私はリア・リオネ
ルーアハは肉体の『名前』に惹かれて宿り、力を発現するとういう話は、迷信だ。
私は物心付く前からソレを理解していた。
父と母はソレこそその身に私を宿す前に『海岸』と名付けてくれていたのに……
私は徐々に内側から母を燃やし、とうとう産まれた時に燃やし尽くしてしまった。
その様な私を見棄てることなく、父は炎の中から私を抱き上げ、『忘れ形見』だからと育ててくれた。
なるべく私の傍にいて、私が酷い間違いを犯さないように、そして『炎』の恐ろしさを説いてくれた。
『リア、どの様な生物でも、命は―――たったひとつ、一回切りなんだ』
その言葉を聞いた時、私は父に責められているようにも感じた。
何故、母は死んだのか。
何故、私なのか。
何故、私の嫌いな生物と私の命を同価値というのか。
疑問は尽きなかったが、父にこれ以上の負担はかけたくないため、ただ一言常に言っていた。
「ごめんなさい」
ごめんなさい。母を殺してしまって。
ごめんなさい。虫を斃してしまって。
ごめんなさい。私が生きていて。
ごめんなさい。理解できなくて。
ごめんなさい。炎を制御できなくて。
なんと重みの無い「ごめんなさい」という言葉。
私の名前はライアの方が相応しいかもしれない。
ある日、王都に出掛けた父が事故で死んだと、隣家の家主から聞いた。
その時、何故?という疑問や、悲しいという感情よりも先に、安堵して泣いたのを覚えている。
私は父を殺さずに済んだのだ。
ただ、同時に何かが完全に壊れたのも自覚していた。
私は父のことを愛していたのだろうか。
父の遺体と対面することもなく、形だけの葬儀を隣家の人の手伝いで済ませた頃、黄金色のネコが一匹住み着くようになった。海の意味をもじってシーナと名付けて呼ぶと、彼女は直ぐに飛んできてくれた。
父が亡くなってから、隣家の少年もよく遊びに来るようになり、隣家の人たちも常に気にかけてくれるようになった。
父が亡くなってから、村長や村の人も話しかけてくれるようになった。
父を失ってから得たモノは、私のかけがえのないモノへと変化しているのを自覚した。
私の中は常に燃え尽きていて空っぽであった。
何かを埋めても、再び燃えてしまうのが怖くて、触れることを躊躇った。
父が教えてくれた言葉は呪詛でもあった。
リヒトと森へ行くようになったある日、私は初めて化物化した虫を視認した。
気持ち悪い。
怖い。
嫌い。
これが私と同価値。
何故、殺めてはいけないの。
私はコレに殺されなくてはいけないの。
私はコレを空っぽに詰めなくてはならないの。
そんなの―――絶対に嫌だ。
『絶対に―――赦さない―――』
***
私は思い出した。
『私』よりもリアは随分歪んでいて、随分早くに崩壊していた。
道理で『私』は炎を扱えなくなっていた訳だ。
リアが目を覚ますと、まず始めに飛び込んできたのは半獣の姿のシーナであった。
美しい顔が不安そうに歪んでいる。
勿体無いな、と思いつつ、私たちはどうなったのだろうと、リアは辺りを見回す。
白い部屋であった。
リアは白いベッドに寝かされている。
「……クモは?」
「貴女が全て蒸発させました。体液――エメムごと」
「シーナ……色々聞きたいことがあるんだけど、良いかな」
「……ええ」
「私の炎なんだけど」
「……世界の概念の一つ。『天界の盗火』と呼ばれることが多いです」
「だからシーナ、事典の上で寝転がったんだね」
大分前、ベッドの上で事典を眺めていた時に、邪魔するようにシーナが乗ったことがあった。今、思い出すと確かに『××の×火』の項目であった。
「あれは……甘えたかった気持ちも半々です」
「そっか…」
リアが思わず笑顔になる。手を伸ばしてシーナの頭を撫でると、嬉しそうに彼女は微笑む。
「―――街の人や兵士たちは?」
瞬間、シーナの顔が曇った。
リアの手から離れ、そして顔を逸らしながらその言葉に応える。
「クモに襲われた人たちは、刺創――咬創が暫く残るかと。ただ、毒に関しては代謝可能で、現在、麻痺が残っている人は居りません。消化された人、捕食された方も確認されていません」
トタテグモやジグモでも無い限り、犠牲者がいればその痕跡は必ず残る。
だからこそシーナの発言だけで、街の人と兵士は無事だと確信できる。
頭を撫でた時にシーナの咬創が消えているのを確認していたリアは、一先ず安堵の溜息を吐いた。
勿論、自分がした質問は足りず、シーナも敢えて答えていないことを忘れてはいない。溜息は、次のことを聞くための準備でもあった。
「リヒトは?」
より一層、空気が重くなる。
「彼は……無事です。ただし、エメムに感染しています」
「腕は」
「腕はエメムが修復し、動くまでに回復。この事実が感染の決定打でした。術式や法式では傷を治すことはできないからです……」
『通常エメムに意志は殆どなく、ヒトの想いに一番影響を受ける。文明の発達を求めれば文明の発達を、不死を求めれば異形の者に、力を欲すれば力を与える等。化物化の原因。ただし、自我を持ち始めたエメムはやがてその宿主を浸食、崩壊――』と事典には書かれている。
「何を――想ったのかな…」
「彼いわく、強く想ったのは『腕を戻して皆を護りたい』であると……」
「リヒトはすごいな…あんな状況になったのに。誰も怨まず、護りたいと思ってくれるなんて……」
腕を治すではなく、戻す。そして自分の夢ではなく、皆の未来に。
「本当に、素晴らしい人だ」
だからこそ、リアは確信していた。
リヒトはエメムに負けない。
彼は崩壊して死ぬことはない。
だが、周囲はそう思わないだろう。隔離し、最悪処刑するかもしれない。
「リヒトに会えるかな…」
「それは可能かと」
「え? 本当に? 意外」
「ルート・ゲリング氏の監視の下、城のある部屋に居ます。『貴重な標本』だからと」
「建前か……」
リヒトと腹を割って話した彼の事だ。本音は間違いなく『保護』だろう。
保護といえば、自分の立場はどうなるのだろうかと、リアはもう一度辺りを見る。
「…もしかして私も?」
「いえ、確かに此処は城の一画ですが、普通の医務室の一部屋です。現在、医者と看護師は別室の患者を看ています」
自分が『世界の概念』の一つであると自覚して、漸くテオスが気にかけていたことを理解した。同時にテオスの正体も。
「テオス王子…というかこの国の王族は――『神』の子孫、もしくは『能力者』で正しい?」
「ええ、正しくは各国の王族とされるヒトは全て該当します。皆、無自覚で無知ですが、それでも『世界』に関することには敏感なのです。恋と勘違いする方も居ますが」
テオスのアプローチは受ける側が勘違いする勢いであった。リアが「確かに……」と呟くと、「いえ、逆ですよ…」とシーナが小さく突っ込みを入れる。
普通の医務室に入れられているのならば、リアが『天界の盗火』であることを王族は誰も把握していないということだ。万が一悟られることがあった場合、幸いにもリアは過去、術式で炎を扱っていたという周知の言質があるので、誤魔化せるだろう。
「でも…どうしてシーナは私が『天界の盗火』だと…?」
「…少し、私の…昔の話をしましょうか…」