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旬菜 かわはぎ 第一話 蛍  作者: 海帆 走 かいほ かける
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居酒屋かわはぎと店主健介に起きる出来事。かわはぎに集うお客様が繰り広げるドラマ

さっくり読めて、ちょっとほんわか。

そんなホームドラマ。

17時。健介はいつものように暖簾を出した。


『かわはぎ』は商店街の外れにある。

一見さんはあまり来ない。

贔屓にして下さるお馴染みさんや、そのご紹介のお客様が多い。


店名を白抜きした藍染の暖簾。

ガラガラと鳴る古い引き戸の入り口。

小皿と箸が整然と並ぶ白木のカウンター。

七席だけの小さな店だ。


外はどんよりとした梅雨の夜。

湿度が高く、風も無い。

蛍狩りには絶好の日和だろう。


定番以外のお勧めは小さな黒板にチョークで書く。健介の後ろに掛けてある。


今朝、河岸で押さえたのは穴子、真鰯、鱸だ。


穴子はまだまだ走りだが、小柴で上がった中に太めで色の綺麗なのがいた。

これを香ばしく炙って、梅塩と柚子胡椒でお召し上がり頂く。

この先三ヶ月だけの贅沢だ。


真鰯の旬は秋から冬だが、「入梅鰯」という位で、この時期の真鰯だけは別格だ。

新鮮な真鰯の上品な脂はトロリと旨い。


鱸もこれからが美味しくなる季節だ。

身に脂がある訳でもなく、淡白なのに、味が濃く旨味が強い。

しかも値段も手頃な優等生だ。


野菜は清々しい谷中生姜と走りの枝豆を用意した。


よく冷やした新鮮な谷中の爽やかな美味しさは、年に一度、この時期だけの楽しみだ。


枝豆も冷凍物が出回り、一年中食べられるようになったが、やはり豆本来の甘い香りが味わえるのは、新鮮な生のものに限る。

今日は下茹でせずに、注文を受けてから茹でることにする。


8時過ぎ。

この日最初に引き戸を開けて入って来て下さったのは、贔屓にして下さる地元の山下様だった。


「いらっしゃいませ、山下様」

笑顔で頭を下げる。


「今日も旨いもの食べにきたよ!」

「ありがとうございます。今日はまた一段と蒸しますね」


今日は一段と朗らかでお元気だ。何か良いことがあったのかもしれない。


「お飲み物はいつものでよろしいですか?」

山下様はサッポロが好みだ。

「ああ、頼むよ」


しっかり冷やしたタンブラーをコトリとカウンターに置く。

特にビールは小さいタンブラーで飲むのが良い


「宜しければ、最初だけでもお注ぎしましょうか」

「有難う。しかし今日は閑古鳥だね」

「水商売ですから、こんな日もあります」


よく冷えたサッポロの赤星を傾ける。

華やかなホップの香りが心地よい音と共にタンブラからはじける。


ウチはスーパードライ、キリンラガー、サッポロ赤星を揃えている。

お一人の方や諸先輩が多いので、色々なお酒が楽しめるように中瓶でご提供させて頂いている。


健介は腰に手をあてて笑った。

「さて、何かお作りしましょうか」

「そうだな、今日のお薦めは何かね?」


山下様は少しだけ変化を好む。それはこの歳ではなかなか出来ないことなのだろう。


「真鰯の良いのがありますので、それを生姜醤油と酢醤油で食べ比べてみるというのはいかがでしょうか?」

「酢醤油?」

「はい。魚を酢で締めるのではなく、食べる時に酢を付けて食べるという感じです。締めた時とはまた少し趣が違ってなかなかですよ」

「いいね。じゃ、枝豆も一緒にお願いします」

「かしこまりました。枝豆はこれから茹でますので少々お時間を頂戴します」


仕込んでおいた、スルメイカの塩辛を薄手の磁器に盛り、柚子の皮を僅かに散らす。


「こちらで出来上がりをお待ち下さい」


店には低く有線を流している。

古い曲のチャンネルだ。

ジャズも歌謡曲もある。


日本料理にジャズはどうかとも思ったが、ウチのようにお一人様が多い店では、意外にジャズがお客様同志の会話のきっかけになることもある。

カウントベイシー、グレンミラー、ジュディガーランド、ナットキングコール、昭和は数え切れないスタンダードナンバーが生まれた時期。

諸先輩方にとって、ジャズは馴染みのある懐かしい音楽なのだ。


もちろん昭和の懐かしいメロディーは大歓迎される。


まずは出来上がった真鰯の刺身からお出しする。

酢醤油の入った小皿を先に置く。

魚を待つワクワク感を演出する演出だ。

その手前に生姜を添えた脂の乗った真鰯のお造りを置いて役者が揃った。


山下様のお顔がうれしそうに綻ぶ。

