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クイーン・オブ・スポーツ  作者: 北原樹
3/8

クイーン・オブ・スポーツ 第3幕

第3幕



さすがのあたしも足取り重く、小田急線沿いの社宅に帰った

「ただいま」

光がさっと駆け寄って迎える。

「おかえり~。負けたんだって?」

くそ生意気な奴だ。どこで耳に入れたんだ?メールなんてしてないぞ。

さっと靴下を脱いで丸めて投げつけるが、軽くかわす。こいつも運動神経はいい。

「おお、怖~。決定機を外しまくった? 」

「もっと最悪。PKを外した」

「それでどんよりしてるのか」

「あんたは機嫌よさそうね」

「あたしは今日のBチームの練習試合で点取ったからね」

光も将来有望な選手、と茅野では言われていた。体格は並だけどスポーツ万能で細かい技術もある。ベラトリックスの50倍の倍率は突破できなかったが、長野では小学生時代は男子に混じって県選抜に選ばれていた。こいつはこいつでそれなりに有力選手なのだ。新中1なので入りやすいタイミングにも関わらず、ベラトリックス以外のなでしこリーグ下部組織にも入らなかったが、育成に定評のあるクラブを選んで入っている。部屋に上がるあたしのあとをついてくる。

「PKってあの怖いキャプテンが蹴らなかったの? 」

「あんな奴に任せられるか。あたしはチームが勝つも負けるもあたしの責任でやってるの」

着替えの中学ジャージを用意して風呂場に向かう。今日は泥まみれだった。

「今晩はポトフだからね」

一言残して食卓のある部屋へ向かう。こいつなりに気を使ったのか?でも光は周囲とは上手くやってるけど内弁慶で、あたしには生意気だからな。

シャワーにつかる前に泥だらけのユニフォームを洗濯機に突っ込んで洗剤入れてスイッチを押す。

シャワーを浴びて長野の頃よりも短くなった髪に混じる泥を流して落とす。クソッ!PKを外したシーンがフラッシュバックする。目に涙が浮かんでくる。それを認めるのがイヤで、シャワーを顔に当てる。カベを軽く殴る。

「自信あったのになんで軸足が滑ったんだ……」

風呂場から上がって中学ジャージを着た頃には、いつもの顔ができるようになっていた。母さんは勝負の世界なんて何も知らない。東京ではのんびりした専業主婦だ。

「希ちゃん、たくさん食べてね」

ご飯、肉たっぷりのポトフ、サラダ、納豆、豆腐が今晩のメニューだ。親父はテレビのニュースにちらりと目を向けながら定位置に座る。サッカー経験者とはいえ、あたしのようなレベルの高いサッカーを知らないのでアドバイスを送ったりは出来ないし、第一送る気自体無い。あたしや光が女子サッカーしているのも野蛮だと思っているのだ。それに才能のある二人の娘にひそかに嫉妬しているのでは? と思っている。

「ねえねえ、お姉ちゃんPK外して負けたんだって」

「そうなのか?新入りがPK蹴ると揉めるぞ」

「お姉ちゃんのチーム、怖そうな人多いもんねえ」

「希ちゃん、大丈夫なの?また浮いたりしてない? 」

「あたしは平気。そんなことより光が点取ったらしいし、誉めてやってよ」

光は待ってましたとばかりに自分の話をする。光は周りから可愛がられるのが上手い。あたしにはクソ生意気な態度を取るが、甘えているのだろう。あたしも甘やかしている。両親も超名門に入ったあたしよりも、知名度で落ちるクラブに入った光を気にかけている。

「……そういうわけで、ゴール前でワンツーが決まって右隅に流し込んだわけよ」

嬉々として光は話し続ける。あたしは自分のゴールのことを当然だと思ってるので自慢げに家族に話したりしないし、満面の笑みを浮かべるタイプでもない。才能のなかった親父もあたしの境地は理解できないが、光の話は何となく解るらしい。

