意思表示
心配していた問題点は杞憂に終わった。
テトラはリアが提案した内容を、二つ返事で承諾したからだ。妊婦の依頼に関しては、早急が良いだろうとその場で即手続きをしてくれる。
「契約内容に『協力すること』と書いてあるだろう?」
と悪戯が成功したような微笑みでテトラは言っていたが、出立まで了承するとはリアは思っていなかった。
王位の破棄を宣言し、世界中を旅したことがある彼女であったからこそ、受け入れたのだろうということは容易に察する。
統括である彼女が長期間組合を留守にすることの問題点については、優秀な部下であると宣言されたダリアが居ることで片付いた。リアにとっての恩人はどんどん増える始末だ。
次に、出立組と待機組の選別であったが、これも早い段階で決まった。
めぇるかいへは、リア、リヒト、テトラ、シーナ、ウィリディスが向かい、待機はルートが主体となったテオスと直属の軍人の部下であった。
後半は至極当然である。
臍帯血を得、適切に保管するにはその規模の人材と施設が必須だ。ルートにはそれだけの知識と経験があり、仮に足りなくても補おうと努力する人物だ。同時に、いつもの彼の『実験材料』と称すれば、軍を動かすことも容易い。
テオスは全てを知ってしまっていたが、リアのためにも黙秘し協力する男だ。
もし、テトラがここまで考えて率いれたのだしたら、本当に頭が上がらない。
逆に前半の面子は、リアがアイにある道具作成の依頼をしたことが切っ掛けであった。
この世界では、まだ『注射器』が普及していない。
だが、ルートの実験部屋であれだけのガラス道具を見たからこそ、ガラス製の注射器くらいは存在しているとリアは思っていた。
実際に何本かはルートが所持していたが、既に『化物』等に使われ衛生面に問題があるものがほとんどであったし、針の太さと長さも『ヒトへの静脈注射』に適してはいなかった。
以前、ルートの実験器具はアイが作製している物だと聞いていたリアが、彼を頼らないわけが無い。
求めている形の注射器を依頼したところ、むしろ、ヒト用の方が馴染みはあると言われたほどだ。その話の流れで、彼の母親の化物化について詳細も聞かされたが、それは、ほぼ、リアが想像していたとおりであった。
ヒトが化物化すると、まず吸血鬼になり、崩壊が進むと食人鬼になる――
アイの母親も崩壊を抑えるために、定期的に動物の血液を摂取したり、知人から譲り受けた血液パックを静脈から輸血していたりしたとのことであった。
血液を求める行動は、恐らくだが、エメムの性質に起因していると思われる。
崩壊が抑えられるということは、エメムがその血液への侵食に移行している可能性が高い。
そして、崩壊が抑えられた要因の可能性として、大穴ではあるが、……食した動物、もしくは血液パックの主が、『獣人』であった場合が考えられた。当然全てではない。
だが、獣人の血液が体内を巡り、それが例え短期間であったとしても、ヒトの身体が修復され、エメムが減少されたのかもしれない。
推測の域を出ないが、事実を並べてみた結果からもリアにはしっくりした。
実は、アイも多少の輸血経験があり、だからこそ『最初の親父』に出会うまで、ヒトを維持できていたと思われる。テウルギアを装着してからは全く行っていないが、静脈注射くらいは今の彼にもできるとのことであった。
このことは、リアにとって棚から牡丹餅であった。
『私』以外に静脈注射ができる人間がいる……
正確には、『私』は静脈注射をした経験はない。
『された』ことがある経験と、知識が少しある程度なので、『できた』かもしれないというだけだ。
『私』は『無価値』だ。
この現実で喘いでいた『私』が、『肉体』くらいには『価値』があるだろうと考えるのは早い時期であった。その頃は『脳死判定未成年者から、心疾患未成年者への心臓移植』が話題になり、『臓器提供意思表示カード』がメディアに取り上げられた時期でもある。
『私』は即座にそのカードを入手し、裏面の記載には、『脳死』『心停止』に丸をし、提供可能の臓器、すべてに丸を付け、『その他( 全て )』と記していた程であった。
途中から運転免許証や保険証の裏面にも表示されるようになり、当然、取得した後にそちらの記載に切り替えた。
――……死んだ『私』の身体の一部は役に立ったのだろうか…?――
他にも、生体間移植の存在を知ってからは、のめり込むように一時行っていたひとつが献血だった。
