足りていない知識で思考する
「これがテウルギア…」
リヒトは手渡されたテウルギアを眺め、関心があるのか無いのか読み取りづらい表情で呟いた。
金を帯びた十三角の鉱物は始め、ひんやり冷たい印象を与えたが、次の瞬間にはリヒトの熱を奪い、温くなる。不可思議な物質であった。
「テウルギア…って言うよりはゴエーテイアだな」
「ゴエーテイアって…ドワーフが作成したモノで質が良いモノのことだよな? 良いのか? 俺なんかが使っちゃって…」
リヒトの言葉に反応したアイの台詞に、更にリヒトが瞳を瞬きながら応える。その答えが意外だったのだろう、アイもまた瞳を瞬きながら首を傾げて言った。
「当たり前だろう? 親父はお前のために作ったんだから」
言ってから、彼は何かを思い出したのか「あ」と声を上げ、そして即座に言葉を続ける。
「もちろん、職人としての探究心もあると思うから、リヒトが気にする必要は全く無いからな」
「…うん、わかった」
リヒトは素直に頷くと、今度こそ愛おしそうにテウルギアを両手で包み込んだ。
リアがルートを経由してフロイドへ連絡し、そしてフロイドが応えて作り上げた代物。リヒトにとっては宝物も同然であった。
そして、リアは仲間を――旧知の人を連れてきてもくれた。彼女に感謝の気持ちと言葉が溢れる…しかし、件の女性はこの場には居ない。
またも、隣の別部屋でルートと話し込んでいた。
当初はアイとリヒトも交えて話そうとしていた様であったが、この後、テトラとの契約の件もあるため、その打ち合わせも兼ねるつもりらしい。
また、二人が話をしている間に、一度リヒトにテウルギアを装着して欲しいという話もあった。テウルギアの装着には多少の傷が発生し、体液が漏れる。感染の危険性が低いとはいえ、ルートの前では行いたくないとリヒトが懇願したからこその流れであった。
「じゃあ…着けてみるか。本当は胸とかが良いと思うんだけど、試しだから…腕が取れたっていう箇所の近くにしよう。エメムの浸食も多いだろうし」
リヒトからテウルギアを受け取ると、アイは彼の右腕――肘の辺りに消毒液として、高度数の酒を塗布し始める。
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リアは足りていない知識で必死になって考えていた。
エメムが赤血球等に含まれる酸素結合タンパク質に、また、金属(イオン?)に引かれ易いことは、アイとルートの話と、テウルギアという存在からも恐らく間違ってはいない。事実だと思われる。
そして、同じタンパク質であっても、ケラチンといった硬質タンパク質にはエメムは存在していない――もしくは存在できない。
もし、それらにも存在できるなら、アイの髪の毛、爪、垢などから感染する可能性があるが、それは過去から現在までに『無い』と彼に申告されている。
実際、彼は化物化していたコガネグモの糸を回収していた。後から聞いた話だと、紐としての用途は勿論、作成する楽器の弦に使用しているのだという。
もし、その糸にエメムが存在すれば、今頃、王都の音楽家たちは皆エメム感染者であるはずだ。しかし現状そうではない。
硬質タンパク質にエメムが存在できないということが事実ならば、エメムには一定の含水量が必要なのだろう。だからこその体液感染なのだ。
ただし、同じ体液でも毒液(もしかしたら消化液も)にもエメムは存在していないはずだ。存在していれば、アシダカグモに噛まれた王都の人々皆、感染していることになるからだ。アシダカグモの奇襲で、エメムに感染したのはリヒトだけだということになっている。
次に、リアが懸念していることは、テトラの能力でリヒトのエメムを『消す』という行為が、彼に及ぼす影響であった。
エメムが血液や細胞に置き換わっているであろうことは理解している。千切れた腕が元に戻る再生力や、アイが三十八万年以上も生き続けていられている事象が起きているからだ。逆に受け入れやすい。
問題は――それらを一気に『消す』ということ。
アイが考え、言っていたとおり、アイに『エメムよ死ね』と命じれば、彼は間違いなく肉体死するだろう。だが、それはリヒトだって同じかもしれない。
