おまけー1
※ 完結お礼小話です。本編で触れなかったことを少し回収した(おそらく)二話になります。
※ 糖度は高め。本編の爽やか風味でご満足の方はバックを。お砂糖あと三杯必要な方はどうぞ。
ソラタと私が公開告白をしてしまったその日、私たちは営業時間が終わってもしばらくお互いに話すことはできなかった。
はっきり言って、繁盛しすぎだ。
料理人になって七年目になる身として、ある程度戦力になるだろうとタカを括っていたのだけど、そこは王都の人気店。忙しさが比にならない。お弟子さんを含め厨房に入る人数が多い分、洗い物はもちろん、野菜を切ったり、最初のお湯の温度管理をしたりといったところの一部が他人に任せられている。町の一定食屋では全て一人でやっていたことだったから、他人に任せるのに慣れなくて、いつも以上に気疲れしてしまった。
現に、営業時間もとっくに過ぎ明日の下準備を終え、時刻が深夜になるころ、私はソラタと二人だけでいるにもかかわらず、椅子の背もたれに体重を預けてぐったり座り込んでいた。
自分で言うのもなんだけど、朝の公開告白は何だったのか、というくらいの色気のなさだ。
「はい、お疲れさん」
ことり、と音がして、顔を上げると、ソラタが目の前にデザートを置いてくれていた。あの忙しさの中でも時間の隙間を見て作っていたらしい。悔しいけど、料理人としては今のソラタには敵わない気がする。
「ありがと。すごいね、あれ、毎日なのね……」
「あんなもん慣れだって。俺の方が初日とは思えない働きっぷりに驚かされたよ」
「本当はこの夜食兼デザートだって、私が作るはずだったのに。ごめん」
謝ると、ソラタは「いやだからあれはっ――」と言いながら、焦りともがっかりともとれる形容しがたい情けない顔した後、一度息を溜め、そのままはぁっと吐き出した。
「……もういいから、とりあえずそれ食えって。そして目に生気が感じられない状態を抜け出してくれ」
「反論できないので、ありがたくいただきます」
素直に受け取ったデザートは、これまた凝ったものだった。
凍らせたオレンジの中身がくり抜かれ、中身の代わりにムースが入っている。ムースのその上には、クリームとミントの葉と小さな苦めのチョコレートが乗っていた。出されたスプーンを軽く入れるだけでぷるんと乗ってくるさっぱりとした淡いオレンジのムースの中央部分には甘めのチョコレートが入っていた。中のチョコにはお酒がはいっているのか、凍りつきすぎもせず、甘ったるくもならないまま、適度な冷たさで柑橘類の爽やかさとともに喉を滑り落ちる。普通はオレンジの周りをチョコでコーティングするだろうに、逆になっているところがおもしろい。
「悔しいくらい美味しい。とまんない」
「はは。シルフィらしい感想」
次から次へと休みなくスプーンを口に運んでいると、白い仕事服を脱いだ私服のソラタが、一度肩を回してから、私の隣に座った。
そして、何も言わずにじっと私が食べているところを見てくる。
あまりにじっと見て来るものだから、頬が熱くなって仕方がない。せっかくの冷たいデザートも台無しだ。
「……黙って見られてると食べにくい」
「そっか、悪ぃ。俺、自分がなんとも思わねぇから気づかなかった」
「ま、私も最初にあんたが食べてるところじっと凝視しちゃったからお互い様か」
「そんなこともあったなぁ。懐かしい」
ソラタが椅子の上にだらりと腰掛け、足を投げ出しまま、くくっと喉の奥で笑う。
隣に座ったその距離が以前より少しだけ近いことに気付く。私とソラタの関係が変わったのに合わせているのかな。
「あんときのシルフィ、目ぇまん丸だったもんなぁ。そんなに変に見えるのかと思ったわ」
「まぁ実際変だったけども」
「おい」
「でも、不快にさせてたらごめん」
「いや?さっきも言った通り、俺、食べてるとそれに夢中になるし……それに、俺、例の力で女の子に注目されること多かったから慣れてた」
「例の力って、えーと『はーれむちーと』だっけ」
「そうそう。よく覚えてるな」
「そりゃあ……まぁ」
