【閑話】自称異世界転生者に苦悩する王子様のおはなし
本日、何度目か分からない溜め息をテオスは吐く。向かっていた机から体を傾け、傍らの窓へ手を伸ばした。
外界は、雲ひとつない青空。名も知らぬ小さな鳥たちが我が物顔で飛んでいる。
ふと視線を下へ移すと、殺風景な訓練場と己が鍛え上げている兵士たちが見えた。同時に彼らの声も認識することになる。
大勢が円を作るように座り込み、中央には二名。片方はテオスもよく知る人物であった。
「ライオネの…」
口にして、思わずテオスは苦笑してしまう。その人物は『ライオネ』ではないのに、その名を先に口にする程、彼は恋しいようであった。
ライオネとは、ベレム村出身のとある女性のことだ。
王族であるテオスが、本来ならば生涯出会うことも、会話することも無かったであろう彼女と知り合ったのは、偶然であった。
父親である国王が、気まぐれで平民たちを呼びつけ、その平民の片割れの家名が『ライオネ』であり、テオスが獅子を好んでいたからこそ目についた人物であった。恐らくライオネが『男』だったとしても、同様に興味と好意は抱いたであろうと、テオスは思う。
因みに彼女だが、正しくは『ライオネ』ではない。
『リア・リオネ』。
それが彼女の名前であった。テオスは一度、実の姉に指摘されたが、リアが訂正を求めないのと、己の羞恥のために改めていない。
長名の者は愛称で呼ばれることもある上、件の実姉も彼女を『ライオネ』と呼ぶのだから、尚更テオスは開き直っていた。…否、『ライオネ』と呼ぶことに特別な想いを表し、優越感を抱いているのだろう。
…そのライオネの幼なじみ『リヒト・ファンゲン』が、訓練場に居たのだ。
彼――リヒトは、王都では有名人である。容姿端麗なのも一部の女性陣から支持されているが、その圧倒的な『力』が原因であった。腕力ではない。業、人格、行動…ただしそのうちの行動は、突拍子もなく危ういのがタマに傷だ。そして――『畏怖』だ。
『畏怖』に関しては当初、国は隠蔽しようと思っていた。リヒトのため……敷いては国民の不安を煽らないため。しかし、彼の『畏怖』は軍という大衆に目撃されてしまっていた。残念なことに、この国の軍は情報漏洩が得意なのだ。良い例がある。ライオネが王都に現れた史上最大の化物を、炎の術式によって一瞬で蒸発させた事件――これは国中に知れ渡り、彼女が『王族』の一人に見初められていることまで広まった。結果、彼女は隣国で指名手配されている犯罪者にまで付け狙われたのだ。
話を戻す。リヒトの『畏怖』とは、『化物の体液を浴び、エメムに感染し、同じく化物になりかけた』という事実。国としては『化物になりかけた』とも『完治した』とも公表はしていないが、彼が『化物と交戦し、負傷した』という事象は隠匿しようがなかった。だからこそ国民の中には畏怖し、疑う者も当然居る。
彼の父親が爵位を持つからこそ、これ幸いにと潰そうと目論む貴族、派閥もあったが、それは王族――主に国王とテオス、そして彼の姉であるテトラという勢力で押さえつけられている。
特にテトラは、この国を支える総合組合の中心人物であり、『能力者』だ。彼女の言霊に逆らえる者も、彼女に逆らって命を危険に晒す度胸も無い輩など、簡単に捩じ伏せられる。
勿論、彼女はそこまで恐人ではないが。
だからこそ、リヒトは国軍の訓練に参加できているのだ。彼の将来の夢は『他者を助ける者』になりたいという、実に立派なモノだ。現在はその内容に若干のぶれはあるものの、根本は何も変わってはいない。その様な彼を国も歓迎していた。
現在リヒトは、正式に軍へ所属し、その訓練にも顔を出せている。ただし、彼が忠誠を誓うのは『王』でも『国』でも無い。ひとりの女性であろうことは、テオスも十分理解していた。
怪我をしないようにと、木剣を交える二者。遠目からも分かる通り、リヒトが圧倒的に優勢であった。彼の剣はほとんど我流な上、一見隙があるような構えなのだが、それは誘いでもあり、速さでもある。
同じ木剣を使用していたはずなのに、見事に割れ砕かれた瞬間、相手は降参した。降参と同時に、囲んでいた兵士たちが一斉にワッとどよめき動く。遠目からもよく分かる動きと興奮に、テオスは思わず声を出して笑ってしまった。
多くの兵士たちは彼よりも歳上であるのに、その姿が幼子に見えたからだろうか。
「お前が笑うなんて、どんな面白いものかと思ったら、野郎しかいねーじゃねえか」
