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クイーン・オブ・スポーツ  作者: 北原樹
7/8

クイーン・オブ・スポーツ 第7幕

第7幕



レオーネ神戸のトップチームはなでしこリーグ最強だ。毎年優勝している。人気も高く、なでしこジャパンにも大量に人材を送り込んでいる。アイドル選手やらゴツい選手やら、アメリカ人選手やら多士済々だ。その下部組織であるレオーネ神戸U❘15も最強クラス。練習場も人工芝だ。そのサッカー哲学は超攻撃的だということ。3トップでボールを徹底的にまわして支配する。ベラトリックスの南米的な細かいパス回しではなくて、ヨーロッパ的な低く鋭い大きなパス回しが身上だ。たぶん中盤は支配されるだろう。となれば守備の弱いウチのサイドバックはつらい。無失点というわけには行かない。前夜のミーティングでは松原監督が攻め合いになることを強調した。


朝の散歩では詩織と話がしたかった。

「覚えてる?あたしがクイーン・オブ・スポーツと言ったこと。サッカーの女王になるって言ったこと」

「覚えてるわ。二人で女王になるって言ったわよね」

「あたしは2試合連続ハットトリックで得点ランキングトップ。でも最近はトップスコアラーが、クイーン・オブ・スポーツじゃないような気がするんだ」

「どういう意味?」

「詩織は点取り屋じゃないけど、チームに貢献してるじゃない。点取る選手が女王なんじゃなくて、チームを勝たせる、勝ちに近づける選手が女王だということ。そういう意味では、ベラトリックスの女王は詩織、あんだだってこと」

「希はただ点を取るだけじゃなく、味方のアシストもしているし守備でも貢献しているわ。間違いなくベラトリックスの勝利に貢献しているわ」

「あたしは一番じゃない。残念だけどね。昨日あんたがフォワードに入って思い知ったよ。詩織、あんたはフォワードとしても一流ということを」

「フォワードには強引な性格が必要よ。私はまだまだ押しが弱くて主張できていない。私のポジションはやはりミッドフィールダーだと思う」

「じゃあどうすればあたしはあんたに追いつけるかな?」

「それは今日レオーネ神戸に勝つことよ」

「あんたが勝ちにこだわるの、珍しいね」

「最近、勝つためにサッカーすると言うのは、楽しむサッカーと矛盾することじゃない。自分で責任を引き受けるサッカーだということが分かったの。だから私はベラトリックスに最大限の貢献をするためにシュートも撃つし、相手が嫌がるプレーもするわ。そういう風に私を代えたところが、希のクイーン・オブ・スポーツという部分だと思う」

詩織はまっすぐあたしを見て言った。謙遜とかじゃない。本気で私を女王だと思っている目だ。

「レオーネに勝とうぜ」

「ええ」

あたしは右のこぶしを差し出す。詩織はこぶしを差し出し返すのではなく、両手で包み込んだ。


   ☆


決戦の朝は涼しかった。雨が降るほどではなく、かといって日が照らない曇り。この時期としては理想的なコンディションだ。朝食は再びパスタ。今回はミートソースだ。遥子がみんなに積極的に話しかける。全くこいつは天性のキャプテンだ。奈美もこの時間帯はリラックスしている。3試合連続朝9時半キックオフはありがたかった。まだ昼間ほど暑くないので体力消耗を避けられる。技術中心の練習で、走り込みをあまりしていないベラトリックスにとっては全て上手く言っている展開だった。

 いつものように7時半に会場に向かう。3日目は月曜日なので道路は込んでいた。一方で仕事のある保護者は帰り、会場は空いていた。

 ストレッチで身体をほぐし、ダッシュなどを入れて身体を温めて、ピッチに向かう。今日は小高い丘から見下ろせる端っこのピッチだ。ベスト8進出チームの偵察隊が勢ぞろいしている。

 U❘15代表の景山さんもいる。だがこういう場合、代表監督にアピールしようと独善的なプレーをするのが一番いけない。試合ではサッカーは勝つためにやること。チームを勝たせるためにプレーすること。そのことを忘れてはいけない。


