ウェイスト町2
フロイドとアイの自宅兼工房は、町から森へ入り徒歩で三時間程かかるらしい。
帰りは山を下るかたちになるので、二時間くらいに短縮できるが、転げ落ちたりしないようにと注意された。何故なら、町から彼らの住まいまで道は整備されておらず、ほぼ獣道であるためだ。
また、森は暗いこと、化物が出ることからも早朝に出発し、夕火の刻よりは前に帰ってくるように伝えられる。
その上、リアの装備を確認した町の人々が、次々必要だと思われるものを渡してくれた。
因みに彼女の格好だが、以前、デイジーと街でデートした時の服を身に着け、背嚢を背負っている。大きな荷物は宿屋に置いてきていた。
また、彼女の弓は通常の弓と異なっているため、矢筒の形状を少し細工し、矢と一緒に持ち歩くようにしている。その関係で、持てる矢の数は必然的に減ることになるが、片手が塞がるか、矢を減らすかの二択で彼女は後者を選んでいた。
街の人々が渡してくれたモノの中には、携帯食まで含まれていたが、その多くは香りの強い匂い袋であった。ミントや王都では希少になっている珈琲も含まれていたため、瞬間、リアは察するしかない。
今まで遭遇した化物の生物はクモ網の虫だけであったが、この森にも恐らくその様な化物が多いのだろう。彼らが、王都等では全く把握されていなかった忌避臭のことを知っていることに疑問はあったが、元々これらを持ち歩く知識はフロイドたちのモノらしい。
事実を聞かされ、納得していたリアに、町の中でも難いの良い男性が声をかけてきた。
「悪いな、俺達も町の近くの森では狩りをするんだが、『工房第九番』までは流石に行けないんだ。これから狩りもあるしな…」
「こうぼうだいきゅうばん?」
彼の発言よりも一つの単語が気になってしまったリアは思わず反芻してしまう。その様子に「何だ、誰も話して無かったのか」と男性は嘆いた。
「フロイドとアイの工房名は『工房第九番』。赤い屋根の二階建ての家だ。まあ、他に家なんてねえからすぐ分かると思うけどな」
家としている建物とは別に、納屋や竈などの小さな建物も隣接しているので、敷地としてはかなり広いらしい。
「竈で思い出した。コレをあんたに渡しておく」
そう言うと、難いの良い男性はリアに、紙の様なモノで包まれた丸いモノを一つ渡してきた。リアが首を傾げて眺めると、丸いものから伸びていた『こより』を指差し、男性は言葉を続ける
「そこに火をつければ直ぐに燃えだして大量の煙が出る。化物に襲われた時とかに使ってくれ」
「忌避煙ですね」
「そうだ。煙は広がるので、高く上がる狼煙の代わりにはならないかもしれないが、町から見える様な距離なら助けられるかもしれない」
「分かりました。ありがとうございます」
リアが渡された品々の代金を支払おうとしたところ、男性も含め町の人々が「いらない、いらない」と首を横に振った。
だが、そう言う訳にはいかないのがリアだ。
そもそも彼女は余所者であるし、皆が反対する中、勝手に強行する。お金を払う義務があっても無償で貰う道理は全く無い。しかも、王都ですら希少な状態になっている珈琲を渡されているのだ。採算が合わない。
リアが素直に抗議すると、町の人々が一斉にきょとんとし、次には爆笑した。「だったら」と続けられた答えがコレだ。
「もし、アイに会うことがあって惚れちまったら、その罰として受けとるよ」
口をポカンと開けた状態で静止したリアに、町の人々が一斉に笑い、「恋敵は少ない方が良いもんな」とまで続く。
(アイは本当にどんな人物なのだろうか…)
町の人々に愛され、恐らく良い影響を与えている存在。人柄が良い彼を気にする人がやって来ては、愛する人が増えていく存在。
その様な人間が存在している奇跡にリアはただただ感心してしまう。