「どれ、どれ。早速食べ比べてみますよ」


生姜醤油で召し上がった時の満足感に満ちた笑顔。

そして一息ついて、酢醤油を試した時の驚きの笑顔。


この笑顔があるから、この商売は止められない。


音楽は昭和の歌謡曲になった。

レコード大賞の受賞曲だ。


昭和の歌謡曲には心に沁みてくる名曲が少なく無い。


そろそろ枝豆が茹で上がる頃だ。

あと20秒。

タイマーを止めて、大きめの1粒を味見する。

甘い香りにほくほくとした風味。

茹で加減もOK。固すぎない。

ざっとザルにあけ、水を切ったら、ボールに移してパッと塩を振って何度も煽る。

塩が全体に回ったら完成だ。


竹の篭に乗せてお出しする。


「枝豆、お待たせいたしました」

まだ湯気を立てている。


「うーん、塩も効いててたまりませんね」

「有難うございます」


枝豆は下ごしらえの際に、鞘の左右の端を少しだけ切り落としておくと味がよく染みるのだ。

こういう一手間を解って頂けた時は嬉しいものだ。


お客様から伺う話は知らないことも多く、大変勉強になる。

お客様によって持っている知識の専門分野が異なるため、それぞれの方から、深く面白い話を聞くことも多い。

まぁ、それも店が混んでいないときに限る訳だが。


今は引退したそうだが、山下様は船に乗り込み何ヶ月も船員とともに寝起きする船医だったそうである。

何度かそのお仕事について聞かせていただいたことがある。


何も無い時は風邪の手当て位だが、腕を機械に挟まれたりなど、内科と外科の両方知識と経験が必要になる仕事である。


また、半年に1度しか家に帰らないため、家族との関係や付き合い方が難しいそうだ。


「そろそろ日本酒を頂けますか」

「かしこまりました。本日は限定が二つございます。

富山の銀嶺立山の純米 生貯蔵酒。

もう一つは新潟の謙信 夕涼み 純米吟醸 生原酒。

後はいつもの真澄もございます」

「じゃ、立山で」

「かしこまりました」


山下様は日本酒もお詳しい。嗜み方もお上手で、酔って乱れることもない。

酒呑みのお手本のような方だ。


ネタケースの上に枡を置いて、冷えた一升瓶の銀嶺立山を注ごうとした時、入り口の引き戸の前に男の人と女の子が立っていることに気がついた。


先ほどから一度も玄関は開いていない。

時間は20時半。

まだまだ早い時間だ。


男の人はお父さんだろうか。

着古してシミの付いた作業ズボンに薄汚れたカッターシャツ。

女の子はおかっぱに丸襟の白いシャツと水色のスカート。

まるでまる子ちゃんのようだった。

口をへの字に曲げて、軽く下唇を噛み締めている。不安の表情だ。


二人は手を繋ぎ、ただ黙って哀しそうな目でこちらを見ている。

もちろん輪郭もしっかりしている。

透けたりはしていない。

幽霊?と思う位だ。

不思議と怖くはなかった。


傾けて注ごうとしていた一升瓶を戻して、山下様に聞いた。


「山下様。ちょっとお願いがあるんですが」

「ん?何ですか?」

「ちょっと変なお願いで申し訳ないんですが、入り口の方を振り返ってみて頂けませんか」

「何?ん?特に何もないけど、どうしたんですか?」

「そうですか。いや、とても変な話で、突然こんなことを言い出すのも何なんですが、引き戸の所に親子が立ってるんですよ。山下様には見えないんですね」


山下様はカウンターの一番奥に座っているから、入り口までは4mだろうか。


「私には見えませんけど、世の中そういう事はたくさんあります。海の上は特にそんな話だらけでしたよ。

その親子もきっと何か心残りがあるんですね。きっと」

「山下様、良く平気ですね。そこに居るんですよ」

「そういう健介さんもちっとも慌ててないですね」

私を見て静かに笑う山下様。


こうして二人が話している間も、親子はそこに立っている。


「そう言えば、だいぶ前にこの辺で子連れの幽霊が出る噂が流れた時期があったのを思い出しました。

確か30年位前にこの辺りでアパートの火事があって、足の悪い父親と女の子が逃げ遅れて亡くなって。新聞にも載ったそうですよ。

当時の事だから、まだアパートなんてみんな木造でしたからね。火の周りが早くて、足が悪いために間に合わなかったんですね。

多分その親子じゃないかって噂がありました」

「そんなことがあったんですか。確かに背格好からするとその親子かも知れません。しかし何で今になって現れたんですかね」

「さあ、何か事情があるのかも知れませんが、我々には解りませんよね」


親子は相変わらず哀しそうにそこに立ったままだ。


「どうしますかね。どんな様子ですか?」

