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サムライ無礼道  作者: 籐太
-仇討の章-
4/5

肆 眉月(まゆづき)

斜陽(しゃよう)に染まった空が、徐々に濃い藍色(あいいろ)へ染まっていく。

そろそろ、()れ六つの鐘が鳴ろうという頃合い、

いわゆる逢魔(おうま)が時であった。


松尾は、近頃、根城にしているドヤ街の安宿へ

向かっていた。


そこは本来、日雇い人夫(にんぷ)が利用する場所だった。

だが詳しく身分を詮議(せんぎ)されることがないせいか、

いつしか無頼(ぶらい)の徒が多く集まるようになっていたのである。


この辺りは、新宿歌舞伎町にほど近く、

江戸市中でもひときわ治安が悪いとされていた。


なにせ携帯電話を出すだけで、

人相の悪い男が、(そで)から花柄模様をチラつかせながら、

オイコラと声を掛けてくるという噂まであるくらいだ。


もっとも、松尾はまだその現場に居合わせたことはない。

不用意に携帯電話を出す者が、そもそもいないのだ。


昼の果たし合いについて、

ネット上ではすでに多くの憶測(おくそく)が飛び交っていた。

現場にいた町人(ちょうにん)達の手で、

すでに広く拡散されてしまっている。


松尾が、なにゆえ玄蕃斎(げんばさい)を斬り、

なにゆえ語らずを通しているのか。


勝手に彼の心中を()(はか)るばかりか、

彼をして(まこと)の侍であると持ち上げる者までいるほどであった。


だが結局のところ、

真実を知るのは松尾文台(ぶんだい)、ただ一人である。


その松尾にすれば、

玄蕃斎(げんばさい)こそ立派な侍であったろうと思う。


そもそも新田家の地位を考えれば、

彼の安い挑発に乗って得をすることなど、何1つない。


あえて、真剣の立ち合いへ応じてくれたのは、

やはり思うところあってのことであろう。


もちろんその息子、誠志郎が

親の仇を討たんとする気持ちは痛いほどわかった。


松尾もまた次男坊であり、

それゆえに父が斬られ、兄が切腹した後も、

母方の実家に養育され、生き残ることができた。


しかしそれは、いつでも、

どこか借り物の命を生きているような、

人混みの中で尻の落ち付け所がみつけられず彷徨(さまよ)っているような、

心許(こころもと)なさを抱えながらの半生(はんせい)であった。


そうして彷徨(さまよ)い続けた果てに辿り着いたのが、

無頼(ぶらい)の徒がたむろする、このドヤ街なのかもしれない。


そんな松尾が、(まこと)のサムライとは、

それこそ片腹痛い。


御公儀(ごこうぎ)の追求を逃れ、出奔(しゅっぽん)したのも、

言ってしまえば、松尾の弱気にこそ原因があった。


このまま詮議が続けば、

自分が本当のことを話してしまいたい欲望に負けてしまうのではないかと、

恐れたのだ。


果たし合いを受けたこととて、大層な覚悟などはなかった。

無視するには(しの)びなく、

かといって誠志郎ごときに黙って斬られてやるほどのことはない。

それだけのことである。


ただ、どちらかが善でどちらかが悪と決めつけたがるのが、

物見高(ものみたか)い町人どもの悪癖(あくへき)と言えたろう。


いみじくも命を賭けて戦った玄蕃斎(げんばさい)や誠志郎のことは不当に低く、

松尾のことは高く持ち上げようとするのは、いかにも浅はかであった。


また、彼が見せた袖霞(そでがすみ)についても、


肩で真剣をいなすなど、本当に可能なのか?

実際、目の前で見せられた以上、信じざるをえない。

いや、誠志郎が弱すぎたせいでは?

