志達村 ~前~
城下町を出て、南東におよそ半日程歩くと山の麓に着く。
そこから更に山道をしばらく登ると、志達村に辿り着く。
村では塩害に弱い野菜の栽培が主で、次いで山菜、更には野生の猪や兎、鹿や熊等の肉を加工しては、城下町の住民との物々交換で生計をたてていた。
日も傾き始めた頃、東馬は村に辿り着く。本当ならば昼頃には到着していたはずなのだが、麓まで来て少し珍しい花を見つけた為、一旦北見屋敷へと戻った為遅くなってしまった。
鬱蒼とした木々を抜けると、山の中腹にしては開けた広い平地が広がり、そこにいくつもの家や田畑が広がっており、その中でも少し小高い場所に立派な大きな屋根の目立つ屋敷が建っている。
屋敷の周囲には人の背丈よりは少し高い塀が張り巡らしてあり、いかにもこの地の長の屋敷といった佇まいであった。
「ん?前にこんな塀はあったかな?」
東馬はそんな事を思いながら小さな門を抜けた瞬間、塀の陰、右側から何かが飛んできた。
東馬はそれを身体を右に回転させながらかわすと、次いで巨大な塊が飛んできた。
人である。
最初に飛んできたのは相手の左拳。次いで右肘。
東馬の顔面目掛けて体当たり気味に繰り出される相手の右肘をしゃがんでかわしつつ、逆に東馬が左肘で相手の右脇腹を狙うが、相手はそれを右足で防ぎ、更には勢いそのままに前蹴りを放つ。
東馬はかろうじて後方に飛び退きそれもかわすが、相手は右足が地につくよりも早く左に身をひねりつつ左裏拳を出すが、予想以上に東馬の飛び退いた距離が長く、これは宙を切る。
「やぁ、久しぶりだな。健在で何よりだ。」
東馬が親しみを込めた挨拶をすると、相手は素早い踏み込みに合わせて鋭い右正拳で答えた。
東馬はその右前腕を自らの左前腕で捌くと、踏み込みつつ左肘で右脇を狙うが、相手は左に身をよじりつつ、右腕で東馬の首を捕らえようとする。
が、東馬はこれをしゃがみつつ後方に引きかわす。
その後も激しい一進一退の攻防を続けていると、外から家人らしい二人の女が野菜の詰まった籠を背負いやって来た。
「まぁまぁ!東馬様ではありませんか!随分とご無沙汰しております。」
前を歩く年増の女が東馬に声をかける。
「やぁ、久しぶり…!」
女に気を取られた東馬を、襲撃者はいつしか抜いていた短刀で突いてきた。
が、これもひらりとかわすと、「大根、ちょっと借りるよ。」と、籠の中から大振りな大根を引き抜き、居合いのように構えた。
一瞬の間の後、相手の中段から突き出される短刀を、東馬は大根で下段から受けるかのような形で振り上げる。
が、そこには大根の半分から先は無く、大根の汁が襲撃者の目に入る。
「…!」
襲撃者はいざというときでも瞼を閉じぬよう訓練していたが、今回ばかりはそれが仇となった。
大根の汁が目に染み、ほんの一瞬たじろぐ。
東馬がその一瞬を見逃す筈がなく、左手に持った大根の先で相手の顎を狙い、相手は慌てて右腕で防ぎつつ左に避けようとするが、そこには東馬の右の大根が待ち構えていた。
相手自らの左への動きと、東馬の渾身の大根振り下ろしが重なった強烈な衝撃が襲撃者の顎を襲い、瞬間意識が飛び、巨体の襲撃者は膝から崩れた。
「うん、辛味のあるみずみずしい良い大根だね、春さん。」
東馬は折れた大根を齧りながら女に声をかけた。
「御無沙汰しております、師匠。」
首を押さえ、頭を振りながら巨体の襲撃者が立ち上がる。
「元気そうで安心したよ、龍厳。」
微笑みかける東馬。
軽く頭を下げる龍厳。
およそ30年ぶりの再開であった。
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大人数での食事は、東馬には久々だった。
龍厳には妻の春との間に子供が二人。
人の良さそうな優しい笑顔の似合う、春に似た兄の忠儀。
きつそうな顔立ちをしてはいるが、実は優しく人当たりも良い、美人な妹の雪。
忠儀には物静かな妻の初との間に、同じくおとなしい長女の柚、そして弟で長男の、年相応に元気な甲太の二人の子供がいた。
栄蔵は既に他界していたため、計八名での食事だ。
「いやぁ驚きました。父上が膝を付く所など、我々の中でも母しか見た事は御座いますまい。ささ、一献…お恥ずかしながら、我等兄妹、二人がかりでも未だ父上には及びませぬ。」
忠儀が酒を勧めながら話す。
どうやら長男の忠儀のみならず、妹の雪までもが武術の手解き(てほどき)を幼い頃から受けており、それでもなお龍厳には勝てないこと。
雪は女だてらに村の中ではかなりの実力者で、筋力では男には及ばないながらも、長物の扱いでは忠儀とも互角に渡り合えること。
妹は弱い者の元に嫁ぐ気はないと強情で、お陰でよい歳であるのに嫁に行かないのを心配していること。
しかも、それを父母が黙認し、更には自分に子ができたため、余計に跡取りの問題もなくなり自分までが後押しをしてしまった事など、それらを冗談混じりで話した。
多弁な男のようではあるが、この国の情勢、父との関係、東馬の年齢、それらには一切触れてこない。
先程の東馬と龍厳の勝負にしても、見ていた風ではあるが、何処にも姿は見えなかった。無論誰も事の顛末を話してなどいない。
東馬の事は龍厳からある程度聞いているのであろう事は察せられた。
また、人懐っこそうでいて、それでいてなかなかに抜け目の無さそうな事も。
春は時折話に加わり談笑している。
雪と初は静かに笑っていたり、東馬に酌をしつつ、暴れまわろうとする甲太を諌めたりしている。
柚は珍しい客をチラチラと見ては、東馬と目が合うと恥ずかしながら目を背けたりしている。
龍厳は昔と同じく、相も変わらず無口で無愛想だ。
だが、春が龍厳に酌をするとき、「今夜は珍しくお酒が進みますね。」とからかうと、「あぁ、顎が痛むからな。」と答えた。
無論、ただの照れ隠しなのは、皆気付いていたが。