ヒトの赤血球が造られ、無くなるまでのサイクルは約百二十日。エメムに侵食されて崩壊が始まるまでの猶予期間と一致していることから、造血直後の赤血球と置換し始めるのでは無いかと、考えられている――
仮にこれが事実であり、彼には猶予があるとしても、完治しているリヒトの腕の細胞組織は、既にエメムに置き換わっている可能性が高い。その場合、彼は再び腕を無くすのだろうか。更に、赤血球等も置換分の量を失うのかもしれない。それは貧血で済まされる量の可能性は低い。
この時代に、輸血の概念は無いので、血液を抜き出して保管する術はない。否、少量なら可能かもしれないが、大量には無理だろう。そもそも己の血液型を調べる手段が無いのだ。
互いの血液を混ぜて凝集が発生するか確かめようにも、ABOだけではなくRhだってある。完全に把握するのは困難だ。当然、『私』の知識にもそれ以上のモノはない。
また、仮説から、造血直後の赤血球と置換し始めるのならば、エメムが一番寄生しやすい部位は造血幹細胞が多い骨髄であろうと推測される。
腸骨の他、胸骨も大量の骨髄があるため、アイのテウルギアが胸元に突き刺さっているのは、理に適っていた。
つまり、『エメムに死ね』と命じた場合、骨髄を破壊される可能性もある。
それを考えた時、リアの脳裏に浮かんだのは、正に骨髄移植だ。
骨髄液をリヒトに注入できれば、造血幹細胞が生着し血液を作り出すはずである。が、当然これもこの時代では不可能である。ヒト白血球型抗原が適合しなければ、拒絶反応が起きる上、ヒト白血球型抗原は適合する人間は、非血縁者であれば数百から数万分の一の確率だ。
どちらにしろ、輸血の概念が無い自体、無謀な行為だ。
リヒトの身体とテウルギアを信じ、テトラの言葉にかけるしかない現状。
いくつか保険を掛けておきたいのに、リアが考えたことはどれもこの世界での実現が難しい。
彼女は頭を抱えた。
ルートもリアの様子に、かける言葉を失っている。
始めはそれなりに助言していたが、彼女から不意にでる単語と知識が彼の中には無く、合致させることも困難であった。アイとの会話でもここまで置き去りにされたことはない。
ふと、リアは頭から手を離すとその両掌を見つめ、自分の身体を見直していた。
そう、彼女の身体は異質だ。
ルーアハに世界の概念が宿っているからといって、肉体に影響が出るとはどういうことなのだ。
傷口は塞がるし、火傷は跡すら残っていない。
ルーアハは、肉体が『修復不可能』と判断した時に離れる存在だ。矛盾している。
一体何が肉体を修復しているのか……
『世界の概念』が宿っているから。
―――至極単純な結論であった。
世界の概念にかかわるモノは長命で、病気も怪我も自然治癒すると、シーナが言っていたことだ。
恐らく世界の概念が宿った時点で、リアは一つの『世界』になっている。その身体を破壊してしまうことは、世界の『概念』にとって、概念自体が矛盾となってしまう。それを避けているのだろう。
人間の構造など、簡単に塗り替えようとするわけだ。
今、存在を確認できている『世界の概念』は、『天界の盗火』と『智慧の樹の実』だが、どちらも今居る他人に譲ることはできない。
『天界の盗火』は死後誕生時に宿り、『智慧の樹の実』は、遺伝させ、後世に受け継ぐしかない。
そこまで考えると、母となる女性の肉体は神秘的なモノだと思ってしまう。
我が子を胎内に寄生させ、育てているようなものだ。血液は共有するし、母と子の血液型が異なっていることだってある。
元ヒトである獣人は、種族の異なる獣人同士、獣人とヒトまたは異人との交配が可能であるが、その場合、子は母方の獣人に寄ると言われるのも納得できてしまう。
……
「臍帯血…」
「突然何だ? リア」
「……臍帯血ならHLAがすべて一致しなくても…。移植も静脈注射で済む。もちろん、HLA検査――血清型とDNA型を座まで調べることはできない。骨髄液も同じだけれどそのまま使えるわけではない…無理やり移植しても失敗する。でもそこは…否、テトラ様がそこまで協力するか…でも一番の問題は臍帯を手にいれる手段…」