「はい。哀しげです。二人ともちょっと余り綺麗とは言えない身なりですね」

「あの頃のアパート住まいですからね。そりゃそうでしょう。刺身でも薦めて見たらどうですか?ココに出てる訳ですから、意外とそういうことかも知れませんよ」


確かにそれならこの店に現れた意味が通じる。

思い切って話しかけてみる事にした。


「宜しければ、お刺身召し上がりますか。今日は旬の真鰯と鱸があります。お代は要りません。是非どうぞ」笑いかけてみた。


女の子がゆっくりと目だけで父親を見上げた。僅かに父親の口元が綻んだような気がした。


山下様は入り口を気にすることもなく、ビールを舐めて成り行きを見守っている。肝の据わった方だ。


健介は手際良く鰯と鱸を盛り合わせにして、小皿と共にカウンターに置く。


「良かったら、真鰯は生姜醤油の酢醤油で食べてみて下さい。鱸は山葵醤油がいいと思います」


箸を二膳。

割って小皿に乗せる。


「どうぞ遠慮せず、そちらにお掛けになって召し上がって下さい」


女の子がまた父親を見上げる。

今度はもっと嬉しそうだ。

父親が女の子の背中に手を当てて前に進む。

二人は動いたと思ったら、いつの間にかカウンターに腰掛けている。


「どうしてる?」

山下様が口を開いた。


「はい。今、召し上がっていると思います」


こういうものなのだろうか。

箸は動いていない。

刺身も減っていない。

しかし箸を使って刺身を食べている。

現実に仮想がダブって二重に見える感じだ。


「美味しいね」


父親を見上げて女の子が幼い声で笑った。

初めて子どもらしい表情で、鰯を嬉しそうに頬張っている。

父親も嬉しそうに女の子の頭を撫でている。


二人は黙って食べた。

食べ終わると、父親はこちらを見て頭を下げた。

女の子は父親を見上げて嬉しそうに笑った。


まるでそれを合図にしたように、エアコン、照明、音楽が同時にスローになり、やがて止まった。


音のない暗闇に、突如二匹の蛍が現れた。


山下様にも蛍は見えているらしい。


二匹の蛍はゆっくりと二人の前まで来ると、Uターンをして、入り口の引き戸に吸い込まれるように消えた。


やがて照明が灯き、エアコンが冷気を吐き出し、低くジャズが流れ始めた。


「行きましたね。きっと感謝してますよ。良かったじゃないですか」

「そうだと良いですが」

「知ってますか?

塩には邪気を祓うのではなく、霊を浄める効果があるんです。冥福を祈って塩を撒いてあげてはどうですか?」


健介は板場を出て、軽く塩を撒き、酒を垂らし、合掌した。


「山下様、何だかすみませんでした」

「いやいや、健介さんのせいじゃ無いですしね」山下様は下を向いたまま笑った。


健介はポツンと残された刺身の盛り合わせを下げた。


「山下様、巻き込んじゃって申し訳ないです。これはお詫びということで」

置かれて汗をかいた一升瓶から、銀嶺立山を枡にこぼし注ぐ。


立山を一口。

「刺身を食べて成仏しましたか」

「はい。女の子は『美味しいね』って言って笑いました。それまでは無表情で、まるで精気が無かったのに。食べるってそういうことなんですかね」

「せめて子どもには最期に旨いものを食べさせてあげたくて、死に切れなかったのかも知れませんね」

「はい」


「山下様、ちょっと昔の昭和の曲、聴いても良いですか?」

「ええ、思い出してあげようじゃないですか。

まだ、みんながみんな、貧しくて、明日が今日より必ず良くなると、誰もが信じていた昭和という時代を」


健介は有線を60年代、70年代のチャンネルに変えた。


物悲しいアルペジオが聞こえてきた。

ギターの音だけである。


昭和の今日には辛く悲しいものが多い。

昭和の名曲が生まれたのは、戦後わずか20年。

戦争の悲しみが、まだそこら中に転がっていた頃だ。


「この曲、なんと言ったかな。何だか今日にピッタリの唄じゃないですか」


「山下様、今日は閉店します。

何だか、商売って気分じゃなくなっちゃいました。

ちょっと弔いにお付き合い頂けますか」


健介は暖簾を下げて、表の灯りを落とした。


有線では暗い声の女性か暗い歌を切々と謳っていた。



本作品はフィクションであり、小説として脚色されています。

正確な事実を描いたものではありません。

皆様にその虚構をお楽しみ頂ければ幸いです。

お愉しみ頂けましたでしょうか。

始めたばかりの新人です。

宜しければ、他の作品もお愉しみ頂ければ幸いです。

登録も宜しくお願い致します。(^ ^)

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