「……それで明日はお姉ちゃんの応援行っていい? 」

「明日休みなのか?」

「Aチームは試合。でもあたしら下級生はフリーだから」

「じゃあ行って適当にからかってやれ」

親父はこういう言い方しか出来ない。まあ勝つけどね。



夕食後皿を出して、自分の部屋に下がる。光と一緒の部屋なので、光もついてくる。

「なんかいつにもまして口数少ないね」

「一応明日のプレッシャーあんだよ。勝つことは判っているけどね。ただ勝つからには、その勝ちを完璧なものにしないと」

「明日は栃木の中学だったっけ? 」

「うん、栃木は田舎でクラブが発達していないから、中学が勝ちあがったりする。私学だから強化もしてるんだろうけど」

「お姉ちゃんってめげないよね」

「いや、いつも試合前はもし点取れなかったらどうしよう、って思ってる」

「プロだったら2試合に1点取ったら得点王争いだよ。お姉ちゃんの相手って、強いところばかりだから、勝てればいいんじゃない? 」

「でもあたしは目立って上に上がりたいから」

「もう少し自然体でサッカーを楽しめない?」

「チームメイトに天然でそういうこと言う奴がいてさ……」

「いいじゃない」

「でもサッカーは勝つためにやらなきゃ、上にアピールできないんだよ」

「お姉ちゃん、昔からなでしこジャパン、とか海外とか言ってたもんね」



翌日ベラトリックスは中央線から分かれた西武線に乗って、東京スタジアムが見える天然芝のサッカー場に向かった。松原監督と富山コーチは用具を持って車で直接向かっている。会場は芝のピッチが二面取れる、なかなかいい会場。昨日とは打って変わって晴れだ。ピッチ状態もいい。雨の影響はなさそうだ。

今日はここで2試合同時開催を4つ続けて関東大会行きを決める。2試合同時開催というのはリーグ戦の都合上、ライバルの結果を知ってから戦うほうが有利なので、同じグループの試合は同時に行う必要があるからだ。引き分けでもいい状況だとわかったら、無理して攻めなくなるし、3点以上必要となったら、最初から攻撃的に行くだろうし。

今日はプリンセスのスタッフも来ている。スパイのためだ。つまりあたしたちが3位でグループリーグを突破すれば、ほかのグループの3位と、いわゆる「吸血トーナメント」を戦うことになる。だからほかのグループも偵察しておきたい。しかしベラトリックスは第2試合。第1試合はウォーミングアップであまり観られないし、第2試合終了直後の第3試合はミーティングであまり観られない。松原監督も富山コーチも同じだ。だからプリンセスのスタッフが助っ人に来て、スカウティングを行う。そういうことだ。

ただしあたしたちの試合はもう一方とか何の関係も無い。大宮シャウトと追浜シーウルブズは既にグループ2位以内で全国行きが確定しているからだ。だからベラトリックス・ガールズは全力を尽くすだけだ。スタンドまである会場には各チームの家族が50人ほど来ている。ベラトリックスもベンチ外の14人が応援要員として来ている。

第1試合開始とほぼ同時にスタンドの外でアップを始める。軽く走って全身に血を回らせて、入念にストレッチ、それからブラジル体操と呼ばれる、リラックスとリズム感重視のアップをする。両手をいっせいに叩きながら足を上げて回したり、体をひねったり。そしてグリッドをおいて左右に動いたり、前にダッシュして、後ろに戻って、再び前にダッシュしたり。体を温めてほぐすことを主眼にしたアップを終える。あくまでウォーミングアップなので、疲れるようでは駄目なのだ。そんなことをしているうちに第1試合も後半半ばになっている。家族の必死の声援や悲鳴も聞こえてくる。

そしてスタメンの発表と対戦相手の確認事項の話。ベラトリックスは基本的に相手に合わせたサッカーはしないので、確認事項も多くは無い。試合の中で適応しろ、というポリシーだ。 

スタメンはベストメンバー。第1試合が終わって、ピッチがあく。すかさずピッチ内アップに向かう。ボールの転がり具合を確認して、ボール回し、外4人、中2人で外のボール保持者サイドはツータッチまでというルールで追いかけっこをする。そして感覚をつかむまでシュート練習。うん、悪くない。15分たって、ピッチ内アップが終了し、引き上げてくると、光と目が合った。

