輪になって教育
「早速意味がわかりません」
帰村し、診療所に薬草を届けてから、リアとリヒトが速攻で行ったことは、リアの自宅に戻り事典を広げることだった。
幸いにもリアはこの世界の文字を読むことができた。否、正しく読めている気がする、だ。
記憶を取り戻してからずっと続いている感覚と同じで、地の文字が上書きされている――つまり、日本語に変換されているようなのだ。
ただし、読めることと理解できることは違う。
リヒトにも関係があるので、リアが初めに調べた単語は『ルーアハ』であった。
***
るーあは【ルーアハ】
人間の構造の一つ。元は一つである集合体が分離し、個を要している。ルーアハ自体の力は皆無に等しく、強いて上げるとすれば肉体を動かす切掛けである。ただし、世界の概念を憑依させることが可能な物質である。
***
リヒトが説明してくれた術式の説明では『ルーアハを消費すると死へ繋がる』とされていた。
事典と照らし合わせると、ルーアハは肉体を動かすために必要であるのだから、無くなればやはり死ぬのだろう。
そういえば、リヒトは術式使っている時に全く動かなかった。
もしかしたら動けないのかもしれない。
やはり彼の体が心配だ。
傍に居るリヒトを確認しようと、リアが慌てて顔を上げると件のリヒトは同じく事典を覗き込んでいたところであったため、彼の顔面と彼女の後頭部は見事に衝突する。
「いってええええ」
「いったああああ」
鈍い音と悲鳴が家の中に響き渡るが、直ぐに終息する。その静けさに漸くリアは気づく。
そうだ、私はこの家に―――独りだ。
「わりぃ…大丈夫か…」
「だ、大丈夫……それよりリヒト」
「意味がわからないって言ってたが?」
リアの言葉にリヒト言葉を重ねる。相変わらず他人を優先する人だと思いながら、リアは素直に頷きながらも自分の聞きたいことを続けた。
「本当に体、大丈夫なの?」
「またそれか。まあ、ルーアハの項目だけ見て、俺の拙い説明聞いた後じゃ、しょうがないか……」
若干呆れているのか溜め息を吐きながらもリヒトは話を続ける。後で事典も読めよ、という忠告付きだ。
「人間の構造は『肉体』『器室』『魂』『精神』『ルーアハ』に分けられるとされている。その内『肉体』と『器室』を合わせて『【殻】』と呼び、『魂』と『精神』を合わせて『人格』と呼んでいる」
知らない単語がまた増えたが、忠告されたので後で事典を確認しようとリアは思う。もしかしたら続けてリヒトが説明するかもしれない。
「さっきから俺が言っている『気』だが、これは俺たちの『星』から常時発生しているモノで、俺たちはソレを無意識に『器室』に貯めて生命活動に使っているんだ。術式を極めれば、その消費を『気』に置換できる。勿論無限にあるわけじゃないから『気』を使い切れば意識を失う…正に気絶だな。俺はさっき『気』使い、水を操っていただけだ。水を作り出したわけじゃない。消費は少ないと言っただろ。だから何も問題ないんだ」
納得したか? とリヒトに言われ、彼が健全であるということに対しては、リアも漸く府に落ちたようであった。そして一つ分かったことがある。
(星… 私が、私たちが住んでるこの大地を星と認識している…でも…)
「世界って…?」
「ん?」
「星の寿命に繋がるから世界がゆるさないって言ってたけど……それって世界に住む皆ってこと?」
「ちがうちがう。世界は『世界』だ」
「?」
「……いや、そうだな。その方が意味が通るなら、それで良いよ」
『世界』という名の組織や生物が居るのだろうか? と、リアは首を傾げるが、今はこの意味で捉えても齟齬はなさそうなので追求しないことにする。
「で、ルーアハのわからない箇所は?」
覚えていたのかと内心思うが、隠す必要もないのでリアは素直に答えた。