レオーネは4❘3❘3の布陣で、ウチの守備の弱いサイドバック陣とは相性が悪い。一方でレオーネの中盤はボランチが攻撃的な選手で、ベラトリックスの攻撃的な中盤に対抗できるか。点の取り合いになる。あたしの責任は重大だった。


 試合前のピッチ内アップ開始。レオーネのボールを蹴る音が重い。「ボコーっ」と低く鋭い音がなる。ウチとキック力の差は明らかだった。関東は強いチームが多いので、才能ある選手が各チームに散らばる。しかし関西はレオーネが突出して強いし、トップチームがなでしこリーグなのもレオーネだけだ。だから関西一円からタレントが集まる。身体能力が凄い。サッカー留学している子もいる。練習場がそうだから芝にも慣れている。おまけに明らかに保護者と違う男のサポーターまでいる。ウチのサポーターは仕事のため帰ってしまい、一人もいない。レオーネのサポーターも普段はトップチームの応援をしているのだろうが、熱心だ。


アップが終了し、松原監督は前夜のミーティングどおり、レオーネの10番キャプテン・三沢秋穂を徹底的にマークすること。長い髪を後ろで束ねている選手だ。トップ下の8番池田から決定的なパスが出るので、遥子と彩音で潰すことなどを注意された。三沢秋穂はこの年代では有名な選手でオールマイティーらしい。


キックオフ前に整列して、ピッチに一礼して入場する。そして主審の笛で本部や観客に一礼し、遥子を先頭にベラトリックスから順番に握手していく。なんかガッチリした体格の選手が多い。身長ではウチも負けてないけどね。


 試合前の円陣。レオーネはなかなかしない。ウチは相手の円陣の後にする方針だから、円陣を組めない。どうやらレオーネもその方針のようだ。両者相手の円陣を待つ。やがてしびれを切らした主審から早く始めなさい、と注意される。仕方なく遥子が声を張り上げる。

「なでしこリーグでは東のベラトリックス、西のレオーネと言われるけど、最強なのはどっちだ~?」

「ベラトリックス!」

「絶対勝つぞ」

「ハイ!」

ウチが一斉に散らばる。直後にレオーネが大声を出す。物凄い声量だ。圧迫感を感じる。思えば、この円陣でペースが狂っていた。


キックオフ。中に絞って加奈が受ける。と思った瞬間、三沢秋穂の激しいチャージで吹っ飛ばされた。なんというパワーだ! すぐに寄せる彩音をかわして左サイドにボコーンという音を残して大きく展開。このキック力はベラトリックスではあたしくらいだ。レオーネは左ウイングが碧に仕掛けるが、ここは遥子が戻って二人がかりで止めた。このプレーだけでも今日の相手は別格なことが分かる。左サイドの早紀に渡ると香穂が上がる。しかしレオーネも右ウイングが下がって早紀の判断を遅らせ、苦し紛れに詩織に出すと、ディフェンダーが身体を寄せてバランスを崩させる。体格では詩織の方が上だが、デカいフォワードを自由にさせない術を知っている。あたしにパスが来るが前を向かせてもらえない。そしてすぐに囲まれる。

 どうしてデカいフォワードへの対処法を知っているのか? 関西では同年代にライバルがいないから、格上のチームとばかり試合しているのだろう。もしかしたらレオーネのトップチームともしょっちゅう練習試合しているのかもしれない。

 加奈がボールを持って碧に落とす。強引なアーリークロス! しかしあたしも詩織もディフェンダーがきっちりついて身体を寄せられ、ヘディングどころじゃない。難なくクリアされた。このチームにアーリークロスは通用しない。やはり徹底的にショートパスで崩す、ベラトリックス本来のサッカーで勝負するしかない。

 レオーネは三沢秋穂から池田につなぎ、長谷川へ。体格も運動量もある厄介な相手だ。奈美が身体をぶつけ、バランスを崩すが、キープして池田がペナルティエリア内に突っ込みフォローの有紀を抜き切らずシュート! 香苗の伸ばした手の先にコントロールされたシュートが決まってレオーネが先制した。