「お姉ちゃーん」

無邪気に大声で呼びかけてくる。すかさず、ベラトリックスの応援団が

「お姉ちゃーん」

と声を合わせてからかってくる。無視だ、無視。


試合は予想通り、ベラトリックスが聖倉中を一方的に押し込む展開になった。ただウチも昨日の悪い流れを引きずり、チャンスは作ってもゴールはなかなか奪えない。場内においてある時計を見ると、13分、彩音が右にパス、加奈が中に切れ込み、ペナルティ・エリア内で待ち受けるあたしにパスを出す。シュートチャンス!そこに背中から「スルー!」と大声がかかった。詩織だ。あたしはボールを股の下を通過させ、左フリーの詩織がシュート、決まって先制した。完全に聖倉中を振り回したビューティフルゴールだ。それよりも詩織が大声を出してボールを欲しがったことが嬉しかった。17分、左で詩織が1対2になり、抜ききらずに左右にフェイントを入れて、左足ハイクロスをゴール前で待ち受けるあたしが空中戦で競り勝って、梨奈に落とし、フリーを梨奈が難なく決める。2対0。26分。ペナルティ・エリア外でポストプレーをしようとしたあたしに、聖倉中がたまらずファウル。正面20mフリーキック。彩音が右足。詩織が左足、あたしが長い助走を取って強シュートの体勢で相手キーパーを惑わし、詩織がカーブをかけて右上に決めた。結局前半は3対0で終わった。あたしはノーゴールだけど3ゴール全てに絡み、上々の出来だった。

ハーフタイムで松原監督は前半のことは忘れて0対0と思って入りなさい、と指示を出すが、ベラトリックスはノリノリだった。

後半開始早々、詩織が左でキープし、香穂が得意のオーバーラップで追い越し、左足でグラウンダーのクロス、これをニアサイドに突っ込んだあたしがわざと後方にトラップし、シュートブロックに滑り込んだ聖倉中DFを外し、決めた。近寄ってきた香穂の頭をあたしはこぶしで挟んでグリグリする。

「希さん、痛いっすよ」

という香穂も嬉しそうだ。昨日の負けは香穂も絡んでいるから。そのあとも攻め続け、あたしは1試合3得点のハットトリック、チーム全7ゴールに絡む活躍で圧勝した。あたしがチームメイトに認められた試合だった。

試合後のミーティングでは、松原監督が淡々と足りない点を指摘した。勝っても負けても突き放す人だ。だけど、今のベラトリックスには簡単に浮かれて自分を見失う選手などいない。今知りたいのは「吸血トーナメント」の準決勝で当たる、第1試合のグループの3位チームの分析だが、松原監督は目の前のことに集中することだけを考えるタイプだ。第1、偵察していたプリンセスのスタッフは今、第3試合を偵察している。

ミーティングが終わり、第3試合の後半半ばからスタンドで観る。光に声をかけると、大して強いチームはない、とのことだった。詩織と隣り合って観戦する。

「今日は希、ベラトリックスらしいサッカーだったわよ。相手を徹底的に翻弄して、裏をかいて崩すサッカー。身体能力頼みじゃなくて」

「詩織もゴールに拘っていたじゃない。後半ハットトリックするチャンスもあった」

「私は滅多にゴール前に飛び込んでのゴールはないの。でも希が囮役

になってくれたから」

「茅野では囮役になっても決めてくれるチームメイトなんていなかったからね」

「たぶんこれから私たちのサッカーは凄いものになるわよ」

そこへ瑶子が顔を出した。

「来週の2試合はトーナメントだからPK戦がある。今週は全員居残りでPK練習ね」

「誰がPK戦を蹴ると思うの?」

「私と詩織は決まりね。癪だけど、今日のプレーを見てると希もそうかな。あとは精神的にタフな有紀とシュートテクニックのある梨奈かな」



試合後用具を再び乗せて車で帰ったスタッフとは別にあたしたちは電車で帰る。西武線で中央線に出るチームメイトと武蔵境駅のマックに集まった。普段はジャンクフードとか、間食とかはご法度なんだけど。瑶子の発案だ。

最初は今日の試合の話だったが、だんだん普段の生活とか中学の話とか、誰がプリンセスに上がれるの?とか話が飛び始める。そして女子がマックに集まったら恋バナになる。

まず槍玉に上がったのが彩音だった。茶髪のポニーテールをかき上げ、

「彼氏?いるよ」とあっさり言った。まあいるからお洒落してるんだろうけど。

「サッカーばかりで付き合っている余裕ないんじゃない?」

と2年生でサッカー一筋という印象の香穂が突っ込む。ショートヘアをゴムで止めていて、サッカー向き、というよりサッカー以外のことは考えてません、という主張がにじみ出る。