背後からテオスのモノではない声が響く。
その声色、口調、そしてこの場に居ても問題ない相手。即座に察し、テオスは首だけを梟の様に滑らかに回す。振り向くだけでも美しい所作となる彼の顔は、既に笑顔では無かった。
「うお、一段と不機嫌になったな」
声の主が顔を引き吊らせながら、一歩だけ後退る。
「…扉を叩く音など、聞こえなかったが」
「ドアマン?には許可とったぜ? 夢中になって周囲に気を配れないのはどうかと思うぞ、危機管理能力足りないんじゃねーの」
声の主の聞き慣れない単語に一瞬テオスは硬直するが、確か古代の言葉で『扉』と『人』を意味したことを思い出す。だからこそ、能力不足を突かれた方が、彼には衝撃であった。確かに夢中になっていた。半分以上、『ライオネ』を考えていたのも羞恥である。
「…君は、もう少し言葉使いを改めた方が良い。古代語を頻繁に使うのも感心しない」
「仕方ねーだろ。生まれたくて王子様になったんじゃねーし。古代語?だって前世では使ってたの、ふつーに!」
「前世…」
テオスは目を伏せ、頭を抱えて呟く。目前のこの男の口癖であった。
アダマス国に隣接している国、コロンバとは別に『ハレ』という国がある。ハレもまた、アダマスと同じく君主制の国家だ。
テオスの部屋に入り、口調が粗暴なこの人物は、その国の第二王子である。歳はテオスよりも二つ下であるが、幼い頃から付き合いがあるためか、対応は対等であった。
しかも彼は『変人』だ。この城では、それこそルートが有名であるが、別の意味で彼は『変わっていた』。
『異世界から転生した存在で、前世の記憶がある』と彼は自称しているのだ。
勿論、テオスは『異世界』も、『転生』も、それこそ『前世の記憶がある』という事柄を信じていない訳ではない。呆れてもいない。問題は、『異世界』からの『転生』はあり得ない…という通説が男に通じないことだ。
「ったく、神もさー…何で俺にチート能力授けてくれなかったんだろーな。使える魔法…じゃなくてジュツシキ?だって微妙だし。『俺、なんかやっちゃいました?』言えないし。ハーレム全然ないし。王子って別にいーことねーし」
「神…」
テオスが否定も訂正もしないためか、彼の話しは止まらない。
「そーいえば、お前、好きなヤツできたんだって? 城の奴らが言ってたぞ。『今日、テオス殿下の想い人が来てるのよ』って――」
男の話が終わらぬうちに、テオスが勢い良く立ち上がった。その瞳が爛々と輝いており、「あ、マジなのか」と男が呟く。
そう、よく考えれば必然だった。
あのリヒト・ファンゲンが、一人で城に来ること自体稀なのだ。テオスの姉、テトラとの契約で、『ライオネ』と彼は共に行動することの方が多い。リヒトが軍に召集されれば、高確率で彼女も付いてくるだろう。
「悪いな、クロム。僕は用事ができた」
テオスに『クロム』と呼ばれたその男は途端、玩具を与えられた子どもの様に笑顔を見せる。
テオスとは長い付き合いだが、彼が一個人に興味を示す様な人物だとは、思っていなかった。
そのテオスを虜にしている女だ。絶世の美女か。乙女ゲーとかでよく見る『おもしれー女』か。確かめたいに決まっている。
「奇遇だなー、俺もお前と同じ用事なんだ」
□●□
「リヒト、お疲れさま」
兵士たち一人一人の対応をした後、草臥れた表情を見せたリヒトに、アイが声をかける。その声に、パッと笑顔を向けた彼に、「なんだ元気そうだな」とアイも笑顔を向けた。
「いや…精神的には疲れてるよ…」
水袋を渡そうとしたアイの手を、同じく手で制止ながらリヒトが呟く。掌を握っては広げ、握っては広げと繰り返し、次には胸元に指先を這わせた。その様子を見て、アイは眉を潜め、周りに聞こえないよう小声でリヒトに尋ねた。
「ゴエーテイア…見てやろうか?」
「あ、いや、こっちは問題ないんだ。…でも、以前より筋力も気も有り余ってるからさ、加減が難しくて」
化物となりかけたリヒトの身体。その原因であるエメムは取り除かれている…とされている。実際、胸に埋め込まれているゴエーテイアから、結晶化したエメムは欠片も出てこず、異様になりつつあった五感は通常に戻っていた。アイの様な特異な力も開花せず、一般人と何一つ変わらない。先に挙げた筋力と気の保容量以外は。
