訪問
「フッ、うぐ…ヒッ!くは…」
片腕を押さえながら、這々の体で東馬の屋敷を出ていく厳つい男が一人。
足元には点々と真っ赤な血が傷の深さを物語っていた。
-------------------------
少しばかり遡る。
「神代東馬はいるか!」
荒々しく玄関先で叫ぶは、小汚い風体の厳つい男である。
「出てこい、臆病者め!」
「どちら様でしょう?」
庭の掃除をしていた雪が箒を持ち、背後から声をかける。
その視線は冷たく、まるで汚い物でも見るかのようである。
実際、汚い者ではあるが。
「女ぁ…ここは神代東馬の屋敷であろう?神代東馬を出せ。方方で聞く奴めの話が目障りじゃ。ワシがいかに力を示そうと、どいつもこいつも二言目には神代東馬が天下一だなどとぬかしおってからに…忌々しい!どちらが上か、白黒つけてやろうとわざわざ出向いてやったのだ!さっさと神代…」
箒の先が男の目の前に突き付けられる。
「東馬様に試合をご所望というのであれば、ただそう仰ればよいものを…少々匂いますので、お外でお相手致します。」
雪の右手には男に突き付けられる箒が、そして左手は袖で口と鼻を押さえている。
「女ぁ…貴様、無礼であろう…!」
怒りでワナワナと震える男。
「鏡というものを御存知ありませんか?」
眉間に皺を寄せ冷たい眼差しで睨む雪。
「神代より先に貴様の躾が必要なようだなぁ。その目をえぐり、髪をむしり、衣服を裂き、犯し、路傍に晒してくれる…」
男は刀を抜き放つ。
「獣にも躾が有効と聞きます。少々痛みますが、薬と思い、今後に活かして下さいね。」
箒の柄の中程を捻ると先が外れ、中から短く細い槍の穂先が現れた。
雪は踵を返すと玄関先へと歩き出す。
ドン!
雪が振り返る事なく箒の柄を背後に引く。
その先は刀を振り上げた男の鳩尾に深々と刺さっていた。
「油断したとお思いですか?違います。貴方のような方のお相手は何度もございますので。慣れと申しましょうか…経験?察しがつくのですよ。」
うずくまる男を見下ろしながら、冷たく言い放つ。
「さ、お早く。貴方の匂いと血で屋敷内を汚すわけにはいきませんから。」
----------------------------
時は戻り…
「雪姉ちゃん!お客さんだけど、…またオキャクサン来てたの?」
「あら、平太さん、今お帰りになられた所よ。」
雪は大量に水をまいていた。
水は通りに広く赤い染みを作っている。
「ようやくこないだの雨で染みが取れたというのに…困ったものね。」
雪は子供に優しく微笑むと、傍らの若者に会釈をする。
子供の名は平太。
五兵衛の息子で、時折東馬の屋敷に野菜やら魚やらを持ってくる。
今日は野菜を売りに城下に来ていたところ、「手土産にしたいから」と枝豆を売った相手が東馬の屋敷を訪ねるというので、案内を買って出たのだ。
「お初にお目にかかります!突然の訪問恐れ入りますが、神代東馬様の奥方様でごさいましょうか?」
目の前には冷たい眼差しの美貌の女。
自分を値踏みするかの様な鋭い眼光。
優しい口調とは裏腹な、何事かあったであろう、やや殺気すら感じられる刺すような雰囲気に、微かに顔や着物に着いた血の斑点が、その美しさを不気味に引き立てていた。
「あ、いや、御息女でしたか?も、申し遅れました!某、最羽は柳口から参りました、菱口新左衛門が次子、菱口亮之進と申します。」
亮之進は深々と頭を下げる。
頭を少し上げチラリと女性の顔をうかがうと、雪と呼ばれた女性が口元を手で隠しながらクスクスと笑っていた。
先程の不気味な雰囲気漂う目の覚めるような美女が、今は警戒を解いたのか、まるで無邪気な少女のように明るく優しい笑顔で自分を見ている。
亮之進は顔を真っ赤にして目を泳がしながら続けた。
「あ、あの、実は俺、その、某は、父から神代先生の話を度々聞かされて、いや、うかがって、誰かに師事するならば神代先生をおいて他に無いと!父も大いに賛同しており、それでその、あ、コレ!お近づきの印に…」
亮之進は先程平太から買った枝豆の束を勢いよく差し出す。
「ありがとう御座います。東馬様は現在ご不在でして、いつお戻りになられるかわかりませんが、中でお待ちなさいますか?」
雪は枝豆の束を受け取るとまっすぐに亮之進を見つめた。
怪しげな美女、そして少女の様な笑顔、更には凛とした中にも優しさのある声の正統派美女が自分を見ている…
「いや!いやいやいや!主がいらっしゃらないのに突然押しかけておきながら上がり込むなどあまりに不躾!そのような事をしては菱口の恥さらし!また頃合いを見て後ほどお伺いいたしますれば是非とも神代先生にお伝えいただきたく!それではコレにて失礼いたします!では!」
一気にまくし立てると、亮之進は踵を返し足早に立ち去った。
顔を真っ赤にして、ぎこちない動きで。
「面白い方がいらっしゃったとお伝えしなくてはね。」
雪が平太に微笑みかける。