「まあ学校で話したり、月曜にマックでだべったり、そんな感じ」

「あたしたち、余裕ないですからね~」

「学校終わったら練習に直行だし、土日も空いてないし」

瑶子が尋ねる。

「彼氏がサッカーに反対したりしない?」

「う~ん、今はガキだけど、高校生になったら態度変わるかも。でも初カレじゃないし、そうなったら付き合うの止めるかも」

「ええ~そうなの~?」

「私はナルシストなのよ。格好いい私が好きで、華麗なプレースタイルが好きで、それで気に入ってもらえなかったらしょうがないわ」

「でも試合会場で彩音の彼氏観たことないけど」

「そりゃ、中学女子のサッカーなんて外から見ると敷居が高いもん。私は観られても構わないけど」

「ええ~。私なら絶対無理」

えっ?今のは瑶子の発言だ。香苗が突っ込む。

「さてはおぬし、彼氏がいるな?」

瑶子が真っ赤になる。

「あんなに鬼軍曹みたいなのに?」

「だから観られたくないのよ。ただでさえクラスのボスみたいだし、男子から煙たがられているし、試合の時にはお団子頭にまとめて、隙のない女、という印象を作っているし」

そういえば、こいつは気遣いの出来る奴だったな。下級生には慕われてるし。

「瑶子は昔から親分気質だったの?

「小学校のとき、女子と男子が対立していて、女子側のリーダーに祭り上げられたの。みんなと違って私は小学生のときから女子チームでプレーしていて、男子の嫌なところばかり目に付いていたし」

「それがなぜ彼氏を?」

「中学生になると制服を着るようになるじゃない?それで意識するようになって。でクラス委員長を一緒になった男子が好きになって自分から告白したの」

瑶子は真っ赤だ。意外に可愛いところあるじゃん。

「彼氏いるのって彩音さんと瑶子さんだけなんですかあ?」

香穂は誰にでも懐く性格だ。何となく詮索が許される雰囲気がある。

詩織が「私は……」

「あ、詩織さんはいないことがバレバレだからいいです」

あ、落ち込んだ。マイペースでも恋愛は気にするんだな。

「香苗さんはどうなんです?聞いてばかりなんだけど」

「私は165cmあるし、デカイから敬遠されてる」

あたしがすかさず突っ込む。

「あたしは172cmあるし、詩織も168cmあるじゃん。奈美も167cmあるよ。あたしらはずっと恋愛できないってこと?」

まあ今は興味ないけどな。

「いや中学生だから男子はチビだし、虚勢張りたがるから」

「ふ~ん、そんなもんかねえ。確かに長野では男子サッカー部でプレーしていたけど、恋愛のイメージ湧かないわ」

話が碧の猫に移っていく。あたしは社宅だからペット禁止だけど、結構ペット買っている子多いんだな。あと、ベラトリックスに通っている子は結構裕福なことも分かった。

この日あたしはプライベートでもベラトリックスに打ち解けた。吸血トーナメントでも負ける気はなくなった。



週明け、園子がおめでとう、と言ってきた。ベラトリックスの公式サイトを見てきたらしい。ベラトリックス・ガールズの力なら勝って当たり前なんだけど、何も知らない園子は純粋に喜んでくれてるみたいだ。山城は、たかが一勝しただけだろう、なんて言うけど、関東大会で勝つことがどれだけ高いレベルなのか解ってるのか?

クラスの女子は遠巻きに見ている。またあの残念女子が……ということが伝わってくる。



翌火曜日の練習後にはPK特訓が始まった。中学生のPKというと甘いコースに低い弾道で蹴るのが精一杯だけど、あたしは必ず左右の上の隅を狙う。キーパーが絶対防げないからだ。もちろんキックミスの可能性も高いのだが、あたしの技術なら何とかなると信じている。詩織も上の隅を狙うタイプだった。

梨奈は正確にサイドネットに決める。瑶子は強いキックを思いっきり蹴るタイプだった。リラックスできる練習ではキーパーが圧倒的に不利だ。キーパーの香苗は可哀想なまでに決められまくった。

