獣人
「…それで、シーナにいくつか聞きたいことがあるの…」
今までの経緯、主に獣人の臍帯血移植についてリアはシーナに説明していた。シーナには理解できない単語、内容がほとんどであったが、彼女の中でも合致することがあったらしく、静かに頷く。
因みに現在、二人はリアが宿泊している部屋に居り、他に誰もその場には居ない。それもあって、シーナは半獣の姿をとっていた。
獣として生きることを選んでいるシーナにとって、ヒトの姿で居るよりも半獣の姿の方がまだマシらしい。因みに、初めリアたちにその姿を晒した時、彼女はリアとリヒトに悟られないため、ヒトの姿を選んだらしいが、結局リヒトには露見し、「裸はやめろ」と言われていた。
だが、服を着るのを好ましくは思っていない彼女は、半獣化し一部体毛を露出することで秘部を隠せることを知り、リアたちと会話するときは半獣でいることが多い。
勿論、王族等身分が高い者、グラベルといった極端に気にする者の前ではヒトの姿で服を着用する様に努めていた。
それが分かっているからこそ、リアも彼女の姿に対して何も言うことは無かった。寧ろ、ヒトの姿となり、話を聞き、会話をしてくれているだけで充分なことなのだ。
シーナが居なければ、今のリアは存在し得ない。
「まず、獣人の妊娠期間なんだけど…」
「獣人の妊娠期間は選んだ姿により変わります。妊娠していると気がついた時点で、私たちは本来の道へと固定するので、妊娠期間もほぼ、それに準ずるのです。リアの話を聞いて思ったのですが…ヒトまたは半獣の姿の妊婦が良いと思います。そうすれば、胎児もヒトか半獣の姿ですから」
「あと、多胎児だと良いんだけどな…」
「それに関しては問題ないかと。獣人は双生児以上妊娠するのが普通です。単生児は逆に少ないですね…」
臍帯は多く得られた方が良い。それには多胎児を望んでいたリアには朗報であった。しかし、問題は山積みである。
まず一つ、果たしてヒトが集まる『組合』に『獣人の妊婦探索依頼』を出して効果があるのかというところだ。半獣ならばまだしも、ヒトの姿をとっていれば申告がなければ気がつきようがない。
二つ、依頼内容を掲載したところで申告してくれる妊婦がいるとは思えない。
「提案なのですが…獣人の集落に行くのはどうかと」
獣人の集落の話は、大分前にシーナから聞いていたことだ。
だが、リアにとっては『桃源郷』といった、現世から外れた幻想的な常世を想像していた。当然、それはこの世界が異世界では無かったと知った時、同時に崩れ去ったのだが。
「でも…獣人ではない、普通のヒトが入り込んで大丈夫なの?」
「少人数なら大丈夫ですよ。今でもドワーフといった異人との交流はありますし、過去にもヒトが住んでいたことはあります」
旧世界において、獣人の伝説――都市伝説は多かった。狼男など定番であったし、虎人や猩々、牛頭馬頭、半獣半人の神だって多い。
物語やサブカルチャーにおいて、特に日本という国では外せない存在であった。
シーナの言うことを考えると、旧世界の時点からヒトとの交流は何かしらあったのだろう。『私』が知らなかっただけだ。
「でも…今と昔では事情が違うよね?」
旧世界は滅んだ。現世界においても獣人の生活模様が変わっていないのならば、閉鎖的な空間を求めているか、都合が良いと判断しているはずだ。
そうでなければ、この世界にはもっと分かりやすい形で獣人が溢れているに違いない。
「…そう、ですね。獣人はずっと不変です。でも、昔は昔、今は今です。リア、貴女はリヒトを救うためならば、自分を犠牲にする意思がある。ですが、使えるものは他人でも使う必要性も考慮するべきです。私は貴女の愛玩であり、家族であり、番猫です。貴女のためなら集落も全獣人も仇なす覚悟があります」
シーナの琥珀色の目がリアを捉える。
嘘ではないからこそ、更にリアは怖かった。彼女の真っ直ぐな気持ちと志しは、正に鋭い刃である。初めて姿を現した時、その身体でアリグモを蹴り倒したように。
リアは一度その目を閉じると、深く溜め息を吐いた。猫と目があった場合、視線を逸らすのではなく、目を閉じると良いと聞いたことがあるのを『私』は思い出していたからだ。
「シーナの気持ちは嬉しい。でも、利用することと協力することは別だよ。勿論、獣人たちの力は必須。だから、もっと獣人について教えてくれないかな。シーナの知っている範囲で良いから」
目を開きながらリアが咎めると、シーナの落ち込んでいる様子が飛び込んでくる。半獣の特徴である猫耳がペタリと萎れているからこそ、それがよくわかった。
リアはシーナの頭を撫でて慰めると、彼女は満足したのか落ち着きを取り戻し、説明を始める……。
「私が移ったことがある獣人の集落、めぇるかいは王都から…ヒトの足だと…そうですね…寝ずに歩いて六十日程でしょうか」
「(日本列島往復分くらいの距離かな…?)…馬車だと三十日くらいか…リヒトの猶予期間考えると結構際どい…」
「ええ、ですが私たちならばもっと速く着きます」
シーナが言うよりも早く、リアはその方法しかないだろうと考えていた。それこそアイやウィリディスならばもっと速いのだろう。
――思えばシーナも随分速い。獣人は本来のヒトの能力に獣の力が足されているのではなく、乗法されているのだろうか。
