何もかも変わってしまうのかな
瞬くと、眼下にかつての世界が広がっていた。
三年前は、ここが全てだった。
心臓破りの坂を登り切り、高台の公園から見渡す景色。
小学生だった自分の生活圏が集約されていた。
遠くに見えたゲームセンター。
潰れてそのままのお化けボーリング場。
図書館。
向かいの高台に微かに見える美術館。
卒業式を終え、自宅に戻る束の間の時間。
坂を超えた中学校から下ってきた公園から見下ろす景色。
かつての、全て、はなんだか近く、生活圏の広がった今となってはちっぽけに見えた。
「まだ黄昏時には早いんだけど」
気が付けば、肩に花びらを乗せた咲良が隣に立っていた。
片手に卒業証書と花束を抱き、片手に通学バッグを下げている。
さっきまでの校内での喧騒が噓のように、園内は穏やか。
春風が彼女のスカートとダンスしている。
「何もかも変わっちまうのかな」
切り株に似せて作られたベンチの上に乗り、両手をポケットに突っ込んで天を仰ぐ。
センチメンタルな気持ちとは裏腹に、空には雲一つなく、突き抜けるような晴れ模様だ。
柄にもなく溜息をつく。
卒業証書はバッグと一緒にベンチの隅に放られていた。
「何か変わったの?」
フェンスに両肘を乗せ、咲良は遠くの何かを探している。
お前だって変わったんだ———そう言いたかった。
姉弟のように仲が良かったのに、いつしか距離を置くようになった。
どうしてそうなった。
それはわからない。
でも、本当は何となくはわかっていたし、どこかで納得している自分がいた。
いつまでも昔のままではいられない。
そうわかっているのにそれを受け入れられない自分がもどかしかった。
幼馴染の短かった髪は肩口まで届き、ガリガリだった表情は今や丸みを帯びている。
今日なんて、慣れない化粧まで。
綺麗になった。
なんて言ってやらないんだ、絶対。
そう決心してそっぽを向く。
「あそこ」
新しく建った高層マンションを指さす。
「三年前は空き地だったのにな」
咲良はそれを認め、頷く。
「脇の駄菓子屋、潰れて駐車場になってる」
幼馴染はそれにも同意する。
「小学校が、なんかあんなにちっぽけだったかなって」
唇を尖らせていると、咲良は吹き出して、
「それはあんたの背が伸びたからでしょ」
と笑った。
確かに、入学時は見上げていた幼馴染を今は見下ろしている。
心が大人になる感覚はまだないが、背丈はすでに両親を超えていた。
「あの時と比べて視点が変わってるんだもん」
あんたは特にね、と見上げられる。
少しいじわるな、責めるような視線。
昔から睨まれると身動きできなくなる。
「3年間で変わったのはこの町だけじゃなくて、あんたもだから」
言い迫られると、思わずたじろいでしまった。
小学生の時は男みたいだったのに。
不覚にもその唇に見惚れてしまう。
「確かにここから見えるものはほとんどが時間と共に変わってしまうのかもしれない」
視線に気付いた咲良は恥じらうように再び背を向ける。
勢いよく振り返る背を黒髪が流れるように追いかけた。
「変化。でもそれって進化だよ」
そして、成長だよ、と確かめるように加える。
春風を頬に受ける幼馴染は遠い目で故郷を見下ろす。
反則だ———僕はふとそう思う。
昼下がりの優しい光を浴びるその背中が愛おしくてたまらなかった。
この感情が何なのか。
それを詮索しようとする自分を戒める。
気付いてしまったら、それはもう止められない感情になりそうで。
抑えられない気持ちになりそうで怖かったから。
「それに———」
咲良は再び振り返り、頬に掛かる髪を指で掬いながらこちらを見上げる。
「変わっていくことばかりだけど、変わらないことだってあるんじゃない?」
そしてそうはにかんだ。
そこにはもう、三年前の少女の姿はなかった。
そこにはもう、大人になろうとする女性の佇まいがあった。
「見てくれが変わっても、肝心なところが変わっていないならそれでいい」
確認するようにそう言うと、咲良も頷いてくれた。
二人の関係は時と共に変わっていく。
でも、一番深いところでの繋がりが保てているのであればそれはそれで構わないと思えてきた。
ただ、本当はもっと喋りたい。
もっと、知り合いたい。
大人になりつつある幼馴染と一緒に成長したい。
そう思いながら、でも今はその気持ちを抑えて笑顔を向けた。
「あ、そういえば、小学校の近くに新しいラーメン屋ができたらしいよ」
気を取り直しておどけて見せる。
「うそ!? どこどこ?」
幼馴染はフェンスに身を乗り出して小学校の方角に目を向ける。
僕もベンチから飛び降り、フェンスに身を預け、その新しい建物を探す。
建物を探す咲良の眼はキラキラしていて、相変わらず食いしん坊だと笑えてくる。
それを見透かされて少しふくれっ面をして見せる彼女も愛らしい。
いがみ合い、悪口を言い合い、笑い合う。
それは昔と変わらない、尊い時間だった。
変わって嫌なものばかりだと思っていたが、どうもそればかりではないらしい。
僕はそう思いながら、幼馴染と笑い合えることに感謝した。