「どちらかというとそれは、『獣人』のサイボー?の恩恵じゃないかな。一時的とは言え、『世界の概念』宿したみたいなもんだし。それに、牛族の乳とか未だ摂取してるんだろう?」
「…保存が効くように固形状態で送ってくれるからいただいてるけど、本当、申し訳ないんだよな…」
リヒトの所には、定期的に獣人の集落からチーズが届くらしい。それは勿論、牛やヤギの獣人の乳でできている。彼女らは確かに獣として、集落でその乳を提供しているが、本来ならば、自身の乳飲み子に与えるべき栄養源。集落の人々だけではなく、赤の他人にまで提供しているのは、リヒトにとって心苦しかった。
「リヒトは本当、良いヤツだな」
曇った表情のリヒトに、アイが笑顔を向けて言う。慰めでも労りでもないその言葉に、リヒトは顔を真っ赤にして応えた。本当、アイはさらりとこのようなことを言うから気を付けた方が良い。
老若男女問わず、王都で噂になっているのをそろそろ告げた方が良いのかもしれないと、リヒトは察していた。
「え……テオス。お前の想い人って野郎なの? どっち?」
リヒトとアイの談話に、水を注すような発言。
思わず音源を確認したところ、テオスと見知らぬ男性が立っていた。二人の存在に気がついた周りの兵士たちは武器を下ろし、その場で敬礼する。アイは勿論、リヒトもよく分かっていなかったが、彼らに倣った。
テオスの傍に立つ男性。この国では珍しい黒髪で、瞳は碧く、肌は濃い。背丈や背格好からもテオスよりは歳下で、自分と同じくらいではないかとリヒトは感じた。口調は荒いが、身形は体を表している。彼は王族かそれに等しい――そこまで思考して、ようやく男性の胸元の国章に気がついた。
隣国ハレの象徴――翼と角を持った兎――だ。そういえば、ハレの王族は黒髪が多いということも思い出す。
「かたくなるなって。俺は『クロム・アル・アルネブ』、よろしくな」
「ハレの第二王子の…?」
「へえ、第一王子じゃなくて、俺も知ってるのか。俺ってちょー有名人?」
思わず呟いたリヒトに、クロムが嬉しそうに笑い、テオスを見る。前にクロムに教えられた通称『ドヤ顔』であると認識したあと、無下にもテオスは告げた。
「クロム。彼はリヒト・ファンゲン。ソル・ファンゲン子爵の息子だ」
「あー…お前んとこのお気に入りの…どーりで」
「あと、君は悪い方で有名人だ」
「なんですと…?」
クロムが目を細めながらテオスを睨み付ける。しかし、彼らはなぜ此処に来たのであろうか。兵士への弓訓練も本日では無かった筈だ。リヒトが首を傾げながら二人の様子を伺っていると、彼の疑問に答えるようにアイが発言した。
「テオスたちは何でここに? 訓練か?」
瞬間、周りの空気が凍りついたのをリヒトは感じとる。アイの分け隔てない対応と態度は、王族に対して行うには不敬過ぎだ。勿論、テオスが気にしないことをリヒトは知っているので、彼を正そうとは思わない。
「…否……」とだけテオスは応え、続く言葉に困っている様であった。次はアイが首を傾げる番だ。テオスが何に対して悩んでいるのか、彼には検討もつかないらしい。――が、リヒトはクロムの発言と統合させ、状況を推測することができた。
「もしかして、『リア』を探しているのですか? 殿下」
テオスの両眼が見開き、クロムも同じく嬉々と反応する。「お! 女っぽい名前!」と言ったことからも間違いないだろう。
「リアはルートさんのトコにいるぞ? この間の化物のことを報告してる」
「ああ、城内に巣くっていたアレか」
リヒトに続き、アイが言うと、テオスも覚えがあるのか会話に加わった。そのテオスの言葉に驚嘆したのは他でもないクロムだ。
「は? 城ん中にモンスターが居たのかよ!? 大丈夫か、この国!」
「大丈夫だよ、人的被害は無かったんだ。俺たちが倒したし」
狼狽しているクロムに、アイが抗議の声を上げる。「人的被害はね…」と目を伏せながらリヒトも含みがある言い方をした。
「いや、どんなヤツが居たんだよ…城ん中って…虫とかトカゲ系か?」
「リアは『ユウレイグモ』って言ってたな」
「幽霊雲? ……ん? クモ…? 八本足の?」
「そうだけど」
「え、巣くってたってことは巣張ってたのか? 何で気づかねーの…ゆとりすぎだろ…」
落ち着きを取り戻しながら、今度は叱責を始めるクロムに、テオスも反論できないのかアイとクロムの会話に入らず、静観している。
由々しき事態であったのだ。化物を倒せたから良いという話では無かった。
