実感
何時間経っただろうか。
ハリィが「良し!」と大きな声をあげ、火力を徐々に落とすように指示しはじめたところで、本日の業務は終了なのだとリアは気がついた。
坩堝もそうであったが、ガラスも急激に冷えると歪みが生じ割れてしまう。仲間が少しだけ冷ましてくれていたこの空間はまだ暫く暑いままにしておかなくてはならない。
作業していた時には全く無かった汗が、終了したとたん吹き出してくる。
リアは額の汗を拭った時に、自分の腕などを確認した。赤く腫れ上がり、爛れている箇所や水脹れが発生し、当然痛みがあった。
仕方ないか、と思い、テオスに会うときは長袖を着ようと決める。問題は顔だろう……確認するのがちょっとした恐怖だ。目もかなり痛めた自覚があるので、サングラスなどあればな…と嘆く。
暫く自分の身体を眺めていたリアに、ハリィが声をかけてきた。
「すまなかったな…」
「?」
「あんたを甘くみていたよ…火の力も、根性も。そんなになっても泣き言一つ無いとは。おかげで遅れている仕事が大分進んだ…だから、その……」
突然しおらしくなったハリィにリアは首を傾げるが、彼がリアの身体を気にしながら話していることで、合点がいった。『やめてしまわないか』気にしているのだ。
「はい、次もよろしくお願いします」
赤く腫れ上がった顔でリアが笑うと、ハリィは安堵したのか漸く笑顔になった。
「そ、そうか。本当に助かる。こんなに作業で息が合ったのは初めてだったから、調子に乗ってお前さんの身体を蔑ろにしたこと…本当に申し訳なく思っている。組合には当初の額に上乗せした賃金を渡しておくから受け取ってくれ。あと…」
ハリィは少し席を外すと、多肉植物が植えられている植木鉢を持って戻ってきた。
「アロエですね」
「気休めかも知れないがこいつをやる。肌を癒してくれ」
「ありがとうございます」
前世の幼い頃、指をガスライターで火傷した時に、祖母が裂いたキダチアロエを、湿布のようにして患部に貼ってくれたのを思い出す。当時の記憶は朧気だが、一日で痛みも腫れも無くなったので魔法の植物だと思ったモノだ。
その頃からアロエは好きな植物の一つであるが、まさかヨーグルトに入れて販売されるとは、当時の『私』は思いもしなかった。
「次までには防火服も何か用意しておく…」
「そこまで気にされなくても…ちゃんと来ますから」
必死になっているハリィにリアは思わず笑ってしまう。それともまだ信用されていないのだろうか。次も確り頑張ろうとリアは決意した。
組合に終了報告に行ってはデイジーに心配され、宿屋に着いてからグラベルに挨拶すれば激昂され、シーナに至っては驚嘆された。ネコの姿のシーナの驚嘆顔はとても可愛く面白かったので、少し気持ちが落ち着いたのは秘密だ。
鏡が無いため、リアは自分の姿を確認していなかったが、相当らしい。ハリィに貰ったアロエの葉肉を折りとって、リアはその液体を顔中心に塗っていた。
シーナも一度外に出てまでヒトの姿になり、塗るのを手伝ってくれている。
「想像以上に過酷だったのですね」
「グラベルさんに報告したのは不味かったかなぁ…『組合に抗議する』って言ってたし…」
「貴女はグラベルに言われたとおり行ったまでです。しかし、貴女も貴女です。ココまで負ったのでしたら耐えかねるのでは…」
シーナの言葉に、リアは仕事のことを思い出す。
過酷ではあったが、辛くはなかった。
夢中に成りすぎて、その時の痛覚は完全に麻痺していたのかもしれないが、道具として必要とされることに、前世で慣れすぎていたせいかもしれない。
しかし、今回は残業が発生していない。報酬もかなりの額を貰ったし、ハリィも含め、多くの人が心配してくれた。対して、この火傷は世界の概念のおかげでほぼ治ってきている。
正直、大分美味しい仕事なのでは、と思った程だ。
父はこの炎を『生物を殺める忌むべきモノ』していた。
リアも『私』も少なからずその意識が強い。
『私』に関しては、それこそ『魔法が使えたら炎を操って、クモを駆除したい』と思っていた程だったのだ。
だが、今日の仕事で認識を改めた。
炎は自分の身を焼くこともある。
炎で生み出されるモノもある。
炎で助かる人もいる。
「あ、そっか」
嬉しかったのだとリアは気づいた。
私は生きていて良いのだと、『私』ではなくリアは実感したのだ。
涙が瞳から溢れてくる。
シーナの心配そうな顔が視界で歪んでしまって、思わず笑った。
リアが前世の記憶を取り戻してから、私と『私』は、リアが感情で泣いたのを初めて認識する。父が死んでから――実に七年ぶりであった。