質疑応答
アイが部屋を出るのと入れ違いに、ダリアがティーセットを持って入ってきた。カップの数はアイの分も含まれていたが、使われることはない。
ダリアは初めに注いだカップをテトラに渡すと、少し時間を置いてから、再びティーポットからカップへ紅茶を注ぐ。見事な色濃さになっている紅茶を確認したリアへ、ダリアは謝罪をしながらカップを渡した。
「すみません、本来なら貴女に先に渡すべきですのに…あの上司はあれでも紅茶に煩くて」
相手が王女であるため気にしていなかったリアであったが、ダリアの言葉を聞き、違ったのだと理解する。彼女にとってテトラは上司で、リアは客人であるという認識であった。
ティーポットにだって限りはある。それらを片付ける業務員も。
…濃い紅茶を望んだのは己だ。彼女は悪くなかった。
「いえ、嬉しいです。お気遣いありがとうございます」
リアの返事と微笑みに、ダリアも安堵の笑みを見せる。彼女を改めて見るが、美しい女性だとリアは思った。
金の短髪に色白の肌、青い瞳は黒縁の眼鏡に守られている。細身の体は、着ている正装が黒いためにその様に見えるのだろうか。
「ダリア、熱いぞ」
「…術式でぬるくすれば良いでしょう」
テトラの愚痴に、ダリアが目を光らせて応えた。
ダリアは更に茶菓子を置くと、部屋から出ていってしまった。淹れてもらった紅茶は美味しく、直接伝えたかったと、リアは飲みながら後悔する。その時であった。
「それで、ライオネはテオスのことをどう思っているのだ?」
「……」
口に含んでいた紅茶を吐き出さなかった自分を誉めてあげたい。リアはゆっくりと嚥下すると、カップを置いてからテトラに向き直った。
「質問と回答を交互にできるなら、お答えしますが」
「良いぞ? 実に私好みだ」
「……テオス様には感謝と尊敬の念を抱いております」
「無難な回答だな」
テトラは感想を告げただけだ。リアとの約束を守ってくれているのだろう。安心して質問をする。
「テオス様は私のことを何と言っているのですか…」
「添い遂げたい女性が現れた、と」
「は?」
思わず質問をする重ねそうになってリアは焦燥する。テトラは愉快なのだろう、笑いながら次の質問をしてきた。
「ライオネの好みの男はどの様な者なのだ?」
普通に考えても難しい質問だとリアは思う。少なくとも前世は男にも女にも棄てられて愛されない身であった。正直、この様な『私』を愛してくれるなら、多くを求めない。自らが相手に何かを求めるのは贅沢だ。
「……リアと家族になってくれる人なら誰でも」
少し考えて得た自分への回答でもあった。そうだ、この人生はリアのモノだ。彼女を幸せにしてくれるなら『私』はそれで良い。
「なるほど、テオスにも機会はありそうだな」
テトラは恐らく揶揄して、または弟に倣ってリアを『ライオネ』と呼んでいる。
一人称目的格ではなく名前を言っても、『私はライオネではない』という主張にしか聞こえていないのだろう。――否、そこまで考えてからリアは失念していることに気がついた。
デイジーと同じく、相手の名前も知ることができるのは、『リア・リオネ』『マコト・アイヤマ』と分かっている時点で明白だ。つまり彼女は、『私』の名前もわかっていると考えて良い。そもそも、『知る範囲』は本当に名前だけなのか。支配するには、相手を知らなければ命令しようがない。
「テトラ様の力でまだ言っていないことはありますか」
「たくさんあるぞ。だが、全部は言えぬな、面倒だし、無意味で無価値だ。必要な時に教えよう」
テトラの当たり障りのない回答に、リアは口を噤むしかない。だが、彼女も察してくれたのだろう。次に続く言葉は初めてテオスには関係ないことであった。
「それで…私の力の一つだが、相手の名前に確信を得た場合、相手の半分くらいの情報を得ることができる。お前は転生している様だが、前世の名前に私は確信を得ていないため、お前の前世は理解できない。同じく『リア・リオネ』も理解はできていない。何故ならお前は『リア・リオネ』そのモノではないからだ」
つまり、テトラはリアが転生者であり、『私』の精神が勝っていることを理解はできているが、世界の概念『天界の盗火』の化身であるとは察せてはいない…ということになる。
協力者…否、共同者として明かすのは吝かでは無いが、周知の事実にはされたくないので悩む。