「もともと『開かずの間』だったんだよ。多分、まだ身体が小さい頃に通気孔とかから入り込んだんじゃないかな。クモは元々飢餓に強いし。同じく入り込んできた虫や小動物を食べて大きくなって、そのまま出られず巣くう結果になったんだと思う」
「リアも同じことを言ってました」
節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目ユウレイグモ科。家屋の室内に網を張ることが多い、造網性のクモだ。薄暗い場所――天井などに垂れ下がるような網を張り、歩脚が細く、全体的に色白いクモだった場合、イエユウレイグモだろう。その姿が『幽霊』の由来だ。だが、か細い歩脚のその姿は、『ザトウムシ』にも見えるかもしれない。
勿論、洞窟などに住み着くヤツも居るので、家屋限定という訳ではない。そもそもクモ自体、そういう生物だ。
「『開かずの間』って…なんだよ、テオス。その曰く付きの部屋は…そんなの城にあったのかよ」
「? 扉の鍵を紛失し、開けられなくなっていた簡易倉庫だが」
「まぎらわしいわっ!」
化物の正体を知って安堵したのか、クロムが次に気にしたのは、部屋の方であった。しかし、それもテオスの言葉で一蹴され、思わず突っ込んでしまう。城の一部屋が使えなくなっていたのに、悠長過ぎるのも問題だ。巣くっていたのは化物ではなく、悪人の可能性だってあったわけだ。
「『開かずの間』ってどれくらい開いてなかったんだ?」
「…たしか…三十年くらいだったか…?」
「俺たちが生まれる前からか…そりゃ景色の一部になるな…。でも、何で気付けたんだ?」
「新参者が入るようになれば、話題にもなる」
この新参者とは、城に勤めることになった者や、リアとリヒトなど本来は部外者であったが、出入りするようになった者たちを指す。前者は「その部屋は今は使ってなく、鍵も紛失している」と引き継いでしまえば、終いになるが、後者――特にリアに関してはそれでは済まなかった。
「リアが独自で調査したところ、『開かずの間』の周辺区画は、害虫や害獣が全然居なかったみたいなんです。最終的には知り合いの獣人が通気孔から入り込み、目視したんですが」
「そうじゃなくてもクモが苦手なヤツは、勘が働くからなー」
蜘蛛恐怖症の人々は、クモの好む場所を予測することができる。実際にその場にクモが現れた場合、「やはり」と思うのと同時に、酷く絶望するのだ。なぜなら、何も無い場所、固定されて移動できない物体の影だった場合、対処・対策のしようが無い。
「でも、室内の化物をどうやって退治したんだ? 炎とか使えねーし。剣? そもそも扉をどうやって開けたんだ?」
王子であるクロムは、大事に育てられてきた。本人は「冒険者になってギルドでクエストやって、俺TUEEEやりてえええ」とは言っているが、当然周りは良しとはしない。護身術として剣術は習わせてもらっているが、その程度だ。
よって、彼に戦術のような知識も思考もない。前世では虫などを捕まえ、偶発的に殺めたことはあるが、今世の化物とは規模が全く違う。合わせるならば、大型肉食獣にその身ひとつで立ち向かうのが正しいだろう。
「ん? 扉は鍵を壊しただけだぞ? 扉と壁の隙間から、本締を切断したんだ」
「ああ、鋸で…」
「鋸?」
説明の途中で納得したのか、クロムが話を折る。折られたアイはまたも首を傾げた。本締は金属で出来ていた。確かに鋸で金属を切ることは不可能ではないが、振動と音が響いてしまう。化物はそれらにとても敏感になっている生物だ。…ならば、親父特製の短刀で素早く切りつけた方が早い。実際にアイはその方法を取った。なぜなら、あの化物を退治するのに、『時間』と『素早さ』が要求されたからだ。
「んで、化物は?」
室内だから過度の火も水も使えない。そういえば、テオスは火の派生である『雷』が得意であったと、クロムは思い出して彼を見るが、テオスは首を振った。
「俺が倒した。刀で頭を真っ二つにして」
アイが苦もなく当然の様に言ったので、クロムは目を瞬く。ん? こいつもしかして、チート持ち? そう言えば、日本人みたいな顔してるな、と舐めるような視線でアイを確認し出す。その様子にリヒトは溜め息を吐きながら、「それじゃ説明になってないよ、アイ」と捕捉した。