吸血トーナメントでベラトリックスにとって予想される展開は、格下の相手が守備を固めることだ。相手は真っ向勝負ではベラトリックスには勝ち目がない。ならばベラトリックスの攻撃心理を逆手にとって焦らせて、PK戦に持ち込めば勝負は五分五分、運次第。だから必ずベラトリックスは点を取りに来る。焦ってバランスを崩せばカウンターのチャンスも生まれる。そういう狙いだ。サッカーでは守り倒してカウンター一発で点を取るスタイルというのは確かに存在する。イタリア人が言うところの「ウノ・ゼロ」の美学だ。サッカーは力の差があっても番狂わせを起こせるスポーツ。まさにその理由でベラトリックスがグループリーグで2連敗した。あたしたちも焦らなくて済むようにPK特訓している。でも本当の狙いは守備を固める相手を翻弄して徹底的に崩して点を取るサッカーだ。

この週の練習ではボランチの瑶子や彩音がどんどんあたしにボールを預けて、そこに左右の攻撃的ミッドフィールダー加奈と詩織が寄ってきて中央突破の形を見せつつ、サイドバックが上がり囮になって、攻撃的ミッドフィールダーに落として、今度はあたしが囮になり、梨奈やフリーのサイドバックに出して決定的なクロスを上げるなど、お互いが囮になり、味方をフリーにさせて、そこにフォローが入り、細かく中央突破するいい練習が出来ていた。前まではゴール前に張り付いていた梨奈も崩しに参加し、あたしにもラストパスを出すようになっていた。

ゴール前で相手ディフェンダーのマークを一瞬外してゴールを決められるが、その仕事以外何も出来ないタイプの点取り屋をリアルストライカーを言う。あたしは梨奈が典型的なリアルストライカーだと思っていたけど、ベラトリックスの細かく崩すサッカーに馴染んでいるだけに、実際にはプレーの幅が広いのかもしれない。頭の回転が速いのは確かだ。ぶっきらぼうだから、分かり難かったけど。



ついに全てが決まる週末がやってきた。土曜日は吸血トーナメントの準決勝、翌日曜日は関東代表決定戦となる決勝がある。会場は中央線飯田橋から近くの芝のグラウンドだった。ピッチ一面は余裕で取れる。

吸血トーナメント準決勝の相手・千葉エルフはなでしこリーグの下部組織でもチャレンジリーグの下部組織でもない。独立系のいわゆる「街クラブ」だ。伝統のあるクラブで高校女子サッカーに人材を多数送り込んでいる。ベラトリックスにとっても決して侮れない相手だ。チームメイトの様子を伺っても勝つ自信はあるが、決して油断は出来ない相手。そんなところだ。

そして6月の雨が降らない日は暑い。小まめに水を飲んで、水分を補給しないと脱水状態になり、パフォーマンスが落ちる。

30分ハーフの15分ごろ、試合を一度止めて、タッチライン際で水を取る、「給水タイム」が行われることを知らされていた。サイドの選手ならタッチライン際でのプレーが多いから水を飲むチャンスも多い。しかし中央でプレーする瑶子や彩音は水を飲みにくい。だから一息つけるのはありがたい。一方で試合の流れもいったん切れてリフレッシュできるので、押しているチームにとっては、ありがたくない一面もある。

ここはピッチが広いので、ウォーミングアップするスペースは十分ある。あたしはアップしたあと必ず自分だけの時間を作る。集中のためだ。

「あたしはやれる……。あたしはやれる……。あたしは勝つ……。必ずゴールを決める……」目を瞑って念じてから松原監督の指示を聞く。

「エルフはウチのペースにさせないために最初飛ばしてくるから、そこで飲まれないように。焦らなくてもいいから。落ちてきたらウチのサッカーをやろう。序盤は希にロングボールを当てていっていいから」

エルフは見たところ体格は普通だ。無理目なボールでもあたしなら空中のボールを胸でトラップしてキープできるだろう。

試合は予想通りエルフが立ち上がりから飛ばして猛烈にプレスを仕掛け、ベラトリックスのパスを寸断しにかかった。中学サッカー部と同じようなことをクラブでもするんだな。中学ほど練習時間は確保できないはずなのに、見事な組織力だ。ベラトリックスが回せる状況なら全員しっかり下がって人数をかけて守る。松原監督からは

「一枚一枚丁寧にはがして」

と指示が出る。ベラトリックスはセンターバックでもボールを運べるし、一人抜くくらい全員が出来る。センターバックの奈美はキック力があるので、ロングパスが武器だ。40mくらいのパスをあたしに送り、相手のマークが集中したところを詩織や加奈に送る。梨奈も2本シュートを撃ったが決まらない。給水タイムが宣告される。

