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クイーン・オブ・スポーツ  作者: 北原樹
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クイーン・オブ・スポーツ 第4幕

第4幕



都内駒沢公園のグラウンド。月曜日の夜。ベラトリックスでは回復日として月曜は休みになっている。そんな中、月2回東京都トレセンの練習会が開かれる。人工芝のピッチ。それが東京都トレセンの会場だった。各チームのユニフォームを着た選手たちが集まりビブスをつける。半分くらいベラトリックスだが、なでしこリーグの下のリーグ・チャレンジリーグのスジャータの下部組織の選手や、深奏中、中体連の強豪・田村女子のユニもある。2年生なのに選ばれている香穂がいちいち説明してくれた。仲のいい選手はチームが違ってもおしゃべりしている。私は馴れ合わないけどね。そこに件の女性コーチが近づいてくる。

「こんばんは。東京都トレセンにようこそ。私はここでコーチをやっている東京都サッカー協会の田川といいます。桐原さん、いろいろ学んでいってね」

「長野だと、単に普段練習機会の少ない選手たちの練習の場という感じだったんすけど」

「東京だと、グループ戦術を学んでもらい、最後に11人のミニゲームね。全員で30人くらいいるけど、もちろん桐原さんにも参加してもらうわ」

「フォーメーションとかは決まっているんですか」

「スペインのバルセロナ式の4❘3❘3か、4❘2❘3❘1ね。あなただと、4❘2❘3❘1の1トップが得意かしら?」

「やったことないのでわからないです。でも4❘3❘3だと居場所なくないですか?」

「今のところ真ん中にはベラトリックスの黒木さんか、スジャータの市ノ瀬さんが入ることが多いわね」

黒木さんとは梨奈のことだ。

「詩織も参加しているんでしょ?」

「高柳さんは鎌倉の中学に通っているけど、所属は東京のベラトリックスだから、東京都選抜で選出されているわ」

「あいつがこういう選考会でアピールできているんですか?

「意外ね。人の心配?大丈夫。最近変わってきたと、ベラトリックスの松原さんからも言われているし、実際この前の試合では別人のように積極的だったから」

そんな話をしているうちに別の人が近づいてきた。男性だ。

「ちわーっす」

「やあ、こんばんは」

「紹介するわ。東京都トレセンの監督、遠藤正照さんよ」

「よろしくお願いします」

「君の事は聞いてるよ。スケールの大きな選手とか。ここでは、徹底的にパスで崩すサッカーを目指している。ベラトリックスほど細かいサッカーじゃなくてね。体格に劣る日本人が世界に勝つサッカーを考えたときにそうなった。君が172cmと言うのも聞いているけど、世界で戦うには高さが足りない」

何?高さが足りないなんてはじめて聞いたぞ。中学ではデカ女などさんざん言われているのに。私の驚きを見越したように、遠藤監督は続ける。

「今の世界の女子サッカーはセンターバックで最低170cmは要る。サイドも俊足だから簡単にいいクロスは上げさせてもらえない。だから連動して相手を崩すことが重要だ。君は足も速い。だからいったんボールを受けて味方に預けている間にマークを外す動きを身につけてもらいたい」


   ☆


練習は狭いグリッドでの2対2から始まった。攻撃側がボールを持ち、ボール保持者の裏を回って味方がパスを受けてミニゴールにシュートを撃つ練習だ。キーパーはいないので、必ず相手をかわしてから撃つ約束になっている。あたしはボールを持つ側だといいプレーが出来るのだが、受ける側だと動き出すタイミングが悪くてなかなかシュートに行けない。相棒の田村女子の選手の責任じゃないのは明らかだった。

続いて、守備エリア、中盤、攻撃エリアにピッチを三分割して、8人対8人で、中盤では激しいプレスがかかるから、最終ラインから大きくサイドチェンジして、中盤の開いている選手に出す練習だ。一気にFWに出すことは禁じられている。加奈が意外に判断が早いことに驚いた。ドリブルで満足しているタイプだと思っていたけど、案外上を狙っているのだろう。

そして最後の紅白戦。あたしは4❘3❘3のセンターフォワードで出た。このフォーメーションだと、下がってゲームの組み立てに加わりつつ、広大なスペースを活かさないといけない。プレーに自由はあるけど、細かいドリブルは最後には必ずカットされた。深奏中のDF陣に再三潰された。チームにフィットしていないのは明らかだった。