「今のはしょうがない。すぐに奪い返すぞ」

遥子が声をかける。彩音も

「奈美、今のチャージは良かったよ」

と励ます。詩織は

「どんどん私にボールちょうだい」

と声をかけて雰囲気は悪くない。ただ昨日の巨大ロボット・佐々木日菜といい全国には凄い選手がいるなあ。三沢秋穂は遥子の守備力と彩音の攻撃力にパワーを加えた感じだ。


 その後も加奈が突っ込んだり、早紀がパスを狙ったり、打開を図るが、あたしと詩織が引いてもマークを外せない。もともと組織力には難のあるベラトリックスは「柔軟」なサッカーを身上としているが、あらゆる状況に対処できる組織力を持ったレオーネは昨日の清水戦であたしがスペースに流れてスピードを活かした突破をすることも織り込み済みの守備をする。そして両ウイングはベラトリックスの両サイドバックに脅威を与え続けた。フォローに回るウチの中盤に負担がかかる。


 そして17分、今度は遥子のパスをカットした三沢秋穂が持ち上がり、チェックに行く有紀の前でスルーパス、長谷川に渡り、キーパー香苗との1対1を決めてレオーネが2点リード。危険な位置でのパスミスはしてはいけないプレーだ。遥子が攻撃意欲を高めたことが裏目に出た。ただしこれで落ち込むような遥子じゃない。大声を上げて落ち込んでいないことを表す。でもみんなは落胆している。

 ベラトリックスは攻撃で何も出来ていないので、あまりに痛い2失点目だった。遥子が必死に声を掛けるが、ここは何か言わなきゃいけない。

「ベラトリックスのサッカーは勝つサッカー、攻撃サッカーよ。2点くらい良いハンデだわ。私を信じて出して」

 声を上げたのは詩織のほうだった。その詩織に三沢秋穂が近寄る。

「ハンデとは言い様ね。あなたは凄いらしいけど、サッカーはチームスポーツ。組織力の無いあなたたちに何が出来るの」

「ウチにも組織力はあるわ。柔軟なサッカーが。運が悪かっただけよ」

おっ! 詩織が言い返したぞ。いつも気合負けしない、というかマイペースでかわす詩織だが、真っ向から言い返すのは初めて見た。

 松原監督が指示を出す。

「希、詩織、前線で張っておきなさい。チームメイトを信じてパスを待ちなさい。下がらなくていいから」

詩織は元来ミッドフィールダーの選手だから。中盤に下がりがちで、そうなれば前線が薄くなる。レオーネのディフェンダー相手にあたし一人で何とかするのは厳しい。


レオーネは勢いに乗って攻勢を強めた。2点リードしているのだから自重して守備を意識する、という発想は無いらしい。攻撃サッカーを自認するチームらしい発想だ。

 ベラトリックスは三沢秋穂の守備力を警戒して中央付近でボールを回せなくなった。右の攻撃的ミッドフィールダー加奈が中に絞ってプレーを牽引する。しかしそうなると右サイドバックの碧は守備面で1対1に勝たなければならなくなり、ぎりぎりの対応を迫られていた。

遥子はレオーネのトップ下・池田を警戒しつつ、サイドバックのカバーもしなければならなくなり、彩音も守備に意識が傾き、ゲームが作れない。

「あたしに出せ! 無理なボールでもいいから!」

彩音がボール持った瞬間に声を出す。そこに彩音からの糸を引くような鋭いグラウンダーのパスが来る。三沢秋穂があたしに激しくチャージをかけるが、何とかこらえ、キープして、ヒールパスで詩織に出す。詩織も後ろ向きだったが、フェイントを入れてディフェンダーを外して、振り向きざまシュート! キーパー正面に飛び、得点ならず。

 ただこのプレーでベラトリックスがただやられるだけのチームじゃないことはレオーネにも伝わっただろう。三沢秋穂にパワー負けしない選手がいる、というだけでも脅威になる。これでペースはベラトリックスに移った。三沢秋穂の意識が守備に傾いたために、ベラトリックスの自慢の中盤が支配し始めた。あたしと詩織の2人をレオーネはセンターバック2人とボランチの三沢秋穂の3人で見る形になる。そうなるとベラトリックスのボランチ・遥子と彩音は攻撃しやすくなる。

「香穂! 上がれ」

遥子から指示が飛ぶ。そして左に大きく展開。早紀に渡り、レオーネの右サイドバックがマークしている間に香穂がトップスピードで横を駆け上がり、ボールをもらって左クロスを上げる。やや難しいボールだがニアで詩織がダイビングヘッド! わずかに左に外れる。