「…開かずの間はその名の通り、何年も使われてませんでした。必要な物が収納されていなかったため、誰も気にかけず、扉と通気孔以外、入る手段が無い密室です。当然、窓もありません。当初は火攻め、水攻めをしても、城への影響は少ないと考える者も居ましたが、リアが一番反対しました」
「? なんで?」
「『確実に殺せた』という確証が得られない手段だと」
中々、鬼畜な発想の持ち主だとクロムは考える。これは『おもしれー女』に一票だ。
「化物はその性質上、視力・聴力・筋力等が特化している。ずっと暗い部屋に居た化物ならば、突然周囲が明るくなれば、目が慣れるのに時間がかかる…まあ、それでも一瞬だけど」
「だからこそ、通気孔から化物の位置を観察し、天気が良い日を狙い、条件が揃った所で素早く鍵を破壊。扉を開けた一瞬の隙で、アイが仕留めました」
彼らの説明で、先ほどクロムが納得した部分は破綻していたのだが、彼が気づくことはなかった。なぜなら、クロムはアイに対して、またも勝手に確定してしまったのだ。
「やっぱりそうか! アイ! お前、俺と同じ異世界転生者か、異世界転移者だろ!」
指をビシッとアイに向け、自信満々にクロムが声を張り上げる。またも周りの空気が凍りついたのをリヒトは感じた。
「異世界…転生と転移?」
アイが片眉を上げ、この話題をリアとしたな、と思い出す。異世界転移は可能性として有り得るが、異世界転生は『無い』のが通説だ。もしかしたら、クロムはリアと同じ時代かそれ以前の前世持ち? とアイが思考で固まっていたところ、テオスが漸く発言した。
「すまない。クロムは前世の記憶があるようなのだが、『変人』なんだ」
「その言い方やめろ! 俺が変態みてーじゃねーか!」
「…俺は異世界転移者でも、転生者でもないよ」
アイは苦笑しつつ、それだけ告げた。少なくとも、三十八万年間は…という言葉は自身の中に飲み込んでいる。もしかしたら、以前は異世界にいたのかもしれない。前世等の記憶は欠片も無いが。
「うっそだろ、顔だって『日本人』だし。素早く化物を倒せる必殺技とかを、神とかから貰ってるんだろ? すっげーうらやましいんだけど」
続いたクロムの言葉に、アイは驚嘆して目を見開いた。『日本人』と『神』の存在を肯定する発言から、彼の前世はリアの時代か、それ以前であることは確定だろう。同時に自分を『日本人』と言ってくれたことに、アイは酷く興奮してしまった。嬉しかったのだ。
「ニッポンジン?」
リヒトとテオスが思わず復唱する。馴染みが全く無い言葉なのだろう。
仕方ない……日本という国は、旧世界の後期、いち早く消滅した。アイもあの頃の記憶は朧気だ。悲しみと憎しみと嘆きの感情が渦巻き溢れ、吐き気を催すため、再認を避けてきた。父親が殺され、母親が化物化し、親父に助けられた。その事実だけ忘れないようにすれば良い。実父と母の記憶は楽しく、美しく、明るく、幸福であった。幸福であったのだ。
「あーあれか、覚えてないパターンか、もしかして…」
「君は良い加減、黙ってくれないか…」
「…クロム殿下は、独特な話し方をしますね…」
クロムの古代語の頻発と言い回しに、テオスとリヒトがとうとう音を上げる。アイも得意では無いため、理解できない部分もあった。後で、リアに訊ねようと心に誓う。
□●□
「テオス様、どうしてこちらに」
四名の会話が終息し始めたところで、女性の声が響いた。その声は正に油だった様で、鎮火しかけた火の勢いが戻るような気配に、女性――リアは驚嘆する。
声をかけるべきでは無かったのかもしれない。
「リア!」
「おかえりなさい」
「お前がリアか!」
「……」
男性一同が、一斉にリアを見る。うち一人は全く見覚えのない男――少年?――だったので、彼女は警戒心を露にした。身形は上品であったが、見た目が黒い。この国ではあまり見かけない、しかし前世では馴染み深い黒髪に驚嘆したのだ。
「ただいまかえりました、アイさん」
挨拶をしたアイに近づきつつ、同じくリアは挨拶で返す。アイに近づくということは、リヒトに近づくことであり、テオスと見知らぬ男と距離をとることであった。
テオスはリアを見てから声を発していないが、流石に挨拶しないのは不味いだろう考え、リアは服の裾を軽く摘まみ上げて頭を下げる。
「リア、殿下の隣に居られる方は、隣国ハレの第二王子、クロム・アル・アルネブ殿下だ」
「! これは、大変失礼いたしました」
「いいっていいって。俺、かたくるしーの嫌いだから」