   ☆


「何も出来なかった……」

後悔ばかり浮かんでくる。ベラトリックスのサッカーにも加入直後には馴染めなかった。ベラトリックスはほぼ毎日練習があるからいい。しかし東京都トレセンは2週間に一度。ぜんぜん時間が足りない。しかもメンバーはトレセン慣れしている子ばかりなんだぜ~。練習についていけなかった、と思ったのは人生で初めてだった。もしかしてあたしって古くさいサッカーしか出来ないの?世界に出るためには代表入りは欠かせない。代表はトレセンから選ばれるから、トレセンのサッカーを理解し、その中で目立たなければならないのだ。

彩音も

「ぜんぜん駄目だったね」

と声をかけてくる。

「あんた、要領悪いんじゃないの?」

「あんたは要領よさそうだな」

「選抜慣れしてるだけよ。いろんなサッカーを経験してるから、適応できるの」

詩織も来る。

「トレセンだとわざと不慣れなサッカーするから、こういうことはよくあるわよ」

詩織は相手方で1トップのすぐ下、シャドーのポジションで点を取っていた。確かに詩織には得点が要求される、不慣れなポジションかもしれない。しかし適応していた。

「あたしは茅野の蹴って走るサッカーとベラトリックスのテクニカルなサッカーしか知らないから……」

あたしはすっかり混乱していた。そのあたしにさらに混乱をもたらす知らせが来た。


   ☆


その夜、松原監督から電話があった。

「ベラトリックス・ガールズからプリンセスへの昇格が決まったわ・明日からはプリンセスの人工芝グラウンドのほうに来なさい」




プリンセスはU❘18、つまり18歳以下のチームだ。ガールズでは物足りない選手を成長させるために15歳以下でも引き上げることもある。あたしはガールズに馴染み、既に中心選手になっていた。ただサッカー観で悩んでいるタイミングでの昇格はまずすぎないか?幸い詩織と同時昇格だった。32人いるガールズと違い、プリンセスは20人に満たない。だから必ず試合には出られる。しかもトップチームへの起用もザラだ。トップはともかくプリンセスで通用する自信はある。あたしの体格とスピードはプリンセスでもナンバー1。年上に臆する性格でもない。戦術もガールズと同じ。でもこれでいいのか?という思いはある。

そんなことを鬱々と考えていたら光がニヤニヤしながら話しかけてくる。

「上昇志向の塊のお姉ちゃんにしては珍しく悩んでいるじゃない? 自信ないの?」

あたしには甘やかされているという安心感があって、ずうずうしいい奴だな。

「自信はいつでもあるよ。ただガールズでやり残した事があるような気がするだけ」

「うそばっかり。今日トレセンで、すっかりしょげていたじゃない? お姉ちゃんは器用なタイプじゃないから、同時に二つ新しいことはできないでしょ?」

「う~ん。そうかもね。それに大会途中でガールズを抜けるのは、宿題を放り出すようで、落ち着かないんだよね」

ガールズの最大の目標は夏の全日本女子ユース(U❘15)選手権だ。それに対し、プリンセスは現在関東女子リーグを戦っている。社会人やら大学と同じステージで試合が出来るので、将来トップに上がったときはこの経験が役に立つ。ただし、この年代最大の目標は冬の全日本女子ユース(U❘18)選手権だ。まだ当分先だし、イマイチ燃えない。

「いろいろ考え込まなくても、飛び込んでみれば、案外気持ちいいかもしれないよ」

「あたしはタイトルが欲しいんだ。今まで優勝したことがないから。関東予選で優勝できれば、プリンセスに上がったかもしれないけど。それに上手く行ってないまま終わりたくない」

「ふ~ん、お姉ちゃんでも責任感とかあるんだね」

あれ、そんなもん、あったっけ? 最近周囲にいろいろ言われてるけど。あたしは確かにいつも上ばかり見ていた。ただベラトリックス・ガールズは初めてサッカー観をすり合わせて、妥協もして、チームを作ってきた。このチームがどこまで通用するのか、どこまで行けるのか、試してみたい気持ちはある。

「フン。余計なお世話だ」

光の両サイドにくくった髪をぐしゃぐしゃにする。そして両こぶしで頭をグリグリした。

「痛たたた……。暴力反対~」


詩織にも電話をかけた。予想していた返事があった。

「私もプリンセス昇格の電話があったわ。希、あなたと二人だけみたいね」

「どうするつもり」

「希らしくないわね。他人の意見に左右されるの?」

「言うようになったな。はっきり言おう。今のガールズでタイトル取りたくない?」

「私はみんなでタイトル取りたいわ。正直言って今年のチームはかなり強いと思うの。それに今プリンセスに昇格しても、プリンセスの雰囲気悪くしないかしら?」

「えっ?どういうこと?」

「プリンセスもトップ昇格がかかっている時期だということ。あなたがガールズに入ったときも、プリンセス昇格をみんな意識してぴりぴりしてたでしょ?今でもそう。だからみんな全日本女子ユース優勝にはこだわっているの。同じようにプリンセスも進路で悩んでいるってことよ。トップ昇格は無理でも大学への推薦はかかっているから」