「香穂。今のクロスは良かったわよ。どんどん上げて」

詩織が声をかける。香穂は守備が苦手だけど、守備を意識しすぎると、持ち味の攻撃力がなくなる。

 さらにカウンターから遥子のロングボールを背中を向けて走っていた詩織が左足の靴底に当てて浮かせてレオーネのディフェンダーの上を抜いた! こんなトリッキーで高度なプレー初めて見た! そしてそのまま左足ボレー。強烈なシュートはキーパー正面だったが弾いたボールが勢いに押され、そのままゴール方向へ飛ぶ。これはクロスバー直撃し、クリアされる。場内が唖然としたスーパープレーだった。あたしも詩織のスーパープレーは何度も見てきたけど、ここまでゴールへの意識をむき出しにする詩織は初めて見た。

 前半残り時間はベラトリックスの攻勢が続いた。そしてロスタイム。レオーネに左コーナーキックを与え、ショートコーナーで始めようとする。早紀が警戒して近寄る。案の定ショートでつなぎ、キッカーから後方の池田につなぐ、キッカーは後方に下がり再度ボールを受ける動きをする。それに早紀の意識が傾くと、池田はフェイントを入れて逆にタテに突破し、利き足じゃない左足でクロスを上げる。そこにニアに飛び込んだ三沢秋穂が右足アウトでちょこんと逸らした! 

 香苗と奈美の間をすり抜け、ゴールに突き刺さる。あまりにも痛い3失点目。ここで前半タイムアップ。完全にサインプレーにやられた。


   ☆


あたしたちは最悪のムードでベンチに帰った。誰も何もしゃべらない。お調子者の香穂も空気を読めない詩織も無言だ。松原監督もしゃべらない。しかしぜんぜんしょげている感じはしない。そうか、ここは自分たちで立て直せ、ということか。誰もしゃべらないならあたしがしゃべるしかない。


「んん~ゴホン。前半でウチは3点リードされたわけだが、押していたし、あたしと詩織はレオーネのセンターバックに勝っている。期待してもらっていいから前半途中からのパス回しをして、どんどんボールを送ってもらいたい」

ちょっと芝居じみていたかな?

「瑶子と彩音は中盤を支配できていたし加奈もどんどん突っ込んで欲しい。どうやらレオーネの守備はボランチの三沢秋穂頼りだ」

そんなことはぜんぜん思っていない。レオーネは全員レベルが高い。でもここで大事なのは、相手を見下す姿勢だ。

「あたしも2試合連続ハットトリック中だし、もちろん3試合連続ハットトリックを狙っている。そのためにもどんどんボールを預けて欲しい。そうすれば何とかするから」

「無理目なボールでも大丈夫?」

遥子が疑わしそうに言う。

「任せて」

応えたのは詩織だった。

「私もどんどん狙っていくから」

詩織が言うとチームが安心する。無理に強気になっているのではなく、詩織が「任せて」と言うからにはきっと大丈夫なのだ。

「あたしたちの目標は全国制覇だろう。準々決勝なんかで負けてられるか! 勝つぞ」

遥子も続く。

「名門ベラトリックスの意地にかけて、新興のレオーネに負けてられない。勝つぞ」

遥子が言うと空気が締まる。

空気が変わったところで松原監督が口を開く。

「レオーネよりウチのほうが強い。落ち着いてボールを回せば3点差くらい跳ね返せるから、どんどん詩織と希にボールを預けなさい。そうすればレオーネの三沢さんはズルズル下がっていくから、ウチの中盤がパスを回しやすくなる。個人能力ではウチが上だから、落ち着いて後半に入りなさい」

松原監督はただ淡々と事実を語っているように話すから、チームに落ち着きが広がる。でもあたしも雰囲気を変えるのに貢献できたかな?まだ精神的な柱、とまでは行かなくても、支柱にはなれたと思うので。まだ「女王」じゃないけどさ。


   ☆


 ハーフタイムで選手交代もなくピッチに入る。レオーネも交代は無いようだ。ただ空気がヌルい。サッカーにおいて3点差はセーフティ・リード。もう勝った気でいるのかも知れない

