クイーン・オブ・スポーツ 第5幕
第5幕
7月に入り、夕方の練習もきつくなってきた。プリンセスの3年生は大学の練習に参加したり、トップの練習に参加したりで抜けることが多くなった。そして練習の緊張感が明らかに落ちた。身近な目標を見失ったためだ。
「何やってんすかー、気の抜けたパス!」
あたしが罵る。競り合いでもあたしにパワー負けするだけならまだしも、本気で競り合ってないことが多くなった。夏前最後の関東女子リーグでは無気力なゲームで格下相手に辛うじて勝った。あたしはまたもサブだった。プリンセスではトップに上がった選手や学業成績のイマイチな選手はベラトリックと提携している女子大に進学する。トップに上がれない選手は少しでもいい大学や女子サッカー部の強い大学を目指す。そのため、プリンセスの練習に意識が向かないのだ。あわてて勉強を始める子もいる。
琴美さんにはトップ昇格内定が告げられたらしい。その琴美さんは女子大に進学することも内定していた。だから集中して練習しているが、チーム全体のテンションの低さはどうすることも出来ないようだ。そんな中、練習試合が入っていた日曜日が梅雨の残りかすのような土砂降りで休みになった。朝、プリンセスの練習場に来たものの、解散を告げられたあたしは、今度は詩織をウチの社宅に招待することにした。
☆
ウチの社宅までは練習場から小田急一本だ。あたしはそんなもの要らないと言ったが、詩織は駅前で手土産を買うといって譲らなかった。電話一本入れて、詩織を連れて行くことを親に伝えたが、留守で、ウチにいるのは同じく雨で試合が休みになった光だけらしい。詩織はケーキとアリシアとかいう花を買っていった。
いつもならチャイムも鳴らさず、鍵を開けてはいるところだが、光にきつく言われてチャイムを鳴らす。そしたらすぐにドアが開いた。
「いらっしゃーい。ええっ! 凄い美人さんだ~芸能人みたい! 噂の詩織さんですよね?ウチの愚かな姉がお世話になっています」
とまくし立てた。愚かな?あたしは成績トップクラスだ。
「初めまして。高柳詩織といいます。希さんにはいつもお世話になっています。今日はよろしくね」
お上品に首を傾け、詩織が挨拶する。今日はGパンだけど、それすらお上品に見える。サッカーの格好じゃないから、天然パーマの髪が肩にかかって、とてもサッカー選手には見えない。
光が居間に招きガラステーブルを勧める。詩織が紅茶党ということは告げてあるので、光が常備してあるアッサムティーのパックをポットに入れて、回してティーカップに注ぐ。ちゃっかり3人分。光も会話に入る気満々だ。詩織のシフォンケーキも3人分。本当は両親の分も買うといったのだが、あたしが固辞したのだ。花だけで十分だと。
飼い猫のにあはいつもはソファで寝ているだけだが、詩織のは興味を示して近づいてきた。あごを突き出す。あごの下を撫でろ、と言っている。詩織も慣れたもので、
「可愛い~」
といいながら頬を寄せてにあにすりすりする。そしてにあの手を取り、肉球をふにふにいじっている。にあは詩織の膝の上で足場を落ち着くまで探し、ふっと座った。
「光さんもサッカーしているのよね?ベラトリックスには来ないの?」
「私の実力じゃ、まだ厳しいんです。でも高校に入るときはプリンセス、狙ってますので」
「楽しみね。お励みなさい」
「お姉ちゃん、浮いてませんか?」
「大丈夫よ。最近はみんなと打ち解けているわ」
「お姉ちゃん、私と違ってすぐ人にぶつかるから」
「サッカー選手ってそんなものよ。むしろ建前抜きに裏表なく本音を出せる希さんは一目置かれてるわ」
「本人を目の前にして他人の評論をしないで欲しいんだけど」
「これは失礼したわね。だいぶ妹さんとはタイプが違うようね」
「お姉ちゃん、私から見ても容姿は整っているほうだと思うんだけど、モテないんですよ。同性からは人気あるんだけど」
「格好いいからね。自慢のお姉さん?」
「そう直接的に言われると困っちゃうな。長所も多いけど欠点も多い人なので。お姉ちゃんと親しく出来る人って貴重なんですよ。菩薩のような人とか」