テオスが何も言わないため、リヒトがクロムを不敬ながらも紹介した。少刻会話をしたが、クロムもテオスと同じく、『気にしない』性格であるのは充分に分かる。…テオスが何も告げないのは、リアに出会えたことで感極まっているからだが。
反して、クロムはリアをじっと見つめた。その視線は先にアイに向けたモノに近い。
「…絶世の美女ってわけじゃねーな。胸もケツも普通だし」
「!」
「なっ…」
クロムの暴言に、再び空気が凍りついた。二度あることは三度あるとはよく言ったものだとリヒトは感じる。この言葉は、先日アイに習ったモノであったか。
周りの兵士は慌てふため、テオスに至っては静かに怒っていた。リヒトとアイはどうして良いか悩む。反して、リアは困惑していた。この場合、侮辱されたと怒るべきなのだろうか。『私』は、何とも感じないが、『リア』には失礼であるに違いないのだ。
「クロム殿下は絶世の美女をお探しですか? 一人、紹介できますが…」
リアが言ったところで、遠くから猫の鳴き声が響く。「絶対に嫌だ」と主張する、愛猫の声であった。なぜ分かった、シーナよ。
「いやいや、俺じゃなくてさ。テオスがあんたのこと気に入ってるみてーだから、会いたくなって。悪い悪い。やっぱ、『おもしれー女』だな、こりゃ。テトラ殿下とも仲良いらしいし、テオス」
『面白い女』。
言っている単語は普通であったが、リアは引っ掛かりを感じた。黒髪に王族らしからぬ言動のせいだろうかと、首を傾げる。
「んで、リア。テオスのことどー思ってんの?」
「やめろ」
意気揚々とクロムが訊ねると、即座にテオスが睨み付けて制止の発言をした。本日、初めて聞いた言葉の内容よりも、彼の年相応な態度が新鮮で、リアは当然驚いた。テオスに心許せる友が居ることを知れたのは良かった、と素直に安堵する。
「テオス様には感謝と尊敬の念を抱いております」
「あ、姉上に聞いた…」
「ん? つまりリアは、テトラ殿下にも会ってんの? やっぱ普通じゃねえな。あんたも転生者?」
「え?」
通常の会話でさらりと訊ねられた単語に、思わずリアは停止する。動揺を隠しつつ、リヒトとアイを確認するが、彼らも気づかれない程度の動作で『否定』した。自分のことは暴露するのに他人のことに対して口が固い彼らが、リアの秘密を告げる筈がない。よく考えなくても分かることであった。
もう一度、落ち着いてクロムの言葉を反芻する。そう、『お前も』と彼は言ったのだ。
「クロム殿下は…前世の記憶をお持ちなのですか?」
「そーなんだよ。ココとは別の世界でさー。もっと科学が発展してんだけど」
聞き覚えのある台詞――正確には、リアには言い覚えがある台詞であった。
『異世界転移』は有り得るが、『異世界転生』は無いのが通説。この世界を異世界と感じてしまう時間軸の前世持ち。つまり、クロムの前世は『旧世界』の住人であり、『私』と同世代の可能性が高い。それでも、『異世界転生』の可能性も視野に入れるべきだ。立証されていないだけで、実は存在するのかもしれない。
「科学…となると具体的には?」
「お? 信じてくれるの? いやさ、本当この世界、くそ不便で。テレビもパソコンもねーし、何よりスマホだよな。アレが前世の生活の八割占めてたんだよ。ゲームもできないから、ストレス溜まるし…」
突然喋りだしたクロムに、テオスとリヒトは呆気にとられていた。反して『私』は、同意しないように気を付けながら聞く。現時点で、彼の話は『旧世界』と大きな違いが無いと思われる。その様なリアの傍で、アイは「パソコン、スマホ…」と一部の単語を読み上げていた。後で、リアに確認しようと思っているのだろう。
「テオスが『雷』得意だからさ、電気とかあると思うじゃん。ねーの。明治時代とかにはあったんじゃねーの電気って…この世界遅れ過ぎだろぉ」
確かに明治時代には、家庭電灯が普及していたはずであると『私』も認識している。だが、電気――電流や電荷などは、もっと過去から研究されていたことだ。何故なら自然界には雷は勿論、自家発電する生物だっている――はて、それらも実は『術式』『法式』の一種だったのだろうか。
しかし、クロムから明確な『明治時代』という単語が出た。彼は恐らく『私』と大差ない時代――さらに日本人だろう。
「…アイさん、電池って無いんですか?」
小さな声でリアがアイに訊ねると、彼は面目無さそうな顔をする。
