駆除
「リア…無事か…怪我はないか…」
リヒトは息を何度も吐きながらもリアに声をかける。光源が少ないため、よく見えないリアは大きな声で応えた。
「うん、大丈夫! 無傷! そんなことよりリヒトは?」
「俺も…大丈夫だ。全速力で走ったのと、気を大量消費したから…疲れただけだ…」
リアは床の焦げ跡と足元の灰を避けつつ、リヒトに駆け寄る。確かに怪我はしていないようであった。
「ありがとう、リヒト」
「ばっか…くそ……全然、駄目じゃないかよ、俺…」
思わず肢体にまで八つ当たりしたと、リヒトが呟く。とても的を射ている表現だとリアは思ったが、口にするには冗談が過ぎるので、飲み込むことにする。
ホッとしたのも束の間、窓の外――街からいくつもの悲鳴が聞こえて来たため、互いに驚嘆し顔を見合わせる。慌てて窓に近づくと、外の風景は最悪の状況であった。
目が慣れているため分かったが、――居る。
――掌の形をした巨体がいくつも―― 建物の壁、人が通る道…張り付いて移動している。
外へ逃げ出したであろう人々が、無残にも牙の餌食になって、地面に倒れていた。
流石に夢だと思いたかったが、巨大なクモが溢れている状況という悪夢など見ていたら、心臓麻痺で二度と目覚めないかもしれないなと、リアは考える。
日没前までは平和であったこの美しい都が、一瞬で地獄へと変わってしまった。
そう言えば、アシダカグモは夜行性だったと、逆に冷静になる自分が辛い。
「冗談だろ…何だよあの数… なんで…。昨日のクモが子供で…親とか親戚が復讐に来たとか?」
「リヒト…昨日のクモとさっきのクモは全く別の種類のクモだよ…、こいつたちは『アシダカグモ』」
前世でも、家にいるハエトリグモが成長してアシダカグモになると勘違いしていた人たちが大勢居たな、と『私』は思い出す。
だが、そう――アシダカグモは通常、室内に居ることが多いのだ。
そしてこんなに大量に行動することはない。共食いをするし、互いの縄張りなどもあるのだろうが…群れで行動するクモは少ない。――考えられることは一つだ。
「でもリヒト…親は居ると思う」
「え?」
「きっと、都の近くで卵が孵って――何匹か入り込んだ」
「それこそ冗談だろ?! あいつらあの大きさで子どもって…親の大きさは一体!?」
自分で発言して、リアは思わず身震いした。本当に恐ろしい。何故この様な自体になってしまったのだ。やはり、クモは――虫は――復讐する生物だったのだろうか。
どうすれば良いのか、対処方法が全く思いつかない。
恐らく国の軍が動くだろうが、対処しきれるのか想像もつかない。
ただ窓を眺めていることしかできなかったリアとリヒトであるが、クモが一匹、また一匹と破壊されていくのが見えた。とうとう、現実逃避による幻覚が見えるようになってしまったのかと思っていたところ、黄金色の物体が華麗に地面へと降り立つ様子が見える。
「マリアさん!?!」
昨日と同様に一糸もまとっていない姿であったが、異なっているところもあった。
獣の耳と尾が生えており、腕と脚は人間のものではなく、獣の前肢と後肢の様な形状をしていた。獣は――ネコに似ている気がする。また、その身体は部分的には体毛に覆われており、人間らしい要素は二足歩行と顔――バランスくらいであった。
マリアは宴会の時、「獣人は『ヒト』、『半獣』、『獣』いずれかの姿を保つことが可能」と言っていた。つまり、彼女のあの姿は『半獣』なのであろう。
半獣の姿のマリアの動きは、昨日のアリグモと対峙した時よりも獣らしく、俊敏であった。そして力がある様に見える。アリグモに対し「脚を全て捥ぎ取って腹を割く」と宣言していた彼女は、正にそれをアシダカグモたちに行っていた。体液のことを心配などしていられない。数の多過ぎる敵に、彼女は的確に素早く処理している様に見える。
十は蹴散らしたところであっただろうか、城の方から順に兵士が向かってくるのが見えた。
アリグモの時とは圧倒的に数と隊列が異なっている。
前方に盾兵と中央に剣士が居るのは変わらなかったが、後方には火矢を持った弓兵と、水瓶を持っていると思われる兵士たちが居た。彼らは一体? と思っていたところ、各々の兵士が声を発した様に見えた。見えたというのは、距離があるため彼らの声は聞こえてこないが、口が動いているのは確認できたからだ。
そして水瓶から濃い色の液体が球体となって飛び出し、吸い付くようにアシダカグモたちの顔面へ向かい弾け飛ぶ。
またもヤツらは顔を拭う動作を始め、暫くすると……おかしくなった。俊敏さは無くなり、立っているのも辛そうである。
動きが鈍ったヤツラを弓兵が一斉に火矢で狙い始めた。多くの矢を刺されたクモの中には直ぐに燃え広がるモノも居り、その飛び火で身体が燃えるクモも現れる。
マリアと比べると速度は遅いが、少しずつ、確実に兵士たちはアシダカグモを駆除していく。
「すげえ…昨日のクモの時と全然違う」
リヒトが感嘆の声を上げた。それはリアも同じであったが、彼らの動きに己とリヒトの行動が既視感の様に重なって見えるのだ。――似ている?
「…もしかして、兵士たちが投げつけている水って…珈琲じゃないのか? 恐らく…油も混じってるかも…だけど」
珈琲の成分でクモが『酔っ払う』ということは、ルートにも既に伝えている情報であった。
ザトウムシやアリグモ――ハエトリグモのことも、勿論、最も嫌悪しているアシダカグモのことも話していた。リアの知識を利用し、応用した様な兵士たちの動きに、ルートの介入があったであろうことは、想像できる。
もし事実だとすれば、『私』の知識は役に立ったのだ。
暫く見守っていたところ、街の外に出ているアシダカグモたちは殆ど殲滅されていた。あとは建物や家の中に入り込んでしまったクモの処理だろうが、獲物の動きに敏感なヤツラは、それこそ外の動きに反応して飛び出してくる。
これは――もう大丈夫かもしれない。誰もがそう思っていた時であった。
今までよりも何倍も大きなアシダカグモが突如現れ、場は騒然となる。
頭胸部が『子』の腹部程の大きさである。歩脚はそれに合わせて勿論長い。
通常の親子と比較するとそれほど大きくはない。化物化の影響かもしれない――しかし、やはりその身体は巨体であった。