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節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目クモ亜目コガネグモ科コガネグモ属

 クモを斃すということに対して、『私』は罪悪感と哀憐は持ち合わせてはいない。むしろクモには絶滅して欲しいと思っている程だ。

 『私』にあるのは、そう、自ら『命あるモノを殺める』という嫌悪感と、クモに復讐されるかもしれないという恐怖心だけだ。

 今まではリヒトとシーナ、テオスが居た。

 彼らは他者を護るために、率先して化物を殺めてくれていた。

 リアが行ったのは指示と囮と、突発的衝動のあの一度の殺戮だけ。そう考えると、炎は間接的な武器で、実に『私』とリアには相応しい。

 だが、現在は独り。

 目前の驚異は自分の責任において、自ら処理しなければならない。その上――


(炎は……難しいな。此処は森だ…)


 開けた道や土地ではない。

 火を放てばどうなるかわからない。青い炎を生み出し、一瞬で蒸発させることが今のリアにできるかもわからなかった。

 ザトウムシの時の様な手法も、リア一人では行えない作業だ。


 リアは背負っていた背嚢を足元に下ろすと、腰に付けている矢筒から、折り畳みの弓を取り出し、そっと展開する。

 持っている矢の数は先に確認した通り多くはない。今になって矢筒とは別に弓用の鞘を用意しておけば良かったかと、若干後悔していた。

 実際に弓矢で化物を退治している様子を見たのは、王都の弓兵たちだ。アシダカグモの時、彼らは火矢を用いていたが、リアに同じ事はできない。

 彼女は、自分が火元であるがゆえに、着火剤と成り得る油を持ってきていなかった。紙など燃えるモノはあるが、それだけに火を点け、矢を放ったところで、目標に到達する時には矢風で消火されているだろう。

 他に毒矢を使う方法もあるだろうが、生憎、リアにも『私』にも毒の知識は無い。

 ただの平民である彼女が手に入れられる毒といえば、植物毒の『トリカブト』、『ドクゼリ』等だろうか。リアは薬草摘みの経験はあるが、それらの毒草を手にし、認識したことは無かったし、『私』も実物を登山で見た経験はあっても、毒として扱ったことは無い。

 この世界で共通する植物は多いので、おそらく存在しているだろうが、果たして化物化している生物、しかもクモに通用するかは全く検討もつかなかった。

 よって、リアが用意したモノは別である。当然、動物毒でもない。

 彼女が用意したものは『珪藻土』であった。

 矢筒の中には珪藻土の粉末がそのまま大量に入っており、矢はその粉に塗れている。勿論、珪藻土は芸術矮星から購入したモノだ。


 珪藻土は『私』がクモの忌避や殺処分を調べていた時に、ミント等と一緒に挙げられていた忌避剤の一つである。吸水性が有名である通り、積もった埃のように薄く均等に頒布すると、その上を歩行したヤツラの足を奪い、徐々に脱水させ、最期には死へ到らしめるとのことであった。

 つまり、毒というわけではない。

 そして、矢を使って放ったところで効力が無いのは明白である。

 珪藻土塗れの矢とは、リアにとっての『まじない』に近いものであった。

 本当ならばクモの毒に成り得る『塩』を用いたかったが、矢は鉄で出来ているため、それはできない。少なくとも矢筒の中にそのまま入れて長期間放置すれば、確実に矢は錆びて腐食して、壊れてしまう。

 そうでなくても矢は消耗品だ。リアはなるべく回収したいと思っているが、矢を当てた先が生物であるならば、『体液』による腐食は免れない。その上で塩に晒すなど馬鹿がすることになってしまう。その点でも珪藻土は理に適っていると思っていた。


 リアは木陰に身を隠しながら、矢を番えコガネグモを狙う準備をする。

 ほぼ垂直に張られた網の上に居るコガネグモは、派手な色であると認識できた通り、独特な模様の大きな腹部が丁度、リアの方を向いている。つまり、矢を放つ側に網はない。

 網の隙間を潜って標的を狙わなくて済むため、命中率が悪いことに対する心配は減ったが、同時に脳、または書肺を狙えないことに落胆した。

 脳は頭胸部の腹側にあるので、殺傷力が高くない矢でも、ゾンビ映画のごとく斃せるのではと思われる。

 また、書肺や書肺器門を傷付けることができるならば、クモを窒息死させることができるのでないかとも考えていた。クモは他の虫と違い、呼吸器官が発達していないからだ。徘徊性のクモなら常に腹側を地面へ向けているため、狙うことは出来ないが、造網性で地面から垂直に網を張り、網に鎮座するクモならばそれも可能だ。

 勿論、背中側に弱点が無いわけではない。クモの心臓はとても大きく、腹の内部の背中側を縦に長く覆っており、大動脈のような形らしい。

 つまり、腹部の縦を背中側から傷付ければ、出血死する可能性もあるのだ。腹部ならば的としても大きい。


(狙うは――腹部の中央縦一列……)


 長時間弦を引くと、軋む音が響いてしまうこの弓の特性から、クモに些細なことでも気づかれないよう、リアは息を止めると直ぐ、矢を放った。

 矢はコガネグモの腹部へ真っ直ぐ進むが、既の所で失速して落ちてしまう。矢が深く刺さり過ぎた場合、回収が難しいため――そもそも死体でもクモに近づくのは怖いが――力加減を誤ったらしい。

 矢は地面に刺さったが、クモにも網にも当たらなかったのが幸いする。クモは気がついてはいないようだったため、リアは安堵した。


(馬鹿なことを考えた――ヤツを傷つける数が減っただけじゃないか…)


 リアは罰として自分の頬を抓ると、気合を入れ直す。

 そして、先程よりも集中し、強く弦を引くと、矢を放った。


 矢は見事にクモの腹部に中たり、衝撃でヤツが仰け反ったのが分かる。固定していた歩脚を崩し、原因を探ろうと動き出そうとしたところ、リアは間髪入れずに矢を放った。

 テオスとの訓練の早射ちが正に生かされた瞬間であり、効果が見て取れる。

 クモの腹部に次々当たる矢は、狙った通りほぼ一列に連なり、そして出血が激しくなっていった。リヒトが以前、アシダカグモの腹部を剣で貫いた時に大きな悲鳴が上がったが、今回のコガネグモにそれは見られない。おかげでリアが矢を射つことに集中できることに繋がった。

 最後であった七本目の矢を放とうとしたところ、クモはその身体を支えられなく成っていたのか、自身の網に引っかかりながらも地面へと落ちた。

 地面へ落ちる、つまり逃走の可能性もあっため、リアは思わず悲鳴を上げそうになるが、それは違ったらしい。クモはそのまま動かず、やがて全ての歩脚が関節から曲がり、丸くなっていった。


(いや、死んだふりかもしれない…)


 今回の斃し方は、今までと異なり道具による物理的なモノだ。原型を殆どとどめない程の熱傷死ではない。

 擬死を行う虫は多く、クモも例外ではなかった。


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