どれだけ妄想だと思おうとしても、特別外見的魅力が高いわけでもないソラタが女の子に人気だったのは事実だ。
遠くに離れていて、もう一度会える保証もないのに三年も忘れられないくらい好きになってしまった男が女の子に無作為にモテるとなったら、気にならないわけがない。
――と、素直に言えたらどんなにいいだろう。
あれだけ短い期間でも、からかいも含めて好き放題言ってきたソラタ相手にそんな甘いことを言うのだと考えると恥ずかしくてたまらなくて、その一部でも口になんか出せやしない。
黙り込むと、こういう乙女心への機微には相変わらず鈍いままらしいソラタが「どうした?」とこっちを覗き込んでくるものだから、代わりにひねくれた言葉が口をついた。
「それ、最近も活躍してるみたいね。私の後ろに並んでた若い女性のお客さんたちが、店長がかっこいい店って騒いでたわ」
「だろうなぁ」
ソラタが力なく笑うところを見て、女の子たちに騒がれて喜んでいないことへの小さな優越感とみっともない喜びを感じてしまう。
その一方で、料理バカの称号にふさわしい努力もしているソラタの実力を見くびってしまった気がして申し訳なさも募った。
「でもっ、料理が美味しいって言って集まってた男の人たちもいっぱいいたし、女の子たちもソラタらしい細やかな接客を褒めてたわよ?だからこの店がこれだけ人気なのは、そういうソラタの妄想――じゃなくて、そういう力のせいだけでもないと思う!」
「フォローしようと思うようになってくれたか。宣言通り、いい女になったじゃん」
ソラタは苦笑し、私の頭をぽんぽんと軽く撫でた。言葉に反して年下扱いされるのは必死さが滲んでしまったからだろうか。
「俺個人としては俺の作る料理の味を気に入って来てくれる方が嬉しいけど、経営者としては助かったところもあるよ」
「経営者として?」
「そりゃ、俺一人で身軽に旅してたときと違って、今はお客さん集めなきゃ食っていけねぇもん。最初の立ち上げの時に使えるもんはなんでも使って広めなきゃって割り切った」
こういうところが、ソラタが私よりも大人だ、と感じるところだ。
女心には疎いままで、料理を楽しむことも、極めたいと思う気持ちも探求心も無くさないままだけど、ソラタは働く大人の男だ。自分の誇りや理想よりも現実を優先することができる。
全然違う意味でその神の祝福を気にかけ、喜んだ自分がみじめに思えてきて気持ちが沈む。
「そっか……」
「あぁでももうこれもなくなるし、ここまで広げられたらあとは実力勝負だから、それはそれで楽しみだな」
「え?なくなる?」
「うん」
「なんで?神に背くようなよっぽど酷いことでもしたの?」
「ちげぇよ!これは最初の条件を満たしたから……シルフィが恋人になったから」
ソラタは、空になり、皮だけ残ったオレンジを私の手から受け取り、弄びながら特に気にした風もなく言う。が、その横顔はわずかに赤いから、私が恋人になったと発言するだけで照れているらしい。
「なにそれ?どういうこと?」
「え!?俺たちってまだ恋人じゃなかった!?告白して両想いになったらそれで付き合うことになるんだよな!?それとも付き合おうまで言わなきゃだめだった!?」
あ、変わってない。
ガバリと起き上がり、私の肩を掴んで焦る様は、女の子慣れしていないあの時のまんまだ。
「ちょっと落ち着いて。そこに疑問を持ったんじゃなくて、条件ってなに?って意味の、なにそれ、よ」
「そっちか……よかった……」
ずるずると椅子を滑り落ちていき、はぁーと深く息を吐きながら顔を覆う様は、ちょっと可愛い。なんだろう、この初心さ。
「町を離れた後に誰かと付き合ったりしなかったの?」
「しねぇよ。好きな子がいるのに他の子と付き合ったりしたらその先に待つのは大抵不幸だろーが」
「私と会える保証なんかなかったのに?」
「それは……あった。実は、もう少し経ったら一度シルフィに会いに行こうと思ってたんだ」
「……本当に?」