「…シーナ、貴方は私が推理した、『獣人の臍帯血でリヒトを治療することは可能』ということを受け入れている。何か確信があるの?」
「ええ、獣人の中では常識ですが…私たちの血液を傷付いた者に与えると、その者の傷の治りが速くなるのです」
断言したシーナの言葉に、リアは目を見開く。
驚愕するしかなかった。
「そんなこと教えて…良いの?」
「別に秘密にしていることではありません。ヒトでも知っている者は居るでしょう。ですが、彼らが求めてきたことはほとんどありません。血液は新鮮でないといけませんし、血液の特徴から嚥下するのも難しい。何より多くのヒトは血液を摂取することに強い抵抗があるようですから」
シーナの言っていることはほぼ事実だ。
『私』の時代でも血液…とくに人間の血液を忌避する傾向にあった。宗教上による理由もあれば、単純に感染症を恐れる人も居る。
そういった懸念がない地域と環境の人々は勿論、率先して仕留めた動物の血液を摂取していた。有名なところだと、サバイバル時の軍人や、先住民たちだろうか。過酷な環境では、動物の血液は貴重な栄養源と水分なのだ。
―――そういえば『吸血鬼』という、ヒトの生き血を死ぬまで吸う化物も伝説には存在した。『私』にとって夢物語であった異人や獣人が存在しているのだ、もしかして彼らも存在しているのだろうか。
「ヒトが化物化すると、ヒトの生き血を求めるようになりますからね…正常なヒトはソノ侮蔑故に本能的に避けているのでしょう」
リアが思考していたところ、シーナの言葉がそれを遮った。驚嘆するというよりも此度は絶句に近い。
「え……あ、そうなの?」
「ええ、最終的には知能が低下し、肉そのものを求めるようになると」
「ぞ……」
食人鬼じゃん。と言いかけてリアは口を閉じた。アイとの会話を思い出したのだ。
『オレを産んで七年くらいは頑張ってた。でも父さんが目の前で……死んで、そのストレスで一気に崩壊してゾ…化物化した。そして人々を次々に殺していった後、オレを襲った』
あの時、彼は同じ単語を言おうとしたのだろう。
今になって、アイが表現を和らげていたことにリアは気づいた。
人々を生きたまま喰らい殺し、次には最愛であるはずの息子が標的となる。知能が低下した母親に息子の言葉は届かない。
幼かったアイ――相山鏡人は、相当、怖かったに違いない。
いずれ、自分も化物になるのかもしれないという現実もある。
彼は本当に強い人間だ。
「それも常識?」
「いいえ、ヒトでヒトの化物化の症状を知っている者は皆無かと。旧世界が滅んだの同時に彼らの世界と知識は失われたのです。異人や獣人は例外ですが」
新たな謎と疑問がリアにわきあがるが、それは好奇心だと思い、伏せることにする。
今はその時ではないのと、今まで得た断片的な情報から、答えが出かかっているからだ。
答え合わせをするならば、テトラが言っていた『エルフの長』が良いだろう。一番の解消法だ。
「…そう。でもその話を聞くとリヒトは大丈夫かな… 口から摂取するわけじゃないけど…。でも万が一の保険のためにも飲んでもらいたい気もする…」
「獣人が分泌する体液なら何でも良いのでは」
シーナの提案に、リアの思考が卑猥な方へ切り替わるのは容易であった。
分泌体液って……――唾液や精液とか? いやいや、好き同士でも無いどころか、後半を口から摂取するなど、普通の人には屈辱の何モノでも無いのではないだろうか。だったら血液を飲んでくれる確率の方が高い。
『私』なら血液を選ぶ。
リアが硬直し、無言になったところで、シーナは己の言い方が悪かったのだと気がついた。リヒトとも会話して思ったが、ヒトは性と食を交えた会話を避けようとする。
リアはそれでも抵抗がない方のようだが…不思議な話だとシーナは相変わらず首を傾げながら思ってしまう。
「…例えば『母乳』とかどうでしょう」
「へっ? え……あ」
母乳は母親の体液から作られる。確かに母乳ならば抵抗は少ないかもしれない。
だが、リヒトは自村の定義では成人している男性である。他人のモノとはいえ、むしろ他人だからこそ、赤子の飲食物を甘んじて飲むとは考え辛かった。
「でもリヒト…大人だし…」
「? おかしなことを言いますね? リアだって飲んでいるではありませんか」
「え」
「牛や山羊等の乳です。獣人の中には牛や山羊の者も居ます。彼らは家畜にされる危機感から、半獣・ヒトへ進むのがほとんどですが、それでもとくに牛族はめぇるかいでは獣で居て、乳を提供してくれています」
その辺りの話は、獣人の集落及び牛族の歴史や思想と深く関わり、長くなるため省略する…とシーナに言われてリアは頷いた。
今までの彼女の話をまとめると、めぇるかいにはヒト、もしくは半獣でいる獣人の妊婦が多くおり、出産に立ち会える確率は高いこと。治癒速度があがる彼らの血液、もしくは乳を摂取可能なこと。以上から、リヒトとテトラを含めた数名で、めぇるかいに向かってはどうか。というものであった。
加えて、王都や他国の組合に『獣人を宿している妊婦の探索』依頼は出しておいた方が良いことと、見つかった場合、出産に立ち会い、臍帯を得て術式等で凍結し、保管できれば尚良いのでは…という話になったところで、リアも納得した。
現在の問題点は、めぇるかいに行く人物と、出産立ち会い後の対応を受けてくれる人物の選考だ。どちらにしろ、テトラに断られないことが絶対条件となる。