地下研究室
グラベルに案内され、リアはルートの元へ向かう。
彼は城の地下の一室を充てがわれ、其処で何年も『エメム』の研究をしている。
地下である理由は、エメムに感染・侵食されたモノの中には光を嫌うモノも居ることへの配慮。
だが、一番の理由は宿主が崩壊した場合、その汚染が広まるのを避けるために、彼と地下室ごと埋められる様に――。
幸いにもその様な危機は起きていない。
この城自体、大きな一枚岩の上に建てられたらしく、地下は岩石しかない。
地下水脈と土壌も勿論無いため、それを経由した汚染の心配もない。
恐らく、地下を埋めるのに足りなければ、城も崩すだろう。
国を護るために始めた研究で国民を犠牲にするわけにはいかないという、学者と王の確固たる意志がこの城にも表明されていた。
長い廻廊を進んだ後、行き止まりの部屋にたどり着く。
その部屋には監視の様に兵士が二名居り、彼らはリアとグラベルを視認するとすぐ、床にある扉を開き上げてくれた。兵士が持っているランタンで照らし、中を覗き込むと、地下へ延々と続く螺旋階段があった。
「明かりは付いていないそうです」
グラベルが伝えると兵士がランタンを手渡そうとしてくれたが、リアはソレを断って自らの掌の上で炎を発生させる。勿論――意味のない単語を適当に呟くのを忘れない。リアは術式を使ったのだ。
驚嘆の喚声が僅かに上がる。
例え術式でも、『生み出すこと』は渇望される奇跡だとリヒトは言っていた。
リアはそのことを思い出したことで浅はかなことをしたと悟る。
「リア様、術式が使えるようになったのですね」
「あ、でもまだまだなので。一応、灯りも借りていきますね」
グラベルの嬉しそうな声に、リアは笑顔で応え、兵士からランタンを借りる。入り口の縁に腰掛けたリアに、グラベルは頭を下げながら告げた。
「リア様、どうかリヒト様に会えましたら…」
「珈琲豆分の仕事はしますよ」
彼の言葉にリアは直ぐに答えると片目を閉じて合図をする。
そう言えば、まだ生豆が残っているのだ。折角だから帰ってきたら焙煎しようとリアは心に決めた。
腰にランタンを引っ掻けた状態で、リアは掌の炎で辺りを照らす。
螺旋階段を少しずつ降りていくと直ぐに床の扉が閉められたので、これ幸いにと炎を消した。
一息付くと、炎を全身に薄く纏う。
アシダカグモの時は殺傷を優先したが、此度は明るさを求めて行ってみたのだ。
自分が光源になることで、随分辺りは見渡しやすくなり、両手も自由になったので、急ぎ足で階段を下っていった。早くルートに会いたかったのもあるが、いつまでも同じ場所に居ると、熱で周りの施設が傷むからだ。
体感で五階分程階段を降りきると、少しひらけた場所に出た。
闇の中、ぼんやりと浮かび上がった鉄の扉を視認すると、リアは自らの炎を消して、腰のランタンを手に持ち直す。
ランタンの灯りを頼りに扉へ歩み寄った後、彼女はその扉を手の甲で叩いた。
暫く待っていたところ、中からルートの声が響く。
重い扉は中から開かれた。
「深いところすまないね」
「いえ」
答えたところで、足腰の悪そうなルートは果たしてどうやって往き来しているのか、リアは疑問がわいたが、それも扉を閉めた時に理解する。
「Buyuknak」
とルートが呟くと、強い風が吹いたのだ。
「ルート様は『風』の術式がお得意なのですか?」
「四元素全て並み程度には…一番得意なのは『土』なのだが…」
「あの、もしかして…地上に出るときは…」
「風と火で舞うな」
ルートが長命なのは御姿を見れば解る。
つまり彼は気への置換と、器室の量も大きいのだろう。
だが、高齢なのは事実なのだ。過信しているとは思えないが、もう少し気楽な方法で上らせてあげたいとリアは思う。
ドワーフの技術なら昇降機くらい作って設置できると思うのだが、何か理由があるのだろうか。現に螺旋階段の脇には、人力で動かす小荷物専用昇降機はあるのだ。機会が有れば確認したい。
ルートの研究室は思っていたよりもずっと広かった。
地下室という構造上、照明不足と空調に不満が残るが、その点もやはり彼の術式の裁量で補っている様だ。危険な研究であるので仕方ないとルートは告げるが、恐らく本来は彼へ充てがわれている予算もエメムへの対策に回しているのだろう。老い先短いから印税はリアへ譲ると決めた彼だ。未来と若衆に投資するのが好きなのかもしれない。
部屋の机の上には、沢山のガラス道具が並んでいた。前世の世界でも馴染み深かったフラスコ、ビーカー、メスシリンダー、ガラス棒…、教科書でしか見たことがない自然発生説で出てきた白鳥首フラスコもあった。
アルコールランプと顕微鏡があったのは収穫だ。
しかし、これらの道具はこの世界のヒトに作れるのだろうかとリアは疑問に思う。ドワーフなら容易だろうが、彼らが作製する時に移るであろう気配がそれらには無い。
そこまで考えて、リアは一昨日の宴会の楽器たちを思い出した。
「ここの道具はドワーフの某息子さんが作製したモノでは?」
「! その通り、よく気がついたの」
もしかしたら『私』と同じ、生まれ変わりかもしれないヒトだ。彼が作ったのならば道具が『私』の世界の道具と大差ない理由が飲み込める。