いやいや、やはり古流はひと味違うのだ。

いずれにせよ、二度までも敗れた新田流(しんでんりゅう)は大したことない。


と大きな話題になっていた。


果ては、これほどの絶技(ぜつぎ)を身につけた武人を可惜(あたら)死なせるのは惜しいと、

彼の助命を請う声まで上がり始めるほどであった。


ともかくも、新田家へ対しては、

すでに義理を果たしたという思いがある。


残るは、かつて(ろく)()んでいた

近江藩(おうみはん)へのけじめであろう。


ここまで語らずに来たとはいえ、

おのれの不始末(ふしまつ)でお家に迷惑を掛けてしまった以上、

藩には仔細(しさい)を説明すべき義務がある。


だから松尾は、玄蕃斎(げんばさい)と立ち合いへ至った仔細について詳しく書き留め、

すでに書状(しょじょう)へしたためていた。


そこに彼だけが知ることも多く書かれていたのは、言うまでもない。


明朝にはそれを持って藩邸(はんてい)(おもむ)き、

もし許されるのであれば、その場で腹を()す覚悟であった。




だからようやく安宿へ辿り着いて個室の扉をくぐったとき、

やり終えたという思いからか、(すこ)しく油断していたのは(いな)めない。


電灯を()けようと、手を伸ばしかけたとき、

いきなり天上から影が落ちかかってきたのだ。


それでも咄嗟に鞘ごと剣を突き上げ、

(つか)で初撃を受けたのは、さすが虎流剣(こりゅうけん)、松尾文台(ぶんだい)である。


剣を(きわ)め、咄嗟(とっさ)に繰り出せるほど

反復的に鍛錬(たんれん)を積まずば、こうはいくまい。


とはいえ、侍たる者、

決して闇討ちなどしてはいけないものだ。


その嫌疑を掛けられた松尾であっても、

なお意外の念が強い。


しかし侍でありながら、侍のしがらみに(とら)われぬ者達がいる。


その者らは、決して死ぬことを許されない。


侍は、死ぬことで名誉を守る。

敗北すれば、(いさぎよ)く討たれて生き恥をさらさない。

失敗すれば、腹を切って汚名を(すす)ぐ。


すなわちその者に名誉はなく、

どのようなときも()(しの)び、

どのような手を使っても生き残ることこそ、義務づけられる。


その者は、狐の面で顔を隠し、闇へ溶け込むような黒装束に身を包む。

四本足の獣が今にも跳びかからん姿型(しけい)で構えるその者を、

人々は――(しの)びと呼んでいた。


いったい、どこの手の者か?


そう誰何(すいか)するよりも先に、

肩口からはらりと布地が裂けて、中身が露わになった。


「なんとっ」


松尾は低く唸るようにしたものの、

大声を出すことは恥じらった。


彼は着物の内側へ鉄鎖(てっさ)を細かく編み込んだ鎖帷子(くさりかたびら)

()い付けていたのである。

それも、肩の部分にだけ。


そう、あの絶技・袖霞(そでがすみ)を可能たらしめたのは、

なにも鍛錬のみによるものではなかった!


あくまで着物の内側に仕込んだ鎖帷子を、

つまり鎧があることを前提とした技に過ぎなかったのだ。


もちろん、あの果たし合いに予告があったわけではない。

これは松尾が普段からよく用心していたことを表しており、

むしろ常在戦陣(じょうざいせんじん)の心構えがあったと言えよう。


ただ、俗人(ぞくじん)達が絶技ともてはやした技に、

このような(たね)があったと知れ渡れば、

世の流言(りゅうげん)が善と悪、どちらへ転ぶかは知れたことだろう。


果たし合いの現場を目撃していた“影”は、いち早くそれを見抜いていた。


だから初撃を防がれると見たとき、

咄嗟に目先(めさき)を変えたのである。

こうすれば、恥を恐れる侍が下手に騒ぎだてできぬと読んだのだ。


とはいえ、待ち伏せを仕掛けてきたことからも、

以前から影が松尾のねぐらを突き止めていたのは疑いようがない。

なのに、今日まで襲撃を控えてきたことになる。


松尾は目的が読めず、不気味の念を感じたものの、

それでも戦いを避けられる相手でないことも悟っていた。


無論、襲撃者にとっても、初撃で仕留められなかったのは、

大きな痛手(いたで)であったろう。


松尾が声を上げずとも、

いつ誰かがひょっこり顔を出さぬとも限らぬ。

そうなれば、不利になるのは影の方だ。


その前に決着を付けようと焦ったか?

実戦剣法、虎流剣(こりゅうけん)の達人、松尾文台(ぶんだい)に対して、

不用意ともとれる攻撃を仕掛けてきたのである。




さて、当然のことながら、忍びというのは

一般にイメージされるような無敵の存在ではない。


むしろ、剣術勝負であれば、

侍のほうに()があるというのが通説(つうせつ)である。


なぜなら、忍びとは剣の腕だけ鍛えればいい

というものではないからだ。


闇に(まぎ)れて敵地へ潜入する陰忍(いんにん)の術はもちろん、

人々の中に(まぎ)れて情報を集める奪口(だっこう)の術、

武芸にしても、あらゆる武具を使いこなせるよう、

エキスパートとしてトレーニングする。


また忍びは、情報を持ち帰って報告することこそ、本来の役目であり、

それゆえ、生き残ることが至上命題とされる。

同時に決して証拠を残さぬよう心懸(こころが)ける。

忍びの者がいると知られるだけでも、情報収集が困難になるからだ。


よって、()の者達にとって、

相手がそれと気付かれぬうちに始末する闇討ちこそ、

戦闘技術の神髄(しんずい)と言えるだろう。


つまり、その剣は初撃こそすべてである。

それを仕損(しそん)じた以上、

松尾の圧倒的優位となるのは自明(じめい)でしかない。


加えて、この安宿は布団を敷くのがやっとという、

(たたみ)三畳(さんじょう)ほどの広さしかなかった。


言うまでもなく、

部屋の出入り口に立っているのは松尾であり、

影は奥手にある。


むしろ、袋のネズミとなっているのは影のほうなのだ。




松尾は最初、相手が窮鼠(きゅうそ)猫を噛むとばかりに突きを放つと読んだ。

逃げ場のない隘路(あいろ)で、これを避けるのは難しい。


だが、剣術だけを鍛えるわけにはいかぬ悲しさか?