「あたしと詩織がレギュラーを取ると、その分、二人レギュラーから落ちる。だからガールズから6年間一緒にプレーしてきた高校3年生にとっては団結にひびが入りかねない、てことか」

「私は上手くなりたいから上がりたいけれど、3年も上の人に向かって大声で指示を出せる自信はないわね……」

「あたしはたとえ先輩の進路がかかっていても、追い落とすだけどさ」

「早いところだと夏にもセレクションをかねた練習会に参加することもあるみたいよ」

「う~ん、プリンセスに上がるだけ上がってみようか」

「松原さんは、チームが上手くいかなくても、それはそれで一つの経験だと思っているみたいだけどね」

「あの人は結構放任主義だからな」

「私はボールが来たらあまりパスせずにドリブル突破を多用しようと思うの。実力をアピールすればボールが集まると思うし」

「あたしはいつもどおり高さとパワーでアピールかな」

「プリンセスは社会人や大学ともプレーしてるのよ。身体能力だけでなく工夫も要るわ」

まあ、それはやってみてのお楽しみと言うことで」

「では明日人工芝グラウンドで会いましょう」

「じゃあお休み」

「ええ、お休みなさい」


電話を切ると、光がニヤニヤしている。

「踏ん切りついたみたいね」

「いや、ついてないけど、試しに上がってみることにした。上手くいかなきゃガールズに戻ればいいんだし」

「チーム内での競争が激しいところは大変だね。あたしのクラブはみんな仲いいよ」

「上を目指すクラブって全員がライバルだから当たり前。怒鳴りあいなんか普通だよ」

「お姉ちゃん、口喧嘩強いじゃない」

「まあ、口喧嘩で負けたことはないけどね」

上昇志向むき出しのギスギスした雰囲気も嫌いじゃない。まあ、とりあえず学校の明日の予習だけしておこう。


翌日、あたしはそわそわしていた。ベラトリックスに限らずクラブチームの練習開始は遅い。遠方からの通いが多いためだが、あたしは同じ中学と同じ私鉄沿線上なので、通うのに時間はかからない。だからこの時間帯は中学の図書館で1時間ほど勉強してから向かうことにしていた。

最近は相原園子が付き合ってくれるようになった。まあ付き合うと言うよりもあたしに教えてもらいに来た、というほうが正確だが。

「希ちゃんはこういうところ真面目だよね」

「英語と社会だけだよ。海外に出て行くには語学と社会知識は欠かせないから。数学と国語、理科は平均以上ならいいと思ってる」

「数学も国語も理科も成績いいじゃない。中間テスト、成績上位に張り出されていたし」

「ホント。クソ生意気な女だよな」

似非二枚目、山城が近づいてきた。中間テストでは3年生でトップだった。

「サッカー部の練習はどうした?」

「今日はオフ。学年主席としては勉強にも手を抜くわけには行かなくてな」

「あんたはサッカー下手だから勉強で高校に入るしかないしな」

「希ちゃん、その言い方、キツイよ……」

お前も何気なく山城にキツイこと言ってるな。

「女子サッカーやっていても金にならないからな。オレはいい高校行って、いい大学行って、モテて、高収入の仕事に就くから」

「女子でも海外のトップクラスは高収入なんだよ。あたしはそのために必要な勉強をやってる」

「そんなの上手くいかなきゃ、低収入のバイト生活じゃないか」

「上手くいかせる。それにあたしの成績良いの知ってるだろ?大学まで推薦でいいところまでいければ、あとはやっていける」

「その性格だとモテないぞ」

「あんたはそこらの熟女引っ掛けてヒモでもなっときな」

「希ちゃん、喧嘩しちゃ駄目」

「安心しろ、オレは同年代にもしっかりモテてるから」

一言言い残し、バカは去っていった。

「山城はいつも絡んでくるからウザイな」

「山城くん、希ちゃんが気になるんじゃないかな……」

「ええっ?まさか。いつも口喧嘩売ってくるんだから」

「山城くんって女の子とはいつもソツのないおしゃべりするんだから。希ちゃんだけだよ、あんな話するのは」

「ツンデレって奴?ぜんぜん違うって。あいつは自分より出来る女が嫌いなだけ」

「そういうところも含めて気に入っているんじゃないかなあ。とにかく山城くんの中で希ちゃんが特別なポジションにいるのは間違いないと思うな」

「嫌な特別だな……」


   ☆


そんな話をしているうちに練習に向かう時間が来た。小田急で練習場へ向かう。ベラトリックスではプリンセスとガールズは17時から練習開始。社会人も多いトップは19時練習開始だ。同じ練習場のプリンセスのほうの人工芝を見るとまだ誰も来ていない。あたしはガールズのときも来るのは早かった。練習前に入念にストレッチをしたいからだ。不用意に怪我はしたくない。クラブハウスで練習着に着替えて人工芝に向かう。今年はプリンセス所属のままトップチームの試合に出ている選手はいない。周りは詩織以外全員先輩だ。長野では先輩はさん付けだったけど。東京はもう少しフランクな呼び方をするらしい。