ルートの言葉に反応せず、リアは口許に手を当てつつひたすら呟いていた。思い付いたこと、覚えていることを、言語化して口から耳へ伝えないと忘れてしまうからだ。
「私…じゃ今から妊娠しても遅い。王都は人口が多いとはいえ、そんなドンピシャ……ウェイストの人たちには居なかったし、アイさんに『共感』して探してもらう? いや、そこまでプライバシー侵害はできないしさせられない」
「妊娠って…お前さん…」
さらりと爆弾発言をしたリアを、思わずルートは突っ込んでしまう。テオスの耳には絶対に入れられない案件だ。
だが、リアは自分が妊娠して臍帯血を得てもあまりリヒトのためにはならないと分かっていた。それは他人でも同じだ。
例え、造血幹細胞の移植が成功して造血が行われても、時間がかかる。一気に失った血液等を補うには足りないのだ。ただでさえ、臍帯血は量が少ない。故に『私』の時代でも移植対象は身体の小さい幼児、児童が多かった。
そう、だがそれは普通のヒトの話だ。
「獣人の臍帯血なら、その造血幹細胞自体に強い再生力があるはず……、拒絶反応が少なくすむ可能性が高い臍帯血を移植できれば、リヒトの血肉になる可能性が高い…」
獣人は皆、肉体に『智慧の樹の実』が宿っている。先程までは遺伝しかないと判断していたが、『移植』なら話は別だ。異なる遺伝子が体内に入り込む余地がある。
「……でもやっぱり問題は山積み…獣人を宿している妊婦を、しかも出産間近の女性をどうやって見つける? 妊娠期間は? 今まで妊娠時に血液型不適合妊娠みたいに母子間で問題が起きていないか―――」
「よくわからんが、組合に依頼を出せば情報は得られると思うぞ」
リアの独り言に応えた声、その声色にリアはようやく意識を取り戻す。彼女は顔を真っ蒼にしながら音源の方へ首を回した。
退屈そうな顔をしたテトラが、腕を組ながら立っていた。その立ち方は王族――というよりは、軍の指揮官の様である。彼女の後ろにテオスが立っていたからこそ連想したのかもしれない。
「テトラ様?! と、テオス様!? いつからそこに!」
「少し前だ。『獣人のサイタイケツなら~』ってあたり。しかし、ルート、お前相変わらずこの湿っぽい場所が好きなのだな」
リアの言葉に端的に応えると、テトラはルートへ矛先を変える。この好奇心という矛は、権力を持っている人間に振るわれると困るのは一般人だ。
「オレたちもさっきから待ってるんだけど」
テオスの後ろから更にアイが顔を出す。その笑顔の奥には心配そうな別の顔も。
「リヒト!!」
思わずリアがその名を叫び、アイの後ろに隠れていた彼へと駆け寄った。その身体を抱きしめたい衝動に駆られるが、それは自重せねばと寸出で止まる。
リヒトは驚嘆しているが、具合は良さそうに見えた。
もう少し彼の身体を確認しようと思ってリアが視線を反らしたところ、意外にもリヒトの方からリアへと触れてきた。
今までずっと鎖に繋ぎ、動かすことのなかった右手が彼女の肩に落とされる。
彼の右腕は肘から離れたモノであったはずだ。そのためリアは直ぐに気がつくことができた。服越しに隆起した塊が薄っすらと見える。テウルギアを試着した場所は至極当然であった。
「痛みは?」
「ちょっとだけ。関節付近に着けるのはお勧めできない感じ」
リアの質問にリヒトは苦笑しながら答えた。その笑顔からは喜びと同時に戸惑いも感じられる。直ぐに読み取ったアイが、二人の間に入ってきた。
「やっぱり胸の方が良いかもな。親父…えっと、一番目の親父は他にも、腰とか背中も勧めてたけど」
「え…いや、フロイドさんやアイに点検してもらう時に、毎回そこまで脱ぐのはちょっと…」
アイの助言に戸惑うリヒトにリアは思わず笑ってしまう。彼らはリアが知らない間に随分仲が良くなったものだ。しかし、腰と背中か――理に適っている位置だとリアは思う。
「私も破壊する時に、男の腰までは見たくないな」
三人の会話に突如、テトラが入り込んできた。ご相伴に預かろうと、テオスも傍まで寄ってきていたのが、リアとアイにも分かり、少し彼が可愛く見えたのだろう、二人とも笑った。