは、
『私がライバルと認める位ですから、頭も良いですし、性格だって彼女を悪く言う人間には会ったことがありません。それに、見た目は金色で艶やかに波打つ長い髪。青い目は南の海の様な明るい青色。白く陶器の様な肌に頬はうっすらと桜色です。まあ、美しいと言えないことは無いでしょうけど? 皆が言う天使の様に愛らしいと言うのも、あながち間違いでは無いでしょうが?』
と言う、いささか角度を違えた上から目線であったが、評価としては好感度MAXだった。
「シュゼット嬢の事は存じております。それで、彼女とローナ嬢の関係が悪くなった原因とは?」
公爵は、コレール王国の勢力図を思い浮かべながら質問した。フェリックスに婚約者候補が、カテリーナ以外に3人いる事は知っていた。3人ともコレールの有力貴族の娘だと聞いている。そして、シュゼットは外務大臣を務めるグリーンフィールド公爵家の令嬢だ。
もしや。と思うのは当然だった。
「すでにお気付きかもしれませんが、シュゼットも私の婚約者候補です。彼女が帰国して直ぐに決まりましたので、まだ公にはなっていませんが……5人の婚約者候補の一人です」
フェリックスが淡々とした口調で答えた。確かに、正式な発表はまだされていない。当初の予定では、王家主催のガーデンパーティーで発表されるはずだ。
「つまり、ローナ嬢はシュゼット嬢に嫉妬して医術院に来たと。入院見舞いに訪れていたフェリックス殿下を追いかけて来たという事ですか?」
公爵は溜息を漏らした。まさか、そんな事に巻き込まれていたとは。しかし、嫉妬心だけで結界に弾かれるなど聞いた事もない。そもそも、なぜたかが15歳の少女が入院しているだけで、結界魔法など掛ける必要があるのか。というか、なぜ入院しているのが魔法科学省の医術院なのか。普通に病気であれば医療院に入院するはずだ。
「フェリックス殿下。ローナ嬢が弾かれた結界とは、どんな結界なのですか?」
マラカイト公爵がフェリックスの眼を見詰めて問うた。
「それは……」
フェリックスが言い淀むように、王の顔をチラリと窺うように見た。
「シュゼットに悪意を持つ者。彼女に害為す者の排除。それが、結界のキーワードだ」
じっと話を聞いていたシルヴァが口を開いた。
「コレール史上、100年振りの光の識別者、シュゼット・メレリア・グリーンフィールドを守る為の結界。そうだったな、フェリックス殿?」
シルヴァは黒い瞳を細めると、僅かに微笑むようにフェリックスを見詰めた。いつもの学院で見る教授の表情では無かった。そして、その瞳が笑っていないのをそこにいる全員が感じた。
「そして、意識を失っていたシュゼットのサルベージを成功させたのは、セドリックの力による所が大きかった。彼がいなかったら、シュゼットは意識を取り戻すことは無かっただろう。それは、魔法科学省の力を以てしても不可能だったかもしれない。彼がシュゼットを、光の識別者を助けたと言っても良いだろう」
シルヴァがひと呼吸おいて続けた。
「王よ。ダリナスの者が、コレール王国の至宝である光の識別者を救い、我が身を犠牲にしたこの事実を、如何お考えになるか? まして、事故の引き金になったのは、貴国の財務大臣の娘で、第一王子の婚約者候補と言う立場ある身分の令嬢だ。もし、このままセドリックが目を覚ます事無く、また目覚めても重大な後遺症が残った場合はどうお考え頂けるのでしょうか?」
マラカイト公爵も同意するように、大きく頷き王を見詰める。
王は、シルヴァの真意を探るような目を向けると、厳かな声で言った。
「……貴殿の望みを申してみよ……」
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さて、王様にシルヴァ様は何というのでしょうか。
自分の事? 国の事? それとも……?
次話は、同時刻のセドリック君の病室でのお話です。
早く目を覚ませ~。と作者も焦れています。
楽しんで頂けたら嬉しいです。




