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【閑話】こんにちは、世界


20××年8月某日 日本



 片方しか見えない視界が常にボヤける。利き目が包帯で巻かれているせいだが、それだけではない。


 わかっている。

 こちらの目も無傷ではないのだ。

 

―――当然だ。


 包帯は目だけではなく、顔・頭全体を包むように巻かれている。

 縛られているわけではないのに、全身が痛くて痒くて動かない。

 それに、この身体。間違いなく欠損している。

 私が気づかないようにと、布か何かを見立てて詰めてくれたのだろうが、私の思考はそこまで愚かではない。

 本物に近づけない偽物であった私を、物質で欺くなんて無謀だ。

 私を欺くならば、仮面の顔と信頼関係を構築し、他人に興味がなく、己が一番可愛いと思っている人間でなくてはならない。

 多くの看護師はそれができない。そこまで非道ではない。

 多くの医者はできるだろう。だからこそ、他人の命を抱えられるのだ。

 だが、私の担当医は異なっていた。外道だ。


 あの男は常に私を穢らわしい物体として見下している。あの男は早く私に死んで欲しいようであった。

 口癖は「早く帰りたい」。


 私にはもう帰る家――待っていてくれる家族が居ないことを申告したのもあの男だった。


***


 私は、勤めていた仕事を辞めた直後であった。

 纏まった休暇が取れない環境で、前任が放り出した仕事を引き継ぎ、右も左も分からない中、年下の女子の同期と共に働き始めた。同期は周りの人々に支えられ、可愛がられて仕事をこなす中、私は放置され、前任の仕事の穴を埋める日々だった。前任の仕事をまともに引き継げていた者が居ない中、自分なりに動き、頑張ろうとしたが、上司には「勝手なことしないで!」と同期の目の前で叱責されたこともある。

 ずっと、ずっと頑張って耐えてきた。

 ストレス性蕁麻疹も発症し、毎日セチリジン()を飲まなくてはいけない身体になった。

 恐らく同期よりも安い月給で、私は働いた。応募に申し込んだ同期にはない、ある言葉を信じていたからだ。

 電算を務めていた前任が突然辞めた。アルバイトで電算の強い私は、だから社員になったのだ――


『君が居ないと困るんだ。君じゃないと駄目なんだ。断らないでくれると嬉しい』


 何年か経ったある日、年下の同期が自主退職した。職場の人間ほとんどが悲しみ、嘆いた。お得意様まで同期に花を渡しに来る程であった。

 私も、彼女はそれだけの人格者であると思っていた。だから、彼女が私に向ける笑顔も、言葉も本心だと思っていた。

 退職後、彼女のSNSで私の暴言を見るまで、私は彼女に嫌われていたことに気がつかなかった。


 私は人に嫌われる天災(ヽヽ)であった。


 疑心暗鬼になった私は、SNSを絶つ。

 全ての人間関係が信用できなくなった。

 友人――ましてや恋人など居ようものがなかった。


 唯一残っていたのは家族であった。

 壊れた私を心配してくれたのも家族だけであった。


 私は、前任が放り出した仕事を成し遂げ、そして仕事を辞めた。


 ようやく得た『休暇』。

 家族も交えて旅行することになった。

 心を癒そう。

 そして、次を頑張ろう。

 もう、私は若くないのが残念で、遅すぎたのだけれど。



 その旅行に使った航空機が落ちた。


 詳細は分からない。

 私が意識を取り戻したのは、この病院のベッドの上だったのだ。テレビも無く、見舞いに来る者も居ない。

 聞こえてくるのは、悲鳴と嘆きと呪詛の交響曲であった。


***


 担当医であるあの男が話したのは、ここは航空機が落ちた場所から一番近くて大きな病院で、私は大怪我をしている上に感染症を患っている可能性が高く、共に出かけた家族は全員航空機が落ちた事故で死んでおり、私の感染症の疑いから遠い親戚すら来てはいない。

 私の余命は少ないだろうということだった。




………。


……××がっ!

××××!!


私が、私が何をしたというんだ?!

家族を、唯一を奪って!

私の身体をこんなにして!

こんな世界あんまりだ!


もう誰も居ない!

愛してくれない!

私は肉体すら役に立たない!


××! ×んじまえ!

こんな、こんな―――



『それがお前の願いか?』



 ……ああ、まただ。

 あの『声』だ。

 怒りと憎しみと悲しみに支配されて、自暴自棄になる私にすぐ、いつも声が響く。


 問いかけに応じたことはない。

 話しかけられることで、逆に冷静になるのだ。


 『声』は、私の(あたま)から聞こえてくる。

 男女の区別がつかない辿々しい言葉も、今では図々しくなっていた。



『お前の願いを叶えてやろう』


『お前を楽にすることもできる』


『お前が憎むモノ全てを破壊することもできる』


『お前は何を望む?』



 幻聴って、現実的(リアル)な声なんだな。


 『声』を恐いと感じたことはない。

 ただただ煩わしかった。



***



 ある日。

 視線を感じた私は、目玉だけをその方向に動かし確認する。

 いつもの担当医かと思っていたが、違った。


 漆黒の髪を乱雑に伸ばし、前髪で視界を塞いでいる少年が、その隙間から死んだ魚の様な目で私を見ていた。

 頬には大きなガーゼが当てられており、頭には包帯を巻いている。寝巻きを着ているので、恐らくこの病院の患者だろう。手に持っているピンク色のヒト?のぬいぐるみが印象的だ。

