83. 天使復活
「お嬢様っ‼」
目の前にはマリのアップ。マリの顔が視界一杯に映りました。
「……マリ……鼻水垂れそうですわよ?」
「シュ、シュゼットお嬢さま~っ! うぇっ! ひっくっ! あぁぁああんっ!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったマリは、私の手を握ったまま泣き出してしまいました。ああ、本当に心配を掛けていたのですね。マリがこんなに泣くなんて初めて見ました。
見慣れない天蓋に、白いレースのカーテン。そして……
「お帰り。シュゼット」
エーリック殿下の声が聞こえました。
寝台の周りには、エーリック殿下、シルヴァ様、レイシル様、そしてフェリックス殿下がいらっしゃいました。まあ、何と言うか……寝起きに見るには心臓に悪い美形王族4人が見えます。
心配させたのは悪いですけど、近い! 近い! 近い! ちかーいぃいいっ!?
「ああ、ゴメンね?」
エーリック殿下はほっとした様に微笑んでいますけど、紫色の瞳が涙で潤んで今にも雫が零れそうです。優しいエーリック様の声、ちゃんと聞こえていましたのよ。
シルヴァ様も滲むような笑みを浮かべています。こんなに柔らかく微笑んでいる顔を初めて見ました。きっと、物凄く心配して下さったのでしょう。そっと私の頭に手を載せるとスルリと髪を撫でてくれました。
うっ。くすぐったさに思わず肩を竦めました。
それを見ていたマリの目が、ジトンとしていました。微かに、ちっと舌打ちした様に見えましたけど……今は放って置きましょう。
フェリックス殿下は、傍にあった椅子に崩れる様に座り込みました。両手で顔を覆っているので表情は見えませんが、深い溜息を吐かれたのが判りました。そして小さな声で、良かった……と何度も呟かれました。この方も、ご心配下さったのですね。
レイシル様は、じっと私の様子をご覧になっていましたが、シルヴァ様とエーリック殿下の肩に手を置いて何も言わずに頷いていました。
そして、
「シュゼット嬢。気分は如何だ? 気になるところはあるか?」
静かな声で問われました。私はほんの少し笑みを浮かべて、何も無いと首を横に振ります。
それより、聞かなければならない事があります。
「セドリック様は?」
「……君の隣に」
レイシル様の目線の先を追います。確かに隣の寝台に誰かがいます。
でも、その誰かは、頭から顔から白い包帯で覆われた姿でした。所々、絆創膏にも薄く赤い血が滲んでいます。
「!?」
顔の表情はおろか、アッシュブロンドの髪すら見えません。
「裂傷と骨折。それから頭を打っている。治療は終わっているが、まだ目を覚ましていない」
レイシル様の説明に、傍にいた医師様も頷かれました。
「とても眠いって……眠いって言っていました」
あの場所で、セドリック様はそう言って黙ってしまいました。
「君には、セドリック殿の声も聞こえたのかい?」
マリが沢山のクッションを運んで、寝台の枕元に並べると私を起こしてくれました。ようやっと皆様のお顔をちゃんと見ることが出来ます。そして、少し角度が変わったお陰で、セドリック様の顔も見ることが出来ました。
でも、顔のほとんどは大きな絆創膏で覆われているので、僅かに左目辺りしか見えません。その瞳は固く閉じられて、髪色より少し濃い睫毛が絆創膏に影を落としていました。
「浮上してもう少しと言う時に……私に大切な、一番欲しかった言葉を下さいました……それに、引き上げてくれた赤い糸は、確かにセドリック様の意志によるものでした。だって、セドリック様が眠ってしまったと同時に解けてしまいましたもの!」
どこまで伝わるか判りませんが、あの時の事を説明します。あの時のセドリック様の言葉は、私以外に聞くことが出来なかったらしく、誰も彼の声を聴いていませんでした。
「そうか。君を救いたいという、セドリック殿の意識が現れたのかもしれないな……」
セドリック様は包帯だらけの姿ですが、息遣いは穏やかそうに見えます。本当に眠っているだけでしょうか? まさかこのまま目を覚まさない何て事無いですわよね?
「外傷は時間が経てば治りますが、あの高さから落ちたので、衝撃は相当だと思われます。頭を打っているのでしばらくは絶対安静です」
医師様が私の脈や、熱を測りながらそう答えて下さいました。
「あの高さ?」
お見舞いに来て下さったセドリック様が、どうしてこんな怪我を負われたのか。あの高さって、どこからか落ちたの? どこから?
「エーリック殿下、セドリック様はどうして怪我をされたのですか? ここに来て下さったのでしょう?」
枕元に飾られていた花束の香りを嗅ぎながら、エーリック殿下に尋ねます。セドリック様の事は、エーリック殿下に伺うのが一番確実ですもの。
「……階段から転落したんだ。かなり上の段から踊り場に落ちた。その時に頭を打って裂傷と、右手右足を骨折した」
「まあそうでしたの。セドリック様は慌てていらしたのかしら? それとも何かに躓かれたのでしょうか?」
階段を上から転げ落ちるなんて、あわてんぼうにも程がありますけど。セドリック様は運動神経もそう悪くは無かったはずでしたけど……
「……うん。……そうだね。そんなところかな」
はて? 歯切れが悪いですわね。いつものエーリック殿下の話し方ではありませんわね?