しかも彼らが言うには、リアは彼を絶対に愛し、そして彼には絶対に愛されないのだろう。
彼が一個人だけを愛するようになってしまったら、暴動が起きるのではないだろうか……だから彼らは森に籠っているのかもしれない。
未だ笑っている町の人々を尻目に、リアは深い溜め息をつき、心を落ち着けた。そして今一度彼らに向き直るとはっきりと宣言する。
「分かりました。ただ、アイさんに惚れるようなことがなくても、私の気持ちは収まりませんので…無事に帰ってきたら、この町で豪遊させていただきますね」
その言葉にはっと気がついたのは、忌避煙をくれた彼だ。慌ててリアに向き合い声を上げる。
「ば、馬鹿言うな。無事に戻ってこい。あ、そうだ」
そして誤魔化すように言葉を続けながら、腰に着けていた衣嚢から何かを取り出し、リアに渡した。
「忌避煙使いたくても、火がねえと意味ないからな」
「これは…」
「工房第九番御用達の『燐寸』だ! こいつがない間は火打石や凹面鏡で火を熾すか、町で管理している炬火台から分けて貰うしか無かったんだけどよ、いやあ、本当にすげーよ」
長さ五センチ程の長方体の箱。その側面にはヤスリが付いている。その箱はスライドさせると開閉でき、中に箱より少し短い長さで、厚み五ミリほどの四角柱の木材が沢山敷き詰められていた。その木材のどれにも、赤い楕円球体の物質が付いている。
「あ、そっか、使い方だよな」
停止していたリアに、男性は慌てて補足し、実際に使い方を見せてくれた。
小さい木材を摘まみあげ、先端の赤い物質を箱の側面のヤスリに当てて、勢い良く摩擦する。一瞬で火が付くと、赤い物質から木材に燃え広がり、蝋燭の炎の様に静かに整う。
リアにはとても馴染みのあるモノであった。
男性が言った通り、これは燐寸だ。
しかもこの世界で初めて認識する。前世の記憶が蘇る以前から、リアも火を熾す時は火打石か摩擦熱を利用していた。その作業をするのが大変だったため、術式を使えればと思ったのが切欠の一つでもある。王都でも見かけなかった燐寸がまさか存在しているとは思っていなかった。だが、残念ながら今のリアにはもう不要なモノである。
「ありがとうございます。でもコレは必要ありません。貴重なモノだと思いますし…」
「遠慮すんなって」
「いえ、私は火が……術式で熾せますので」
リアの発言に町の人たちが一斉に驚嘆する。コロコロと表情と反応が変わるため、面白いというよりも可愛いなと、リアは感じていた。
「驚いたな…その歳で。そっか、だからこそこんな山奥の町に…アイを訪ねて…」
「? い、いえ、私はフロイドさんに…」
「まずは親からとは……くっ、私も術式が使えれば!!」
「俺なんて風くらいしかまともに使えねーよ…」
この町の人々は余り術式が得意では無い様である。しかし、そのこととアイがどの様に関係するのか、リアには検討がつかなかった。
「火の術式が使えると何かあるんですか?」
彼女が質問をしたのと同時に、町民が一斉に駆け寄って捲し立て始める。
「何って! 工房で火は必須だよ!」
「アイも普段から『火力の維持に疲れる』とか言っていたし!」
「ああ! 絶対にアイが気にかける!」
「『しばらく、オレの家に居て…いいんだぜ?』とかになるんでしょ!」
ギャーと一斉に悲鳴が上がり、リアは後退るしかない。
確かに、芸術矮星で働いていた身としては、工房で炎が如何に重要かは理解している。
それよりも、アイがどれだけ愛されているのか、充分に思い知った彼女は、何を言ったら効果的か、即理解してしまうのが悲しかった。
「…そうならないためにも、必ず戻って、支払いますから」
「必ず!!」
真剣な顔で皆に反芻され、リアは苦虫を噛ったような笑顔を向けた。