う~ん、光はあたしに甘やかされていると思って遠慮がないな。たしかに詩織には浮世離れしたところがあるが。
「他人の評論しに来たわけじゃないだろ。本題に入ろう」
「その前にケーキをあけてからにしましょう。紅茶もいただくわね」
どこまでもマイペースな奴だな。
結局ケーキを半分くらい食べてから本題に入った。
「プリンセスに上がったけどどう思う?」
「まとまってないわね。キャプテンシーがあるのは琴美さんくらいで、しかも琴美さんはトップの練習参加で度々抜けるし」
「ガールズに入ったときもまとまりがないと思ってたけど、思えば、まだだいぶマシだったな」
「2年生が大人しいし、今まで琴美さんに依存しすぎだったと思うの」
そういえば詩織はプリンセスの事情もわかっているのだったな。
「プリンセスにいればレベルの高い練習が出来るけど、あの雰囲気のヌルさだと、どうしようもないぞ」
「私は高校生相手に自己主張できるか、いろいろ試せて楽しいけど」
「詩織は来年プリンセスに上がったら、キャプテンに立候補したらどうだ?U❘18代表は琴美さんだけで、実力的には一番だろ?」
「どうかしらね。私なんてチームをまとめるほど自己主張できてないし、チームの一員としてやっていくだけで精一杯よ」
「どうも燃えるシチュエーションがないんだ。公式戦がないし。レギュラーとってないあたしが言うのもなんだけど」
「だったらガールズに戻ったら?」
ムッ! 何言ってんだてめえ。
「あ、不快に思わないでね。ガールズは全国大会を今月末に控えてる。トーナメントの緊張感でしか得られないものがあると思うのよ」
「なるほど、そういう意味か。でもプリンセスに上がってすぐ出戻りじゃあ、昇格した意味が……」
「昇格した意味ならあるわ。希、トレセンとプリンセスで格段に上手くなったもの。考えてサッカーしてるわ。戸田さんの狙いもそこにあったのじゃないかしら?」
「そうか……。あたしはテンションが高くないとサッカーやってる意味がないし。解った。ガールズに戻るよ」
「私も戻るわ」
「ええ~っ」
黙っていた光が叫ぶ。
「お姉ちゃんと違ってプリンセスでも詩織さん、レギュラーなんでしょ?上のレベルでやれるのになんで?」
「私がピッチ内で自己主張できないその象徴がゴールできないことなの。ガールズで点を取り始めたのも最近のことなのよ。プリンセスではゴールできるところまで行ってないの。今の希なら、私のゴールのお膳立てもできるでしょう?」
「じゃあ、明日、松原さんに切り出すか。揉めるかも知れないけど」
「松原さんは選手の自主性を重んじる人よ。選手が決めたことを否定したりしないと思うの」
「解った、決まりだな」
その後は詩織と光がたわいないおしゃべりを続けた。昼前に詩織が帰るまでには光はすっかり詩織に懐いていた。田舎者にとっては本物のお嬢様とは接する機会はないもんな。光に鎌倉の詩織の洋館見せれば、開いた口が閉まらないぞ。
☆
翌日、中学の授業が終わった後、一時間図書館で勉強して、ベラトリックスの練習場に向かう。いつものように一番乗りだ。プリンセスの戸田監督が既に練習用のシャツに着替えていた。まっすぐ近づいて、目を見て言った。
「あたし、ガールズに戻ろうと思います」
「理由は何となくわかるけど、一応聞こうか」
「今のプリンセスで得るものは少ないと思います。あたしは高いテンションで練習したい。そのために公式戦のあるガールズで試合に出るほうがいいと思いました」
「今プリンセスを辞めると負け犬と思われるぞ」
「どう思われようとかまいません。プリンセスで今得られるものは得ました」
「なら今日の練習でそれを証明してからガールズに戻りなさい。松原さんも予想していたわ」
「分かりました」
言うだけ言ってストレッチを始める。プリンセスの選手が三々五々集まり、軽く挨拶して、最後に詩織が来て、戸田監督にあたしと同じことを言った。戸田監督はこっちは予想していなかったみたいで、驚いた表情を見せていた。