「一応、何個か『停止』しているモノを保管しているけど、停止されてるせいで化学反応が起きないんだ。分解もできないから内部構造も不明だし」
「あー……」
『私』も電池を作成した経験は無かった。
紀元前に、通称『バグダッド電池』があったとされ、確か土器に、固定された銅製の筒、筒の中に鉄製の棒……あとは電解液(実験では酢かワインが用いられた)を満たして、発電できたのではないかと言われている。が、電池ではなかったという説もあった。
金や銀をめっきするには充分の電圧だったらしいが、クロムが求めている電圧では無いだろう。
太陽電池や二次電池が作れれば、確かに生活を向上できそうだが、その電池を充分に扱う術も『私』は知らない。もっと理系な自由研究をするか、理系の部活動をしていれば良かったと痛感する。レモン電池とかジャガイモ電池の実験だって、立派なボルタ電池だったのに。
「うーん、化学式とか忘れちゃったなぁ…」
「俺の時は、それこそ停電とか多かったから…余計馴染みがなくて…」
「停電なら、電池は必須では?」
「逆。手に入らないから、『電気』は無いものとして扱ってた」
「ああ…」
お互い小さな声で嘆く。
「だがしかし! 俺だってただただあぐらをかいてたわけじゃねえ。無いなら作れば良いんだよな! これこそ正に転生者特権! チート! 一応、俺の国では流行ってんだぜ!」
突然、クロムが腕を交差し、奇妙な格好を決める。ああ、前世で言う『ドヤ顔だな…』とリアは思い、そして彼が掲げた数枚の紙を見ることになった。――正しくは、名刺サイズの厚紙…カードだ。一瞬トランプカードかと思ったが、それは違うとすぐに分かった。
カラフルな色彩、綺麗な絵。その絵は額縁のような枠絵に納まっている。絵柄は一枚一枚異なっており、ヒト・獣人・異人を含めた人間、世界種、化物、武器・道具…多種多様であった。正直、共通性が分からない。そもそも電気の話はどこにいってしまったのか。
……占いに使うカード? それにしては、枠外の文字――文章が多すぎると、リアは思った。一枚、文章を心の中で読んでみる。
(自分の陣地上の法式・罠手札を全て破壊する。その後、破壊した手札の数だけ相手の陣地上の法式・罠手札を破壊する。)
「……? え」
リア――『私』は思わず声を発した。書いてある文章の意味は解らなかったが、これが何であるかは即座に理解してしまった。
アイも同じだったのだろう。
「え、コレって、トレーディングカもが」
思わず漏れた言葉を抑えるように、慌ててリアがその口を片手で塞いだ。
「なんだ? アイ、知ってるのか? やっぱりお前…」
「ア、アイさん、隣国によく行きますもんね」
反応するクロムを遮るように、リアが代弁する。正確には、隣国はコロンバのことであるし、隣国どころか世界中移動している可能性があったが。リアの発言を理解して、アイは大人しく首を縦に振った。
「まあ、コレのおかげでギルドも絵描きのクエストとか発注してるくらいだしな。いやでもまだまだこれからだぜ! 前世と同じく、ギネスに載るくらい世界中に流行らせねーと!」
□●□
「アイさんが『トレーディングカード』を知っているのは意外でした…」
「室内遊びの一つだったんだよ。父さんが教えてくれて…」
クロムがリヒトとテオスを巻き込み、彼の発明品である『遊戯』が如何に素晴らしいか、実演し始めた。屋外でやる『遊戯』では無いだろうに…と思いつつ、今日は雲一つ無い快晴であったことを自覚する。リアとアイは少し離れて彼らを眺めていた。
「父さんも本来屋外で遊ぶのが好きな人だったから…あのカードゲームは新鮮で…。なんか病院で知り合った人に教えてもらったって、言ってたような…。それに俺の知ってるカードそのモノだぞ、アレ」
「私も…流石にアレは知っていました」
『最も売れているカードゲーム』としてギネスブックに載った、有名なトレーディングカードそのモノであった。旧世界から現世界の今、著作権等はとうに存在せぬが、後味が悪い。それこそ、関係者が転生して記憶があれば訴えられそうだ。
「…アイさん。あのカードゲームはやらない方が良いかと…」
「うん」
「そのうち、クロム殿下、大会とか開きそうですし…」
「勝ち上がる人、全部を疑いそうだもんな…」
『お前、異世界転生者だな!』
浮かび上がる光景に、リアとアイは苦笑した。
