修羅の剣
諸部村の宴から二日後、東馬は龍厳と共に小さな湖を目指していた。
先日の鬼との闘いの折、東馬の刀は折れてしまった。
救援に駆けつけた貴衣から受けとった刀を返しに行った際、『これで構わなければ進呈しよう。』と、瀬田からは言われていたのだが、さすがに安物のように気軽に貰うわけにもいかない。
とりあえず新調する迄の間お借りする。という事で腰に帯びてはいたが、いつまでも借りているわけにもいかないので、早々に刀を注文すべく、かねてより気になっていた兼正という名の刀匠を直接訪ねる事にした。
それに先立って素材も持参した方が良いだろうと、龍厳と長子、忠儀が折れた東馬の刀を探し出し、持ち帰ってきてくれたのだった。
「すまないな。手間を掛けさせた。忠儀にも礼をせねばな。」
「お気遣い御無用です。」
素っ気なく答える龍厳だが、曲がりなりにも他国の領土への侵入である。しかも鬼の集団がいた土地、長く留まるような事があれば、穢によって何らかの障りがある可能性も無いではない。
「ところで、八渡にあの一件は知られていないか?」
村人が一晩の内に丸ごと消えたのだ。不審に思われないはずはないのだが…
龍厳は先導しつつ説明する。
「おそらくは心配無いかと。…あの翌日、師匠の刀探しのついでにかの村へと行ってまいりました。役人と思しき者が二人ほど来ておりましたので、取り押さえ尋問いたしましたが、村人については鬼の仕業と捉えていたようです。」
「鬼の?」
「はい。連中、近頃あの辺りに鬼が出るのを知っていたようです。その鬼を手懐けられないかと画策していたようで、かの村の民は鬼どもの餌として使われる予定であったとか…」
「さすが、腐った下衆。考える事が外道だな。」東馬は八渡の顔を思い浮かべ、嘲けるように苦笑した。
「鬼に喰われればその身は滅び、鬼が死ねばその屍と共に灰となり消失する。その為村人の姿が見えなくても不思議は無い。そう申しておりましたゆえ、心配の必要は無いかと…」
「で、その者達は?」
「村が鬼に襲われたにしては些か綺麗に過ぎましたので、村の家屋を破壊し、そこに多少の血と臓腑を撒き散らすのに身体を借りもうした。残りは帰りの道中、山の地中深くに。」
「はは、ここにも鬼がいるようだ。」東馬は笑う。
「見えました。あれが鵜丸湖、そして兼正の庵でしょう。」
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兼正の回想
突然現れた鬼のような体躯の眼光鋭い大男、それも気にはなったが、むしろ共に訪れた優男。こっちの方が不気味だ。
にこやかで人好きのする雰囲気。好奇心旺盛とばかりに儂の作業場をキョロキョロと見回している。
こんな大男と連れ立っているからそう思うのかと、気のせいかとも思ったが…
『これを見てくれるかい?派手に折れてしまってさ。いやぁ、この時は参ったよ良い刀で気に入ってたんだけどね。これを溶かして一振り打ってもらいたいんだ。』
鞘の中から三つに折れた刀の刀身を見た時、総毛立った。
まともな代物ではない。
随所に小さな傷、僅かな刃毀れ(はこぼれ)に潰れ。血の臭いに…刀身に絡みつく黒い靄のようなもの…
各地を長い事修行してまわったが、霊剣、魔剣と云われるような物ですらこんな尋常ならざる様相の物は終ぞお目にかかることは無かった。
いったいこれは…
「だんな…いったいこれは何人…いや、何をお斬りなすった?」
「あ、わかるかい?さすがだねぇ!…悪鬼羅刹、魑魅魍魎、悪人、獣、神、仏に至るまで、何でもさ。」
…作りかけの鍬を眺めながらサラリとぬかしやがった…が、嘘じゃねぇんだろう。
…気味のわりぃ御仁だが、其れ故に妙な説得力がある。
「神仏、ですかい?」
「斬る必要があった時はね。まあ、それは数える程度だよ。神仏を手に掛けるような奴に刀は作れないか?」
神仏を数回…並の人間ならそもそも一度たりとも神仏と斬り結ぶ機会なんざありゃしねぇ…しかも、『それは数える程度』って、神仏以外は『数えられないくらい』って事か?
「生憎とあっしはさほどの信心は持ち合わせちゃいねぇんでね。そいつは構わねぇ。が、コイツはさぞかし腕の立つ御方の作でござんしょう?あっしにこれに並ぶ物は作れる気がしねぇ。他を当たってくんな。」
「君の腕前は知っている。知った上で頼んでいるんだ。」
まっすぐな目。嘘をつく者の目じゃねぇ。
「刀を打つのが嫌なのか?」
儂から目を逸らす。
何を見ている?
何が言いたい?
それは、その位牌は女房と娘のもんだ。
刀を打つのが嫌かって?
んなわけあるか。
刀鍛冶で身を立てるべく修行に明け暮れた。
腕の良い職人がいると聞けば何処へでも行って教えを乞うた。
女房子供が出来てからだってそうだ。
お咲はそんな儂に小言の一つも言わず送りだしてくれた。
おりょうは女だてらに五つの頃から儂と一緒に職人やるんだって張り切ってやがった。
「そいつは女房と娘の位牌でさぁ。十年ほど前、あっしが打った刀で斬り殺されちまった。」
はっ!神仏を斬る奴が"仏"に手ぇ合わせんのかよ。
…ま、信心なんざねぇクセに位牌飾ってる儂も儂か…
「仕事を依頼してきた武士がな、随分と羽振りの良い野郎で、前金として随分置いて行きやがった。完成したら更に払うとも言いやがる。『代わりに極上の物を作れ』って言ってな…」
…儂は何故こんな話してやがんだ?
