グラベル2
――フロイドの返事があった件を聞き、あれから十ニ日経った。
フロイドに連絡を取って欲しいとルートに願い出てからは二十八日だろうか、準備すると言っていた一ヶ月にそろそろ届く。
この間リアが行ったことと言えば、弓の訓練と芸術矮星での仕事である。
芸術矮星の仕事に関しては、ガラス工芸だけではなく、剣を打つ仕事も手伝った。ガラス工芸よりも火の使用数が少ないため、リアには楽な仕事であり、しかも、武具は軍へ納品されるのだから商品の金額が高いと、火床という仕事内容は変わらないのに、賃上乗せされていた。
よって、芸術矮星で働いた賃金は驚異的な金額になった。
旅の資金は勿論目標値に、身支度も済ませ、ファンゲン家と王族への返済も済んでしまっている。
実は値上がりしていた宿屋の宿泊費も、問いただした時から正規の料金を払っていた。
因みに宿屋の主人が宿泊費の値上がりを黙っていたのはシーナの恩恵からのサービスであったと告白されている。
それでも有り余っている状態であるが、残念ながらこの世界にはまだ銀行と呼ばれる明確な業種は存在しない。両替商等はあるが、全く信用が無いらしく、利用するなと皆に止められる程であった。
仕方がないのでシーナが預かり、運び、自宅の床下へ収納してくれているが、その収容も限界になりつつある。
本日、グラベルには報告と今後の指針を伝えるために時間を取ってもらっていた。
その中に、貯蓄金のコトも含まれている。
「グラベルさん、私は暫く王都から離れます。村にも帰れませんので… 私のお金はリヒトに…ファンゲン家に預けたいと思っています」
宿屋の待合空間を借り、グラベルと対峙したリアの第一声である。
彼女の真剣な表情に、グラベルもまた、真剣な表情と声で応えた。
「突然ですね…」
「私が信用できる人はファンゲン家だけです。勿論、預けるお金は使っていただいて構いません。…むしろ、リヒトのため…ルート様に援助して欲しい程です」
リアがルートに直接金銭を渡しても受け取らないことは想定できる。
だが、ファンゲン家がリヒトの為に支援金を出すのは充分筋が通っているし、ルートが受け取ると思われた。ファンゲン家にその様な資金が無いとは言わないが、端金とは言え、お金は多いに越したことはない。間接的に力になれればとリアは思っていた。
「…勿体無いお言葉です、リア様。しかし、私を信用して良いのですか?」
「…へ?」
グラベルの言葉に、リアは素っ頓狂な声を上げる。
『信用して良いのですか?』――他人の火傷にまで口を出すような善人が、何を言い出したのかとリアは思った。今までのグラベルの行動が全て、演技だったとしても、利用価値の低い平民の少女に行う理由が見いだせない。
彼がリアの金をファンゲン家に渡さず、私利私欲で使う? それこそ端金で彼の娯楽等を潤せるのだろうか。どの可能性を考えても何一つ、リアにはその未来が想像できなかった。
「あの、期待している程の金額では無いと思います…グラベルさんが個人的に使っても勿論何も言いませんが…なんか、逆に申し訳ないです」
次第に謝罪を始めたリアに、グラベルは声を出して笑い出す。今まで見たこともないグラベルの笑顔にリアは驚嘆するばかりだ。
「すみません…まさか、そう返されるとは…。分かりました。責任持ってお預かりいたします、リア様」
「…よろしくおねがいします」
冗談はさておき、とグラベルが咳をする。
更に真剣な表情になった彼を、リアは生唾を飲んで次の言葉を待った。
「お一人で、どちらに向かうのでしょうか」
リアが王都を発つことに関して、漸く緘口令が敷かれたようである。グラベルにはリアが王都を発つことも、その目的等も伝わってはいなかった。
大勢の人が知る中、彼が知らないのは公平ではない。
リアは迷いなく、彼に伝えることにした。
「リヒトを救う術を探しに。まず、この国と隣国の境にある町へ向かいます」
「リヒト様を… どの様に救うおつもりか、伺っても?」
「文献にある『テウルギア』を…他にも何か手段があるか模索するつもりです」
リアの行動と考えは曖昧で有り、甘い。
グラベルはそれを感じ取っており、リア自身も自覚していた。だが、リアはリヒトと約束したのだ。
「…貴方の決意が堅いのはよく分かりました。しかし、お一人で大丈夫なのですか? それともマリアさんが同行されるのでしょうか」
「いえ、マリアさんは同行しません」
グラベルの疑問にリアは逸早く答える。これはマリアには相談していないことであったが、リアの中では決まっていたことであった。
「マリアさんにはこの都と、リヒトを護って欲しいと思っています」
「しかし、女性の一人旅は…」
「町まではルート様に手配いただいた馬車で向かい、途中で休む町の宿も把握済です。私が逸脱した行動を取らなければ大丈夫だと思います」
グラベルの心配はリアも懸念していたことだ。
実際、デイジーと出かけたあの日、あの夜、シーナは害虫を駆除してくれていたらしい。呆れられたのと同時に、忠告も受けていた。
『――貴女は人を傷付けられますか?』
前世で人を物理的に傷付けたことがあるのか? と尋ねられたら、残念ながら『私』は「YES」だ。
勿論、幼い頃であったし、命に拘る傷でもなければ、ずっと残る傷を与えたわけでもない。
寧ろ『私』はよく与えられた側でもある。
正直、幼い頃に犯す罪とは曖昧なのだ。
与えられるより、与えてしまった事実は、成長するに連れて思い出して辛くなる。
誤解がないように言うが、『いじめ』ではない。突発的な事故や、無意識下にしてしまった行動が結果、暴力になってしまった形だ。『いじめ』という行為はこの逆となる。
そして、『私』は別として、リアは絶対に人を傷付けられないだろう。
亡き父からずっと言われ続けてきた呪詛があるからだ。
『化物(虫)』を殺めることができるようになったのだって『私』の意識の所為である。
リアが大事な『枷』なのだと、『私』は認識せざるを得なかった。
以前、王都まで徒歩で行こうとしていた自分が懐かしい。
正直、一人旅は――危険だと感じている。だが、誰かを巻き込むことはこれ以上できないし、したくないとリアは思っていた。
「…では、ご面倒だとは思うのですが、毎日、町から手紙をココに居る私宛に出していただけますか。それで安否を確認させていただきたいと思います」
「? それは構いませんが、王都から離れるに連れて届く日にちが変わりますよ…?」
この世界には現在、前世で言う『飛脚』の様な職業があり、手紙の配達は彼らが代行している。勿論、荷馬車を使うので配達日数はあまりかからないが、速達のような制度は無いため、届く日数は距離に比例する。つまり、リアが件の町へ近づけば近づく程、その手紙が届くのは遅くなるのだ。
「即行動できないのが歯痒いですが、どこで、いつ、消息を絶ったかは把握できます」
「なるほど…」
改めて、前世は便利な世界であったのだと認識するしかない。
現在ヒトが使える術式だけでは伝達手段に活かせそうにはない。やはり、機械的な発展が必要不可欠だろう。だが、『私』にはそれらの知識は皆無であった。
「分かりました、ご心配おかけします。グラベルさん」
「いえ、約束通り私に報告していただけて感謝しております」
グラベルの提案を飲むことで、彼もリア自身も少しだけだが安堵する。