「が、アイはそれに限らない。あの男は恐ろしいな…またも世界が滅びるかも知れぬ。常識という面でな。おっと、雑談が長くなった。
それで何が知りたいかというと、お前はアイをどう思っているのだ?」
『恐ろしい』とは実に的を射た表現である。
少なくとも当初はリアも思っていた。しかし、リアの中にある感情は現在異なる。
彼を本名で呼んだあの時の表情と反応に、この恐怖は期待の現れでもあるのだと、そして、不変な存在を失った時の失望を恐れているのだと気がつかされた。『私』もリアも、親になったことは無いが、飼い主になったことはある。
「……支えてあげたいとは思っています」
アイは闘える、自身を護れる、傷を癒せる、手に職ももっており、家族も居て、町の人々に愛されている。彼は完全人間であるが、しかし完璧ではない。『名前』で動揺(振動)する程の小さな入れ物なのだ。だから、転がらないように支えるくらいはしてあげたい。
唯一残った『私』の痕跡でもある。
「ふむ、強敵あらわると言ったところか」
「……テトラ様は『情報を得る』と言われました。…では、旧世界が滅亡した原因等は得られているのでしょうか」
アイの話題になり、リアは最も知りたいことを思い出した。同時に、テトラならば知り得るのではないかということにも気が付く。
しかし、彼女の表情は余り変わらなかった。調子が同じだ。という表現の方が正しい。
「変わったことを聞くのだな。旧世界のことを気にかけるヒトは稀だ。研究、調査を好む者も皆無。ルートもそうだが、変人扱いされるぞ?」
「好奇心は猫を殺す…と言いますものね」
「? 言うのか?」
言ってから、現世界では言わなかったのかとリアは気が付く。そう言えば『ことわざ』はアイとの会話でしか通じたことがなかった。失態であったが、ここはルールを破ったテトラを責めることで誤魔化すべきだろう。
「それよりもテトラ様、お答えを」
「……そうだな、悪かった。結論から言うと旧世界が滅んだ『原因』は未だ分からない、だ。
確かに『情報を得る』ことはできるが、それは私の常識と理解の範囲に限られる。例を上げるとすれば…そうだな、母が死んだ時、私は『死ぬ』とはどういうことだろうと考えた。でも理解できなかった。母の死の原因も分からない。それだけ彼女の『死』は美しかった。異人たちが持ち込んだ叡智で、人間は『肉体』『器室』『魂』『精神』『ルーアハ』で構成されており、『肉体の修復が不可能だと判断したルーアハが、肉体を離れることで死ぬ』いうことも知っている。ならば、尚更、『ルーアハよ戻れ』と命じれば、生き返ると考えるだろう。母の肉体は修復すら必要ないように思えた。しかし、母は生き返らなかった。私が旅立とうと思った切欠の一つだな」
「…異人たちが持ち込んだ…」
「当然だろう? 滅んだ旧世界はヒトの世界だ。対して異人たちの世界は健在だ。その世界から知識と技術を得たからこその現世界だ」
先程ルールを破ったサービスなのだろう。テトラはリアの呟きにも答えてくれた。
だが、それで疑問に思っていたことを納得する。
旧世界で既に存在していた知識を『私』が知らなかったのは、その考えが『異人』たちのモノであったから。
そして、現世界の世界観が旧世界の中世欧州に近いのも、『異人』たちの知識と技術を取り入れたから。恐らく、旧世界のヒトと『異人』が、最も交流した時代がこの頃だったのだろう。実際、物語で語られる彼らはその時代が多い。現世界は逆輸入したわけだ。当然、日本という国は復活しようも無いだろう。
世界というよりも社会か…―― 今までの違和感が少しだけリアの中で解消された。
「さて、さっきも言ったが、私は『死』を完全に理解できていない。先程、胎児だけを殺せると言ったが、もし命ずるなら『心臓の鼓動を停止せよ』となるだろう。私はそれを『死』の一つと思っているからだ」
テトラの考えは間違ってはいない。心停止はやがて死へと繋がる。つまり、彼女は『即死』はできないということだ。
「よって、エメムを殺せる可能性はあるが、エメムを理解できなければそれも無理だ。その点を知りたい」
意外な質問であった。テトラが興味本意や利益のため、リアたちの願いを聞き入れたのではないと、明確に示していたからだ。
できなければ、はい、終了ではない。