練習前に戸田監督がプリンセスのメンバーに事情を話し、最後のミニゲームでは主力組とサブ組に分けて、あたしと詩織はサブ組に入れるから容赦なく叩き潰すよう言った。
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練習後半、ついに8対8のミニゲーム。
フォワードのあたしには琴美さんがマークにつく。引いたりサイドに流れたりしたら指示を出してほかの選手にマークに付かせるし、裏を狙っても先回りしている。高校生年代で全国トップクラスの選手なのだから、あたしにはちょっと荷が重い。力づくのプレーに対抗するだけのパワーも高さもある。スピードではあたしのほうが上だけど、読みでカバーする。だけどあたしがトレセンで学んだことがある。サッカーはチームという組織の中で個人を生かすかどうかだ。1対1のスポーツじゃない。
そしてガールズで身につけたポストプレー。琴美さんもあたしを潰すだけの圧倒的なパワーはない。詩織の正確無比なグラウンダーのクサビのパスがあたしの足元に入る。すぐに左方向にターンするフェイントを入れる。琴美さんも反応する。しかし、それが囮だ。右に出すと詩織が走りこんでいる。強烈の左足シュート! キーパーがはじくが、その先にはあたしが自慢のスピードで琴美さんより先に詰めている。難なく蹴り込み、サブ組がリード。
守備に回ってもあたしが前線から相手ボールを追い掛け回す。サブ組は主力組ほど身体は強くないけど、あたしが走り回ることで守備の負担が軽くなる。そして奪って、あたしの足元にボールが入る。今度は味方のフォワードに落とそうとする。琴美さんは力づくで奪えず、たまらずファウルする。やや左よりでフリーキック! 詩織なら直接狙える位置だが、あたしは手を上げてボールを要求した。琴美さんの前に入ると見せかけて、琴美さんの視線が離れた瞬間後ろ側に入った。プリンセスの誰よりも高い打点でヘッド。2点目!
主力組もエースの理沙さんが1点取った。そして終了間際、主力組のコーナーキック。ゴール前に上がってきた琴美さんをマークするため、あたしも自陣に戻る。主力組で一番の長身は琴美さんだ。コーナーキックを蹴るのは、ウイングプレーヤーとして理沙さんに正確なクロスを上げてきたちづるさん。琴美さんがフェイクを入れてファーサイドに流れる。あたしはマークを外されかけた。そこにちづるさんが合わせる。あたしの長身のジャンプも届かない。琴美さんのヘッドがゴールに突き刺さる! 結局2対2の引き分けに終わった。
☆
「少しはやれるようになったけどまだまだね」
「あたしはセットプレーの守備は苦手なんですよ」
「確かにこれじゃ、実戦で揉まれないとどうにもならないね。詩織まで引き抜かれると痛いんだけど」
「琴美さんはU❘18代表とトップチームが待っているのだから、小さなことで悩まないでくださいよ」
「私はね、全てのゲームに勝ちたいの。あんたもそうじゃない?」
「まあそうですけどね」
「それにあんた、ねらってるんでしょ? U❘15代表」
代表!そりゃ狙ってるけど、遠い話だと思ってた……。
「代表チーム立ち上げっていつですかね?」
「U❘14選抜が土台になるだろうけど、今月末の全日本女子ユース(U❘15)選手権で代表監督が視察に来て選ぶんじゃない?」
「じゃあ、いよいよ大会に向けてガールズで頑張らないといけないっすね」
「希、詩織」
戸田監督が近寄ってきた。
「プリンセスで自分に足りないものを見つけたようね。希、あんたはまだまだ磨かれていない素材なんだから、一つ一つの経験を大切になさい。詩織は上でもやれるんだけど、性格的な弱点は希を見てればいいわ。遠慮せず、強引に行きなさい」
詩織はいつものように悩みのなさそうな表情でうなずいた。
「あたしはプリンセスを蹴ってガールズに行くんだから全国制覇しますよ」
「得点女王になりなさい。その後でまたプリンセス昇格について話をしましょう」
こうしてあたしの短いプリンセス生活は終わりを告げた。