影は、上段に振りかぶったのである。

松尾はあえて抜かず、(さや)で受けんとした。


こうすれば、刃が木の鞘に食い込み、

忍刀(にんとう)はひととき殺傷力を失う。


そのまま奥の壁まで押し込んで動きを封じた(のち)

抜刀して腹を刺すなどすればよい。


「――ぬッ」


だが、影は振りかぶったまま忍刀を背後へ捨てた。


侍にとって、刀は魂だ。

それを手放すなど有り得ない。


まして、戦場で得物(えもの)を捨てれば、

命さえ危うい。


このとき、松尾ははっきり(きょ)を突かれた。

あろうことか、突き出した鞘を掴まれてしまう。


直後に影は()()せていた。


盲点ではあるが、足下や脇をすり抜けるより、

頭と天井の隙間の方がはるかに広い。


松尾が咄嗟に腕を引こうとした勢いを利用し、

そのまま鉄棒の前回りの要領で頭上を跳び越したのだ。


軽業師(かるわざし)めいた驚異的な身のこなしであった。

おそらく10寸ほどの隙間があれば、

跳び上がってすり抜けられるよう訓練したものに違いない。


それでも松尾は、咄嗟に脇の下から(こじり)を突き出すように牽制(けんせい)していた。

さらに振り返る動作と屈み込む動作を同時に行い、忍刀のほうを掴む。


こちらはすでに抜き身であり、

しかも刀身が短い分、室内では有利なはずだった。


だが、影は思いの(ほか)遠間(とおま)にあった。


それは明らかに剣の間合いではなく、

しかもなにかを投擲(とうてき)した後のように

腕を振り上げていた。


そう、忍刀は拾わせるために捨てた。

少なくとも、自分の刀とどちらを使うか迷うはずだと読んでいた。


松尾は牽制(けんせい)を繰り出し、

背後からの攻撃をも警戒していた。


だが、それはあくまで剣での戦いを想定したものに過ぎない。

影にとっては、わずかでも振り返るのを遅らせ、

かすり傷でも負わせることが出来れば充分だったのだ。


松尾は、知らず膝を突いていた。

背中から冷たく(しび)れるような感覚が拡がっていく。


「せ、背中から……? 卑怯な、まさか……これはっ」


ただの傷によるものとは違う。

むしろ傷の痛みさえ麻痺(まひ)させ、異常な速度で身体から熱を奪われていく感覚があった。


「……毒?」


血走った目で、影を(にら)みつける。


侍は決して背後から攻撃してはならない。

無論、毒を使うなど以ての(ほか)だ。


だが、この者は忍びである。

忍びにとって、薬学に(ちょう)じるのは当然のことに過ぎず、

また刀さえあくまで武具の1つに過ぎない。


通すべき義理を持たず、守るべき礼儀もない。


ただ相手を蹂躙(じゅうりん)するが如く、

命を奪うことに疑問を抱かず、

敬意もなければ、感謝もない。


そこに名誉は必要なく、

恥など捨て置けばよい。


まさに獣の所行(しょぎょう)


サムライなる道を知らぬ、

まこと、無礼なる(やから)であった。


しかして、そも生き残るための戦いこそ、

もっとも野蛮なものなのだ。


松尾は、どうっと倒れ、

棒手裏剣の刺さった背中が(おもて)になった。


影は、麻痺が広がり過ぎる前に忍刀から松尾の指を引き剥がすと、

背中の棒手裏剣にも手をかけた。


「しょ……書状を、殿に……書状を」


松尾は、忍びを近江藩(おうみはん)が放った刺客(しかく)と見たのだろう。

書状を仕舞った文箱(ふばこ)を指差していた。


影は松尾に気遣(きづか)うことなく、

一息に手裏剣を引き抜いた。


それから文箱(ふばこ)を開けて書状をみつけるや、

なんと、中をあらためもせず火を()けてしまったのである。


「な……なぜ?」


松尾はついに事切(ことき)れた。

怒りと悔恨(かいこん)、なにより疑問に満ちた表情で。


影は、懐から二枚の小判を取り出すと、

片方を死体の上へ放った。


小判一枚は、一両となる。

一両は、外貨にして約2000ドル。


それより下の貨幣(かへい)は、すべて紙幣(しへい)化されていたが、

一両小判には今でも、本物の黄金(おうごん)が使われている。


葬儀に使う費用としては、

充分過ぎるであろう。


そのまま、窓から外へ出ると、

影はするすると(ましら)の如く壁を這い上った。


やがて、屋根の上へ辿り着く。

野の獣が如き忍びも、やはり人の子であったか。


ひととき、

夜空へ目を奪われたが(ごと)く、顔を上げた。


そこには、(まゆ)のように細い上弦(じょうげん)の月が輝いている。

これから十五夜の満月へ向けて、

少しずつ輝きを増していくのであろう。


しかし、はっとしたときにはもう、

影はいつの間にやら、姿を消していたのである。



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