欲しいモノ
席に付くと直ぐ、テオスの使者が飲み物の注がれたカップを二人に置いた。
その独特の匂いから、リアは直ぐに感じとり、嬉々とした声を上げる。
「珈琲ですね!」
ずっと飲みたいと懇願し、贈答されたモノはクモにぶちまける等、散々であった飲み物が、今この場に存在している。
歓喜に酔いしれるリアに、テオスは初めて苦笑した。
「今までで一番良い笑顔だ」
「! すみません」
我を忘れていたことを指摘され、リアは一瞬で縮こまるが、テオスは「良いんだ」と応えて笑っている。その笑顔は今までで一番、彼らしいとリアは思った。
「…ところで、ライオネは出立まで王都に居るつもりなのか?」
コーヒーブレイクを満喫していたリアに、突然テオスが訪ねてくる。家族名の訂正をしていなかったことを思い出したが、それよりも質問に答えた方が良いかと、彼の言葉に応えた。
「はい。テオス様が許可してくださった資料もまだ閲覧できていませんし、リヒトのことも気になりますので。勿論、テオス様に弓を教授していただく必要もありますから」
「弓に関しては三日もあればモノにできそうだが」
「またまた、お戯れを」
「否、…しかし、続けて宿に泊まるのか、資金を得る必要があるとも聞いているのだが」
ルートはどこまで話したのだろうか。リアは考えて不安になるが、テオスが言おうとしていことが分かり始めたので、警戒をする。
「…城の一室を無償で提供も――」
「施しは駄目です」
そのようなつもりは、とテオスが呟くが、リアには赦せないことである。ファンゲン家にも出世払いということで、出資されているのだ。その上王族に、しかも無償などは絶対に解せない。
「いいえ、アシダカグモを駆除した後、城で治療もしていただいています。弓の授業料も含めて後で請求してください」
「君は王都の恩人であるという自覚を持つべきだ」
リアに見せる表情の中で、一番冷徹な顔をしたテオスであったが、これは恐らく憤怒しているのだろう。彼にとってこの事実は重大で、無償は甘受できないからだ。
「過大評価です。あのクモでしたら、テオス様でも充分対処できたと思います」
「僕はあの時、城の――自室の外へすら出して貰えなかった」
成る程と、リアは納得する。テオスがこうも真剣な理由は、リヒトやシーナ、そしてリアが危険な目にあった一貫には、アリグモの時と違い、何も介入できなかった自分の所為でもあると感じているのだろう。
「幼い頃に化物を退治したからか、僕は極度に化物から遠ざけられる。アリに似たクモの時は、偶然街に来ていたから対応できた。肝心な時に何もできないのは辛い。だからこそ、君に――君たちに僕は感謝している。当然の報酬だ」
「テオス様のお気持ちはよく理解できました。ですが、私の気持ちも変えられません」
その言葉にテオスは今日、何度目だろうか、再び目を見開き、そして落胆の表情に変わった。
「よってテオス様、私には情報を与えてください」
「情報…」
「この都で一番安い宿、女の私でも働ける短期の仕事、私が今、最も欲しい情報です」
リアが告げた言葉にテオスは納得したのだろう。穏やかな笑顔で「わかった」と応える。
暫くして、テオスの従者が二人の茶会にやってきた。「テオス様、弓兵の訓練の時間ですが」という言葉にリアは当然驚嘆する。
「テオス様自らが弓兵を鍛えているのですか?!」
「いざという時に、僕は何もできないからな…」
アリグモの時は別として、アシダカグモ時の弓兵の命中率は素晴らしかったと記憶していた。まさかその弓兵たちを指導している人に、教授されていたとは…今になって、ルートが『話を通した』という意味と流れを理解する。道理で宴会の時に、兵士たちが「テオス様が笑っている…」呟いた訳だ。
「テオス様、本日は本当にありがとうございました。後日、必ず、授業料を、請求してください」
「……」
リアの譲らない笑顔にテオスが根負けして笑う。
「わかった。今日は楽しかった、ライオネ。また明日。情報もその時に渡そう」
テオスが従者と共に席を外すと直ぐに、グラベルがリアを迎えに来た。
その事実にも驚嘆したが、一番驚嘆したのはその顔だ。
怒っている。
「グラベル…さん」
「勝手な行動は困ります」
先日、宣告通り村から直ぐに戻ってきた彼をリアは知っている。
今日は確かに彼には何も告げずに、飛び出してココへ来ていた。
前世では既に保護者に報連相することもなかった年齢であったのと、シーナには話していたため、完全に失念していた。しかし、どうやって知り得たのだろうか。
「偶然、マリアさんに出会い、事情は聞きましたが」
「す、すみません」
賢いシーナのことだ、リアが報告しないことを予想して対処してくれていたようだ。
「今度から私事権の侵害にならない範囲で言っていただければ幸いです」
「は、はい。あの、では早速―――これから図書館へ行こうかと」
「お休みにならなくて良いのですか?」
憤怒状態だったグラベルが途端、狼狽した様子に変わる。ここで笑ってしまうと更に機嫌を損ねられる可能性があるため、リアは堪えながら応える。
「はい、今回全く矢は射ってないので… 話は変わるんですが、グラベルさんは、まだリヒトに会ってませんよね?」
「ええ」
「硝子越しで良ければお話できるみたいなので、ルート様に話を通しておきましょうか? 今日のことも報告するつもりなので」
上手く話題を逸らされた気もしなくはないが、リアの言ったことはグラベルを大いに安心させる言葉であった。
「よろしいのですか」
「本当は私がするべきなんでしょうが、ファンゲン家への報告はグラベルさんの方が適任でしょうから」
グラベルは片手を自身の胸へ持っていくと一礼しながら応える。
「承りました。よろしくお願いします、リア様」
グラベルの機嫌が良くなった所で、リアは漸くその腰を上げると、彼と共に城を後にした。