「で、言われるがままやったさ。これで苦労かけた女房子供にちったぁ旨いもんでも食わせてやれるってな。…出来たよ。当時のあっしの傑作だ。奴も納得の出来だった。」
…やめろ、思い出したくもねぇ…
「で、渡した途端、バッサリさ。俺らの中じゃたまに聞く話さね。別に珍しくもねぇ。が、金に目が眩んだあっしはまさか羽振りの良い奴がそんな事するなんざつゆとも思わなかったのよ。」
…やめろ…この先は…
「あっしはまだ意識があったが、女房は即死。娘は犯されながら殺されたよ。あっしの作った刀ですぐには死ねねぇような所をブスブスやりながらな。」
…ちくしょうが…
「痛い、おっとぉ、おっとぉ、逃げて。ってあっしの方を見ながら、あんな状態で儂の心配なんかして…」
………
「そのままあっしは気を失った。気が付いたら取引してた兵具屋の座敷で寝てた。何とか命は助かったが、以前のようには腕が動かせなくなってた。それからは時折仇探しの旅に出ては路銀を貯める為に鍛冶をするって寸法よ。兵具屋や瀬田様はあっしに気遣って遅い仕事にも文句一つ言わずたけぇ金出して仕事を出してくれる。だから作っちゃいるが…わりぃが、旦那のその極上品に見合う物は作れねぇし、この腕だ。仕事もおせぇ。どうしても、ってんなら、兵具屋に置いてあるもんで勘弁してくんな。」
…あぁ、儂にゃ、もう無理だ。
かつてのような仕事はもう…
「ならば尚更だ。尚更君に仕事を頼みたい。」
「おいおい、あっしの話聞いて、」
「聞いたからこそだ。鬼畜外道を野放しなぞ赦されて良いものか。その仇の目星は?どんな特徴がある?私が討ってやる。君の打った刀でだ。」
「あっしの刀で?あっしの仇を…」
「そうだ。これでも彼方此方渡り歩いているからね。もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれないし、無くても必ずや見つけ出してやる。何年かかろうとだ。仮に既に死んでいたとしても、墓を暴いて頭蓋に刃を突き立ててやる。」
…本気の目だ…この御仁は本気でやるつもりだ…
「十年前の見た目だ。今は齢五十前後ってところだ。今野央左衛門と名乗っていた。化粧で顔を白くして、…こんな人相の奴だ。」
「上手いものだな…」
当然だ。コイツを探す為に何度描いたかわからねぇ。
コイツを描く為にさんざっぱら練習した。
それがいつか実を結ぶと信じてな。
「お陰で思い出したぞ。」
「…え?思い出したってぇと…」
「心当たりどころでは無い。私はコイツと会っている。」
…まさか…まさか、まさか、まさか!見つかるのか!
「八渡の家臣だ。以前奴の鼻を砕いた事がある。間違いない。今野と呼ばれていたはず。人相書きともそっくりだ。」
…八渡、江狩か…随分と近くにいやがった…
「八渡の家臣となればそうやすやすとは手が出せないだろうが、なに、手は幾らでもある。どうする?やるか?」
「決まりだ。やらねぇ手はねぇ!」
…やるんだ、儂の刀で。
儂の手で屠ってやりてぇところだが、この際それはどうでも良い。
この神仏さえ恐れぬ御仁ならば、あの悪鬼を必ずや討ってくださる。
ならば、出来る出来ねぇなどと四の五の言ってる場合じゃねぇ。
神の導きなどいらぬ。
仏の加護などいらぬ。
この鬼を従えた修羅こそが全て。
修羅には修羅の剣を。
我が業と魂、この修羅に捧げん!
「不肖、鵜丸兼正、一世一代の大仕事。全てを切り裂く修羅の剣。必ずや御覧に入れましょうぞ!」
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「本当によろしかったので?」
「仇討ちの事か?当然だ。先程も言ったが、外道は私も好かん。どうせ高峰と八渡は長くはもつまい。機会はある。」
「刀はいかがいたします?」
「兵具屋で兼正のを買うか…お前に無心しても良いか?」
「それは勿論構いませぬが、まさか文無しではないでしょうな?言ってくだされば幾らでも用立て…」
「いやいや、そこまでは…皆のお陰で金に不自由はない。」
「…腕は確かとは思いますが、兼正に拘らずとも良かったのでは?」
「いや、兼正でなくては駄目だ。お前の金棒、あれもそうだが、此の世ならざる者の関わった武具は古今東西尋常ではない。これまで散々私が怪異を斬った刀に兼正の業。ともすれば中々の傑物に仕上がるかもしれん。」
東馬は少し楽しそうに話すが、目は笑っていない。
龍厳もわかっているのだ。
兼正の業すら道具として、その役立てる用途が殺伐したものである事に哀れと感じている事を。
「人の世とは憐れなものですな。」
「そうだな。兼正が信心を無くすのも致し方ないことだ。」
「それでも、位牌を?」
「それしか知らぬのよ。神仏の慈悲など信じておらずとも、せめて妻子が死後安らかであるように祈る、そのすべを。…矛盾だろうとね。」
「…わかる気がします。」
日は沈みかけていた。
龍厳は思い出す。
かつての怒り、憎しみ、哀しみ。
それらに捕らわれていた己を救ってくれたのは目の前にいるこの男だった。
神仏を呪った、かつての自分と重なる今の兼正。
願わくば、信じていない神仏にすらも感謝の言葉を捧げたくなるような、そのような時が兼正にも訪れんことを。
「神の代わりの東馬、か…」龍厳が呟く。
「ん?何か言ったか?」東馬が振り返る。その表情は暗くてよく見えない。
見えない、が…
「いえ、何も。」
きっと優しい顔をしているのだろう。