 好奇心で見られているのかと思ったが、どうやら違うようであった。

 しばらくすると、パタパタと軽い足音が廊下から聞こえ、その音は定期的に止まる。次第に近づいてくる音は、隣の病室の前で止まったところで、部屋のひとつひとつを確認しているのだということは直ぐに察することができた。

 音は私の病室の前に止まり、そして小さな声が響く。


「アキラ、病室に入っちゃ駄目じゃないか」


 目の前の黒い少年――アキラというのか――と同じくらいの年齢の子供だ。少年か、少女か、判別できない程の中性から察する。

 ペタペタと鳴る音は、アキラの側で止まった。

 そして、私はその子供も捉えることになる。

 アキラとは何もかも対照的な少年であった。

 太陽の化身と言われたら、きっと信じてしまうだろう。明るい短髪に、丸くて大きな瞳。

 だが、だからこそ、彼が長袖長ズボンの服を身に付けているのが疑問でもあった。彼がこの病院の患者ではないのは確かであったが、季節は夏。そうではなくてもこの年齢の子どもは暑がりなはずだ。

 親の方針か、または彼が何かの病気なのかもしれない――その結論に至った理由の一つが、彼の細い首に痛々しく巻かれた包帯であった。

 

「あ、あのごめんなさい。勝手に入ってきちゃって……えと、お姉さん?」


 私と目があった明るい少年が、頭を下げながら言った。その表情に畏怖や好奇心は無かったが、戸惑いが見てとれる。

 だが、それも彼の最後の疑問文で理解できた。

 この姿では、男か女か分かりようがない。

 高くて嫌いだった自分の声も、今では2オクターブ程下がり、掠れた声音になっている。

 明るい少年は、恐らく私のベッドに表示されている『氏名』から判断したのだろう。

 だが残念。私の名前は男でも女でも使えるのだ。

 ――私ももう、どちらか分からない。どうでも良かった。私は『無価値』なのだから。


「具合が悪いなら、ナースコールしますよ?」


 小刻みに震えていた私を見て、明るい少年が言った。私は「大丈夫」とだけ応え、そして目を閉じた。


「ほら、お姉さん寝るんだから、アキラ、行くぞ」


 アキラの手をとり、入り口まで引っ張っていく少年の姿が、ありありと浮かぶ。

 あとは出ていくだけのところで、少年たちの足音が止まった。どうしたのだろうかと思ったが、私は目を開けなかった。

 開けなかったからこそはっきりと『声』が聞き取れる。



「『リア』、お前は来世で幸せになれ」



 恐らくアキラの声。

 私は思わず目を見開いたが、既に少年たちの姿は無かった。



 彼が、私をなぜ『りあ』と呼んだかは解せない。

 しかし、彼に名付けられて命じられたことは、不思議と心地が良かった。


 来世か…―――やはり、もうこの生は終いなのだ。


 航空機事故で溢れる被害者と犠牲者。

 病院のベッドは足りていない。

 元気にならないのならば、早々に死んで、次に明け渡すべきだ。



『楽になりたいのか』



 あの『声』だ。

 瞬間、不快になる。

 今までは煩わしいとしか思わなかった存在を、私は初めて『不要物』と判断した。

 同時に、反抗的な気持ちが沸き上がる。



『この世界を亡ぼしたくないのか』



 私すら救えないこの世界が、この先人類に応えることはないだろう。否、世界はずっと悲鳴をあげていて、人類が応えないだけなのかもしれない。


 そうか――私も世界なのだ。


「ああ、こんな世界、壊す『価値』も無いね」


 初めて、私は『声』に応えていた。

 同時に、動かなかった筈の身体に力が沸いてくるのを自覚する。


 そうだ…最期くらい、世界に、この『声』に一矢報いてやりたかった。


 上半身をお越し、ベッドの手すりに左腕を乗せる。思ったとおり、手首から先は無かった。

 次に上半身をひねり、右腕を動かすと健在な掌が現れる。少し安堵した私は、そのまま指を窓の縁にかけた。


 航空機事故の犠牲者で溢れている病院は、限りある空間を得るために、部屋の多くの物が窓際に寄せられている。私が寝ていたベッドも例外では無かった。


 本来ならあり得ないことだろうが、ベッドに寝ていたのが『動けない』と判断された私だったからだろう。


 幸いだと、私はそのまま窓から身を乗り出した。



『良いのか』


『お前はもっと楽になれる』


『世界に大きな復讐もできる』


『憎い奴らを輪廻から外した上で滅することもできる』


『お前の願いを何でも叶えてやれる』



 ……いよいよ宗教臭くなってきた声に、私はほくそ笑みながら、「そうか…」と呟き応えてやった。


「じゃあ、私を異世界に連れて行ってくれよ。さっきの少年みたいな…太陽みたいな子どもに生まれ変わってさ」



『    』



 沈黙した『声』に勝利を確信した私は、大声で笑ってみせた。


 そう、この『声』は、『破壊する』だけ。

 『維持する』だけ。

 『与えてやる』だけ。

 0から1、無から有は創れないのだ。


 そして、自分が『生きたい』だけ。

 宿主()が死ねば死んでしまう。

 『声』(こいつ)は寄生虫なのだ。


「さようなら… 違うか…」


 最期の言葉を少し考えた後、良い言葉が浮かんだ私は、その身を大地に落としながら呟いた。




「hello, world」





exit_


約一年間の連載でした。お付き合いいただいた方、ありがとうございました。

スピンオフ(?)で『めぇるかい』を不定期連載しています。

獣人の補足も少しありますが、少年が少年を「可愛い」と言っているBLモノになっているので、苦手では無い方は続けてお読みいただければ幸いです。

今回の閑話のスピンオフ(?)もいつか掲載できたらと思っています。

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