 後半開始と同時にベラトリックスが攻め込む。彩音が素早くあたしにボールを出す。後ろ向け気に受けたあたしにレオーネのディフェンダーが背後から当たるがあたしはびくともしない。でも反転も出来ず、詩織にも出せない。三沢秋穂が挟み込みに来る。2人がかりで「サンド」されればさすがのあたしもキープできない。しかし加奈が右から突っ込んできたので落とすと、利き足じゃない左足でミドルシュートを放つ。わずかに外れる。加奈はクロスを上げれば満足というタイプだったのになあ。

 まずはあたしと詩織が孤立していても強引に打開する。レオーネが守備に意識を割かれるようになると、味方のフォローが加わり、リズミカルなパスワークが出て、ベラトリックスのペースになる。

 案の定レオーネは引き気味だ。加奈と早紀の両攻撃的ミッドフィールダーをレオーネのサイドバックがマークして、碧と香穂の両サイドバックの上がりを警戒して、レオーネの3トップの両ウイングが下がり気味だ。瑶子と彩音の両ボランチはレオーネの攻撃的ミッドフィールダーが警戒してるけど、ウチの攻撃力が優っている。攻撃のリズムが出始めた。そして10分過ぎ、遥子が詩織にクサビのパスを入れた。ディフェンダーを背負って後ろ向きにボールを受けると思ったら左足でダイレクトに足裏を使ったパスで股の下を通す。それに反応したのはあたし一人! 詩織のファンタジックなプレーについていけるのはあたしだけだ。背後からぶつかるレオーネのセンターバックをブロックしていい判断で飛び出したGKが体を倒してシュートコースを防ぐその上をちょこんと浮かせてゴールに流し込んだ。1対3!


 こうなると両者の心理状態は一変する。サッカーでは2点差は危険なスコアだとよく言われる。なぜなら2点差から1点差になったときに心理的に追い込まれてリードしていたほうが自滅することが良くあるからだ。

三沢秋穂が「まだ2点あるから……」と言いかけたのを打ち消すように。遥子が

「このまま押すよ! あと3点とるよ!」 

と怒鳴る。


 レオーネは守勢に回っても組織だったチームだ。ただベラトリックスは自由にポジションを変えつつパスをつなぐチーム。ビデオによる分析だとレオーネは猛烈なプレスで相手もパスを封じるタイプに見えたが、真夏の連戦では運動量も落ちる。今大会のルールでは5人まで選手交代可能だ。レオーネの攻撃的ミッドフィールダーは池田ともう一人。その一人と3トップの両ウイングを一気に代えてきた。3枚代え。攻撃的ミッドフィールダーがベラトリックスのボランチの瑶子と彩音をマークする。いったんあたしたちの攻勢は収まった。

 しかしそこで彩音が上がり目にポジションを取る。詩織がいない間、ベラトリックス・ガールズのゲームを作っていたのは彩音だ。相手の攻撃的ミッドフィールダーのポジションを下げさせ、遥子がフリーでボールを捌き始める。サイドに展開し、ベラトリックスのサイドバックを上げさせ、レオーネのウイングを下げさせる。

 もはや完全にゲームはベラトリックスの支配下にあった。レオーネは時間稼ぎまで始めて、ひたすら耐えるのみ。どうだ! ベラトリックスはこんなに強いだろう。17分にはレオーネは両サイドバックまで交代させ。5人の交代枠を使い切った。1試合で5人も交代させると、ほとんど別のチームになるが、組織力が落ちないのはさすがだ。

 そして21分、加奈が中央右寄りからスルーパスをペナルティエリア左寄りの詩織に通す。前を向いて詩織がボールを受けた! こうなったら詩織に並ぶものはいない。ドリブルを仕掛け相手をタテに2人抜く。そして3人目が来たところを、正面から半円を描くようにいったん下がってからファーサイドのポスト際に入ったあたしに左足でふわっと左足クロスを上げる。あたしのマーカーはあまり身長のないレオーネの左サイドバック。強引にジャンプして相手の頭の上から打点の高いヘッドを叩き込む! ついに2対3。1点差だ。

 あたしは詩織に抱きついた。

「希、痛いわよ」

「やった。どんどんノッていくぞ」

「希、時間が無いんだ。すぐに戻りな」

加奈が叫ぶ。すぐキックオフできるように、ボールを持ってセンターサークルに走っている。あたしもあわてて続く。


 レオーネは前半の攻撃意識はどこに消えたのか、徹底的に守備を固めている。選手交代を行なわないベラトリックスも疲れていたが、勢いに乗っていた。小気味いいパスワークで相手を振り回し、翻弄する本来のスタイルが出ていた。どうだ、ベラトリックスのサッカーはこんなに魅力的で楽しいだろう! 

