報連相は大事
ファンゲン家への訪問から三日経ったある日、今度はリヒトがリアの家を訪問した。
彼の嬉しそうな笑顔から出た言葉は、とても上々としていたが直ぐに収縮することになる。
「リア! 俺、父上の命で王都に行くことになったんだ! だから一緒に――」
「行かないよ?」
「…………なんで?」
彼の様子に一瞬、憐れみを感じるが、彼女の信念も曲げられない。
「リヒトは馬車で行くんでしょう?」
「当たり前だろ」
「そんなお金は持ち合わせてないから」
「俺の従者として行けば良いだろ…」
「ファンゲン家と雇用契約してないので、嘘は駄目」
「王都に行きたがってたじゃんか」
「王都にはちゃんと行くよ。……近いうちに」
「………まさか、徒歩か?」
押し問答していた最中、リヒトが思わず嘆く。
そう、リアは徒歩で向かうつもりであった。恐らく半日近くかかる距離だが、無謀ではない。馬車で向かったとしても、王都を巡る関係上、宿泊は逃れられない。ならば、リアにとって馬車と徒歩は余り大差なく、馬車代を浮かせられる方が良いとさえ考えていた。
「……はあ……此処まで俺と父上の予想通り…」
リヒトがぼそりと呟くと、懐から一通手紙を取り出しリアに差し出す。
リアは素直に受けとり、手紙を確認した。
宛先はファンゲン家のため、封は開封されていたが、封蝋に捺印された印璽に見覚えがある。獅子にリボンがあしらわれているように見えるこの記号は国章――
「因みに俺が行くことになった理由は王命でもあるんだ」
「………それはすごいね…」
「父上が王にある報告をしたからな」
何故だろうか、瞬間、嫌な予感がしたためリアの背中に悪寒が走る。
「化物化したクモを二人で駆除した。うち一人は騎士を目指し、うち一人は虫に詳しいと言われれば、顔を見たくはなるよな」
「なんでそうなったああああ???!!!!」
リアが悲鳴を上げる。
いつどこでだれが『私は虫に詳しいです』と申し出た?!
リアが顔を真っ赤にして抗議すると、「それに関してはごめん」とリヒトは謝罪する。
どうやら彼はかなり掻い摘んでソルに報告していたらしい。
『「クモじゃない」とリアは言っていた虫だった』
『リアはその虫の特性に詳しかった』
『リアの助言(ただし虫のことではなく『湯』のこと)で化物化している虫を倒した』等であり、確かにこれだけ聞けば、虫に詳しい人だと思われるかもしれない。
「リヒト…報告はしっかりできないと駄目だよ…騎士になりたいなら尚更…」
「申し訳ありません。――で、一緒に来てくれるよな?」
「誤解も解きたいから……行くしかないけど…」
リアが苦虫を噛み潰した様な顔をしながらリヒトを睨み付ける。
頭では納得するが、心は許せない。
このようなことで、『人間の構造』を理解する日が来るとは思ってもいなかった。
リアからの快い承諾が得られないリヒトは、更に懐から封筒を取り出しリアに見せる。封筒は二通で、それぞれリアとリヒトの名前が書かれていた。
「それは?」
「お前さ、王都の図書館に部外者が入れると思うか?」
「!!?! まさか…!」
全館閉架式、もしくは専門図書館なのか?! とリアの顔が蒼ざめる。
前世で『私』が利用した図書館は公共図書館や学校図書館、大学図書館くらいであった。
国立図書館や文庫博物館も利用したことはあったが、身分証明書を提示し、利用者登録を済ませれば、荷物をコインロッカーに預けたり、透明のビニール鞄なら持ち込めたりしたので、全く入館できない図書館に関しては完全に失念していた。
一般人が普通に利用できない図書館や、有料会員制があるのは知っている。
それこそ中世の活版印刷が無い時代、つまり写本は貴重であったため、書架棚と資料は鎖で繋がれていた程だ。
公共図書館から無料で借りた資料を平気で延滞したり、汚破損したり、横領する人々は、自分がいかに恵まれた上で愚かなことをしたのか自覚して欲しいものである。――思考が逸れた。
「そんな…でもイリス様の話だと……」
そう、彼女が言っていたのは『旧世界の時代に近い資料の閲覧は王族の許可が必要』のみであった。
否、もしかしたら王都の図書館は平民では利用できなことはこの世界共通の一般常識なのかもしれない。それならばわざわざ伝えることないだろう。
それにイリスは『入館できる』とは一言も言ってはいなかった。
術式を教えている施設の存在を伝え、王都へ行くのを勧めただけだ。
明らかに落ち込んでいるリアに、リヒトは「だから」と切り出し、話を続ける。
「母上は、端から父上に話を通すつもりだったからな。これは父上が作成した紹介状なんだ。俺とリアが図書館の資料を閲覧、必要なら複写できるように…」
「え?」
「父上はこれを代価に王都へ行って欲しいと言っている。その分の費用はファンゲン家持ちだ。リアが気に入らないなら、出世払いでって話だ。…今回は父上の顔を立ててくれよ」
そう言いながら、リヒトはリア宛の紹介状を彼女に渡す。先程と違い風蝋は無いが、リアにとってこちらの封筒の方が遥かに貴重だ。
「……わかった。よく考えなくても私に損は全く無いもの。私が気に入らないだけ。この間からずっとリヒトの世話になってるから…」
「何言ってんだか。俺だって結構助かってるんだぜ? 人に教えるには自分はその倍以上わかってないといけないんだからな。おかげ良い復習になってる」
リヒトの言葉にリアは安堵している様子だ。
だが、次には手紙を持って立ち上がり、簡単な身支度をする。
「リア?」
「直接、ソル様とイリス様とお話したいから」
「そっか」
手土産は何にしようか悩んだ結果、先日物々交換で手に入れた少量の果物に決めた。