お仕舞い
本当に面倒だ。
あいつらは、強い。
あいつらは、不味い。
あいつらは、世界の一部だ。
世界は、――敵ではない。
ヒトは、弱い。
ヒトは、美味しい。
ヒトは、世界の敵だ。
だから、我々の餌に相応しい。
―――オオツチグモは空腹であった。
自身が目覚めた時、目の前に現れた生物を捕らえようとしたが、一瞬で返り討ちにあったのだ。
右第三歩脚を潰され、左触肢も失った。
このままでは腹を裂かれると感じたオオツチグモは、小さい頃に行っていた威嚇を思い出す。
残った後ろ歩脚で、腹の刺激毛を飛ばしたのだ。既に生物の腕等は毛まみれであったが、飛ばした毛が目に刺さったらしい。
大きな悲鳴を上げ、後方に飛び退いていった。
冗談ではない。
オオツチグモはヒトを求めてさ迷い始める。
途中、小さな虫を捕らえて食べるが満たされない。
虫以外の生物は危険だ。あいつらかもしれない。
ヒトが良い。
ヒトが食べたい。
その様な時、目の前に白黒したモノが横切る。
ヒラヒラと何かが舞っていたので、最初は羽虫かとも思ったが、大きさはヒト程ある。自覚した同種かと考えていたところ、本能が雷の様に走った。
これはヒトだ―――!
餌だ――!
世界の敵だ――!
気がつけたオオツチグモは、歓喜のあまり嗤った。
オオツチグモの存在に気がついた『餌』は、踵を返すように走って行く。逃亡だ。
絶好の機会を逃すわけにはいかないと、オオツチグモが後を追う。
餌は途中、躓き、辺りを確認して立ち止まることもあるが、中々追い付けない。一度だけ追い付き、組伏せたと思ったが、それは気のせいであった。
少し――奇妙だ…とオオツチグモは思ったが、それでも久しぶりの大きな餌だ。逃すわけにはいかなかった。
追い詰めた餌は、洞穴へと逃げ込んだ。恐らくオオツチグモが入れないと踏んだのだろうが、残念ながら目算は甘い。オオツチグモもそれが分かっていたからこそ、迷い無く進んだ。
オオツチグモの身体がすっぽりと洞穴に入った時であった。数本の歩脚に違和感が走る。
全く動かせない。
残った歩脚で動かない歩脚を撫でると、何かが脚を捕らえている――としか解らない。
無理やり引き抜こうとすると、その何かが間接に入り込む。このままでは歩脚は千切れるに違いない。
それも良いか、と思いかけたその時、追いかけていた餌が静止していることに気がついた。
恐らく洞穴は行き止まりだったのだろう。
逃げることができない餌の運命は二択だ。餓死するか、諦めてオオツチグモに喰われるという自死だ。
オオツチグモは拘束された歩脚を自切しようと試みた。
早く食べたくて仕方ない。上顎を上げ、牙を右触肢で磨きながら、歩を進めようと動く。意外に餌は大人しい…オオツチグモがこれ以上動けないと踏んでいるのか。
そうか――オオツチグモが餓死するのを待つ気か。
残念ながら、クモは飢餓に強い。
恐らく、餌の方が負ける。待たせる気もないが。
「やっぱ、自切しようとするか」
餌が初めて声を発した。
そしてその顔は恐怖ではなく、笑顔であった。
顔がとてもよく見えた原因は、餌が持つ光源のお陰だ。――光源?
オオツチグモが認識した瞬間、目前の餌は消え、腹全体に熱が走る。
チリチリと体毛から音が鳴り、辺りに焦げた臭いが漂っていた。
理解不能に陥ったオオツチグモは、兎に角状況を把握したいがために、自切することだけに集中する。
「今だ! リヒト!」
「Cuezalin」
餌の声が遥か後方で響いた。
その事実も信じられなかったが、途端、辺りが明るく、熱くなったことにオオツチグモは驚嘆する。
慌てて自切を終え、壁や天井に脚を這わせて、何とか体勢を反転させた。
視界に件の餌と別の餌が居ることを捉えた瞬間、自身の身体が崩れ―――燃え尽きるのだと知る―――。
***
化物は、作戦通り実に呆気なく燃え尽き、退治された。
改めてアイの身体能力に驚くしかない。
リアの意識が消えたのも本当に一瞬であった。彼女が心配するようなことは何も無く、むしろ、火を借りる必要もなかっただろう。
リヒトの術式の火も、以前より威力が上がっていた。流石に化物の質量から蒸発させことはできなかったが、灰にすることは安易であるようだ。
その灰は、三人で集落の大地へ埋めた。
獣人たちの話では、たとえ猛毒を埋めようとも、生命の樹で浄化されるらしい。
――世界はエメムの味方ではない?
だが、存在は良しとしている?
否、違う。
世界はすべてのエメムを消せない。
……エメムの方が強いのだろうか。
「わからないことが本当に多い…」
リアは呟きながら、空を見上げる。
雲一つない青い空に、白い弧と小さな衛星が描かれていた。
「空も全く別物だし…」
次は足下を見て、そして笑う。土と草は変わらないのだろうか。全く人の手が入っていない大地を、『私』は知らないからだ。
「どうしたんだ? リア」
「そろそろ行くぞ」
独り佇むリアに、リヒトとアイが声をかける。
その声を合図として、猫化状態のシーナが飛びついてきた。リアの腕には抱かれ、満足そうに丸まっている。
帰国では、ウィリディスに乗ることになっていた。勿論、アイは走って帰る。
これからリアとリヒトは、テトラとの契約どおり、一生を共にして彼女に時間の一部を捧げることになるだろう。
アイは一先ず、自町に戻り、養父の工房で働きつつ、子どもたちの講師を引き受ける。それでも王都には顔を出すと言ってくれた。
現世界と旧世界に関する疑問は、いつの日かエルフの長との対談が叶えば、解決する。
残された時間は有限だが、これから先のできごとは無限だ。
それでも、前世の時の様な絶望は全く感じられなかった。
『私』は幸せだ。
世界一幸せ者かもしれない。
リア・リオネは再び大地を眺めた後、リヒトが差し出していた手を取り、歩き始めた。
了
『魔法?が使えるみたいだから、クモを駆除してみたぃ』のお話は終了です。
―――
約一年間の連載でした。お付き合いいただいた方、ありがとうございました。
機会があれば、おまけの話等を投稿できればと思います。
スピンオフ(?)で『めぇるかい』を不定期連載しています。
獣人の補足も少しありますが、少年が少年を「可愛い」と言っているBLモノになっているので、苦手では無い方は続けてお読みいただければ幸いです。