一人の女性が近づいてきた。肩まで伸ばした髪だ。女子サッカーだと普通肩までしか伸ばさない。それ以上だと一くくりにする。

こっちから駆け寄る。

「戸田監督ですね。ガールズから昇格した桐原です。今日からよろしくお願いします」

「よろしく。プリンセスについて何か知ってる?」

「いえ、ほとんど」

「プリンセスは関東女子リーグが主戦場よ。毎週末に大学や社会人チームと試合してる。体格や組織力では劣るから技術とか個人能力頼りでどうにかいい勝負をしているというのが現状ね」

「高校生とはあまり試合しないんですか?」

「プリンセスは20人しかいないから、ほとんど公式戦に出られるので、高校生と練習試合組む意味がないの。同年代とのゲームなら1月に全日本女子ユース(U❘18)選手権があるので、秋の予選までないわね」

「リーグ戦ってヌルくないですか?」

「その分練習で追い込んでる。はっきりいってプリンセスはきついわよ」

「高校3年生は何人いるんですか?」

「5人ね。トップ昇格やら大学への推薦やらを争ってピリピリしてる。辞めちゃった子もいるし」

「先輩はさん付けしたほうが良いですか?」

「普段どう呼んでも、結局下の名前で呼び捨てになるから。ガールズでもそうだったでしょう?」

確か香穂はあたしをピッチ内では希さんと呼んでた。それが希になるだけか。

「あなたのことも私は希と呼び捨てにする」

「もちろんです」

「下級生はヌルいかもしれない。関東女子リーグは強いところと弱いところの差が激しいから。トップの大学はウチよりも力があるけど。下のチームは本当に弱いから。まあトーナメントでも同じだけど。負けたら終わりという緊迫感がないから3年生は怒鳴りっぱなしよ」

「ガールズも雰囲気悪かったですよ」

「ガールズは悪くても高校女子サッカー部には入れるでしょ?プリンセスはサッカー人生がかかっているから」

いろいろ話しているうちにプリンセスの先輩が三々五々集まってきた。「ちわーす」と挨拶しながらストレッチをする。ガールズの時に練習試合を何度か組んでいるので見知った顔ばかりだ。一番遠い鎌倉の高校から詩織も来た。軽く目を合わせる。あたしは高校生に囲まれて動じるタイプじゃないし、詩織はマイペースだ。群れる必要はない。


   ☆


「……というわけでガールズから昇格してきたので、これからチームメイトとしてやっていくように」

戸田監督が紹介する。主将として紹介されたのはセンターバックの多治見琴美だ。U❘18代表に選ばれている。この年代では有名な選手だ。あたしと同じくらい背が高い。

「琴美と呼んでいいよ」とぶっきらぼうに話しかけてきたが、目が笑っていない。新参者が歓迎されないのはガールズでも分かっている。

アップに走り始めた。ガールズよりもペースが速い。アップだから身体を温めるためのものなのに。終わってブラジル体操で身体を解きほぐし、4対2または5対2のボール回しがはじめる。あたしは内側でボールを追いかける役。ボールを奪えなければ、いつまでも内側。そしてあたしは最後まで奪えなかった。さすがにプリンセスは上手い。詩織は一度外側組に回ると、2度と奪われず内側には戻らなかった。

そして8対8のミニゲーム。この日練習に参加したのは20人なので、最初余った4人は外側で体幹トレーニング。あたしと詩織は外側組だった。20分ほど経ったか、中に入るよう指示された。実力を見るためだろう。あたしと詩織は同じグループだった。あたしの身長をみてハイボールが3,4回上がったが、琴美さんに全部競り負けた。先に身体をぶつけられ、体勢を崩されて、先に飛ばれて肩の上にのしかかられる感じで高さで負けた。ジャンプ力はさほどなさそうなのに、この辺はさすがに上手い。ポストプレーも潰されまくった。長野で男子に潰されたときは力づくだったが、琴美さんは身体の使い方が抜群に上手い。スペースに流れて俊足で突破しようとしてもいい体制でボールをもらえない。