思えば茅野から出てきたときは、細かくてリズムだのテンポだのについていけなかった。同じフォワードの梨奈がチームメイトとコンビネーションだけで得点を決めていたと思っていた。でも複雑で当意即妙なサッカーをする技術と頭があったんだな。今ならベラトリックスのサッカーを心から楽しいと言えるよ。

 そして相棒の詩織。こんなに凄い選手と息のあったプレーが出来ることがこんなに楽しいなんて、1年前には思わなかった。無骨で下手くそな男子サッカー部に混じってやっていたあたしにとって、まさに幻想的なプレースタイルだった。

 その詩織と組むことであたしはチームに溶け込んだ。あんたのおかげで成長できたよ。あたしもあんたの成長に一役買っていればいいな……。


28分、押し込むベラトリックスは香穂が得意のオーバーラップから左クロスを上げた。ファーサイドのポストに詩織が詰める。キーパーはシュートコースを防ぎにかかる。跳躍する168cm! レオーネのサイドバックの上からヘッド。しかしボールはゴール方向には飛ばない。正面に落とす。そこに滑り込んだのはあたし。スライディングボレーシュートだ。前がぽっかり開いたゴールに叩き込む。決まって3対3の同点。

今度こそガッチリ詩織と抱き合う。そこに香穂や加奈、彩音たちが飛びつく。同点だ! 思いっきり喜んでもいいんだ! 頭の中が真っ白になった。

そこにすかさず遥子が

「まだ同点よ。このままだとPK戦になる。勝ち越しゴールを取りに行こう」

と言って我に帰る。そう、まだ同点だ。勝ったわけじゃない。


 急いでセンターサークルに戻る。レオーネは急いでいない。つまりPK戦に持ち込むことだけを考えている。レオーネが勝ち越すよりも、ベラトリックスに逆転される可能性が高いことを恐れている。それならウチは残り時間攻めるだけだ。

 レオーネのキックオフから試合は再開。あっという間にボールを奪い、攻め込む。再び彩音がグラウンダーのパスを通し、あたしがポストプレーに入る。三沢秋穂が激しく身体をぶつける。が、耐えて左の詩織へ。詩織も二人に囲まれる。しかしキープして後ろ向きでリフティングから反転してゴール前に入れる。あたしはレオーネのセンターバックから逃げるようにペナルティエリアギリギリまで下がっていた。そこにドンピシャのボールが来た。思いっきり足を振りぬく。強烈なシュートがゴールマウスを襲う。レオーネのキーパーが辛うじて弾くとクロスバーを叩いて大きく跳ね返る。それが三沢秋穂の足元へ。三沢秋穂は一気に前線に蹴り出す。単なるクリアだったと思うが、前線で一人待っていたレオーネのセンターフォワードの長谷川の足元に入った! オフサイドも取れない。ぐんぐん加速して奈美を振り切り、キーパーの香苗との1対1を決められ3対4と勝ち越された。そして主審の笛が鳴り、タイムアップ。


 何が起きたのか理解できなかった。遥子が泣いている。負けたのか?あたしたちは負けたのか?

「くそっ。こんな負け、認めないぞ」

絶叫せずにはいられなかった。

「私たちは負けたのよ。受け容れましょう」

詩織が涙を浮かべながら近寄ってきた。あたしはぼっーとした頭を振った。


   ☆


試合終了の挨拶も何が何だか分からなかった。レオーネの監督が何か労ってくれた気がするが覚えていない。あたし以外はみんな泣いていた。松原監督は早く片付けて引き上げるように言ったくらいで、特に動じてはいないみたいだった。

 たぶん、あたしのサッカー人生では初めてのショッキングな負け方だったんだろう。何の感情も湧かなかった。ただただ呆然としていた。



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