宴
再び歩き始めてから数時間、やはりと言うべきか、歩みが重くなりつつあった。
村人達は元より食うものも食わぬ生活を強いられ、諸部村の者達はろくな休息も無く往復の山道である。
弥一に至っては一往復半の旅路。皆の体力はとうに底をついていたのである。
だが、休もうとする者は一人も無かった。
歩けぬ者には互いに手を貸し、また手を借りた者もその直後には別の者に手を貸していた。
「神代様、どうされました?」と、弥一。
先頭を歩く東馬が手で止まれと合図を出した。
丘を超え、眼下を見下ろしたその先。
ガタガタと震える六蔵。
六蔵は夜目がきく。その為誰よりも早くそれを見てしまった。
「お、鬼だ…お、お、鬼共だ…」震えた声で六蔵が呟く。
東馬は弥一に『下がっていろ。』とばかりに親指で後を指す。
弥一は察した。混乱を避ける為に皆に見せぬように下がらせようとしているのだ。
鬼共はこちらに気付いていないのだろうか?不安を感じつつも、小声で下がるよう指示を出す。前の者は後ろの者へ。後ろの者は更に後ろの者へ…一行に緊張が走る。
「六蔵、奴等は私が引き付ける。だが恐らく、いや、間違いなく皆に気付く者が現れる。その時はいっそ明かりを灯して立ち向かえ。出来るな?」
六蔵は震えながらもコクコクと頷く。
それを見た東馬は六蔵の肩をポンと叩くと、刀を抜き放ち静かに鬼の集団に忍び寄った。
六蔵は夜目がきく。子供の頃から夜釣りで慣れた為か、尋常ならざる程に夜目がきく。
その六蔵の目に映ったのは鬼、鬼、鬼、そして鬼。
人間の子供程の者が百を超え、大人よりも少し大きな者が数十、そして大人を縦に二人分重ねた程の者が二十程。
その鬼共が人や獣の屍を喰らっていたのだ。
さながら鬼の宴。世にもおぞましき恐ろしい地獄絵図である。
「神様仏様神代様!どうか!どうか!!」
六蔵はガタガタと震えながらも松明に火を付ける準備をし、それを見た弥一らもそれに倣った。
僅かな沈黙の後、それは突如始まった。
辺りに低く響く大鬼の叫び。それに呼応し小鬼共か頭に響くような高い声で騒ぎ出す。
大木の倒れる音、鬼の断末魔の叫び。
大地が大きく揺れ、巨大な岩のような鬼の首が宙を舞う。
東馬が刀を振るう度に小鬼がつんざくような悲鳴を上げ、東馬が飛び上がると大鬼の首も飛んだ。
小鬼の牙は東馬に届かず、また大鬼の爪は東馬に触れる前に腕ごと斬り落とされた。
「す、すげぇ…なんだい、ありゃ…ありゃまるで…」六蔵が呟く。
「六蔵!神代様は!?」一行の後方にいた五兵衛が詰め寄る。
「数え切れねぇ程の鬼の群れと闘っていなさる…信じられねぇ…あの御仁は本当に人の子か?」半ば呆けたように六蔵は呟く。
「神代様は無事なのか?!」眉間に深く皺を寄せ目をこらしながら音のする方に目をやる五兵衛。
「助太刀を…」弥一が言い終わる前に六蔵が制する。
「きっとお邪魔になる。俺らが出て行っても足手まといにしかならねぇって!」六蔵は東馬から目を離さない。
「大丈夫!神代様はまだまだ、あっ!マズイ!!刀が折れた!」六蔵が叫ぶ。
「六蔵!」五兵衛が叫ぶ。
六蔵と五兵衛の声を聞きつけたのか、小鬼の数体が一行に駆け寄ってきた。
「き、来た!やるぞ、やるぞ!」六蔵が松明に火を灯す。
六蔵の松明から火をもらい、数人が鬼の方に向かって松明を投げ付けた。
「お、鬼…くっ!行くぞ!かかれー!!」灯りであらわになった鬼の姿に皆が一瞬怯むも、弥一が号令をかけると男達が一斉に走り始めた。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
『鬼退治じゃぁぁぉぉぉぉぉ!!!』
男達の叫びは、恐怖を吹き飛ばすかのように互いを鼓舞した。
疲労困憊であるにも関わらず、半ばヤケクソである。もう後戻りは出来ないのだから。
小鬼が脚に齧りつくと、その鬼を男達が袋叩きにする。
その男達に鬼が向かうと、女達が石を投げる。
女達に気を取られた鬼を男達が背中から滅多斬りし、その男達を襲わんとした鬼を東馬が折れた刀で斬りつける。…
