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 男が定食屋に居ついてから三日が経った。男――ソラタはといえば、真面目に働いている。


 ソラタの接客は様になっていた。

 様になっているどころか、どこかで経験したことがある手慣れようだった。ただ、その経験した場所は、この国や近くの国ではないと思う。


 この国の一般的な町の定食屋では、店の従業員に人数を割けないので、客が入って勝手に座るのに任せる。人がひっきりなしに出入りするので、使い終わった食器はある程度放置されても仕方がないとされ、新しい客が席についたらその時に片付けながら注文を採るのが一般的だ。なじみのお客さんだと自分から持ってきてくれたりもする。


 しかしソラタは、客が勝手に座るのに任せず、自ら席に案内した。注文を採る前のわずかな間に他の席の片づけを手早く済ませ、次の客が来る前に必ず、席の上を固く絞った布巾で机を拭いた。

 なぜそんなことをするのかと聞いたら、これが当たり前だと思っていたと逆に驚かれた。この方が使える机の数と人数を一目で把握、管理できるから、効率よく座らせることでたくさんの客を入れることができるし、客の方も気持ちよく食べられるのだと言う。確かに、自分が客だったら食器は片付けてあった方が嬉しい。これまでは人の手が足りないので諦めていたが、なじみの客からも好評だったので、この方針は採用された。

 料理を運ぶ前、席に予めフォークやナイフを置いておけばどうかとの案は、貴重な備品を盗まれると困るので却下したが、皿の重ね方、乗せ方、運び方一つをとっても動きがこなれていて無駄がない。


「ラタ、いますかー?」

「はいはい、いらっしゃいませー。三名様ですね、少々お待ちくださーい!」


 入口に来た新しい数人の客がの高めの声で男を呼び、男は、一度も休まず動き回っているというのにいい笑顔で客を出迎える。男の返事で呼んだ客がきゃあと色めき立った。


 男の本名は「ソラタ」らしいが、この辺りでは珍しい名前であることと発音しにくいことから、「ラタ」と呼ばれている。ラタ、ラタと周りの女性客がうるさい。

 私は、名前すらきちんと呼べないのは癪なので、発音練習をしてソラタと呼べるようにした。


 そう、この男は癇に障る。


 女将さんが言った通り、ソラタは接客を開始した一日目から女性に大人気で、三日経った今日ではソラタ目当ての客もいるくらいになっていた。

 ソラタのようなやせっぽち体型の男は他にもいるし、そちらには目もくれないのに、女の子たちはどうしてだかソラタに魅力を感じるらしい。ラブラブであっつあつの相手がいる子以外、誰に聞いても、「ラタはかっこいい」「素敵」という決まり文句が返ってくる。

 その理由を訊いても、「よく分からない」「なんでだろう」とだけ。本人たちも理由は分からないらしいが、「理由が分からなくても恋ってするもんだし!」とそのことを疑問にも思わないから怖い。


「シルフィ、注文いい?」


 ソラタが厨房にひょっこりと顔を出してきたので、無言で事務的に注文を受け付ける。


 この男が、女の子たちに囲まれて浮かれているだけだったら、まだこのささくれだった心も慰められたのかもしれない。

 しかし、この男はそれだけじゃなかった。


 初対面の時は、泣きはらしていて注意力が落ちていたせいで気付けなかったことに、次の日には気付いた。


 あ、この男が料理関係の仕事に就いてたって話は、嘘じゃない。


 その証拠はソラタの手にあった。左手の、人差し指の外側面に長年擦って出来たような特徴的な古傷がある。左手の親指の皮も、手の甲などに比べると少しぶ厚めだ。爪も、深爪になるくらいしっかり切ってあって、汚れがこびりついていない。

 これは、長年包丁を握って料理をしてきた手だ。この、奥さんが家庭料理をするくらいじゃつかない跡は、私にだってある。爪だってそう。あの大好きなアサインに伸ばして手入れをしてみないか、と尋ねられても断り続けた、料理人の最低限のマナーだと思っている。これをソラタも忠実に守っているのだ。

