リヒトとシーナ2
自分だけ黙々と食事を摂ることに、リヒトが窮屈を感じるのは割と直ぐであった。
シーナを横目でチラリと確認しつつ、漸く意を決したのか声をかける。
「あのさ…シーナはごはん食べたのか?」
その言葉にシーナは首を傾げつつ、本日の食事の成果を思い出す。
飼い猫になってからの彼女は、基本、リアが出す餌の時間に縛られていた。勿論、彼女の知らぬところで、鳥やネズミ等をつまみ食いしている。
実は害虫は捕らえても食べてはいない。食べても問題はないのだが、流石に摂取量が多くなり過ぎる。彼女は害虫に関しては殺処分に努めていた。
リアが王都に来てからはその食事の時間が曖昧であったと認識する。よってシーナの答えは一つであった。
「……今日は、まだですね」
「じゃあ、一緒に食べないか? 流石の俺でもこの量は食べられないし」
リヒトの提案にシーナは怪訝な顔をする。つい先程告げたことを忘れている様では、この先不安しかないためだ。
そのことにリヒトは気付いたのだろう。彼は慌てて釈明を始めた。
「あ、ちげーんだ…いや、でも同じか…ここは地面じゃねーし…… なあ、今の姿でヒトの食事をするのはそんなに悪いことなのか?」
彼の言動と独り言で、シーナはリヒトが言いたいことを理解する。
獣の姿になれとのことだったのだろう。
だが、この場は地面の中とはいえ、直接晒された土は無い。
また、例え獣になれたとしても、リヒトに用意された食事では、ネコの彼女には味が濃すぎる代物だ。どちらにしろ摂取することは無い。
だからこそ、最後に彼は尋ねたのだ。
「…獣人の一般論から言えば問題ありません。半獣でも体内構造はヒトとほぼ等しいですから。ヒトの食事を食べたいからこそ、ヒトの道を歩む獣人もいます」
「シーナは違う…と?」
「ヒトの食物に憧れがないとは言いません」
「じゃあ」
まだ何か言いたげなシーナを遮り、リヒトがフォークを差し出す。彼女は不本意ながらもソレを受けとると、溜め息を吐きながら彼を眺めた。リヒトは嬉しいのか、皿を指差して「これはどうだ?」と告げる。
シーナが美味だと言った鶏の肉が、ボイルにされて皿に鎮座していた。側にはトマトソースが添えてあるがかけられてはいない。
「鶏肉だけなら大丈夫だろ? 調味料付けなくて良いからさ」
先程、シーナが告げた肉体構造の件も鶏が美味だと言ったことも嘘ではない。勿論、ソースがかかっていたとしても問題は無かっただろう。
もし問題があるとすれば、未消化で胃腸に残ったまま獣に戻ること。
以前、アシダカグモの奇襲で一気に毒が回った様に、代謝・消化が全く済んでいない状態で小型の獣に戻ることは命を危険に晒す行為だと身を持って彼女は知った。
シーナはフォークで鶏肉を刺すと、念のため、何も付けずに口に運ぶ。直ぐに咀嚼するが茹でられた肉には余り旨味を感じられず、パサパサとした感触だげが広がった。このまま飲み込むのも難しい。
―――美味しくはなかった。
「……」
「やっぱ付けるか?」
「…はい」
苦笑しつつリヒトが確認すると、シーナは不満気な様子で答えながらも、残っている鶏肉にフォークを差し、今度はソースを絡めて口に運ぶ。
鶏肉の繊維に染み込むソースが、旨味を感じなかった肉を引き立てた。
否、これはソースをメインに食べる料理なのだろう。肉を使っているだけで、染み込むのならば、恐らくパンでも良いのだ。
「美味しい…」
「味覚もヒト寄りなんだな」
シーナの率直な感想にリヒトが呟いた。
「その様です……道理で、ヒトと獣両方の生き方を選ぶ獣人には半獣で固定するモノが多いはずです」
生物は濃い味を知れば、味覚がソレに慣れ、ソレ未満の味に満足できなくなる。コレは中毒に近い。
「めぇるかいに居た頃は……こうではなかったのですが…」