後ろにいるシルヴァ様もレイシル様、フェリックス殿下も何となく目を逸らしている様に感じます。これだけの大怪我をしているワケですから、理由ははっきりしているはずですけど。
「お嬢様! セドリック様の事がご心配なのは判りますけど、お嬢様も目が覚めたばかりですのよ! ゆっくりお風呂に入って、お食事を摂りましょう。昨日から何も召し上がっていないのですからね! 医師様、皆様! 今夜はそうさせて頂けませんか!?」
すっかり立ち直ったマリは、すくっと背筋を伸ばすと居並ぶ男性陣にピシャリと言いました。
確かに、すでに外は真っ暗です。時間は判りませんがかなり遅い時刻の様です。
「そうだな。もう日付も変わりそうな時間だ。セドリックも少し落ち着いているようだし、今夜の所は休むとしよう。医師殿、セドリックの事をお任せできるか?」
シルヴァ様の問いかけに、医師様と看護師のお二人が頷きました。とにかく今はセドリック様を眠らせてあげることが重要なようです。
「それではシュゼット、隣の部屋に戻ろう」
シルヴァ様がそう言うと、掛けてあった上掛けをぴらっと捲り、目の前に広い胸が迫りました。艶サラの黒髪が私の頬にサワリと触れて。
「「ええっ!?」」
私とマリの声が同時に上がりました。だって、シルヴァ様が私の膝裏に手を入られれると、そのまま抱き上げたのです。私は不安定な体勢に、慌ててシルヴァ様の肩に掴まりました。
「あ、あの? シルヴァ様?」
「隣の部屋まで運ぼう。遠慮はしなくて良い」
ひえ~っ! 何と姫抱っこですよ! こんな皆様の居る前で恥ずかしいですけど!!
「ここに運んだのも私だ。気にすることは無い」
えぇ~!? やっぱりそうなのですね? 今更ながら恥ずかしいです!
「そ、それでは、よ、よろしくお願いします。です」
マリから膝掛を掛けて貰い、シルヴァ様に運んで頂きます。何だか、皆様の視線が痛いです。気のせいかもしれませんが、特にエーリック殿下の視線が……
「あっ、シルヴァ様、やっぱり下ろしてくださいませ」
姫抱っこされているので、シルヴァ様の顔をほとんど同じ目の高さで見ることが出来ました。怪訝そうなその黒い目が、なぜだ? と言っているのが判りました。
それでも私の意志を汲んで下さり、スルっと床に降ろして下さりました。私は花束の生けられた花瓶を持って、セドリック様の眠る寝台に近づきます。僅かに顔を見ることが出来る左側に回り込むと、力無く置かれている手を握り締めました。
少し冷たいその指先に、鼻の奥がツンとしました。
「セドリック様。シュゼットは貴方のお陰で戻って来れました。ありがとうございます。次は、貴方が目を覚まして下さいね……また、朝に参りますね」
そう言って眠るセドリック様の瞼に、
感謝のキスを……
触れるか、触れないかのキスを、私から初めてセドリック様にしました。
良いのです。誰が見ていようが! セドリック様の声で、私はここに戻って来れたと思いますもの!!
そして、その後直ぐに無言のシルヴァ殿に抱き上げられると、今度こそ有無を言わさず隣室に運ばれました。
馬車に乗ると、どっと疲れが出た様な気がした。
シルヴァと一緒にシュゼットの意識喪失の為に行った。なのにセドリックの大怪我と言う二次災害が起きた。ただ全くの不幸中の幸いで、怪我をしたセドリックのお陰でサルベージは成功し、シュゼットの意識を戻すことが出来た。
それにしても、今も思い出すと背筋に震えが走る。エーリックは思わず自分の身体を抱き締めた。
あの、踊り場に広がる血溜まり。そして、血に濡れたアッシュブロンドの髪が、無造作に広がり乱れた様。
良かった。本当に良かった。大事な友人を失くさずに済んだ。大事な、大事な、友人を……
「……」
目覚めた天使の祝福。
「……全く……残念だったな。眠っている時だなんて」
「何か言ったか?」
窓の外を見ていたシルヴァがこちらを向いて尋ねてきた。
エーリックはにっこりと、いつもの微笑みを浮かべた。
「ああ。セドリックが、早く目覚めれば良いなと思って」
そう答えた。
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またまた残念セドリック君です。
この子は本当にもう……
シルヴァ様もねぇ? まあ、この位ですかね。
シュゼットちゃんも病み上がりですから。
まだ目を覚まさないセドリック君ですけど
お話は進みます。
楽しんで頂ければ嬉しいです。




