マリア2
窓から差し込む光から、日が傾いてきたのが分かる。
曲は相変わらず流れているが、既に踊る者は居なかった。
そのため、演奏者たちはダンスに不向きな曲へ変更している。色々な曲を耳にできたが、どれもリアには馴染みが無い曲であった。
先程までは余裕が無かったため、確りと見ていなかったが、弦楽器はなぜか『私』が知っているモノと形がとても似ていた。遠目ではよくわからないため、肝心の『弦』の質まではわからないが、ボディに当たる部分等の材料は同じ様である。
「おや、気になるかい?」
リアが楽器を眺めていたところ、いつの間にか側にきていたルートが声をかけてきた。リアは慌てて会釈するが、まさかこの場で『虫』の話をされるのではと、心境は複雑である。しかし、意外にもルートは楽器について話を続けた。
「あれは、先程話に出した、ドワーフの某息子が独自に作製した楽器だよ。今まではエルフ製の別の楽器を使っていたのだが、王は甚くあの楽器を気に入ってね…最近では他国でも流行っていて、あまり市場には出回っていないらしい」
「その…ドワーフの某息子という言い方は…?」
リアの言葉にルートは漸く気づいたのか、「すまない、すまない」と笑いながら答える。
「確かに某息子という言い方は良くなかった。だが、養子と言うと養父のドワーフとその息子も嫌そうな顔をするからな。だからと言って『ドワーフ』では無いし。だからつい、某と付けてしまう」
「…養子?」
「そう、ドワーフの某息子は、ヒトなのだよ」
ヒト――その人が独自に作製した楽器が――前世の楽器と似ている――。
もしかしたら、自分と同じ境遇の人だったりはしないだろうかと、リアは考えた。
そもそも、ダンスも含め西洋風の世界観が多いのだ。例えば自分と同じ境遇の者が過去に多く存在すれば、同じ様な歴史を辿ることがあるのでは無いだろうか。
もし機会があったら、その某息子に会ってみたいとリアは強く思った。
ふと、喧騒としていた室内の一角がどよめきへと変わる。
何事かと思い、リアとルート、そしてリヒトも声の方を確認すると、金髪で美しい女性が入り口である扉から入ってくるところであった。
見覚えがある―― 今はその長い金髪を後ろに纏めており、マーメイドタイプのドレスを身につけているが、その色は琥珀色の瞳に合う、碧色のドレスであった。
間違えようがない――マリアと名乗った女性だ。
彼女は男性からのダンスの申し出を断り、そのままリアたちの方へ歩いてくる。本来なら王への挨拶が先の筈だが、その常識が無いところを見るともしかしたら――身分は低いのかもしれない。
「マリアさん」
「リア…」
「来たんだな」
リアの言葉にマリアは応え、更にリヒトが言葉を返す。
マリアはリヒトを見て頷くが、次には「動き辛いです…」とリヒトに不満げな表情を見せた。
突然現れたリヒトたちへの来賓に、グラベルも対応が後手になる。しかし――グラベルはこの女性に見覚えがあった。正確には女性ではない――彼女の身につけている正装にだ。何かを言いかけたところ、リヒトに制止されたため、グラベルは素直に口を閉じる。
「その者は?」
流石に正体不明の女性が現れたため、王も無視はできない。兵士たちも最初は腑抜けていたが、招待客では無い者はただの侵入者である。持っていた剣を構えていた。
「申し訳ありません。ですが陛下、彼女は昨日の虫退治で共に戦った仲間なのです」
リヒトは片足を折り、座り込みながら頭を下げて告げる。
リアとマリアも真似て座ると、マリアは直ぐに名乗り出た。
「失礼いたしました。マリアと申します陛下」
リヒトの言葉に王は驚嘆する。マリアと名乗った女性があの化物化した虫と対峙したとは信じ難かったためだ。しかし、反して王子――テオスは目撃者であったのもあり、落ち着いていた。彼の中では確信があったのだろう。
「かの者は、獣人であるのだろう?」
途端、周りの者たちの反応が変わる。
獣人――事典には『旧世界でヒトが智慧の樹に生る実を食べ、毒による拒絶反応から生き残り、その種族の特徴を受け継いた存在』と書かれていた。リアがマリアを横目で確認するが、マリアはどう見てもヒトであった。