ベラトリックスのベンチ前に集まり、松原監督が声をかけるのを適当に聞きながら水を飲む。逆サイドの加奈は反対側で水を飲んでいる。マイペースを守りたい加奈にとっては松原監督の指示は邪魔だからだ。一方で詩織とか香穂は真面目に聞いている。

給水タイムが終わってからが、ベラトリックスの本領発揮だった。千葉エルフはオーバーペースがたたり、前からプレスに行けなくなり、引いて守るしかなくなった。そして彩音のスルーパスをペナルティ・エリア内で後ろ向きに受けたあたしが反転の姿勢を見せつつ、後ろに戻すと、千葉エルフのディフェンダーに当たりボールが浮く。これを詩織が浮かせてコントロール、前に立ちふさがる相手に背中を預けてリフティング、左右にフェイントを入れて、ターンして左足シュートが決まった!

正直この相手なら1点取れば勝てる。26分には加奈が完璧に右を突破して弾丸クロス、近いサイドに梨奈が突っ込むが追いつかず、逆のポスト際に突っ込んだあたしの前に相手ディフェンダーが飛び込む。とっさにボレーシュートをトラップに切り替え、ポンと浮かせて、ディフェンダーがむなしく通り過ぎてから、ボレーを叩き込む。2対0。エルフの連中はあまりのスーパーゴールに唖然としている。あたしって本当天才! もはやゴール前を制圧してる!

ハーフタイムに松原監督はこのまま行け、絶対追加点を取って勝て、と激を送る。あたしももちろんそのつもりだった。後半5分、瑶子が左に展開して詩織が相手2人を難なく抜いてふわりとした左クロス、20cm低い相手ディフェンダーの上からあたしがヘッドで叩き込んで3点目。12分には詩織のスルーパスに抜け出してあたしがハットトリックとなる4点目。終了間際にはポストプレーで梨奈に落として、冷静に決めた。まあ、梨奈の奴にアシストするのも悪くない。結局5対0で圧勝した。あたしはまたも全得点に絡む大活躍だった。



試合後、明日の決勝に備えてストレッチをしてクールダウンを行う。怪我予防のためには欠かせない。太ももの裏を伸ばしていると、40歳くらいの関係者らしき女性が近づいてきた。

いきなり、

「あなた、見慣れない顔ね。トレセンに来てないわね。今度来る? 」

トレセンとはトレーニングセンターの略だ。ここでは要するに15歳以下の東京選抜のことだ。あたしは長野では選ばれていた、というより長野では競技人口が少なすぎて、真面目に練習していれば、選ばれるという状態だった。

「いえ、あたしは東京に引っ越して2ヶ月なんで選ばれてないんです。行きます」

「そう、楽しみだわ。詳しいことは松原さんに聞いてね」

「はい、分かりました」

日本サッカーの育成には階層がある。都道府県トレセンに選ばれて、優秀な選手が9地域トレセンに選ばれて、その中からナショナルトレセンに選ばれて、さらに代表チームに選ばれる。なでしこジャパンの下にはU❘20(20歳以下)日本女子代表とU❘17(17歳以下)日本女子代表がある。今年7月にU❘17女子ワールドカップがあるけど今からでは選出される可能性はないだろう。でもこの秋に立ち上がるU❘15日本女子代表は2年後のU❘17女子ワールドカップを目指すチームで、こっちには選ばれたい。代表チームに選ばれれば国際経験を積めるし。あたしの目指している世界基準のサッカーは実際に体験できる。夢への入り口が開ける。早速松原監督に尋ねてみると、

「余計なタイミングで言ってくれたわね……」

と不満気だ。明日に全国への勝負がかかっているタイミングで邪念を入れないでほしい、とか愚痴を言っている。

隣の詩織に水を向けてみた。

「詩織、あんたはU❘17代表に呼ばれたことないの? 」

「松原さんが止めてるの。まだ早いって」

「まあ代表チームなんてベラトリックス以上に自己主張の強い連中が集まっているだろうし」

「そういうことね。まあ最近は希のおかげで、ちょっと自信ついてきたけれど」

「プリンセスからは選ばれてるよね? あんたが上や周りを立てる性格じゃなければ、今頃プリンセスに上がっていたのに」

「でも最近は声出してるわよ」

「松原さんは気分悪そうだけど、明日大勝しような」

「ええ、ベラトリックスのサッカーで」



続く第2試合を観たが、決勝の相手も大したことなかった。あたしたちは必勝の思いを強くした。

シャワーなんかついていない会場なので、汗をタオルでぬぐって、シャツに着替えてジャージ姿でこの日も帰路につく。中央線で新宿に出て私鉄に乗り換えて、15分ほど揺られて社宅に着く。居間には両親も光もいる。