一方詩織はボールが集まり、何度も突破を見せ、いいパスも出していた。ただそのパスがあたしには来ない。マークを外せないためだ。詩織は早くも認められていた。でもあたしはいわゆる「フィジカルモンスター」という身体能力だけの選手扱いだった。相手ディフェンダーとの駆け引きで負けていて、ボールが足元に来ないから、テクニックも発揮できない。これではトレセンと同じだ。

最悪の練習1回目だった。同じ組だった2年生の攻撃的ミッドフィールダー、確か白石紗樹がはっきり言った。  

「なんであんたみたいなサッカー分かっていない奴が飛び級でプリンセスに昇格するの?ボールも満足に受けられないじゃない」

「慣れてないからしょうがないでしょ?才能があるから昇格したんだよ」

と言い返したが、自慢の身体能力を封じられてはあたしに武器は少なかった。


   ☆


それから一週間の練習は苦痛だった。

「チェックの動き!」

いったんある方向に振ってから別の方向に動き直してボールを受ける動きだ。サッカーでは基本中の基本だが。あたしは身体が強かったので。身体をしっかり入れてしまえば、相手にゴツンと当たられても体勢を崩さずボールをキープできた。しかし琴美さんのような、パワフルで、身体の寄せ方の上手いディフェンダーは初めてだ。

ほかの選手ならプリンセス相手でも、当たり負けはしないけど。琴美さんは徹底的にあたしをマークする。たぶんプリンセスの紅白戦は公式戦よりもレベルが高い。下がってフリーになってボールを受けることは出来るけど、それだとゴール前で脅威になれない。あたしはドリブルにも自信あるけど。詩織のようにプリンセス相手に2、3人抜き去るほどの力はない。

紗樹さんは詩織を脅威に思っているらしかった。同じ攻撃的ミッドフィールダー。紗樹さんは右、詩織は左が得意なので、両立できるけど、ベラトリックスのシステムは攻撃的ミッドフィルダーがしょっちゅう左右を入れ替えるやり方になっている。詩織のほうが上手いとなると主導権を握られる。詩織には、自分がボスになる意識なんてないけど、紗樹さんの心の機微までは解ってないから、焦っていることに気づかない。

戸田監督は週末の関東女子リーグ、啓大戦のスタメンに詩織の抜擢を考えているようだった。プリンセスは20人しかいないので、はっきりレギュラー11人とサブ11人に別れての紅白戦はできない。でも金曜日にはレギュラー組が大体わかる。啓大は大学女子サッカー界随一の強豪だった。プリンセスとすれば、関東女子リーグ優勝を争う上では負けるわけには行かない一戦だった。

しかもこの試合には別の意味合いもある。啓大は超名門大学だ。入るだけでも箔が付く。卒業時の就職に有利に働く。ベラトリックスのトップに上がれない選手にとって、啓大の関係者の目に留まって、推薦入学の枠を取れたら大きい。いや、ベラトリックスのトップでもプロ契約はホンの一握りで、後はフリーターか学生でチームが構成される。OLもいることはいるが、大会のために休みを取りづらい。そのため代表クラスにOLはほとんどいない。だから将来を考えてあえて大学女子サッカー部で活動する有力選手もいた。そういうわけで選手たちは人一倍燃えていた。

以前ならプリンセスのほうが啓大よりも力は上だったらしい。しかし大学サイドが女子サッカーの力を入れるようになって、一部の大学とは力関係が逆転した。啓大は全日本大学女子選手権。通称女子インカレで何度も優勝している。関東女子リーグではプリンセスは啓大に勝ち点差を広げられつつあった。

試合前日の土曜に翌日のスタメンが告げられる。あたしは控えだった。プリンセスのフォワードはあたしより小さいけどボールの受け方が上手くて、駆け引きで相手センターバックを出し抜ける杉澤理沙と、165cmと大柄ながら、ドリブルが得意な浅岡ちづるのコンビだった。

そして攻撃的ミッドフィルダーには詩織が選ばれた。詩織はこの一週間、味方へ不得意なはずの指示を出し続け、味方がボールを出したいところに来てはボールを受け、早くも攻撃の中心選手になっていた。もともとプリンセスの2年生とはガールズ時代、2学年差なので一緒にプレーしたことも助けになったかもしれない。詩織はガールズでは1年からレギュラーだったというし。