どれ程の時を闘い続けただろうか?おそらくはそれ程の時は経っていない。疲労と恐怖と苦痛が徐々に人間達を弱らせ、致命傷に至らなかった鬼達は傷が癒え戦線へと復帰してくる。
重傷を負う者もちらほら。東馬が隙を作り女子供が負傷者を引上げ、老人や病人が戦線に加わる。が、それも長くはもたず、目に見えて人間達の戦力は減っていく。東馬の刀も根元から折れて既に使い物にならず、誰かが手放した斧で応戦していた。
「いやぁぁぁぉ!!!」女の悲鳴。負傷者を引上げていた女に小鬼が襲いかかる。
「グヘッ!」鬼の頭が勢いよく横に吹っ飛ぶ。東馬の投げた斧が頭に命中したのだった。
丸腰になった東馬に大鬼が掴み掛かるが、東馬はひらりとかわすとその腕を駆け上がり、勢いそのままに鬼の顎に右の膝をくらわせた。
ボギッと響く鈍い音、鬼は数歩後退りしそのまま倒れた。が、これもまた数分後には復活するのだった。
「くそ、キリが無い。何だってこんなにたくさんの鬼がいやがるんです?」東馬に鎌を渡しつつ弥一が小鬼の首を鋤で刺す。
「弥一、走れる者に逃げるように伝えるんだ。私が何とか足止めくらいはするさ。長くは持たない急げ。」東馬が鎌で小鬼の首を斬り落とす。
「そんな奴はもういやしませんよ!ってか、鬼に出くわした時にはもう体力残ってた奴はいませんって。」弥一が中型の鬼の腹を刺すと、動きの止まった鬼の首を高く跳び上がった東馬が鎌で切り落とした。そして鎌も曲がった。
「まったく…何か得物は…」
その時、微かな風切音と共に一本の矢が小鬼の頭を貫いた。
飛んできた方を振り向くと、そこには弓兵が一人、そして刀を振り上げ走り寄る男達が。
どれも見知った顔だった。
弓を射るは赤木達丸。次々と矢を放っては鬼の頭に命中させる。
続いて動きの止まった鬼の首を瀬田道場の面々が次々と刎ねていく。
更に人間にしては大きな覆面の大男が、金棒で鬼の頭を砕き、吹き飛ばす。
「先生!」貴衣が刀を投げ、東馬が受け止める。
スラリと刀を抜き放つと、手近な鬼からバッサバッサと斬り倒していった。
形勢逆転。
鬼達もされるがまま、とまではいかないものの、誰一人喰らう事も出来ぬまま全て塵となった。
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「言いたい事は色々あるが…ありがとう。助かったよ。」東馬が貴衣に微笑む。
貴衣はご満悦である。ニッコニコしながら怪我人の手当てに向かった。
怪我人の手当てをする赤木は、何か言おうとする東馬を制すと「本日も非番ですので。」と言うのみであった。
瀬田道場の面々は即席の担架を作っている。
覆面の大男は既に姿が見えない。
「急ごう。夜が明ける。」
言葉とは裏腹に心は晴れやかだった。
それは東馬だけではない。
大量の鬼を斃し、屈強な見方を得て、能賀の地まであと少しの所まで来たのだから当然と言えよう。
しかも、誰一人欠ける事も無く、である。
無論、かなりの重傷者は出てしまった。
目が潰れた者、手脚を失った者等は一人二人ではない。
骨折、打撲はほとんどの者がしている有り様。
が、死者がいない。
正に奇跡だった。
高い高揚感からか、怪我の痛みも、積もり積もった疲労も、今の彼等には大きな問題では無かった。
動きの重い者同士肩を貸し、動けぬ者は道場の者達が担架で運んだ。
そして夜が明け、日が高く昇る頃、彼等は辿り着いた。
新たな土地、人として生きられる場所、第二の故郷となる諸部村へ。
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諸部村は村の中央にある広場で、昼から呑めや歌えやの祭り状態である。
「もう、飲み過ぎては痛みが増しますよ!」と雪。そう言いつつ、酌をしてまわっている。
「まだまだ有りますからね。大丈夫、たくさん召し上がって下さいね。」と、諸部の女達と共に大量の茶碗に大盛の飯をよそう、長い前髪で顔を半分隠した女。