「お姉ちゃん、その感じだと勝ったみたいだね」

「当たり前だ。予選で負けてられるか」

「何回も負けてるくせに」

痛いところを突いてくる。

「最終的に勝てばいいの」

母さんも寄ってくる。

「怪我はもう大丈夫?平気?」

「ぜんぜん平気」

「人様の娘さんに怪我させてないでしょうね?」

あたしをなんだとおもっているんだ、この母は。

「そんな危険なプレーしてないから」

「どうだかねえ。長野のように男子とプレーしているわけじゃないから、あんな感じで強くぶつかれば怪我させるわよ」

「普通に当たって怪我すれば、怪我したほうが悪い。こう見えてもあたしがイエロー少ないの知ってるでしょ?」

親父もテレビから目を離してこっちを見ている。

「そういう考えでサッカーするから希の怪我も多いんじゃないか。もっと相手を労われよ」

「父さんはトップクラスのサッカーしてないから解らないの」

全国高校サッカー選手権に出場経験のある親父を挑発する。親父は親父なりに高いレベルでプレーしていた自負があるから。

「お前だってベラトリックスに入ってほんのちょっとじゃないか。サッカーは仲間も相手も尊敬して初めて成り立っているんだぞ」

サッカーのことになると親父はすぐムキになる。でもあたしのサッカーは高校で終わりのサッカーじゃないから。

「強い相手ならリスペクトするよ。ちょっと当たっただけで怪我しないような、ね」

「屁理屈ばっかり上手になりおって」

あたしは口ではたいてい勝つ。そして口喧嘩で勝つと翌日の試合へのモチベーションが上がる。



翌朝、六時に起きて、リラックスを図る。この日は吸血トーナメント決勝、5~8位トーナメントの決勝、1~4位トーナメントの決勝が行われる。吸血トーナメントが一番キックオフ時間が早い。空は雲が少しあるものの晴れ。ベラトリックスのパスサッカーに影響はない。

試合の日の朝は消化のよくてすぐエネルギーになる炭水化物中心の食事になる。つまりご飯と味噌汁、ベーコンエッグ、野菜。7時に社宅を出て、この日も飯田橋に向かう。10時キックオフで8時集合だ。


飯田橋近くのグラウンドには運営スタッフがいて「こんにちは」と一礼する。肩で切りそろえて前髪は眉毛の上で切っている奈美に会う。試合のときはゴムで髪をまとめてあげている。

「……おはよう」

「おはよう。いよいよね」

「今日こそ試合中に怒鳴れよ。詩織も変わったんだし、あんたが瑶子を怒鳴りつけるくらい変わらないと、全国制覇は出来ないんだから」

「碧や香穂なら怒鳴りやすいんだけど」

まあ碧はへこたれないし怒鳴りやすいキャラしている。香穂は香穂で下級生だし、お調子者だからへこたれないし。

「それを瑶子にぶつけるの。いつも同じ子ばかり怒鳴ってもいいチームにはなれないから」

そこに彩音が来た。こいつでも試合のときはジャージだ。

「希、あんたは威圧感あるから奈美がビビるって」

「あんたはマイペースでいいよね」

「希がポストプレーを意識するようになって、私もシュートしやすくなったけど、まだ馴染んでない子もいるからね」


チームメイトが三々五々集まってきた。対戦相手の前橋レディースも来ている。スタッフは運営者と話しこんでいる。やがて集合時間になる。登録メンバーだけでなく下級生の控えも来ている。運営を手伝うためだ。試合後、別会場で1、2年生チームで練習試合を行う。

キックオフ1時間前になりメンバー表提出とアップ開始。昨日の大勝でウチは自信に満ち溢れている。ブラジル体操で体を温め全身を柔らかくして、柔軟、ジグザグ走、コーンを置いてのダッシュ各種を行い、キックオフ30分前にはピッチ内アップが許可され、ボール回し、パス練習、シュート練習と一通りこなし、15分前に切り上げ、松原監督の指示を聞く。