   ☆


練習終わって帰宅すると光が真っ先に「おかえり~」と出迎える。靴を脱いで食卓で冷たいお茶を注いで一杯飲む。

「お姉ちゃん、ここのところ眉間にしわより過ぎ」

「うるせえな。大事な試合では人生初の控えが決まったんだ」

「高校生に混じって中学生が出るなんてむっちゃ大変じゃないの」

「それを可能にした奴もいるんだよ」

「いいじゃない。お姉ちゃんのサッカー人生、これまで上手く行き過ぎていたんだよ」

「むきになってあたしを潰そうとするクソディフェンダーがいてな」

「そんな凄い選手なの?」

「これまで当たった中では最高のディフェンダー」

「いいじゃない。そんな人がチームメイトだと普段から鍛えられるんじゃない?」

「バカか?それで試合に出られなかったら意味ないだろ。サッカー選手は試合に出てナンボなんだから」


光はいつも素朴な考え方をする。だからこそ、話をすると基本的な考えに立ち返ることが出来る。今のところ連携らしい連携が出来るのは詩織とだけだ。あたしはずっと身体能力では誰にも負けない、と思っていた。それが国内の18歳以下の選手相手に苦戦するようでは、いわゆる個人戦術、つまりボールを受けて簡単にはたいて動いてフリーになる、といった一連の流れのあるプレーが出来ていないということだ。世界には180cmのディフェンダーもいる。そういう相手に身体をぶつけられたら確実に潰される。だから今はボールを受ける工夫をする時期だ。


   ☆


翌日、9時30分にガールズと違って遠征の多いプリンセスは持っているチームバスで横浜市内の閑静な住宅街にある啓大グラウンドに着く。人工芝だ! やりやすい。キックオフは11時。天気は曇り。6月にしてはサッカーに最適な気候だ。啓大の部員に案内されて更衣室に入る。関東女子リーグは前後期制で通年リーグだ。とはいえ、夏までに大半の日程を終える。現在残り5試合で啓大との勝ち点差は6ある。今日、もし負けると勝ち点差は9に広がり、残り4試合でひっくり返すのはほぼ不可能になる。だからプリンセスとしては必勝のゲームだ。

ユニフォームに着替えてアップに出ると、琴美さんが啓大の部員に挨拶して、なにやら話しかけている。知り合いのようだ。狭い世界だから、大抵どこかでつながりがある。長野でプレーしていたあたしが例外なのだった。その部員に軽く会釈して挨拶する。

ピッチ脇でいつものように入念にストレッチをする。首を曲げ、手首やアキレス腱を伸ばし、ひざを開いて肩を左右に入れる。足を開いて座り体を前に倒す。そして左足を伸ばし、右足を内股状に曲げて太ももの筋肉を伸ばす。15分くらいじっくりストレッチを続ける。プリンセスの選手たちにもあたしは身体をほぐすのに時間をかけることは伝わっているから、のんびりみている。やがて徐々にみんなもストレッチを始めた。

やがてベラトリックス伝統のブラジル体操。みんなで手拍子でリズムを取りながら動いて足を上げて回したり、両手を上に上げて左右に動かしたりと、柔軟体操でアップを始める。そしてコーンを使ってのジグザグ走やステップワーク、ターンからのダッシュをして身体のキレを確認し、20分程経つと。試合開始30分前。ピッチ内アップが許可され、5対2のボール回し、ミドルパスの練習、ポストシュートと一通り行い、15分前に練習終了。

戸田監督がベンチ前に選手を集め、戦術ボードで今日のフォーメーションを確認する。いつもの4❘2❘2❘2だ。そして相手の啓大がパワフルでパススピードも速いこと。判断を早くして攻守の切り替えも素早くすること、などを確認した。

そして審判に促されてスタメンが整列。選手証とシンガードを脛につけているか、スパイクはルール通りかを確認してピッチ内に入る。

一目でプリンセスと啓大と体格差は明らかだった。線の細いプリンセスに対し、啓大はガッチリしている。その啓大がキックオフ前の円陣で気勢をあげる。

「絶対勝ちましょう」

「優勝しましょう」

「最初からガンガン行きましょう」

ものすごい大声だ。女子でここまで声を出すチームははじめて見る。


キックオフ。啓大は自陣から低く鋭い弾道のパスで大きく展開する。キック力がプリンセスとは違いすぎる。プリンセスが細かいテクニックを得意とするなら啓大はサッカーの基本中の基本、シンプルに止めて、すばやく判断して、強く正確なパスを出すことに長けている。プリンセスの当たりにびくともせず、キープしてサイドバックの上がりを待ち、そこに出して右クロス、これは琴美さんがクリアしたが、危ない形だ。

啓大の波状攻撃が続く。徹底的にサイドを突いてくる。左右の攻撃的ミッドフィールダー、紗樹さんと詩織も引いて守備に回り、フォワード陣は孤立してどうにもならない。プリンセスは耐えてカウンターに活路を見出す戦い方も得意なはずだが、理沙さんもちづるさんも何も出来ない。ちづるさんはドリブルだけでなく、体格を活かしたキープも得意なはずだけども、相手ディフェンダーに張り付かれては、潰されるだけだ。

