名は体を表す
「――わかりました。街の外に投げ飛ばせるか試してみます」
「ま、待って、それは駄目です! やめて!」
リヒトを助けるのにアリグモを一発で蹴り飛ばしたマリアの力なら、確かに街の外へ向かって投げ飛ばすこともできるのだろう。実際、リアを軽々と抱えて彼女は移動している。
だが、クモは――飛べるのだ。
主に幼体の頃であるがバルーニングといって、糸を使う。
勿論、このアリグモは間違いなく成体だが、クモの中には成体でもバルーニングを行う種もおり、化物化しているこのアリグモが行わないという保証はない。
それに、常に地面へ糸を張り、何かあったら元の体勢に戻ろうとするのがハエトリグモ科の特性でもあるのだ。
投げ飛ばした程度では戻ってくる可能性が高いし、戻らなかったとしても抵抗した結果、どこかの民家に落ちるかもしれない。それこそ大惨事だ。
「ならば…八脚を全て捥ぎ取って身動きができなくなったところを、腹を割いて殺します」
綺麗な顔で恐ろしいことを平気で言う。マリアはクモに対して何か憎悪があるのだろうか。彼女の提案にリアが固まっていた所、リヒトが駆け寄って来て、提案を却下した。
「駄目だ! エメムに感染したらどうする?! あれだけの巨体だ! 体液だって相当だぞ!?」
「…それならば心配ありません。私は、絶対に『エメム』には感染しない」
琥珀色の瞳でリヒトを真っ直ぐ見つめながら、マリアが答えると、リヒトは何かに気がついたのか「まさか…おまえ」と呟く。
だが、蚊帳の外の状態のリアには、リヒトが却下した理由の方が大事であった。
「まって、まってよ! マリアさんが危険な目に会うのは――感染って!」
有無を言わさないためか、マリアはリヒトにリアを預けると、地面に両手を着いて腰をあげるクラウチングスタートの体勢をとる。
正にアリグモに飛びかかろうとしているのが分かったが、リアにもリヒトにも止めることはできない。
彼女が地面を蹴ろうとした瞬間、スターターピストルの代わりだとでも言うかのように、大きな音が鳴り響いた。
だが、その音でマリアが飛び出すことはなかった。
音と同時に辺りが光で真っ白になったため、彼女は全く動けなくなってしまったのだ。
それは視力が良いアリグモも同じであった。
光が消え、視力が回復すると同時に辺りから焦げた嫌な臭いが漂っているのを感じた。
目の前のアリグモからは煙が上がっている。
起きた現象と結果を見れば、察することはできた。
――落雷だ。
しかし、今日の天気は雲ひとつ無い快晴――雷が落ちるとは思えない。
「彼女が感染しなかったとしても、エメムが含まれる液体がこの地にバラ撒かれるのは得策ではない」
本日、三度目のこの声。
リアたちの遥か背後で、片手を掲げたテオス・クリーブがその身に電気を帯びさせ立っていた。
テオスが片手を天へ真っ直ぐ上げ、振り下ろしながら「tlatlatzīniliztli」と呟くと、再び雷がアリグモへと落ちる。
暫くは脚を動かし、動く様子を見せていたが、何度か雷を落とされるとやがて動かなくなり、その肉体は灰となって崩れ落ちた。
想定外の壮大な力に、リアとリヒトも開いた口が塞がらない状態であった。
対してマリアは平然としていたが、この場に留まる理由もなくなったためか、踵を返してこの場を去ろうとする。リヒトはそれに逸早く気がつくと、「またな」と意味深な言葉を投げかけ、マリアも頷き応えると、走り去って行った。
マリアの件もそうであったが、何もわからない状態のまま、脅威が消えたため、リアはその場に座り込むしかない。同時に無力な自分に腹を立てていた。
「リア、大丈夫か?」
とリヒトが手を差し出した所、その手をすり抜けるように、別の手が彼女の身体を支えて持ち上げる。
思わずリアもリヒトも対象者を確認するが、「僕の城へ行こう」とテオスが告げたことで「やっぱりか…」とリヒトが全てを悟って呟いた。
「この様な場で恐縮ですが、私は明日訪問する予定の『リヒト・ファンゲン』と申します。そちらのリア嬢も同じく伺う予定です。ご厚意感謝いたしますが、今回、我々は一先ず宿へ戻らせていただきたく存じます。…テオス殿下」
「!?!」
リヒトが頭を下げて畏まる。
テオスに抱えられているリアは、驚嘆の余り絶句した。
――道理で、『資料を読みたいのか』と訪ねてきた訳だ。彼は疑いようもない王族なのだから。
「ご無礼をお許しください!」
リアが慌てて身体を起こし、テオスから離れて降り立ち頭を下げる。
リヒトも彼女の側に立ち、再び頭を下げた。
「…構わない。だが、確かにその方が良いだろう。明日、城で」
テオが城の方へ向かおうとしたところ、何か思い出したのか「そうだった」と告げ、リアの前に再び立ち戻る。
「閲覧制限がかかっている資料だが、許可を出しておいた。いつでも読むと良い」
「あ、ありがとうございます」
リアは深く頭を下げ、そしてようやく笑顔を向けた。
テオスはその様子に安堵したのか、再び歩きだす。今度は振り返ることは無かった。