当時の『私』の場合、適正体重が足りなかったため、四百ミリリットルの全血献血はできず、成分献血を行っていた。
(因みに全くの余談であるが、二百ミリリットルの全血献血も勿論、行われている。ただし、この量の場合、利用されるのは子供に限られ、あまり需要はない。よって、適正体重が足りないのならば、成分献血を勧められる可能性が高い)
成分献血とは、全血献血をしながら血液を機械に通し、血液成分を分離後、赤血球を提供者に返還する手法をとる。提供者への肉体的負担は軽減するが、当然、献血針は全血のモノよりも太い。
当時の『私』の腕――肘正中皮静脈が見える場所は針跡だらけになったので、おかげで肘正中皮静脈は覚えやすかった。
献血をしたことがある人ならば、常識であるが、その献血ルームで同じく生体間移植の一つである骨髄移植、そのための骨髄バンクへの登録も行える可能性がある。当然『私』は登録済みであった。
『私』が生きている間に提供することはついぞ無かったが、『私』が骨髄移植についての独学の知識がある理由は、この実体験が原因だ。
リアとして今、役に立っているなら、『無価値』な『私』にも、少しは『価値』があったのか――
そう結論できている事実に『私』は安堵する。
「で、クラなんだけど」
「ぇ?」
アイの言葉に漸くリアは現実に戻ってきた。思わず辺りを見回してしまう。
ここは王都のドワーフ工房『芸術矮星』。
アイに製作を依頼した注射器を受け取りに、リアは訪れていたのだ。
奥では不服そうなハリィと、彼を苦笑しつつチラ見しながら作業をしている職人のドワーフたちが見える。ハリィの態度は至極当然なモノであった。
アイに仕事を依頼するも、『工房第九番』まで帰ってもらうのは時間が惜しい。しかも、元々別の依頼を受けていたフロイドは既に帰還し、作業中だ。ただでさえ、王都に来て貰ったことで彼の仕事は滞っていた。
そのため、代わりの作業場が無いか数名に相談したところ、芸術矮星の工房を借りることになったのだ。当然、作業のメインは『硝子』と『鉄』。
短時間とはいえ、作業場を奪われたハリィは良い気分では無いだろう。その後の補助を、当然リアは無償で行ったが、アイが「すぐ終わる」と宣言したとおり、短時間で注射器を作成し終えた出来映えが良かったこと、芸術矮星の仕事もそつなくこなしたのは、少々腹立たしかったらしい。
…と、リアはあとで他のドワーフから聞くことになる。
「めぇるかいへ行くときの話。シーナは半獣でリアを抱えて走るんだろ?」
「あ、はい。そう聞いてます」
「そうなると、リヒトとテトラがウィリディスに乗るんだけど、やっぱり椅子…鞍とか用意した方が良いかと思って」
アイの話のとおり、リアは半獣のシーナに抱えてもらうことになっている。ウィリディスは半獣の形態になれないらしく、当然獅子のまま走るが、速度と持久力は通常の獅子を遥かに凌ぐらしい。力もあるので、成人二名くらいなら問題なく背で運べるとのことだ。
だが、本来動物の骨格と背は、何かを乗せるように出来てはいない。まして、かなりの速度で走ることになるのだ。ウィリディスには気の毒かもしれないが、二人のためにもアイの提案どおり鞍はあった方が良いだろう。
そこでリアは数が合わないことに気がつく。
「えっと…そいえば、アイさんはどうやって…」
「一緒に走るけど?」
(ですよねー)と思わず心の中で呟きながら、リアは苦笑した。
彼女の笑みに、鞍案が通ったと思ったアイは嬉しそうな声で、「任せてくれよな!」と答えて笑う。すると、すぐにドワーフたちの方を向き、大きな声で叫び始めた。
「オレ、今度は鞍作りたいから、誰か道具と場所貸してー! 材料もー。後で材料費とか払うからー」
「はぁ?! 鞍くらい芸術矮星で作ってるぞ! うちの買ってけ!」
「え? 獅子の鞍あるの?」
「獅子ぃ?! あるわけねぇーだろ! つか乗れるか?! んなの! 世迷い言いうんじゃねえ!」
「だろー? だからオレ作るからさー、すぐ返すよー?」
「かーっ! 本当なのが腹立つ!」
厳ついドワーフたちに怒鳴られても、アイはケロリとしており、そして心底嬉しそうであった。
自身を化物、兵器と称し、実際にその様子をみたことがあるリアであったが、アイは本当にこの手作業が好きなのだと察することができる。
彼は壊すより、生み出す方が得意なのだ。
そして、彼の両手は本来そうあるべきで、相応しいと、リアは今度こそ微笑みながら思った。