「礼を言わないままの別れ方もあれだったし、実害がないとは言ったものの、シルフィがあの後どうしてるかはずっと気になってたんだ。……もしあいつとか、他の誰かと上手くいって、結婚でもしてたらそれはそれでよかったな、って言ってやらなきゃって思ってたし、違ったら……その、チャンスは、逃がせないだろ?」
頬を染めたまま、ちょっと横目で私を見ながら言いづらそうに申告する様子に、私の方が先に振り切れた。
私と同じ気持ちでいてくれたのも嬉しかったし、こうして一途に想ってくれたことに胸がいっぱいになって、愛おしさがこみ上げて溢れてしまった。
「ソラタ」
「ん?なに――」
顔を少し斜めにして近づけて、目を瞑り、その唇にそっと唇で触れる。
ほとんどまともに触れないまま離れたのに、私が元の位置に戻ってもソラタは目を見開いたまま、同じ恰好で固まっていた。
「ソラタ、息止まってるわよ。かえってこーい」
呼びかけても反応がないのでしばらく待っていると、ようやく事態を理解して、段々その顔がちょっと熟れたトマト色から完熟トマト色に変わっていく。
「今、今……なにを――」
「キスしてみた」
「なんでさらっと言えるんだよ!」
「事実だから」
「……こういうの、普通は俺からするんじゃねぇの……」
「好きだなって思ったら動いてた。ごめん」
「謝んな!謝んなくていい、むしろ大歓迎、なんだけど……あー、もう!付き合い始めたばかりの初彼女が積極的で嬉し辛い!」
ソラタは、顔を覆って下を向いたが、耳が赤いのは隠せていない。
本当に二十六の男なのかと疑いたくなるくらいの動揺具合だ。あの料理バカ具合から見ても、ここまで料理一筋で修行続きの毎日だったんだろうなぁ。免疫がないにもほどがある。
これまでどうやって女の子たちのアプローチを潜り抜けてきたんだろう?と考えてすぐに合点がいった。
立ち上げたばかりの、最優先課題であるお店が忙しすぎて、遊びに行く暇がなかったんだろうな。
「まだ付き合って一日経ってねぇんだよな……まだ色々ダメだよな……止められる自信……ないよなぁ……。よし」
「――なにしてるの?その顔何?目が糸みたいに細くなってるわ」
「お釈迦さまのあのご尊顔を真似しつつ、あの悟りを分けてほしいと請い願ってる」
「オシャカさまって?」
「あ――他国から輸入された後、見事、俺の母国の神様のお一人になられたお方」
「輸入?侵略されたの?戦いの神のようなもの?」
「んー……望まれて入った、はず。確か。中学で赤点三昧だった俺でもそれくらいは覚えてる。戦いの神でもねぇし――あ、でもそういう専門の仏様もいたっけ?全然覚えてねぇや」
また意味の分からないことをぶつぶつと呟いている。
結局、ソラタの母国ってどこなんだろう?移民とはいえ、一定の狭い地域しか回っていなかった私が聞いて分かるとも思わないから訊かなかったけれど、いつか訊いてみよう。
以前ソラタといた期間は短くて、彼の個人的な話はほとんど聞かなかった。けれど、これからは長い。訊きたいことも、聞かせてほしいことも山ほどある。その時間があるんだなぁと思うと、胸の奥がほんわりと温かくなる。
まずは一番気になるところから。
「別れ際っていえば、あの手紙って何て書いてあったの?」
「あ、あれはっ……!あれは、俺の黒歴史だ。今の俺の心臓にこれ以上の負荷をかけるのはまずい」
「大げさな」
「大げさじゃねぇよ!俺にとっては!――はい、今はそれだめ。頼むから動くな。頼むから」
両手でかきむしられ、黒い前髪がぐしゃぐしゃになったままの顔を上げたので、その髪を整えようと手を伸ばすと、即座に手首を掴まれ、そのまま自分の膝の上に下ろされた。下ろされた後も手がどかないので、よほど信頼がないか、切羽詰まっているみたいだ。そんなにだめだったかしら?
ソラタは、まだ熱の引かない頬のまま、あーとかうーとか呻いた挙句、思いだしたように提案してくる。
「か、過去より未来だろ。ハーレムチートの方が気になんねぇの?」
「そりゃ本当にあるなら、これからなくなるって断言できる理由は気になるわ」
「そっちから説明する。シルフィに効かなかった理由も絡んでるから」
話題ががそれてほっとしたのか、ソラタは落ち着いた声音で教えてくれた。