そしてついにプリンセスの右サイドを破られ、ニアに斜めに走りこんだ啓大フォワードに決められてしまう。

これでプリンセスは意気消沈、対照的に啓大は勢いに乗り攻め立てる。25分頃、自陣でボールを受けた詩織が一気に前線へ正確なパス、これを下がって受けたちづるさんが受けて前を向き、理沙さんとワンツーで右を突破、クロスを上げてちづるさんに合わせるが、相手にクリアされてしまう。これが前半唯一のチャンスらしいチャンスだった。

終了間際には啓大が左を破りクロスに走りこんだフォワードがヘッドで決めて2点目。普通ならまだ追いつく可能性のある点差だが、プリンセスと啓大の力の差からいって勝負は決まっていた。そしてハーフタイムにはベラトリックスの下部組織らしく、罵り合い。

「2点ともサイドが破られて。同じパターンじゃない。ディフェンダーしっかりしろよ」

「中盤が奪えないで押し込まれているからでしょ。ここまで中盤が守れないと、バックラインだけではどうしようもないわ」

「ワンチャンスだけでボールもろくにこないじゃない」

「フォワードのフォアチェックが甘いから中盤が守備にいけないんでしょ」

戸田監督は突き放した言い方で

「今日は負けね。こうも闘志がないんじゃ勝ち目ないわ」

と言い出す。

琴美さんは

「勝つ気が無いんじゃありません。相手がパワフルなんで、ウチのパワーでは当たってもふ飛ばされるので、奪えないだけです。

「それを奪うのがベラトリックスのサッカーでしょ。啓大は確実にベラトリックスのトップより弱い。そのトップに上がりたいなら、啓大に勝てないでどうするの?」

「相手は組織とパワーだけです。私はやれてます。後半は前から仕掛けます。そのために希を入れてください」

何? あたし?

「希なら身体を張った守備が出来るし、何よりパワーがあります。ウチには強引さが必要です」

「それは考えているけど、ハーフタイムでは変えない。練習は理想のサッカー、ゲームは勝つサッカーがウチのモットーだけど、希は練習でアピールできてない。啓大が守備に回らないと希は持ち味を発揮できない」

はあ、あたしは守勢でもスピードがあるからカウンターで単独突破からのシュートは得意なんだけどな。でも同じことの出来るちづるさんが何もできていないので、それ以上のことは出来ないかも。


後半開始すぐ、あたしはアップを命じられた。

そして後半がはじまり、立ち上がりこそプリンセスは前から守備に行ったが、軽くいなされ、啓大の大きなパス回しの前に振り回される。じわじわと後退し、15分ごろ、決定的な3点目を奪われた。右からの低いパスに逆サイドのサイドバックがマークを見失い、決められたのだった。

ここで交代が告げられる。理沙さんとあたしが交代した。戸田監督の指示は、詩織からの一発のパスを狙え、だった。

そして、あの温厚で先輩に逆らわない詩織が自分の判断で中央寄りにポジションを移している。フォワードとの距離が狭めるためだ。ファンタジスタ・タイプの選手にしては詩織は大柄でパワフルで守備も強い。これは自分が攻撃の中心としてやっていく意思表明だった。

プリンセスは相変わらず守勢だったが、ボールを奪ったら詩織に預けてカウンターに入れるようになった。詩織は啓大のマーカーを手玉に取り、簡単にマークを外して、右サイドよりのちづるさんにパスを回した。ドリブルで仕掛けている間にあたしはゴール前を伺う。そしてちづるさんのハイクロスにあたしは高さで競り勝てる。シュートまでは行けなかったが。

27分ごろ、あたしがディフェンダーに寄せて、そいつが苦し紛れに出したボールを予測して詩織が拾う。すばやくあたしはダイアゴナルランで斜めに走る。センターバックの間を抜けて裏を伺ったそのタイミングで詩織からスルーパスが入る。追いすがる左センターバックをスピードで振り切り、右30度の角度から思いっきり右足を振りぬく! 啓大のキーパーもよく反応して左手で触ったが、ニアサイドを破り、ゴールイン。見たか! あたしのパワーとスピードを!

