扉を叩く者2
暫くすると、また扉を叩く音がした。
グラベルであることはもう無いだろう。
そして、彼が起こしてくれた行動の結果、先程よりも受け入れやすい自分にリアは気がつく。
「はい」
と彼女が返事をすると、「俺だけど」というリヒトの声が扉越しで聞こえてきた。
「リア、来客を預かっているんだ。扉を開けてくれないか?」
リヒトはいつもの調子で、しかし変わったことを言う。
客を預かるとは、まるで『物』の様な言い方だからだ。若しくは幼い子供――そこまで考えた瞬間、扉の向こうで確かな声が響いてきた。
「にゃーん…」
「!? うそ?!」
リヒトに会うのが気まずかったことなど忘れ、リアは扉の鍵を外し、勢いよく開け放つ。
苦笑いをしているリヒトの両手に抱えられ、丸くなっているリオネ家の愛猫がそこには居た。
リアを確認したシーナは、彼の腕から直ぐに飛び出し、彼女の足に己の体を擦り付けた。尻尾はピンと立ち上がり、ぐるぐる足元を回る。リアに会えて嬉しいことを、シーナは体言して見せつけてくれる。
「え…ネコも人に懐くの…?」
「は?」
「『私』のところでは、『犬は人に付き、猫は家に付く』――って言われてたから…」
勿論、家で待っていたネコが主人の帰宅で同じことをするのは知っている。その多くは意訳すると「ごはんちょうだい」だ。
だが、ここはリアの家ではない。
否、もしかしたら「ごはんまだだからちょうだい」と言っているのかもしれないが…
たとえば散歩中、この街に迷いこんだのかとも思ったが、村と王都の距離は人間の徒歩で半日かかる程だ。ネコはその距離を散歩するのだろうか…。違うのならば、リアに会いにわざわざ来たと考えるほうが自然なのだろうし、リヒトもそう思っていた。
「何馬鹿言ってんだよ、どう考えてもお前に会いに来たんじゃないか」
「うーん…でもこの距離だよ? 馬車だから匂いとかも辿れないだろうし…」
そこまで呟いてからリアはハッとした。まさか、馬車に一緒に乗ってきていたのか? 確かその様なネコの物語を子供の頃に読んだことがある。いっぱい名前があるネコと出会うお話だ。あれは馬車ではなくトラックだったが。
「そっか、やっぱり迷い込んじゃったのか」
「まだ言うか…」
リアの確信に対し、リヒトが呆れて応えるが、リアの考えは変わらなかった。
愛玩動物を宿屋に持ち込めるのか心配したが、事前にリヒトが話を付けてくれていた。元々、動物の持ち込み自体禁止ではないらしいが、『居なくなってしまっても責任は取れない』ことと、『物品に酷い傷が付いたら弁償』とは告げられたとのことだった。
流石に猫用の食事は用意されないが、その代わり屋内を自由に歩かせて良いと言われた。――つまり、宿のネズミを食べて欲しいということか。
疲れていたのか、リアの部屋のベッドの上でシーナはすやすやと眠ってしまった。宿屋の期待に応えられるだろうか、と苦笑しながらリアは彼女の頭を撫でる。
その様な中、リヒトが「話…良いか?」と訪ねてきた。
因みに彼は、リアの部屋に入っては居るが、扉の側で立っている。
その扉の鍵は勿論掛かってはない。
彼なりの配慮だというのは重々承知していたので、リアは「良いよ」と応え、シーナを撫でるのをやめた。
「…すまなかった。俺は愚かだった」
アリグモの時に飛び出したことへの謝罪だろう。
イリスの時にも告げて思っていたことが、まさか今回のような形で再現されるとは、リアもリヒト本人も思ってはいなかった。だからこそ、彼は実行する前に「悪い」と断りを入れたのだろう。
「…リヒトのしたことは立派だったと思うよ。少なくとも私は兵士さんたちが無残に殺されるのを見なくてすんだ…リヒトは兵士さんたちだけじゃなくて、『私』も救ってくれたよ」