「『元は一つである集合体が分離し、個を要している。』ってところなんだけど…」
「それが、術式とリアの言っていた生まれ変わりにかかわってくるんだ。『転生』と呼ばれている」
「え、生まれ変わりと転生って同じじゃないの?」
「最後まで聞け」
思わずしてしまった突っ込みに、初めて怒られる。
これくらいのこと、前世ではよくあったのだがら、多目にみて欲しいと不機嫌な顔を顕にするリアに、リヒトは「言い過ぎた」と呟き、話を続ける。
「ルーアハは元々『一つ』なんだ。生物がその生涯を終えた時、各自のルーアハが『肉体』から離れ、集合体――さっき言った『一つ』へ帰還する。また適切な『肉体』が造られた際に集合体から分離して、その『肉体』に宿る。『肉体』が動きだすことにより、魂が定着され、やがてヒトには精神が生まれる…つまりルーアハの循環を『転生』と呼んでいるんだ」
成る程、確かに意味は違っていた。
「事典にあっただろ、『世界の概念を憑依させることが可能な物質』って。あ、多分、世界の概念に疑問湧いていると思うけど、後でな」
リヒトから話を折られた様に感じるが、素直にリアは頷いている。
「話は戻るけど、ある一人のヒトのルーアハに方程式…術式を施された過去があった。構造で唯一施せるのがルーアハだったからだ。そのヒトが死に、ルーアハは集合体に戻っていった。結果、集合体にも術式が宿った。そこから『転生』が繰り返され、人類は術式使えるようになった。そう言い伝えられている」
「つまり、みんな術式が使えるんだね。勿論私も…」
「いや、これは不得意得意があるし、術式が上手く使えなければ死ぬ場合もある。そもそも発現しない場合もあるんだ」
「……そうなると、術式ってあまり需要は…ない?」
「無いな。緊急時や、それこそ戦争位にしか重宝しない」
その術式をリヒトは使ってくれたのかと思うと、尚更感謝するしかない。
「で、生まれ変わりの件だけど」
忘れてた。という顔をしたリアにリヒトは苦笑した。
自分のことでは無く、他人を優先してしまうとは…やはり護れるように、もっと強くならなければとリヒトは心に誓う。
「『魂』は唯一絶対のモノで『精神』はそれに付随し易いが、死ぬとルーアハと共に『肉体』から離れてしまう。コレには後に消滅する説と漂う説が有るんだが、漂う説だとルーアハが宿る時に『人格』が定着されるはず、これが存在するだろうと提唱されている『生まれ変わり』だ。ただしヒトは誕生時、未熟なので元の『精神』は封じられ、別の『精神』が発生する可能性が高い。『精神』は分裂・複製・統合可能な物質とされているからな」
「じゃあ…私は……『私』は前のリアを……」
消してしまった。
十四年間生きてきた彼女を、『私』は殺したも同然だ。
事故に近いが、その様なこと被害者には関係無い話である。
見る間に蒼ざめる彼女の肩に手を触れながら、リヒトは続ける。
「何聞いてたんだよ。『精神』は統合可能なんだ。俺には今のリアと前のリアに大した違いは見られない。お前のクモ嫌いも、お前の行動力も 、お前の身なり振る舞いも、何も変化はない。でもコレではっきりした。お前の言葉は間違いなく真実で、お前は『リア・リオネ』だ」
「リヒト…」
リヒトの真剣な目がリアを貫く。その表情からは何か決意を感じ、その決意からも彼はきっと立派な騎士になるだろうと直感する。
「ありがとう…私、頑張るよ」
「ああ」
そう、頑張って生きていかなくてはならない。
本来の『リア・リオネ』の分も…そして、独りでこの家で暮らしていくことも……
「で、聞きたいことがまだあるんだけど…」
「ん? 世界の概念のことか?」
今までになく必死な形相になったリアを見て、リヒトは既視感を覚えるが、気のせいかと思い暢気に尋ねた。対してリアは重い口を開く。
「化物化のことなんだけど…」