「相手に合わせるサッカーではなく、自分たちのサッカーをやろう。あんた達ならできる。開始から気迫MAXで行こう」

と一通り激を飛ばし、5分前に集合し、すね当てとスパイクの裏が規定どおりか審判にチェックしてもらいつつ選手本人の確認。そしてピッチ内に入る。ベラトリックスは白地のファーストユニフォーム。左胸にはオリオン座をあしらったエンブレムが入っている。前橋レディースは赤いユニフォームだ。

試合は案の定ベラトリックスがボールを支配して攻め、前橋レディースがゴール前にブロックを作って固める立ち上がりだ。前橋レディースは下がりすぎず、上がりすぎず。作戦通りの印象、たまに繰り出すカウンターも奈美と有紀が落ち着いて止めている。奈美も負けるとは思っていないからか、瑶子にもきっちり指示を出して、ポジション取りをコントロールしている。

加奈も開きすぎる悪い癖は出ず、中でドリブルにも拘らず、パス交換で崩しにかかる。あたしにボールは入らないけど、長野の頃はボールが来ない状況に慣れているので、こんなことでイライラしない。しかし前橋レディースもしっかりしたチームで、なかなかゴールできない。ファウルもしないクリーンなチームだから、フリーキックももらえない。

こうなると梨奈が下がり始める。最近あたしと共存を図る中で身につけたスタイルだ。詩織や加奈と細かくパスを回す。そして20分過ぎ、梨奈との連携で詩織がペナルティエリアに切れ込み、ドリブルを倒された。ペナルティ・キック!


誰が蹴るか?普通はキャプテンの瑶子かペナルティ・キックを獲得した詩織だ。しかし

「あたしが蹴る」

またも宣言した。前に失敗したくらいでへこたれるあたしじゃないし。ただチームメイトにはトラウマになりかねないミスだった。

「あんた、前に失敗したでしょ、止めときな」

瑶子が早速出てくる。

「あのあと誰よりもあたしがPKの練習をした。精神力から言っても、キック精度から言ってもあたしじゃん」

「私も賛成よ。希の責任感の強さはもうみんなわかっているでしょ?」

当の詩織まで間に入った。

「失敗したらこっそりビンタするからね」

瑶子らしい台詞を残してあたしにペナルティ・キックは委ねられた。


ペナルティ・スポットにボールを置く。相手キーパーがゴールラインを離れて目の前に立つ。あたしに存在を意識させて、集中力をそぐためだ。審判が下がらせた。あたしはあえてゆっくり下がる。ペナルティ・キックでは自分の「間」で蹴ることが大切だ。前橋レディースのキーパーはそれをさせないために、あたしの目の前に立ったが、ゆっくり下がったことであたしのペースになった。左に3歩動く。ボールをセットしてから蹴るまで時間がかかると緊張しているように見えるらしいが、あたしは落ち着いていた。そして助走に入り、インフロントでゴール右上隅を狙った!キーパーが絶対届かない位置!




決まった!キーパーも同じ方向に飛んだがどうしようもなかった。あたしはこぶしを点に突き上げる。香穂が抱きついてきた。奈美も。詩織とも軽くハグした。そして最後に瑶子が近づいてきて、軽く握手した。

こうなるともう一方的なベラトリックス・ペースだった。梨奈、詩織、彩音、そして終了間際にあたしが今日2点目を決めて5対0で圧勝した。全国にいける!

よく見ると、瑶子は泣いていた。名門ベラトリックスのキャプテンとして、もし全国行けなかったら、とかプレッシャーがあったのかもしれない。松原監督は泰然としていた。みんなが胴上げしようというにも断った。 


   ☆


クールダウンしていると、例のトレセンコーチが近づいてきて、松原さんには同意もらったわ。あなたを都トレセンに呼びます。ベラトリックスの子も3年生はほとんど参加しているし、来てくれるわね?」

「ええ、まあ……」

「ベラトリックスのサッカーが全てじゃないのよ。まったく違うサッカーを経験するのもいいんじゃないかしら?」

「長野とのサッカーの違いに比べれば、どうってことないですよ」

トレセンコーチは苦笑して

「そうかもね。私は栗原と言います。日本サッカー協会の関東トレセンの責任者よ」

そんな大物だったのか。

「はあ、よろしくお願いします」

全国行く前に覚えることが増えたな。


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