彼女の言葉には『できたい』という意思がある。
また、アイのことを半分程度理解しているはずだが、テウルギアについては曖昧なのだろうということが確信する。もしかしたら、アイの情報量の多さに『恐ろしい』いう判断を下したのかもしれない。
「テウルギアを身に付ければ、エメムが体内から排出され、結晶化します。まずはソレを破壊していただくのが良いかと」
「ふむ…ソレに名称を付けて『壊れろ』と命じ、続けて行けば良いのか。命令の継続は組合の職員で確認済みだからな…可能だろう」
納得したテトラが、自信に溢れた態度に戻る。実行可能であることと、今まで未知であったものが解せることが嬉しいようだ。
「……私からは最後の質問になります。化物退治の依頼は多いのでしょうか」
テオスに仕事の話を聞いた時に、リアははっきりと断っていた。その理由は先にも主張した通りだ。敢えて恐怖の対象に飛び込む程、善人でも愚人でもない。
「知らずに引き受けるとはな…。確かに数は多いが、冒険者が生業にしている分野だ。残数は少ない方だろう。ただし、術式や法式を使わないと退治しきれないモノ程残っているのが現状で、虫と植物の化物がほとんどだ。ライオネが嫌う『クモ』のうち、網を張る種類と先に上げた植物は、移動が少ないからと放置も多い。それらを受け持ってもらえるのは、組合としては大助かりだ」
テトラが苦笑しながら告げたことは、リアの決意を揺るがさんとする恐怖であった。寄りにも寄って大嫌いな『クモ』が残っている。造網性クモは、先日独りで挑み散々な結果であったため、尚更であった。思い出しただけで、完治している首元が痛くなる。
「善処します…」
「本当にクモが嫌いなのだな、ライオネは」
「嫌い…でもあるのですが、一番は恐怖の対象ですね」
「恐怖か。そうだな、私も最後の質問にしよう」
初めに問いかけてきたのはテトラの方であったが、仕方ないか、とリアも諦める。彼女が何を聞きたいのか耳を傾けていたところ、質問内容はまたも意外なものであった。
「ライオネ、そなたはこの世界のことや旧世界のことを知りたいという変わり者だ。異人――エルフの長に会う気はあるか?」
「エルフの長…?」
「ああ、異人の中でもエルフの寿命は底知れぬのは知っているだろう。アイもあれで存外長命だが、現エルフの長はそれを遥かに凌ぐ。彼女は七百万年以上生きているらしい」
七百万年以上前となると、猿人誕生よりも前である。アイが生きてきた年数でも驚愕であったが、そのエルフの数字は驚異に値する。途方もない数字にリアは無言になりかけた。
「え…あ、でもその方は、意識等はっきりされているのですか?」
「ああ、問題ない。外見は二十代のヒトであるし、会話をする限りは内面も変わりないだろう…。」
内容が提案に変わったテトラの質問に、リアは身を乗り出す。
願ってもないことであった。
同時に、なぜ彼女がこのようなことを言い出したのか疑問が尽きない。質問を最後にすると言っておいて、溢れが止まらなくなったリアは、テトラをずるいとさえ思う。
リアの様子に気がついたのだろう、テトラは言葉を続けてくれた。
「ライオネは『知らないこと』に対して『恐怖』を抱くのだろう? 『恐怖』という存在は、精神を圧迫する。それは短命に繋がると私は捉えている。ならば、『情報』を提供しない手は無いだろう。今後、私たちのためにもライオネには長命であって欲しいからな」
なるほど、とリアは納得する。
彼女の考えは『私』の時代の『ストレス反応』のことを意味している。
医学が発展していないこの世界の人々に浸透はしていないので、テトラは独自に発見したことになる。『天界の盗火』の化身は精神衰弱が激しく、短命が多いのは周知の事実であったが、当然すべての人間に当てはまることだ。一瞬、リアが『天界の盗火』であることが露顕したのかと思ったが、その線は薄いだろう。
「それで? 回答は?」
「あ…はい、可能でしたら是非」
「ははは、低姿勢だな。ふむ、了解した。そちらも手続きしておこう。時間はかかると思うがその点は許してくれ」
その後しばらく無言が続き、茶菓子を食べるなどしていた二人であったが、先のダリアから「日が暮れる前に」と帰宅を促されたため、リアは組合の腕自慢に付き添われながら馴染みの宿屋へ帰っていった。