「そんなの…結果論だ。それに、本当なら俺は兵士たちを見捨ててでもお前の側にいなくちゃいけなかったんだ。こんなの自惚れかもしれないけど、俺が居なくなったら、『お前』は困るだろう…」
リヒトの言葉にリアは素直に頷く。そう、記憶を取り戻してからずっとリヒトに頼り切っている『私』は、彼が居なくなったら確かに生きていけないかもしれない。
だからこそ――逃げようとしたのだろうか。
「そうだね…リヒトが居なくなったら困るけれど、でも…違うよ。リヒトが居なくなったら私は悲しい。その気持ちの方が強いよ。それに…リヒトの行動が格好良かったのは本当」
だから――真似してみたくなったのかもしれない。
「リヒト…夢を成すまでは絶対に生きてね。私も――前世の年齢よりは生きてみせるから」
その言葉にリヒトは初めて顔を歪めた。涙を堪えているのだろうか。
「わるい…本当に…ごめん。絶対に――俺――」
そう、『私』に生きていて欲しいと願う人が一人でもいるのだ。
だったら『私』も生きていたいと思うだけだ。
リアは新たに決意する。
無事にリヒトと向き合うことができたリアだったが、同時に彼に訪ねたいことが溢れてきた。
『テオス・クリーブ』、『マリア』、『エメム』、これらの関係性も含めると、日も暮れた今、長話はできない。仕方がないので、明日、城へ行く関係上、テオス・クリーブのことを確認することにした。
「リヒト、テオス様のことなんだけど…」
普段の調子でリアが質問をしてきたため、リヒトは安堵したのか「ああ」と応え、リアが聞きたいことに答え始める。
「俺も最初は気づかなかったんだけど…、彼はこの国の王子『テオス・ケー・ベテルギウス』。中間名の『ケー』って何だろうって思ってたんだけど、もしかしたら『クリーブ』の頭文字の読みなのかもしれないな」
「べてるぎうす…」
リヒトが気にしていた中間名よりも、家族名に思わずリアは反応する。
前世で聞いたことがある単語だ。
そう――ある星座の一等星……。
失われた言語が自身の知っている外国語と似ているのもあり、この世界は前世と似ている箇所もあるのだなと、リアは再認識する。
「王位継承権は第五位…だったかな、確か。術式は見た通り『火』から派生した『雷』が得意で、術式の他には多少の体術と…弓も得意だったはず…。何でも八歳の頃には既に化物を独りで斃してたらしい。でも彼の容姿が一番有名で、銀髪は勿論、印象的な目だったろ?」
「うん、とても綺麗だった」
「あの容姿だけでも『王位継承権第一位だろ!』って、派閥ができているらしい」
確かに『虹彩異色症』は珍しいかもしれないが、王位継承の順位にまで発展するとは…――、だがリアの場合も、前世は『性別で継承問題議論を起こした』国出身であるため、その部分は強く批判はできない。
「明日…会えるのかな…」
「本人はリアに会いたがってる感じだったから、会えるんじゃないか?」
リヒトが投げやりに応えると、リアが「え?」と聞き返す。「やっぱりか」とリヒトは呟きながら、溜息を吐いた。
「完全にリアを気にしてただろ…あの人」
「…なぜ? あ、家族名か……」
「まあ、切欠はそうだろうけど」
この手の話題はリアは勿論、リヒトも苦手であったため、話はそこで途切れてしまう。
リアを想う人が増えることは寧ろ、リヒトにとっては喜ばしいことであった。
問題は『王子』というその一点だけだ。彼女が色々と問題に巻き込まれるのではないか、それを危惧しないわけがない。
だが、彼女には既に強い味方が居るのも、リヒトは知った。
このことは本人に強く口止めされているため、リアが知るのはもう少し先だろうが、その時が楽しみだと、彼は小さく北叟笑んだ。