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今日は散々であった。
テオスは手元に残った紙切れを見つつ、溜め息を吐く。紙切れ――クロムは『手札』と言っていたが――は無理やり渡されたモノであった。過去に何度か渡されそうになり、都度断っていたが、巻き込まれていたリヒト・ファンゲンの手前、無下にはできずに受け取ったのだ。
「お前、ライオン好きだもんな」と渡された紙切れは、獅子と植物を合わせたような化物が描かれており、自身が敬愛するソレには程遠い。
植物はどうやら蒲公英らしく、なぜ獅子と掛け合わされているのか訪ねたところ、「え? 言うじゃん? このモンスターの名前ってかカード名。まんま」というクロムの謎主張に、テオスは益々頭を抱えた。
あの後、ルートがやって来て、リヒトに定期検診をしたいとテオスに申し入れ、彼を連れて行った。そもそも、リアがリヒトたちのところに戻ったのも、ルートに連れてくるように頼まれていたからだ。
隣国の第二王子であるクロム――王族の客人を蔑ろにはできなかったため、リアも言い出すことができなかった。その気遣いもできなかった自身を、更にテオスは悔やんでいる。気持ちは落ち込む一方だ。
リヒトと共にアイも付いていったため、クロムとテオスとリアの三者が残るかたちとなったが、ソレもクロムの従者が現れたことにより、即座に終焉する。彼は「テオス! 諦めんなよ! やればできる! 今でしょ! だぞ!」と叫びながら、従者に襟元を掴まれ、引き摺られながら去っていった。否、お前の所為で滅茶苦茶だと、テオスは心の中で叫んだのを忘れない。対して、リアは苦笑しながらもクロムに頭を下げ、その姿が見えなくなった頃に顔を上げた。
望み通り、リアと二人きりとなれたのに、テオスの心は当然晴れない。手元の紙切れに集中してしまっていたのが、良い例だ。
「テオス様?」
リアに名を呼ばれたことで、漸く今の状況に気がついたのだろう。テオスはゆっくりと彼女を見た。
「ライオネ」
「…私、テオス様に何か無礼なことをしたのでしょうか? 今日は、お会いしてから一度も声をかけられませんでしたので…」
ライオネと呼ぶ彼の顔は、穏やかであった。だからこそ、先程までの――眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み砕いているかのように、無言を貫くテオスの顔がリアには忘れられない。しかも、クロム、リヒトとは普通に話していたのだ。原因は自分だと思うに決まっている。
「…否、僕の都合だ」
彼女の発言に驚いたのか、テオスは目を見開き、しかし、次には目を伏せてしまった。
「あいつ――クロムの前で、君を呼びたくなかっただけだ」
姉には使われてしまったが、リアを『ライオネ』と呼ぶのは、テオスにとって特別なのだ。面白いことが好きなクロムだ。彼も知れば、リアを『ライオネ』と呼ぶに違いない。
それは絶対に赦せないことであった。
「…そう、ですか…」
腑に落ちないのか、リアは首を傾げていたが、それ以上の追及はしない。ただし、この状況をどう打破すれば良いのか、悩んでいるようだ。それはテオスも同じだ。気まずい。
目を開けば飛び込んでくるクロムの手札。話題を変えるには、コレしか思い付かなかった。
「…ライオネ…君が好きな花を…教えてくれないか?」
「…はい?」
突然の質問にリアの返答が上擦ってしまう。誰がこの会話で、『好きな花は?』という議題が上がると予想できるだろうか。
しかし、――花。フラワー。…そう言えば、出会ったヒトの女性で、花の名前の人が居たな、とリアは現実逃避しかける。
(この地域に咲いていて、高価で無いモノから選択しよう)と、彼女は真っ先に前提条件を決めた。稀少で高価な花をテオスに贈られでもしたら、申し訳なくて発狂してしまう。だからと言って、「好きな花はありません」と答えるのも問題だろう。
リア――『私』が選んだ花は、前世では雑草扱いであり、多年草だが可愛い花が咲き、その根は欧州では『コーヒー』の代替品として使われたことで有名な――誰もが知っているモノであった。
「…蒲公英でしょうか」
「!」
リアの答えにテオスは再び目を見開き、そして、嬉しそうな声で「そうか」とだけ応えた。
end
某所に動画UP記念(アイのお父さんの話ですが)。今度は動画が完結した頃に、おまけで何か投稿する予定です。