久しぶり
デイジーに挨拶をした後、リアとアイはテトラの後を付いて行った。全く歩みを止めない彼女に、失礼かとも思ったが、その背中にリアは声をかける。
「テトラ…様、勤務中、私たちはご迷惑では…?」
「突然乗り込んできた者が何を言う。まあ、今日は非番だ、先も出先から帰ってきたところでな。組合の出入口は一つしか設けてないので遭遇した次第だ。出口は何処でも良いんだが、入るのはそうもいかん」
背中を向けたまま答えるテトラとその内容に、リアは(物騒なお姫様だな…)と心の中で呟く。
「そうか? あんたの力なら、あちこちに入口作れるんじゃないかと思うんだけど」
「人間も同じだが、開くよりも閉じることの方が困難なこともあるのだよ、マコト」
「オレは名乗ってない。『アイ』と呼んでくれ」
「アイ? なるほど、『アイヤマ』からか、了解した」
アイがぶっきらぼうに応えている。そう普段は愛想が良く、人当たりが良い彼の機嫌が頗る悪い。
盗賊と呼ばれたことに腹を立てているのだろうかとリアは思ったが、それならばアイも悪い。
彼の能力の『共感』にリアは救われた身だが、やはり余り誉められる能力では無いだろう。勿論、彼は悪戯目的で行ってはいない。
リアのせいだ。
彼女のために行い、それを止めなかったのだから、リアも同罪である。
「すみません、アイさん」
「…へ?」
どのような言葉をかければ良いかリアは分からず、謝罪するしかなかった。突然の謝罪に当然アイは首を傾げる。彼には内容も理由も分からないからだ。
「いえ、アイさんの機嫌が悪い原因は私だと思ったので…」
「え! あ、いやその……ちがうん…だけど」
リアの答えにアイがしどろもどろになりながら呟いた。どう言えば良いのか分からないらしい。むしろ、リアに指摘されてから自分の機嫌が悪かったことに気がついたようであった。
ふと、目前を歩いていたテトラが停止し、振り返った。その隣には木彫りで飾られた扉がある。
「散らかっていてな。片付けるので少し此処で待て」
テトラの指示に「はい」とリアが応えると、彼女は扉を開けて入っていく。ご丁寧に鍵までかけられたので、このまま放置されるのではないかとリアは一抹の不安を抱いた。その時であった。
「リア、オレのこと呼んでくれないか」
「ん?」
リアを見つめながらアイが呟く。眉を傾けながらもリアはいつものとおり彼を呼んだ。
「アイさん」
アイは首を横に振ると「テトラが言ったみたいに本名で」と告げる。突然、何故?とリアが思うより早く、アイは続けて懇願した。
「あんな呼び方じゃなくて…日本人の日本語でオレの名前を呼んで欲しいんだ」
ああ、コレが原因だったのか、とリアは納得する。
両親から貰い、唯一彼に残っている宝物を、彼は汚された気分になっていたのだ。
相手に名乗ってはいない。その上、相手は読み上げただけだ。それは宝箱の鍵を勝手に奪われ、中身を晒された行為に等しい。
――テトラは言った。『開くよりも閉じることの方が困難なこともある』と。
自分が呼んだくらいで、『閉じる』とは思えなかったが、リアは彼の望みを叶えることにした。
「……鏡人」
敢えて呼び捨てにする。
だからであろうか、アイは両眼を見開き静止した。
図々しかったかとリアは思ったが、アイの表情が嬉しそうな柔らかいモノへと変化したので安堵する。
覗き込むような格好のリアに気がつき、アイは慌てて顔を反らすが、真っ赤な耳がよく見えた。
「…あ、ありがと… 久しぶりで……嬉しかった…」
それは母親だろうか、とリアは悟る。前世の年齢と現世の年齢を足せば、『私』は充分親の年齢だろう。
後から聞いたことだが、彼は養父たちにも『アイ』と呼ばせていたらしい。
『アイ』の方が発音し易いことも理由であったが、やはり『宝物』は自分の中で大切にし、そして自分の責任で護りたいと思っているようだ。
――――
「待たせたな、入れ」
扉を開けたテトラが身を乗りだしながら言った。その言葉にリアとアイが従って入る。中はリアが想像したよりも広い部屋であった。窓は無く、中央には円卓が一卓、その周りに七脚の椅子が設置されている。
壁、絨毯、家具等は全て質素なモノであり、王族であることは微塵も感じさせなかった。だが、その机に率先して座った女性の気品さは、隠匿しようがない御姿。
「座れ」と着席を促され、リアとアイは席に着いた。
「それで、お前たちは私に何用で来た?」
「強盗ではありません」
「あははははっ! 安心しろ、真に受けてはいない。最もこの部屋に金目のモノは無いがな」
どこまでが本気か分からないテトラにリアはたじろぐしかない。反して『開かれた』アイは冷静だった。
「あんたの力を貸して欲しいんだ」
「私の? どれだ?」
アイの言葉に、意外にもテトラは真面目に答えてくれた。確かに彼女には三つの顔がある。王太女であり、総合組合統括であり、近誓者だ。どの力も壮大且つ脅威であり、勿論、そのうち一つは既に無いと彼女は思っている。
「『名前を支配する』力だ。あんたの力で消して欲しいモノがある」
近誓者という名称と肩書きはアイしか知らないモノであるため、彼は分かりやすく話してくれた。彼の積極的な行動に感謝しつつも、少し驚いているリアは遅れながらも同意だと示すために頷く。
テトラはというと怪訝な顔を隠さない。当然だ。彼は真実を話しているが曖昧に伝えている。『何』を消すか――物体に限らない。生命だって『消す』で通用する。
「なんだ? 妬ましい人間でも殺して欲しいのか?」
「もう皆、居りません」
話になら無いという意思表示として、テトラが揶揄で返したところ、答えたのはリアであった。
これも真実だ。『私』が怨んだ人は世界と共にとうに滅んだ。リアも同じだろう。彼女は実父が畏怖であった。
「居ない。ときたか、テオスは恐ろしい女に惚れ込んだものだ」
「エメムに感染しているヒトが居ることはご存じですか?」
苦笑したテトラに対し、間髪入れずにリアは続ける。その言葉は笑い声を止めるのに充分な威力であった。
「……知っている。城の地下に居るとな。城の奴らは甘い。何度王都が化物に襲われたことか。それをあろうことか中で匿うのだからな」
「貴女なら、感染者のエメムを殺せるのでは無いかと思ったのです」
「!」
テトラは初めて動じた態度を見せる。
自身の顔を手で覆い暫く沈黙したあと、小さな声で呟いた。
「確かに早い段階ならば可能だろうな。考えたことなどなかったが…母体を傷つけず、母胎の胎児を殺すようなモノだ」
「聞こえなくてもか?」
「お前、物体に耳がある思うか?」
アイの質問にテトラが質問で返す。そうだ、物体も支配できるだろうと考えたアイですら失念していた言を俟たないことだ。
「お前らが勘違いしていることを二つ教えてやる。私の力は『名前の支配』――つまり絶対命令だ。私の発した言葉に意味がある。そして『名前』は私が別に『名付ける』ことができるモノだ。その上で『支配』する。例えばこの組合の職員に、私が個別で付けた名の元に『何か不審な動きをすれば罰す、三日間お前は嫌いな食物しか食せない』いった命令を与えるわけだ」
可愛い罰だな、とリアは思ったが、彼女がその様な軽い命令をしているとは限らないことを表情が語っていた。そもそも『妬ましい人間でも殺して欲しいのか?』と開口一番に尋ねられているのだ。
「物体も…そうだな、見せた方が早いな」