「あの女性は?」東馬は共に酒を呑みつつ、隣に座る赤木に尋ねる。
その女性は達丸が一旦屋敷に帰った後、大量の酒や食料と共に連れてきた女である。
「妻の葉です。醜女ではありますが、私と違い人当たりも良く、できた女です。…葉!こちらへ。」
葉と呼ばれた女はいそいそとやって来ると東馬に深々と頭を下げた。
「神代東馬殿だ。ご挨拶を。」赤木が促す。
「ご挨拶が遅れました事をお許し下さい。赤木の妻、葉と申します。神代様のお話は夫から常々伺っております。夫がこんなにも人様の事をお褒めするのは初めてで、私もう驚いて驚いて…」葉は口許を隠してクスクスと笑った。
「もう良い。戻りなさい。」赤木は少しばつが悪そうにしている。
「失礼致します。」葉はもう一度深々と頭を下げると、女達の所へ戻って行った。
この宴の酒や食料の殆どは赤木の屋敷の蔵から放出したものである。
「腐らせても勿体ないですから。」と。
「お料理するのに女手がいりますでしょ?」と、葉は蔵を空にする事に文句の一つも言わずに着いてきたのだ。
「大層心根の美しい御婦人じゃないか。」東馬は葉を見つめながら赤木の妻を褒めた。
「幼い頃の病で顔に痣がありまして…」と赤木が話そうとするが、東馬が遮る。
「顔が美しいのは良い事だ。だが、心根が美しいのに越した事はない。…達丸殿もそう思っておいででは?私の目には双方とても美しいお似合いの良き夫婦に映るよ。」
お猪口の酒をクイッと呑み干す東馬に、少し間を開けて徳利を傾けて差し出す達丸。
「東馬殿の買い被りです。」
お猪口で酌を受ける東馬。
「ところで、弓の技はどこで?相当な腕前だったね。」
と、東馬が話題を変えると、村人達も話に加わった。
「そうそう!ありゃ凄いの何の!どの矢も外す事無く鬼共に当たっちまうもんだから、たまげたなんてもんじゃねぇや!」
「おうおう、たまげたと言えば神代様よ!鬼をばったばったと斬り倒していく姿なんて、もうどっちが鬼かわかったもんじゃねえ!」と、六蔵。
「おう、六蔵!そうだそうだ、その時のオメェが見たもん教えてくれよ!」と村の衆。
「よっしゃ!聞いて驚け野郎共!ここにおわすは明王の化身、神代東馬様!その鬼退治のお話よ!!」怪我をしているだろうに、六蔵はノリノリだ。
「よ!待ってました!」村の衆が集まり出す。子供達も最前列でワクワクしながら話に聴き入っている。
雪や葉を始めとする女達は、時折口を開けて驚いては「まぁ、そんな事が?!」「あったのよ!」等とすっかり打ち解けている。
道場の面々は『我等までいては目立ち過ぎるので。』と、早々に帰っていった。貴衣を引きずるようにして。
「神代様。」
村に着いてすぐ、倒れるように眠ってしまった弥一が東馬の前で正座している。
「神代様。そして力を貸してくだすった皆々様方。この御恩おれぁ一生忘れねぇ。子々孫々語り継いで…ぜってぇにこの御恩を…この…御恩を…」弥一は涙が止まらなかった。
「あぁ、必ずや!」「必ずや!」助けられた村の者達も弥一に続いた。
「俺達も忘れねぇぜ。新しい仲間が増えたハレの日だからな。」と、五兵衛。
「こんな時は酒だろ、酒!せっかく赤木様からの賜りもんだ!皆もっと呑めや歌え!」と茂吉。
「よっしゃ、次は赤木様と瀬田道場の皆様方のお話だ!」と六蔵。
「いいぞー、よっ、六蔵!」村が再び騒がしくなる。
「良い宴だな。」六蔵の芝居を観ながら東馬が微笑む。
「えぇ、本当に。」達丸が答えた。
まだ涙が止まらない弥一と肩を組んで、五兵衛が徳利片手に六蔵の下手な芝居を茶化す。
宴は夜まで続いた。
夜、床に入った六蔵は少し考え込んでいた。
『そういやぁ、鬼が一匹同士討ちしてやがったなぁ。アイツ何処に消えたんだ?…まぁいっか。寝ちまおう。』
後にこの出来事が逸話として語られる時、突如現れ人間に加勢し、その後いつの間にか姿を消す謎の鬼として語り継がれるようになる。
その正体が人間だったと伝えた者はいない。