「めぇるかい?」
シーナの突然の告白に、リヒトが首を傾げる。恐らく『場所』を指すのだろうが、彼には全く聞き覚えの無い単語であった。
失言だったのだろう、リヒトの様子にシーナは失敗したという顔をする。
「誰にも言うつもり無いけど…」
「…いえ、言っても辿り着けるモノは希でしょうから…リアにも少し話しましたし…」
フォークを置くとシーナはリヒトへ向き直った。そして真剣な表情で彼を見つめる。
リヒトはこの様な顔を以前にも見たなと、思い出す。
そう、リアだ。彼女が『生まれ変わりを信じるか』と尋ねてきた時だ。
「私たち獣人は生まれると直ぐ、獣人たちが住む集落へと移住します。その場所を私たち親子は『めぇるかい』と呼んでいました。『せりあん』『らい』『あんたいへるま』と呼ぶ人もいます。そこでは獣人の生体、生態を学ぶ他、自身の獣の生態とヒトの生態・歴史を学びます。最終的に獣、ヒト、またはどちらも生きるかを選択させるためです。その集落に居る時は、私には全ての感覚が平等でした。よって、とても今は不思議な気持ちです」
「そっか、ごめんな。俺が余計なことさせたから」
「ですが、私は幸福だと思います。めぇるかいに居た頃、とても辛そうにしている獣人たちを見かけたので」
リヒトの言葉にシーナは更に思い出したのか、語るのを止めない。
実のところ獣人は、異人以上に不明確な存在だ。彼らの歴史は長いのにヒトとの交流が無い――と言うよりも、獣人だと知らずに交流しているケースが殆どなのだ。
獣人が多くを語らないというのは言い訳で、結局、この世界のヒトが知りたいと思っていない。
だからこそ、彼女がその言葉を止めないのならばリヒトは聞こうと思った。
「その人たちは『ヒトモドキ』と揶揄されていました。獣の毛皮を身に着けなければ、自身の司る獣に变化できなかったのです。半獣という形態にもなれませんでした。それでもその人たちの多くは――ヒトよりも獣で有りたかった…」
「一度、獣化したら戻る必要は無いんじゃないのか?」
「その通り…と言いたいところですが、それは不可能に近いです。私も結果、この姿ですし… もし子を成したら、一度獣を止め、めぇるかいへ連れて行く方が良い。これは獣人の義務であり、歴史であり、規律です。また、毛皮が常時必要となると、その維持、管理も大変でしょう。…ですが、彼らは故に、何よりも誇り高く美しい―――私は尊敬していました」
なかなか難しい社会なのだとリヒトは思う。
だからこそ、シーナへの負担が彼には気がかりであった。
自分がリアを王都へ連れていかなければ、彼女は今でもネコとして幸せに暮らしていたいのかもしれない。そう考えると胸が痛む。
「…ごめんな…」
「気にしないでください。この後、たくさん宿屋のネズミを捕食しますから」
「いや、そっちじゃなくて…」
リヒトの謝罪に、シーナはケロリと言葉を返す。その様子にシーナは首を傾げるが、彼女にはリヒトの本意が分かることは無いだろう。価値観の違いは、埋められたり、変えられたりするものではないためだ。
「貴方が何に負い目を感じているのか、私には理解できません。ですが、私は後悔のないように生きているつもりです。だからこそ、貴方にもそうあって欲しい」
彼女の言葉は、今までで一番、リヒトの胸に刺さった。
そう、彼は後悔していない。
リアと出会ったこと、リアと王都に着たこと、化物と戦ったこと、腕を失ったこと、エメムに感染したこと、夢を失ったこと。
どれか一つでも無かったことにしてしまえば、今の自分の存在を否定する。
今の自分を救おうとしてくれている、リアやルート、シーナを否定することになる。
「ああ、そのつもりだ」
残った料理を手に掛けながら、リヒトは再び決意して言った。