「やったわ」

詩織が真っ先にあたしに抱きつく。ちづるさんも肩をぽんと叩く。意気消沈していたチームメイトも寄ってくる。

点を決めたら全てが変わった。チームメイトがあたしにパスを出すようになった。今までどれだけ信頼されてなかったのかよ、という感じだが、あたしに反感を持っていた紗樹さんまでパスを出すようになった。ボールの受け方は相変わらず下手だったが、ベラトリックス・ガールズに入ってから身につけたポストプレーで踏ん張り、詩織に落として惜しいミドルシュートもあった。ただ前半から啓大に振り回されてスタミナを消耗していたプリンセスは終盤がくっと走力が落ち、1点追加されて、1対4で敗れた。


   ☆


事実上リーグ優勝の可能性が消えたプリンセスの落ち込みは酷かった。啓大との勝ち点差は9。つまり啓大が残り4試合で3敗を喫しなければ追いつけない差だ。秋には啓大は関東大学女子リーグが入るからベストの状態では試合に臨めない。でも関東女子リーグは上位と下位との力の差が大きい。啓大は下位に取りこぼさないだろう。


   ☆


翌月曜日、山城がさっそく皮肉を言ってきた。どこで情報仕入れてるんだ? 女をへこまして屈服させたい男はいるけど、あたしはサッカーでは完全にコイツに勝ってるじゃん。園子は

「啓大のスタッフの目に留まったら、希ちゃん、進路は安泰だね~」

とのんきに言っている。でもあたしは大学サッカー部でプレーする気はないしな。

「俺なら学力で啓大にも行けるけどな」

大学でナンパでもしてろ。それにお前の力なら大学に入っても男子サッカー部にはついて行けないと思うぞ。


  ☆


月曜日はトレセンの日だった。気分転換になれば、と思い駒沢公園の練習会場に向かう。遠藤さんなどのスタッフが待ち構えている。あたしはある考えがあった。大きくパスを回し、あたしにボールを当てて味方に落とし、その間に動きなおして得点を狙うサッカーは啓大に似ているからだ。ピッチを広く使うところも似ていた。

コーチ役の田川さんは昨日のゲームを把握しているみたいだった。トレセンでは仲間はずれにされることは無い。むしろ最大派閥のベラトリックスに所属しているので有利なほうだった。

「桐原さん、味方を信頼すれば、それは自分に返ってくる。どんどん味方に預けなさい」

加奈や彩音も

「あんたはワンマンプレーヤーだからね。最初はやりにくかったわ」

と茶化す。詩織は

「そんなこと無いわ。希は組織的なサッカーをしてこなかったから、どうすればいいか、わからなかっただけなの。協調性はあったわ」

「希が信頼してるのって最初は詩織だけだったじゃない。詩織は誰とでもコンビ組めるから」

なんか人に評論されるのってむかつく。

「あたしは実力を認めた奴としかプレーできないの。それに加奈はドリブルばっかりでパスが来ないし、彩音は長野では見た事なかったほどチャラい格好しているし。

「そりゃ、あんたに比べれば、誰だってチャラいよ」

「ふ~ん、そうかもね。前回のトレセンではさっぱりだったけど、今日のあたしは違うよ」

「あんたはビッグマウスだから当てにせず、楽しみにしてるよ」

「ガールズのほうはどうなの?」

「絶好調。昨日の練習試合では田村女子の高校のほうに勝ったよ」

それはすげーな。男子ほど高校生と中学生の差は大きくないとはいえ。

「たぶん、私たちは全国大会では優勝候補の本命だと思うな。相手も関東9位ということで、今年のベラトリックスは強くないと思って警戒薄いかもしれないし」


   ☆


練習が始まる。外5人対中2人のボール回し、グリッドを限定しての大きな展開の練習と続いて、最後はミニゲームだ。今日もあたしは4❘3❘3のセンターフォワードだった。たぶんスタッフの狙いだろうけど、味方の攻撃陣にベラトリックスの選手はいない。つまり見知らぬ選手と即席でコンビネーションを築け、ということだろう。いいだろう、やってやろうじゃねえか。


相手のセンターバックは奈美と有紀。さすがに自由に前を向かせてくれない。しかし身体を当ててキープし、右のウイングに出す。クロスに飛び込む。奈美も167cmあるからそう簡単に勝てないけど、惜しい形は何度か作った。啓大の得点パターンでもある。中盤まで下がってボールを受ける。奈美と有紀は中盤まであたしをマークするか、迷って中途半端なポジショニングの挙句フリーにする。そうすると味方の攻撃的が上がってミッドフィルダーにスルーパス、これは止められたが、どんどんボールがあたしに集まる。啓大のフォワードの動きを参考にした。戸田監督があたしにベンチに座らせたのはこういう狙いもあったのか。試合自体はベラトリックスの多い相手の圧勝だった。ただ、あたしは2回目にしてトレセンのサッカーを理解し、チームプレーに絡めたので満足だった。




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