術式を使いたい
前世の記憶を思い出した『リア』として、『私』が生活を始めて五日が経った。
リヒトはリアの転生の件を誰にも伝えてはおらず、幸いにも村の人が気づくことはなかった。
ただし、リアが『記憶障害』に陥っていることは察している様で、今世の記憶よりも随分丁寧且つ優しく接しられている気がすると、リアは感じている。
悪く言えば、『育児』だ。
この村では十三歳になるとほぼ成人の扱いとなる。
実は読み書きを教わるのもこの年齢からである。
村から大きな街へ出る時に必要になるとされているため、村から出る気が無い者は、寧ろ覚えることは無いらしい。因みに教示するのは村長だ。
学校も無いため、所謂、義務教育と呼ばれるものは口頭で自身の親から教わるもので、『術式』もその一つであった。
リアは十四歳であったが、文字の読み書きも含めて教育が乏しい状態である。
前世の記憶の問題だけでは無く、『女』であるためだった。
加えて親族は七年前に他界しており、身近でお手軽な大人は居ない。
だからこそ『育児』に転じた村の大人たちの反応は『当然』であるのだ。
しかし、今世も前世のリアも、特に不快では無いため、この風習に抗おうという気持ちは全く無かった。
「私が村を変えるのよ!」と意気込む女性が居たら、それこそ相応しい人が行えば良い。
クモ恐怖症と言った、常に『脅威』に怯える運命を抱えている人間は、平穏と安定を求めているのだ。
リアの状態は世間的には恥かも知れぬが、前世で既に三十年近く生きていた身としてはこの程度のこと何とも無い。ただし…
「せめて術式が使えたらな…」
そう、ただこの一つに限る。
現在、彼女が最大限に欲して止まないものだ。
前世の世界は、本当に便利な世界であった。
万能な道具が存在しない今世の世界では、0から1を作るようなものである。
前世の、殆ど指一本で操作できる機械たち。
勿論、下準備が必要であることはあるが、完成されたモノができあがる手間と時間を考えたら、雑作も無いことである。
そこまで思考し、事典に載っていた『術式』みたいだな、とリアは思う。
思ったからこそ術式が使いたいのだ。
問題は、使い方がわからないことと、下手な使い方をすれば命を落としてしまうことだろう。
事典に載っていることは、飽くまで術式の説明であり、使用方法ではない。事典で『空手』を引き、その項目を読んだところで空手を会得することはできないのと同じである。
「実践しか無いんだろうけど…」
手頃で事情を知っているリヒトは、得意ではないと繰り返し言っていた。
だからこそ、肌身離さず剣を持ち、鍛錬を怠らないのだろう。
同時にリヒトはこうも言っていた。
『リアは俺以上に得意じゃなかったとは思うけど…』
そう、リアは多少なりとも術式が使えていたはずなのだ。
だが、その兆候は全く見られない。
「そういえば…リヒト何か喋ってたような…」
加えて、術式を使う時には常に両手を挙げ、視線はザトウムシを捉えられる様にしていた。
しかし、何を喋っていたかは思い出せない。
確か、術式は『世界を××的に捉えた時に再現可能な力のこと。計算・言語・消費が必須』と事典には書かれていた。旧世界の注釈が付いていたが、両方に共通している場合も書かれているらしいので、恐らく共通なのだろう。
「術式のことが載っている文献とか無いかな…」
しかし、識字率が低いこの村には、図書館どころか本屋すらない。
自分の家にある資料を漁ってみたが、やはり術式のことを特化して記しているモノは無かった。そもそも事典があっただけでも良しとするべきなのかもしれない。
「それこそ、術式は口伝のみ…とか決まりがあるのかも…」
事典だというのに、項目に『×』と表記されている箇所があり、それもかなりの量であった。表記が禁忌であって、恐らく口頭は問題がないのだろう。
「やっぱり…リヒトに聞いてみようかな…」
理解を速め、自分に言い聞かせるようにリアは独り言を呟く。
記憶が蘇ってから、本当にリヒトには迷惑をかけていると彼女は痛感していた。
先日も、心配で様子を見に来たリヒトに早速、物々交換について確認した位だ。
この村には貨幣が無いかわけではないが、基本、物々交換で物品を手に入れている。
リアがどの様に対価を用意していたのか、『私』は思い当たる節がなかった。
結局リヒトにもソレはわからず、数日後、彼女の同居猫であるシーナが、『ここ掘れニャンニャン』の如く、家の床を前肢で踏み踏みしたことで、床下に財産があることが発覚したのだが。
発見するまでの間、リヒトはリアにでも得られそうな対価が無いか模索し、奮闘していたこともあり、平謝りしたのが昨日。
勿論、いつかは財産も無くなってしまうのだから、『稼ぐ』手段は見つけなくてはならない。『女』のリアにできることは何か……。それらも合わせて彼女は考えなくてはならないのだ。
やはり術式は使えた方が良い。というのが彼女の結論であり、またリヒトに土下座するのを誓い、彼の家――ファンゲン家へ向かう。