傷口
リアが追及しようと思った言葉は、しかし、アイに遮られてしまう。
「あ、そうだ。傷、ちゃんと手当てしないとな。見せてくれ」
「え? …い、いえ、もう血は止まってますから!」
現在リアは、アイから貰った布をスカーフの様に首に巻いて結び、傷を被って隠している。
答えた通り、出血は止まっている上、恐らく傷も――治りつつあるだろう。流石にこの短時間の早期治癒を見られるわけにはいかない。
彼女は痛くないことを示すかのように、首を一生懸命に振った。
「いや、でも膿んだら不味いし…深さによっては縫う必要だって…」
「クモの唾液は殺菌力があり、その唾液で身を常に清めています。菌によって膿むことはほぼないと思って良いかと! あと、傷は深くないです!」
「いや、でも小さい状態のクモだって咬まれれば腫れることもあるのに」
「もし事実なら、とうの昔に腫れ上がって私の顔が変形するほどになってる筈です!」
必死に否定し、傷を見せることを嫌がるリアに、アイは怪訝な顔をする。
しかし、よく考えずとも、初対面の男に肌を晒せというのは、思春期の女子には酷な話だとでも思ったのだろう。仕方ないと、アイは溜め息を吐いた。
そして店の奥へ行くと、水が張られた器と布、陶器でできた小瓶を持ってきて彼女の前に置いた。
「オレはちょっと席を外すから、その間に傷口を洗って、瓶の中の薬を傷口に塗って待っててくれ」
「え…」
「氷、持ってくるから」
「氷…があるんですか?」
「この森の少し奥に鍾乳洞があるんだ。そこを氷室の代わりにして冬の氷雪を保管してる。確かに腫れは少ないみたいだけど、これから腫れ上がる可能性もあるからさ」
アイは告げると、更に店の奥へと向かった。リアは不思議に思っていたが、やがて扉を開閉する音が響いたため、店の奥にも外へ繋がる扉があったのだと理解する。恐らく裏口の方が件の鍾乳洞に近いのだろう。
彼が居なくなり、リアは安堵の溜め息を吐いた。
まさか、問い詰めようとしたところ、追い詰められることになるとは、笑うしかない。
アイが置いていった小瓶の中身を確認すると、草独特の匂いが漂う塗り薬であった。
恐らく、主成分はドクダミだろう。――薬草といえば、リヒトの実母イリスは変わりないだろうかと、ふとリアは思い出す。
身体が弱っている彼女に、リヒトの悲報は辛かったに違いない。彼女に朗報を伝えられればと思ったところで、本来の目的をリアは思い出す。
そう、アイの正体よりもテウルギアだ。
何を履き違えていると自分の頭を彼女は叩いて気合いを入れ直した。
まずは、アイが戻ってくる前に彼に言われたことをしなくてはいけない。
リアは首の布を外すと、用意された水に首の布を浸して絞り濡れ布巾にした。それを手に持ったまま、装飾具の商品が陳列されている棚の側に立て掛けてあった鏡まで歩み、覗き込む。
やはり傷はほとんど塞がっていた。
化膿している様子も、腫れている気配もない。ネコにでも引っ掻かれ、咬まれたのかと見間違える程だ。因みにシーナにその様なことを、リアはされたことが無いので、彼女の名誉のためにも告げておく。
傷口以外で付着している血液を濡れ布巾で拭って清潔に保つと、小瓶の薬を人差し指の腹に乗せ、ちょんちょんと傷口に乗せた。
少し滲みるが、爽快感をリアは覚える。
歯磨きの時に歯磨き粉を使用するのと同じ感覚、効いている気がするというアレだ。
直ぐに湿布の様に新しい布を当て、元の様に結び直す。
これでアイに言われたことは無事完了した。
彼も計算していたのだろうか、丁度裏口から戻ってきた音が室内に響いた。
「おまたせ」
そう言いながらアイが氷嚢を渡してくる。
前世で使用したゴムや布ではなく、革袋であった。そのためだろう、アイが「臭いが気になったらごめんな」と言ってきた。
リアは氷嚢を受けとると、布の上から患部に当てる。アイが言うほど臭いは気にならなかったが、思わぬその冷たさに跳び跳ねてしまう。
「とても冷たい…けど気持ち良いです」
自覚がないだけで、やはり微熱くらいはあったのだろうか。
率直な感想をリアが告げると、アイは嬉しそうに笑った。
しばらくの間、二人は無言であった。
リアは陳列棚の商品に釘付けであったし、アイも仕事があるのだろう、カウンター奥で彫刻刀を持ち、木材を削っている。
リアは特に装飾具を眺めていた。
テウルギアは装飾具であるとルートが言っていたからだ。
しかし、材質も形状も不明なソレがどれに当たるのか分からない。
とうとう諦めたリアがアイに訪ねようとしたところ、彼も察したのだろう。その手に彫刻刀は既に無く、彼女を見つめていた。