「獣人――なるほど、獣人なら確かに化物化した虫と対等に戦えるであろう。しかし、私にはヒトにしか見えぬのだが」
「はい、今は完全なヒトの姿にさせていただいています。ご存知だと思いますが、我々獣人は『ヒト』、『半獣』、『獣』いずれかの姿を保つことが可能なのです」
証拠を見せよと王に言われるが、マリアは首を横に振り、「恐れながら…」と言葉を続ける。
「獣人は素足で大地に触れないと、变化はできないのです。この様な建物の中では形態を変えることはできません。お許しください」
その言葉に嘘偽りは無いと、ルートが宣言し、漸く王も納得したのか、兵士に剣を下ろすように命じる。
「良い。私こそ、都の恩人に無礼な態度であった。心よりお詫びする。残り時間は少ないが、他の者たちと宴会を是非楽しんでくれ」
「恐悦至極に存じます…陛下」
元々、ソルの報告からリヒトとリアの顔を見たいと告げる程、遊び心がある王であったこともあり危機は回避された。
ただし、何かあるようだったら、釈明して保護しようとテオスは考えていた様だ。リアたちの元へ向かうと、昨日の件を話す素振りで側に居てくれている。
図書館の資料閲覧の許可も含めて、本当に頭が上がらないとリアは思う。そういえば、アリグモのせいで図書館資料は一冊も閲覧できていない。明日、村へ戻るまでに読む機会はあるだろうかと考えた。
「でも、マリアさん…どうやってココに?」
いくつもの城の防犯を通過し、今も宴会の扉を通ってきた彼女に、何故兵士や受付者は呼び止め無かったのかとリアに疑問が湧く。実際彼女は招待状どころか、身分を証明するようなモノは一つも持ち合わせていなかった。リヒトと知り合いの様であるが、宴会に出席する話になってしまったのは、つい先程なのだ。城に入ってからリアはリヒトと行動を共にしているので、彼がマリアと接触できたとは思えない。
「…昨日、リヒトさんに願い出て、服はお借りしました。広げて見たのは先程だったので、まさかこんなに動き辛い服だとは思いませんでしたが」
「昨日…」
「私はこの宴会に参加しようと思って来たわけではありません。城へ入る時は獣の姿で入り込みました。匂いを辿り此処に来ましたが、余りにもヒトが多いため、ヒトへと变化したのです。流石に全裸では良くないので服を身につけましたが…宴会の受付の人からは何も言われませんでしたね…宴会も終盤の様ですし」
マリアの話と先のリヒトの言葉で、彼女はリヒトに会いに来たのかとリアは思う。
(…もしや、リヒトの恋人なのだろうか? 昨日は初対面に見えたが。なるほど、リヒトは歳上が好みなのか…)
リアが意味深な顔でリヒトを見ると、リヒトはあからさまに不快な顔をし「違うからな」と否定する。リアは何も言ってはいない。
「…この都は――余り世界に好かれてはいません。化物化した虫の発生や、侵入が多いと聞きます。私は――不安で…」
話を続けるマリアの言葉に、リアは以前にソルとした話を思い出す。『術式が使えない』、『ヒトが少ない』、『文明が発展していない』方が『世界』は好み、加護をするという話だ。
「そう言うのって…分かるものなのか?」
リヒトが尋ねるとマリアが頷く。
「…獣人は智慧の樹の実を食べて生き残ったヒト族です。世界に赦されて存在できていると言っても過言ではありません。故に、世界の変化には敏感ですし、だからこそ、我々はあまり文明を好まず、獣への道を歩むモノも少なくは無いのです。私も例外ではありません」
「マリアさんも…」
とても美しいヒトになるのに、少し勿体無いとリアは感じた。
そこで気がつく――マリアは何の『獣』なのだろうかと。
城に難なく侵入できる獣に限定されてしまうのならば、小動物に限られるのでは無いだろうか。
しかし、リアの疑問は王の発言により遮られた。
気がつくと、日は大分沈み、辺りは暗くなりつつあった。火を灯していないこの会場は暗くなってしまう。そのためこの宴会は終了するらしい。
王の閉めの演説が行われ、盛大な拍手が沸き起こる。
王と王子はその拍手の中、退室していった。
王たちの姿が見えなくなると、拍手はすぐに止む。同時に司会進行役の人が退室を促す声を上げると、人々も退出を始めた。
リヒトが「帰るか」とリアに告げた時には、マリアは居なくなっていた。