「あの兄ちゃん、なんか変だったね。たまにあんなになる人いるけど、大人になるとああなるのかい?」
「さぁ、どうかしら?」
「でも東馬様はならないよな。東馬様といると大人の女の人がああなるのは見た事あるけど。雪姉ちゃんもたまに東馬様と…」
「大人になるとああなるのよ。」
「やっぱりそうなるのかぁ~」
「さ、そろそろ帰らないと村に着く前に暗くなっちゃうわよ。」
「うん、じゃ、またね〜」
元気に手を振る平太を、複雑な気持ちで雪は見送った。
心当たりはあった。
たまたま身体が触れたり、顔が近かったり…
『見られているものね…気をつけなきゃ…』
--------------------------
町外れの河原、バシャバシャと音をたて、勢いよく顔を洗う亮之進がいた。
『はぁ…綺麗な人だったなぁ…東馬様って呼んでたなぁ…って事は娘ではないか…奥方?にしては若くないか?父上は神代先生の方が少し年下って言ってたし、いやいや、歳の離れた奥方様かもしれん…きっと先生も魅力的な方なのだろうなぁ…だからあのようなお美しい方が奥方に…いかんいかん!外見ばかりに囚われ過ぎだ!外見よりも人は中身…そういえば、あの血は何だったのだろう…野菜売りの少年も慣れた感じだったが、あの背筋が凍り付くような冷たい視線、心の底からゾクゾクするような…あの少年であれば何か知っているのだろうか…いやいや、人様の事を探るような真似は失礼に当たるのではないか…いや、しかし、(以下略)…』
「あ、さっきのあんちゃん。」
平太である。
村への帰り道、河原で見た事ある服装の後姿が、河に手を突っ込み微動だにしないのを訝しみ声をかけたのだ。
ハッと振り返る亮之進。
平太の姿を見るやいなや駆け寄り、肩を掴んで詰問した。
「あの雪殿と仰る見目麗しい御仁、あの方は神代先生とどの様な御関係なのだ?!やはり奥方か何か…いや、それよりあの血はいったい何だったのか、少年は知っているのか?」
「雪姉ちゃんかい?おいら、いつも可愛がってもらってんだ。野菜や魚持って行くと、いつも駄賃くれて、でも、父ちゃんには東馬様のところからは何も受け取るなって言われて…んで、雪姉ちゃんにそれ言ったら、代わりに甘いもんくれたりして、『今ここで食べちゃえば良いから。誰にも内緒だよ』って…あ、あんちゃんクチガカルイヤツか?今言った事、父ちゃんに内緒に、」
「する!するから!誰にも言わないから!で、雪殿と神代先生の関係は!?」
「ん?知らね。父ちゃんはイイナカって言ってた。母ちゃんはアタシがもっと若けりゃきっと負けてないって言ってた。他の大人もきっと良い嫁になるとかお似合いだとか、…どした、あんちゃん?」
「そうか…そういう仲か…いや、それだけ神代先生が…ん?」
視線を感じ土手の上に視線を向けると、そこには馬に跨る凛々しい青年の姿があった。
一瞬にして凍りつく心。
岩のように固まる体。
殺気だろうか?心の奥底から来る凄まじい恐怖。先程の雪の比ではない。
旅の途中、熊や野盗と遭遇した時ですら感じた事のない程の絶望感。
突然巨大な竜巻が目の前に現れたかの衝撃が亮之進を襲った。
「その子に何か?」
涼し気な声。だが、そこには感情がない。
答えを間違えれば、次の瞬間死を連想させるような冷たさ。
獲物を見据えた狼ですらもっと優しい目をしていると感じられる程の虚無が、その目の奥にはある。
殺される…漠然と感じた。
逃げられない…必然と感じた。
一人で旅をしていれば危険な目に遭うことなど珍しくもない。
それを掻い潜りここまで来た。
剣の腕には多少自信はある。
脚力だってそうだ。
然しこの男、この死神には一切の希望を感じなかった。
勝てない。逃げられない。不意を突くことも、許しを乞う事すら出来ない。
泣く事も、叫ぶ事すら出来ない。
全てが無駄であり、唐突に現れた確定された死が、そこにはあった。
「あ、東馬様!さっき東馬様の所へ行ったよ!このあんちゃんが東馬様にって、枝豆全部買ってくれたんだ。」
平太が親しげに死神のような男に話しかける。
「へ?東馬様って…」
「あんちゃん、東馬様に会いたかったんじゃないのかい?神代先生にシジしたい〜って言ってたろ?」
「え、あの、あぁ、あれ?ん?」
勝手に想像していた東馬とのギャップがあり過ぎ困惑する亮之進。
急に穏やかな雰囲気になった死神が話しかけてきた。
「私に何かご用かな?失礼、昨今子供が拐かされるという話をよく聞くものでね。」
死神が、とてもにこやかで優しげな青年に早変わりした。
『神代先生…父上より少し年下って…父上は今年で58になるが、少し?ん??どう見ても俺と大差ない歳にしか見えないが…あの見た目は、それにあの威圧感…あぁ、何はともあれ…』
「ありがとう少年…君は命の恩人だ…」
急に体の力が抜け、平太の肩を掴んでいた両手もろともヘナヘナと崩れ落ちた。
「ほんと、変なあんちゃんだなぁ。」
平太は変な大人を不思議そうに見つめるのだった。