 つまり、ソラタは料理ができる。それも、かなり日常的に、専門的にやって来た人だ。もし彼が厨房に立てば、私と同じようなことができるかもしれない。


 それがたまらなく不安で、ソラタが本物の世間知らずで、ただ金銭の価値が分かっていなかっただけの普通の青年だと分かっても、私は頑なな態度を変えることができなかった。






 お昼の混雑も山場を越え、夜の分の下ごしらえのために一時店を閉める頃。私は休憩だと言って店を出た。

 休憩というのは嘘でもあり、本当でもある。

 アサインに昼食を届けにいくことにしたのだ。

 町長補佐として働くアサインの昼ごはんを作るのは、彼と親密な関係になって以来、私の日課になっている。

 この習慣は、アサインに強制されたわけじゃなくて、私が進んでやりたいと言って始まった。それ以来、どれだけ忙しくても、自分のお昼が食べられなくても、彼へのお弁当だけは作って届けてきた。彼が「美味しい」「また上手くなったね」と笑顔を見せてくれるだけで心が満たされて、お昼が食べられなかったことなんて気にならなかった。

 残念ながらここ最近は、三人という人手で回らないくらいの忙しさだったので、作る時間を確保するだけで精一杯。食材を運んでくれる八百屋のバーグおじさんに、ついでに届けてくれるよう頼んでいたから、直接運んではいなかった。

 でも、皮肉なことに、ソラタという優秀な人員が増えた分、時間の余裕ができてしまった。


 あの居づらくなった空間にいるよりも、少し気まずくても彼の顔を見られる方がいい。そう思って、今日は直接自分で持っていくことにしたのだ。



 今までは居心地がよかった場所が息のつまる空間に変わった今、私の安らぎはアサインしかいない。

 そのことが、アサインに先日のことを突き詰めることを躊躇わせていた。


 もし、アサインの気持ちがエリィに移っているのだとしたら、私はどこにもいられなくなってしまう。見たくないものからは目を背け、聞きたくないものには耳を塞げばいい。

 そう思って、この三日間、私はアサインのところに行かなかった。アサインも一日目に顔を出してくれてから来なかったので、この機会に私から会いに行くのはちょうどいいかもしれない。



 店の裏口から抜け、大通りから一本裏に入った道を右に曲がり、更に奥に進み、いつもの近道を通る。細い裏道だから、通りに店が並ぶことはなく、日も陰りがちなので、若い女性が夜通り抜けるには向かないが、今はお日様照らす日中だから問題ない。

 住居が立ち並び、洗濯物が干してある、祭りの喧騒から離れた日常の風景に、なぜか心癒され、疲れているんだな、と自覚してしまう。

 

 そうやって通り抜けた道の奥、アサインの職場でもある彼の家のすぐ手前の裏路地の入口までやってきて、私は足を止めた。


 止めざるをえなかったのだ。

 近くの住人の干した、黄ばんだ古いシーツが生暖かい風ではためいたその先に、夏の薄いシャツを着たアサインと、その隣にぴったりとくっつく、今年流行の風で舞うふんわりとしたワンピース姿のエリィが見えたから。


 二人は、日の下で楽しげに語らっている。アサインの腕に自分の腕を絡ませたエリィが時たまなにやら甲高い声で笑い声を上げ、甘えるようにアサインに語りかける。エリィが体を近づけると、アサインは少し困り気味な顔をしたが、雰囲気からすると、険悪そうな感じはしない。


 いや、やめて。その人に触らないで。その人は、私の恋人なの。


 伸ばしかけた手が持ったお弁当がいやに冷たく重く感じる。


 ふとお弁当に落とした視線を上にあげ、二人の顔が重なるのが見えたときが決定打。


 気付いたときには、店の近くの裏路地まで戻っていた。

 どういう道を辿ったかは覚えていない。息が切れ、靴が土埃で白くなっているから、相当な速さでわき目もふらず走ってきたのだろう。持っているお弁当の包みは、私の手汗でぐっしょりと濡れている。


 あぁ、暑い。視界が揺れる。なんだろう、物が二重に見える。こんな暑さってない。物が腐っちゃうじゃないの。今朝女将さんが冷暗所に入れておいたお肉は大丈夫かしら。夜時間の前に確認して、もう一度氷を補充しておかないと……


「シルフィ?おい、シルフィ!」


 肩を乱暴に揺さぶられる。

 ちょっとやめてよ。頭がぐらぐらしたら気持ちが悪くなるじゃない。

 何事かと自分に触れる何かに目を向けても、ぼんやりとした目は役に立たず、目の前のものが黒いなにか、くらいにしか判別してくれない。


「シルフィ、俺だよ。ソラタだよ。何かあった?」


 声でようやく、目の前の黒い物体がなにか分かった。

 忌まわしい、私の居場所を奪った男だった。



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