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クモ恐怖症というのをご存知だろうか

 人間、誰しも嫌いなモノが存在する。

 食物だったり、動物だったり、同じ人間だったりするだろう。


 食物ならば食べなければ良い。

 動物ならば逃げれば良い。

 人間だったら避ければ良い。


 しかし、◯◯恐怖症とはそれだけでは済まない状態なのだ。

 視界に入る等、ソノ存在を認識した途端、全身がソノ存在を拒否し、見ているこの目の前で物理的にソノ存在に消えて欲しいとさえ考える。勿論、自分の手は穢せない。第三者が居れば悲願して行って貰うだろう。万が一、生きている状態で逃がした場合は、恐怖に支配され、数日間は気が殺がれるのだ。

 

 冒頭(タイトル)に戻る。

 そう、『私』はクモ恐怖症だ。

 物心ついた頃からそうであったので、原因というものは覚えていない。

 三十年近く生きている今でも実家暮らしである一番の理由は、コレだとも思っている。

 

 この恐怖を他人に訴えても肯定的な意見が返ってきたことはまずない。


「クモは他の虫を食べてくれる益虫だよ」


「クモを助けると、死んで地獄に堕ちた時、糸を垂らして助けてくれるんだよ」


 耳にタコができる程聞かされてきた回答例だ。

 しかし、他の虫ならば自分で退治できるのだ。『私』はそれこそ回答した女性たちが嫌いだと恐れているゴキブリを、翔ぶ前に仕留めることができると自負している。きっと軍曹(アシダガグモ)になんか敗けはしない。


 また、『私』は死んだら『地獄行き決定』と突きつけてくるこの風習。

 勿論、何人かは『私』ではなく『私たち人間(royal we)』のつもりで言っていたのかもしれないが、クモを逃すことで救いの手を差し伸べるなら、他の生物に情けをかけてもきっとお釈迦様は気にかけてくれるだろう。それでも、敢えて『クモ』を助けることに意味があるというなら、それはやはり、クモが世間体に『忌むべき存在』だと言えるのではないだろうか。


 ハエトリグモやアシダガグモといった徘徊性は論外だが、『私』はジョロウグモやコガネグモといった造網性も勿論嫌いである。

 ヤツらを目にするようになると、夏や秋だと実感するのがまた辛い。

 先に上げた二種は昼間、網の真ん中に居座っているから嫌でも視界に入ってくる。

 子供の頃、特に男子は網のクモ目掛けて小石などを投げ、当てようとする遊びをした者は居ないだろうか。網を穴だらけにしたというだけでも良い。


 クモが嫌いな人間なら、それこそするだろう?

 

 と思う人も居るかもしれないが、答えは否だ。

 クモ恐怖症の『私』はクモの復讐を恐れるのだ。

 「復讐なんてあり得ない」と笑われるかもしれない。

 だが、思い出して欲しい。これも経験はないだろうか。クモに限らない。

 虫を殺した次の日に、ほぼ同じ大きさの同じ種類の虫が、同じ場所に出現することがあるのだ。幼い頃、『私』はその出来事を繰り返し体験したため、『クモ』は死なない生物なのかもしれないと一時思った程だ。

 大人になるにつれ、夢物語(フィクション)を知ると、度々登場するのが『魔法』という存在であった。『魔法』が使えたら、具体的にしたいことを上げられる人は少ないのではないだろうか。『私』は当然決まっていた。


 『魔法で炎を操って、クモを駆除したい……』


 その前世の記憶を『私』、『リア・リオネ』は化物(モンスター)を目前にして思い出したのだ。


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